第32話

 模擬戦大会から数週間、城下の街は落ち着きを取り戻しつつも賑わいを見せている。そんな今日は職員達にとって待ちに待った給料日と言うやつらしい。軍務部では職員達がそわそわしているのが目につく。まぁ前世の僕も給料日には何を買おうか頭に浮かべながら結局大半をゲームにお金をつぎ込んだものだ。気持ちはよくわかる。分かるのだが、その浮かれた気分で仕事のミスを起こさないでほしい。


「ヒュプオトルさん、この書類計算と品目が違います。訂正お願いします。ホルカさん、書類の形式が違います。書類を変えて再提出お願いします」


「はい! すみません!」


「はい、すぐ直します!」


 返事はいいのだ返事は、さっきから僕のところに上がってくる書類は訂正を指摘する頻度が非常に高い。もう少し気を引き締めてほしい。切実に……。


「オルクス君、終われそうですか?」


 ベルセリさんが気づかわし気に聞いてきた。


「僕は切りの良いところまでやると定時手前なので、それまでにやります。予定も特にないので手伝えることがあればやりますけど」


「いえ、それには及びませんよ。そうですか。では、私ももうひと頑張りしましょうかね」


 ベルセリさんが立ち上がって手を叩き、みんなの視線を集める。


「はい、皆さん。今日が初月給だからって気を緩ませないで、最後まで正確にきっちり仕事を進めてください。さっきから訂正の指摘がでている人は余計にね。気持ちはわかるんですが、その調子では、いつまでたっても終わりませんよ?」


「はい!」


「分かりました!」


「頑張ります!」


 檄を飛ばしたベルセリさんは、ため息一つついて着席した。返事だけは本当にいいのだ、返事だけは。


 確か給料って、経理部の窓口で専用の魔道具があってそこでカードに入金、もしくは窓口で現金を受け渡ししてもらえるんだったかな。窓口の場合は18時に締め切られるけど、カード入金の場合はいつでも可能何だっけ。職員達がどう受け取るかは知らないけど、僕等の仕事は平時では17時まであるのだから、それまで気を抜かずしっかりやってほしい。


 僕は、給料の受け取りはまた別の日でいいかなと思っている。給料日当日のバタついた日に受け取りに並ぶのはごめんだ。


 あれ? ああ、これは後回しにしてた在庫の書類だな。これは現場に確認しないとわからないや。これが最後の書類だし、確認してくるか。


「ベルセリさん、在庫確認に行ってきます。これが最後の書類なので済ませてきますね」


「分かりました、後の確認はこちらでやっておきます」


「よろしくお願いします」



 ♦



 軍務部を出た僕が向かった先は、軍備部。軍で使う備品の調整や保管をしているところだ。ここには時たま確認作業の一環で来るのだけど、見た感じ少し様子が変というか、慌ただしいな。僕は近くにいる軍備部の腕章を付けた人に声をかける。


「あの、書類の内容で確認に来たのですが」


「ん? こど…、ああ、いや、すまない。今倉庫の備品の移動中に怪我人が出てな。少しバタついてるんだ。書類の確認なら私が見よう」


「お願いします。印のつけてある部分の在庫なんですが、過去のものと比較して少ないかなと思いまして」


「どれ……。ああ、確かに。この類の備品は恐らく整備中に故障したか、訓練中に紛失したかだろうとは思うが、少し待て確認してくる」


「お手数おかけします」


 僕が頭を下げると、軍備部の人は少しきょどった。僕が丁寧にすると大抵の人がこうなるのでもう慣れたが、やはり僕の年齢でここの仕事と言うのはまず驚くか困惑の対象なのだろう。しばらく待っていると書類を渡した人が向かった倉庫ではなく別の倉庫の方から数人が姿を現した。


 1人怪我人がいるよで担架に乗せられている。それにしても見る限り出血がひどいな、何か重いもので挟まれたのだろうか。指が千切れかかっているのが見えて痛々しい。そこに、書類を渡した軍備部の人が来てくれた、確認がすんなり終わったらしい。


「待たせた。やはり在庫が減っているのは間違いないようだ。良く知らせてくれた、発注の書類は明日にでも提出させてもらう」


「確認、ありがとうございます。それでなんですが、あの担架に乗っている方の手、すぐ治療しないとまずいかもしれませんね」


「うん? ああ、確かにあの怪我は奴の注意不足が原因ではあるが、あれは治療院に連れて行っても元通りには治らんかもしれないな。給料日近くに日付が迫ると注意力散漫の奴が度々出てくる。注意を何度しても効果がないので何ともしがたいところではあるがな」


