第19話

「何もこの国に移住しろと言っている訳ではない。定期的にで良いからこの国で仕事をせんかと言っておるのだ」


「陛下、またそんな思いつきで……」


 ヴァレン宰相様が呆れがちに反論する。周りの大臣達も同じような表情だ。それに対し僕を見ながらモイラアデス国王はニヤリと口端を吊り上げる。


「いや、案外良い考えだと思うがな? 今の御時世に性別や年齢問わずともより優秀な人材を集めると言うのは大変なことだぞ? 宰相お前も前にそうぼやいていたではないか。そして、それが今目の前にいるのだ。逃す手はあるまい」


 何というか、オオカミに睨まれたウサギのような気分だ。僕はとりあえず、ウルタル殿下に助けを求めて視線を送る。


「……」


 思考が追い付いていないのか反応がない。困ったな、こういう時なんて言えばいいんだ? 母上も、見てわかるほど顔色が悪い。しかし、このまま無言でいる訳にもいかないか。


「モイラアデス国王、発言をお許しいただけますでしょうか?」


「許す。何なりと申してみよ」


「ありがとうございます。率直な疑問なのですが、祖国の違う私のような年端もいかぬ子供がこちらの国で働いた場合、国際間で問題にはならないのでしょうか?」


「問題? お主まだ爵位も継いでおらんのだろう? それにユピクス王国で何の役職にもついておらぬし、10歳になり名前の保護者名が消えたとしても、爵位を継いで領地をもったとしても何ら問題はないはずだ。お主は知らぬかもしれんが、別々の国で爵位や領地を持っている貴族も存在しなくもないぞ? ならば特に問題などなかろう。宰相、何か問題はあるか?」


「はぁ。いえ、ありません。当然ある程度の職業選択枠の縮小や仕事内容を他へ口外しないという規約付きですが」


「それは当然だな。まぁスパイだなんだと誤解が生まれない様に念のため、お主の国の国王に書状は出してやる。お主に何も不利益が及ばぬように働きやすくしてやろう」



 いやいや、そういう問題じゃないんだよ。僕にいったい何をさせるつもりなんだ、この王様は……。僕は実家の領地復興をやりたいだけなんだ。なんで他所の国なんかで働かなきゃならんのさ。


「モイラアデス国王、私には実家の復興作業があり、こちらで働くわけには――」


「よい! お前の家の領地からこの王都に来るまでどれ程の時間を要する?」


「お、大凡、片道6日程でございます」


「ふむ。ならば休みを申請すれば長期休暇を付けるようにしてやろう。それとお主用に連絡用の早馬も手配するぞ?」


 いや、だからそういう問題じゃないんだっての! 何考えてんだこのおっさんは! おっと静まれ、冷静になれ。ここで落ち着かなくちゃ無理難題吹っ掛けられて飲まされるぞ。僕は獰猛な雰囲気を前面に押し出したモイラアデス国王に視線を向ける。国王の口は笑っているが目は僕を見透かすようにじっと見つめている。


「恐れながら、モイラアデス国王様は私に何の仕事をせよと仰せでしょうか? そこがはっきりしなくては返答に困ります!」


 よし! 言ってやったぞ、あわよくば無理だって言って逃げよう。僕はそう心の中で決め込むと国王陛下の言葉を待った。


「ふむ、なんのことはない、お前の仕事はラクシェ付きの警護兼軍務の会計士だ。勉強が好きならラクシェについて国立学院で付き添いもとい、警護をしろ。そのついでに学問を学べばよかろう。後はついでの空いた時間に軍務の会計士でもやっていれば給料も入り無駄な時間もなかろう」


「はいっ!? ラクシェ王女の警護!?」


 僕は思わず聞き返してしまった。周りの大臣もざわめきだす。しかし、モイラアデス国王はそれを意に介さず、さらに大きな爆弾を投げつけてきた。


「それにお主が頷いておけば貴国との戦争も停戦協定を結ぶと宣言してやろう。お前の選択如何では多くの血が流れることになるかもしれんな。ガハハハ!」


「なぁっ!? 停戦協定ですって!?」


 今度は驚いてウルタル殿下が聞き返した。


「そうとも、今のそちらの国の国力ではこれ以上の戦線を継続できるとは思えんのだが、選択の余地はあるんだろうかな?」


「お父様、なんだか悪者ぽいですわ」


「いや、すまんすまん。しかし真の事だからのぅ」


 結局、その場の勢いに負けて断る文句が出ず、仕事を請け負う流れになってしまった。しかもこちらの領地事情を考慮し、休暇の申請で長期期間、最長一月は休んでも良いという高待遇だ。失礼だとは思ったが気になってそんなに人手が少ないのかと尋ねると、近年ヘルウェン国の中で汚職の根絶などによって粛清を一斉に行ったため、今は人手に大変困っているのだと言う。そんなので戦争やってんのかよ! 僕は内心呆れて無言になった。