「良ければ、僕が治療院に連れていく前に治癒で応急手当てしましょうか? ここからですと治療院まで結構距離がありますし、あの状態で移動していては途中で指が取れてしまうかもしれませんし」


「なっ? 君は治癒の、神聖術が使えるのか?」


「ええ、あの状態であれば、まだ指を繋がった状態にするくらいはできると思います。必要なければもう行きますが――」


「いや、診てやってくれ。手が不自由では仕事もできなくなるだろう。そうなればやはり退職せざる得ない。そうならない手段があるなら手を貸してやりたい。よろしく頼む」


「分かりました。とりあえず、詳しく診ましょう」


 僕と軍備部の職員さん、名をアドニスさんと言うらしい。二人で今担架を担いで移動しようとしている職員のところに向かう。アドニスさんが僕が神聖術で治癒する旨を説明してくれ、担架は再び地面に降ろされた。


「では、始めますね」


 担架に乗って呻いている職員の千切れそうになっている手に意識を集中して治癒を開始する。セシルとの訓練を思い出して神聖術の発動に術の名前を唱える。


「セレクト:ヒール」


 唱えた術は正確に発動したらしく、呻く職員の手の状態が徐々に原型を取り戻し治りつつあるのが見て取れた。見ていると傷が巻き戻しされていくように治っていくにつれ、周囲の職員がどよめく。怪我を負っている職員は意識が遠のいているようで反応はないが呼吸は落ち着いていて正常だ。セシルとの訓練を続けていてよかったな、思わぬところで役に立てた。


 見た目状態は怪我が見当たらないくらいに元通りに治癒できただろうか。僕はにじんだ額の汗をぬぐい、治癒を終えたことを宣言した。


「ふ~。終わりました。感覚的に痛みはまだ残っているかもしれませんので、この後しっかり治療院で経過診察を受けることをお勧めします」


「あ、ああ。助かった。本当にありがとう。こいつにも後で伝えておく」


「はい、そうしてください。それでは僕は戻りますので失礼します」


 そうして僕は用がなくなったのでその場を去ることにした。



 ♦



 帰りがけに経理部の通路を覗いてみると、予想通り長蛇の列ができていた。いかなくて正解だったな。僕はそんなことを思いながら宿舎に帰った。最近職場の忙しさが落ち着いてきたのでトヨネには別の要件を頼んでいることが多く、最近は一緒に行動していない。トヨネは少し不満らしいのだが、そこは許してほしい。まぁ要件と言っても工業地区でやっていたようなことで、布や糸などの消耗品やハサミやペンなどの道具類を中心に、実家の領地で生産できないものを購入してもらっているだけだが。


 宿舎の自室でのんびりしていると、部屋のドアがノックされる。トヨネならすぐに名乗るので別の人だろう。そう思い、返事をしながらドアを開ける。すると、そこにいたのは軍備部で書類に書いてある在庫を確認してくれた職員、アドニスさんが立っていた。なんか御用だろうか、いや用があるから来ているのだろうけど。


「アドニスさん、ですよね? どうされたんですか? 何か書類で不備でも?」


「あー、いや。先ほど治療を受けた同僚から、君にお礼と費用を渡すように頼まれたのだ。今時間が許されるなら受け取ってほしいのだが」


「あ、そういうことですか。でもお礼はともかく費用と言うのは……」


「いや、これは正当な君が受け取るべき報酬であると私も思う。私も君が断るのではないかと思っていたが、理由があるので受け取ってほしいのだ」


「理由ですか? いったいどんな」


「君が報酬を受け取らずに治癒をするという話が他の連中に流れれば、恐らく多くの怪我人は無償で治療できると君のところに押しかけてくるだろう。そのことを考えて受け取るべき報酬は受け取っておくべきだと私は思う」


「なるほど、それは考えが及びませんでした。教えて頂いてありがとうございます。後で大変な目に合う場合もあったんですね。でしたら、お言葉に甘えてお礼も報酬も、きっちり受け取らせていただきます」


「ああ、そうしてくれ。生憎あいにく本人は治療院で診察中でな、私から費用を渡すように頼まれている、カードでの取引でよければすぐに渡せるが、現金はかさばるので後日になってしまうがどうするかね?」


「折角ご足労頂いたので、カードでお願いします」


「了解した。ではカードをかざし合わせてくれ。知っているかもしれないがそれで取引できる」


 そう言われて、僕はギルドのカードを取り出し、アドニスさんがかざしているカードに自分のカードを近づけてかざす。すると、ピピっという音声が聞こえて僕のカードの残金がプラスされたのが見えた。