「すまない。私がついていながら……」


 謁見の間から退出を許された僕等は、意気消沈と案内に促されて通路を進んでいる。


「いえ、大変なことになってしまいましたが、ちゃんと住むところも待遇も手配してもらえるみたいですし」


 申し訳なさそうに謝罪を述べるウルタル殿下。とりあえず、当面の戦争も回避できた訳だし良しとするしかない。僕はウルタル殿下を宥めつつ一路帰国するのだった。




 ♦♦♦  




「なんと停戦協定だと!?」


「あの国がですか? 何かの間違えではないのですか?」


 帰国してそのままユピクスの王城で国王様と宰相様に謁見する。モイラアデス国王から預かった書状には、確かに僕の雇用と停戦条約の内容が書かれていたようだ。待って、僕をダシに本当に話が急展開過ぎないか? 自分の実家の領地復興を進めていただけの僕に、なんだってそんな問題事が舞い込んでくるんだ。この時ばかりは、僕は女神様に文句を言ってやりたい気持ちになった。


 まだつかったことはないけど、女神様が僕の腕輪に付与してくれたヘルプ機能にサポートセンター宛のメールって送れないものかね。文句を書きなぐって送り付けるのに。というか、馬車での長距離移動でもうクタクタだ。風呂に入って寝たいのが正直なところだ。


 だが、モイラアデス国王からの書状を見て唸っている我が国の国王様と宰相様、それぞれの役職についている大臣達はそうさせてはくれないらしい。ウルタル殿下が休憩を挟もうと言ってくれなかったら僕や母上はもっとぐったりしてたんじゃないだろうか。


 その日は王城で手配してもらった風呂に入り母上と久々に同じ部屋に泊った。そして、泥のように眠ったはずだが疲れはあまり取れてないけど話し合いの続きをしないといけないからね。モイラアデス国王は僕の何にそんなに興味を持ったんだろう? もしかしてラクシェとの内緒話で何か聞いたんだろうか? わからない、もう半ば諦めモードで受け入れるしかないのか?



 ♦



「ただいま帰りました」


 実家の屋敷にたどり着いたのは、王城に2日泊って話を詰めてから5日後の事。国王様や大臣達の話し合いで僕が関係する場所だけ早々にまとめてもらい実家に帰宅させてもらう許しを得たのだ。


「よく帰った。疲れたろう、ゆっくり休むがいい」


「父上、母上と一旦休息をとったらお話しておきたいことがあります」


  手紙で一通りの事は知っているのだろう父上の計らいで休ませてもらい、僕は帰宅してすぐに休息をとると今まであったことを父上に話し、隣国ヘルウェンで働くことになった事を伝える。父上は事のあらましを説明していくと、納得いかない風であったが心配そうに仕方なしと応援してくれた。仕事自体は来月から始めてもらうと言われているので、今月は後10日ほどで準備をしなければならない。


 と言っても、向こうでは制服や必要な物資の支給はされるらしく、僕自体は普段着や日用品を用意すればいいだけなのだ。簡単で良い。それに、僕がまだ幼いということもあって使用人は付けていいらしい。勿論トヨネ達従者を連れていく予定だ。


 領地に関してはアイリスとケンプに任せてあるから大丈夫。僕が遠隔地にいても言玉のような念話能力を各従者は持っているため連絡も取りやすい。それにあるアイテムを互いに使用することでヘルウェン王国とこちらの行き来をしやすいようにすることも可能だ。それで緊急時も問題ないようにと考えている。他の面々にも仕事を長いスパンで続くように割り振ってあるし、当分は問題ないだろう。

 



 そして、準備も整った来月まで残り8日、僕は馬車の中にいた。これからユピクスの王城に行ってフォルトス国王と謁見しなければならない。というか、普通年に何回も国王陛下と謁見なんてするもんじゃないんだけどなぁ。


 前置きは抜きにして僕はフォルトス国王の前で膝をつく。


「オルクス・ルオ・ヴァダム参上いたしました。これよりヘルウェン王国へ向かいます」


「ヘルウェンからの手紙、内容を吟味し改めさせてもらった。後は両国間での話し合いとなろう。そなたには気の毒かも知れぬが両国の懸け橋となってくれることを切に願う」


 ヘルウェン王国からの手紙には、僕のような才覚ある者を雇用することにより、両国間で友好的な関係を築いていきたいと言う旨の内容が書かれていたらしい。その試しみとして第一陣に僕が選ばれたということだ。まぁ言ってしまえばこれ自体は建前なのだろうけど。


「はい。非才の身ではありますが、できる限り尽力させていただきます」


 これは後に、両国間の留学などが取り入れられるケースの前例となったと言われている。



 ♦



 それから月が替わる前にヘルウェン王国へ到着する。6日も馬車に乗っているとほんとにクタクタになる。まぁそこは僕なりにズルしているのだけれど。仕事の始まりは月の最初からだ。なので、残り1日半あるわけだが回れる範囲をまわって国内観光としゃれこむか? 一応、仕事場の近くにある宿舎で予め、到着したことを告げて部屋を確保しておく。


 すでに僕専用のというか子供用の制服を渡された。後は宛がわれてある部屋に国側が用意した荷物は運んであるそうな。手際のよいことで。結局僕はのんびり部屋に入り浸って、宿舎での規約や雇用契約書などを眺めながら過ごすことにした。お行儀悪くベッドに寝転んで。


「あーそういえば、王女の警護だっけ。挨拶しに行かなきゃかなぁ」


 所変わって場所はヘルウェン王国の王城前にある門前。気は進まなかったが僕は書類を門番に見せてラクシェ王女へ挨拶に来たと伝えたしたのだけど、書類と僕を何度も交互に見る門番にイラッとしているところだ。結局ラクシェ王女はいないらしく、用事があるときは呼ぶので、しばらくは軍務部の会計士の仕事に専念してほしいと伝えてきた。結局その日は一日持ち込んだ本を読んで過ごすことにした。



 ――そして翌日の朝。



 僕専用に宛がわれた宿舎の部屋で制服に着替え終えて紅茶を飲んでいるところだ。今の時間は8時半過ぎ。宿舎の食堂で食事をもらったのはいいのだけど、やたらに大盛りでよそわれるので部屋に持ち込んで半分に分ける。片方は容器に移し替えてインベントリに、もう片方は胃袋の中に。余った時間で紅茶を飲む、そんなところだ。そして人心地ついたところで、僕は今日からお世話になる副業と言えばいいのか? 仕事場となる軍務施設へ向かうことにした。


 軍務というだけあって、通りかかる人は全員制服を着用しているようだ。僕ういてないよね? ミニチュアのような子供用の制服だけど。とりあえず、あちらこちらから見られている視線は完全無視することにして、受付にいるであろう職員の人に声をかけていた。


「すみません。今日からお世話になるオルクス・ルオ・ヴァダムです。最初にここに来るように言われたんですが……」


「はーい。……ああ、お待ちしておりました。書類はこちらで預かりますね。私はこの経理部に勤務しておりますベルセリ・ルロイと申します。しばらく、貴方の補佐をするように言われておりますので、わからないことがありましたら遠慮せず聞いてください」


「御丁寧にありがとうございます。僕の事はオルクスと呼んでください。後ろに控えているのは付き添いのメイドでトヨネと言います」


 トヨネは無言で会釈する。


「わかりましたオルクス君。では、私の事はベルセリとお呼びください。聞いている話ですと計算が得意と伺っていますので、早速ですが貴方の席に案内します」


 そして案内された机には書類の山。は? と僕は埋もれそうで隙間のない書類が積み重なった机を見て内心呆けた。これが僕の仕事場……。っておい、これ全部するの?