 ギルドで発行してもらったカードの機能は本当にすごいな。店だけじゃなくて、発行された正式なギルドカードなら、個々人でも同意の上なら取引できるんだから。前世にあったシステム並みのテクノロジーだよ。


「ありがとうございます。アドニスさん」


「いや、私も用事が早めに済ませられてよかった」


 アドニスさんは、懐から時計らしきものを取り出し確認をしている。


「丁度夕食時だな。良ければ、オルクス君も一緒に食堂に行くかね?」


「あ、もうそんな時間なんですね。では、ご一緒させていただきます」


 僕はアドニスさんについていく際、念話を使ってトヨネに連絡しておく。それと時計の値段の確認報告も受けたが、やはり一つとしても高い値段だった。金貨100枚前後するらしい。サイズが小さければ小さいほど高いということだ。次の休日に僕も実際見て回ろうかな。


 食堂に到着するといつもよりがらんと席が空いている。


「?」


「どうした、オルクス君?」


「いえ、いつもより席が空いてるなと思いまして」


 ああ、と何かに納得した様子のアドニスさん。何か知ってるのだろうか。


「単に今日が給料日だから外食が増えただけなんじゃないかな? 給料日にはよく見られる光景だが、オルクス君はここにきてまだ一月ぐらいだから違和感があったのだろう」


「なるほど。そういう理由でしたか」


 納得した僕に食堂のおばさんが注文をするように促してきた。僕が周りを気にしてるうちにアドニスさんは注文を済ませていたようだ。とりあえず、と僕は迷わずいつも食べている馴染みの肉の詰め物がしてある野菜に、チャーハンのような、何とお米を使った使った料理があったのだ。それを注文する。量少な目で! っと付け加えているのだが、毎回出てくる料理の量は半端なく多く感じる。身の丈にあった量を食べさせてください。


 アドニスさんと向かい合わせに席を取り、適当に雑談を始める。


「先ほど気になったのですが、アドニスさんの使われている時計はおいくらくらいで購入されたものですか?」


「私の時計か? そうだな、これは一応軍の支給品として値段が値引きされているもので、通常より安かったと記憶している。確か、金貨80枚程だったかな? 普通は金貨100枚ちょっとするらしいのだが、私の階級からは時計が必要と言うこともあってね。支払いは毎月の給料から天引きされたのさ。まぁ便利なものだから文句はないけどね」


 確かうちの部の部屋にも大きめの時計がある。軍備部の場合、外の仕事だから携帯用の時計が必要だってことか。


「なるほど、僕も時計を購入しようかと思ってたのですけど、支給品と言うことは購買部にも置いてるってことでしょうか?」


「そうなるね。それも値引きされた額だったはずだから一般で買うよりは得だと思うぞ?」


「なるほど、時間のある時に見に行ってみます」


 そんな他愛ない雑談を食事をしながら進めていると、アドニスさんが間を置いて質問してきた。


「……君は、今の部署で問題なく働けているか?」


 唐突に何だろうと思ったが、僕は思ったように答える。


「僕の場合、今の部署が妥当だと考えます。力仕事で外の部署に配属されていたら足を引っ張っていたでしょうし、今みたいに机にかじりついている仕事が性に合ってます。書類の関係上、他の部署を見る機会はありましたけど、とても僕のような子供が立ち入って通用することはないんじゃないでしょうか」


「ふむ……」


 また何かを考えるように、目を深くつむり物思いにふけるアドニスさん。僕は何か変なことでも行っただろうか?


「いや、聞いた話では君は国王陛下からの直の雇用とも聞いていたが、君の年齢で軍務の仕事がデスクワークであったとしてもきついのではないかと思っていたのだ。普通、あの部署は書類の種類や数に忙殺されて逃げ出す、まぁ退職だな、そうする者が後を絶たないと聞いていたものでね。気になって聞いてみただけだ、無理をしていないなら余計なことを言ったな。気にしないでくれ」


 僕の事を気遣ってくれての質問だったようだ。


「まぁ確かに最初、同僚のベルセリさんと二人で、部署を回せと言われたときは非常にしんどかったですが、今は人員も増えて忙殺されるなんてことはないですね。ただ、アドニスさんの部署と同じく、初月給に浮かれているのかここ最近は仕事上のミスが目立つ場面が多かったんですけど。そろそろ落ち着いてくれるかなと期待してます」


「はは、まさか同じ悩みを有しているとは……、君もほんとに苦労しているな」


 同情されてしまった。それから少しの間自分達が所属している部の事であんなことがあった、こんなことがあったと軽い愚痴を言い合った。ほんと、給料日は過ぎたのだから、明日には落ち着いてほしいところだ。切実に……。

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