「とりあえずは、この机の書類を処理していってください。大半が経費や予算やらの申請ですので殆ど計算だけで片付くと思います。よろしくお願いします」


 そんな感じで、大まかな説明を受けて仕事に取り掛かる。


 確かにほぼ計算だけで処理できる書類が大半のようだ。たまに桁が間違っているものや書き損じ、計算間違えなどが多々見受けられ、それを細かく分類分けしていくのも作業の一環だ。書類の分類でわからない物は後でベルセリさんに聞くとして、これを日がな一日やり続けるのか。そんな考えが脳裏をかすめた辺りでベルセリさんが休憩を口にした。


「ややや……。書類の山が大分減りましたね。素晴らしい!」


「いえ、それより一つ気になってたんですが、周りの机の方達は今日はお休みなんですか?」


「え? ……っと、その……」


 ものすごく困った顔でベルセリさんは俯いてしまった。


「まさか全員粛清の対象に、なんてまさかですよね?」


「そのまさかの、大体そんな感じです」


 はぁっ? この無人の机群が皆粛清の対象だと? そう、僕やベルセリさんの机の周りにも沢山の机と書類の山が溜まっていた。しかし、肝心の職員の姿がない。僕は気にしながらも書類の処理に奔走していたわけだが、いまだに一人として現れないのだ。これはおかしい。そこで聞いてみた訳だが、20席ほどある席数が全て粛清対象とはどういう了見だ。しかし、僕は今日ここに来たばかりで理由がわからなかったけど。あんまり深入りして聞いても意味なさそうな感じがする。粛清後で人のいない部署に回されたわけか。


「一月半前までは皆さん来ていたんですけどね。何故か一人また一人と懲戒処分で減っていったんです。ほんと怖かったー。それでも、仕事をしないわけにもいかないので残った私だけがいたわけなのですよ。貴方の配属が決まったってことは10日前に聞いていたので喜んでいたんですけど、一月前からこの有様で一体どうなっているのか」


 なんだそりゃ。職員の不正なわけだから自業自得ということだろうかね。それでも人員の派遣を一月も放置しててこの国は大丈夫だったのか? というかそんな状態でよくも戦争なんかできたもんだよ。


「僕が来たとしても焼け石に水だったんじゃないですか?」


「んー、そんなことはないと思いますよ。思っていた以上の処理能力に私なんか舌を巻いてますもん」


「そうですか、お世辞でもうれしいです」


 休憩でそんな雑談を食事を摂りつつ話し終えると、再びデスクワークへと戻った僕は、今日のノルマ分と思ったところまで書類を処理し終えて、ベルセリさんの担当分をおしえてもらいながら手伝っている。


「これでとりあえず最後にしましょうか」


「ややや。助かりました。すみません、手伝ってもらって」


「いえ、色々と教えてもらいましたから。それにしても……」


 本当に今日は誰も来なかったな。僕は書類が山積みになっている無人の机を眺める。


「そのうち増員が誰か出勤する事になるんでしょうけど……」


「仕方ありません。時間も時間ですし今後に期待しましょう」


 そう言って僕は宛がわれた宿舎に帰りつく。今日は疲れたな。というか、仕事を一人除いて全員が粛清対象で懲戒ちょうかい解雇処分とは、一体どうなっているんだ。聞いた話だとベルセリさんは一番下っ端で入職間もなかったらしい。人が減り始めても懸命に仕事していると言うのに、一月もの間人員の派遣がないなんて。ほかの部署はどうしているんだろうか。明日ベルセリさんに休憩中でも聞いてみようか。僕はトヨネと夕食をとってその日は早めに眠ることにした。



 そして次の日、出勤しているのはやはりベルセリさんと僕だけ、これで二日連続同じ状態の勤務だ。大丈夫かこの国!? ベルセリさんもさすがに増員が僕だけなのを危機感として抱いたのか、明日出勤したらその足で人事部に駆け込んでみますと意気込んでいた。



 ――そして次の日。



 人事部長からの返答は懲戒処分で解雇処分者が多すぎて、どこの部署も手が回っていないということだった。横領や横流しなんかで部署がほとんど横つながりで関係者職員は全員解雇処分となっているらしい。意味がわからん。もう一度言うが大丈夫かこの国!?


「僕って軍務部の会計士として派遣されたはずなんですけど、経理部を現状の二人で回せと言うのはどういうことですか?」


「中央から人を何人かやるように辞令が出ているとか。大まかな人事はまだ決まっていないので、それまでは私達二人で通常業務と並行して止められている書類の処理も行っておくようにとのことです」


「そ、そんなばかな……」


「一応給金はその分増えるらしいので、お互い気の毒だと思うんですが決定事項だそうです。よろしくやってくれって一言で部屋を追い出されました」




 なんて無茶ぶりなんだ。しかし、手を止めているといつの間にか積み重なって山のように未処理の書類が溜まっていってしまう。このまま普通にやってたんじゃ何時か書類の山に埋もれてしまうよ。


「このままじゃ埒があきません。やり方を少し変えていきましょう。計算方面は僕がやるので、ベルセリさんは他の書類をお願いします。日付の古いものから順に片づけていきましょう」


 いつしかトヨネも非常動員して認めてもらい未処理書類と格闘していく。気付けばその日は夜の21時ぐらいまで書類とにらめっこしてたように思う。僕は意識が飛びそうになるのを我慢して書類を持とうとしたがトヨネに止められる。


「ベルセリさん、オルクス様が就寝される手前になりましたので、今日はこの辺りで」


「わかりました。私も今やってる書類が終わったら上がりますので、先にどうぞ休んでください」


「ありがとうございます。それでは失礼します」


 僕はなさけないかなウトウトしながら軽く夕食をとって、そのまま眠りに就いたらしい。そのあたりの記憶があいまいなんだけどね。そしてそんな生活を続けて5日目。ようやく人員が数名派遣されてきた。


「人事部から来ました。これからしばらく、経理部にお世話になります」


「私は商務部からきました」


「よろしくお願いします」


「助かります」


 各部からの応援がちょくちょくやってくるようになり、そこからやっと地獄から解放された気分だったがそれにしても、何でこんな人がいない状態で仕事が回っているのか説明されてないじゃないか。オフレコらしいが今回の僕の祖国との戦争費は国王様自ら出資したとかなんとか。だからそういった書類がないのか……。


 僕はそう思いながら処理済みの書類を重ねていく。忙しい中何とか時間をつくり、計算以外の書類について処理の仕方を教えてもらう。こう言っては何だが、ベルセリさんが仕事のできる人で本当によかった。もしお互いに仕事の内容がわかってなかったらと思うと、考えるのも恐ろしく身震いが起こる。


 ああ、休憩時間の紅茶がうまい……。



 ♦♦♦



 経理部に怪物が出た――。ここ最近そんな物騒な話が聞えてくる。その怪物の名前はオルクス・ルオ・ヴァダム、私の新しい同僚だった。


 彼が経理部に姿を現した日から私も確かに見ていた。他の同僚達が起こした不祥事で解雇処分されて残った机の書類を片っ端から分別して、自分のできる分野に集中して遂行していくところを。書類整理や処理は自宅の領地でも行っていたそうだが、経験したこともない量の書類を見ても物怖じせず、仕事に取り組んでいた。

 さらに次の日もそしてその次の日も。書類の量は減っているのか一目にはわからない。それでもオルクス君はめげずに仕事に取り組んでいた。そしてその日もオルクス君と共に勤務をやり遂げることができた。それにしてもオルクス君の作業速度が尋常じゃない。というか両手にペンをもって別々の書類を処理するなんてどういう頭の構造してるのか……。



 今では他の部署からの助っ人が日替わりで手配されているが、誰もがオルクス君の仕事量に度肝を抜かれていた。それはそうだろう、計算書類は言うに及ばず、教えた書類の部類は手を止めることなくというか、両の手それぞれで別々の書類を処理して積み重ねていくのだ。自分で言っていて何を言っているんだ私は疑問に思うが事実なのだ。誰だってまねできることじゃない。というか失礼だけど人間業じゃないと思う。見慣れているからついていけるがその処理速度は何度も言うけど尋常じゃない。とても私には同じことはできないだろうと思う。


 そして数日後、最近では殆どの書類を処理できるようになっているし、彼が仕事にもっと慣れてきたら一カ月ほど見慣れた書類の山も消え失せるだろう。だけど、彼にばかり頼っていてはいけないよね。彼は私の同僚なんだ。彼が残業でうとうとし始めると、ああ、彼は子供なんだなぁと改めて実感する。そこにどこか安心感を持ってしまう私はどうかしているのだろうか。そんなことより、あの方から頼まれたもう一つの仕事が残っている。あの方の頼みを聞き届ける為にも折を見て彼を誘ってみようと思う。


 さて、今日のお昼休みはオルクス君のメイドさんが用意してくれたサンドイッチを頂きながら、私ベルセリ・ルロイは休憩時間の紅茶を感応する。


 

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