第16話 思い出は心の中に

 ある夕刻のことだった。店を開いて間もない時刻に満代が一人で店にやってきた。

「あら、いらっしゃい! 今日はお一人ですか?」

 さちこが尋ねると満代は

「浩二さんは今日は出張で来られないのです。悔しがっていました。それでという訳ではないのですが、実は私の親友なのですが、この近くの喫茶店に待たせてあるんです。『店が開いているか見て来るから』と言って出て来たのですが、実は彼女、両親が亡くなってしまって落ち込んでいるんです。それで何か美味しいものを食べさせて元気になって貰おうと思って……」

 満代の言葉に奥で作業をしていたまさやが

「その方は何か訳ありなんですね?」

 そう言ったので満代は驚き

「どうして、そんな事まで判るんですか?」

 そう尋ねるとまさやは

「だって、わざわざそんな事を話に来るなんて、事情があると言ってるみたいなものですよ」

 満代は言われてそれもそうだと納得した。

「実は彼女は養子なんです。幼い頃に事情があって施設に預けられたのです。その後、子供の居ない夫婦に養子として育てられたのです」

「その養子先では特に問題になる事があったのですか?」

「いいえ、本当の子供のように愛情たっぷりで育てられたそうです」

「では、何が問題なのですか?」

 不思議がるまさやとあちこに満代は

「それが、ふたりとも病気で亡くなってしまったのですが、遺品を整理していたらお母さんの日記が出て来たそうなんです。それを読んでショックを受けてしまったみたいで……」

「日記にはどんな事が書いてあったのですか?」

 そこまで言って満代は少し躊躇って

「必ず秘密にして下さいね」

 そう言って二人に頼むと

「大丈夫です死人に口なしですから」

 そう言って満代を唖然とさせた。

「実は、その日記には『自分が母親としてちゃんと出来ているだろうか』とか『あの娘に寂しい想いをさせていないだろうか』とか、そんな心配事ばかり書いてあったそうです。友達は、それを読んでいかに自分が愛されて育てられたのかを改めて知って、ショックで落ち込んでいる状態なのです」

 満代の話を聞いてまさやは、ショックは一時的なものだろうが、立ち直るには何か記憶に残るような食べ物が良いのではないかと考えた。

「では一時間ほど後で連れて来て戴けますか?」

 そう満代に頼んだ。

「判りました。では一時間後に」

 そう言って満代が出て行くと、まさやはさちこに

「ちょっと行って来るから戻るまで店を閉めておいてくれ」

 そう言い残して姿を消したのだった。


 一時間後、満代は約束通り「こころの食堂」に友達を連れてやって来た。満代と同じように背がすらっとした娘だった。ショートカットにしてる満代と違ってストレートに髪の毛を伸ばしていて、それが良く似合っていた。

「いらっしゃいませ。お話は伺っています。今日は特別な献立を用意しました」

 さちこがそう言って先ずは前菜にそら豆と煮鮑のスライスが乗ったお皿を出した。

 満代の友達がそれを見て

「母はそら豆が好きでした。六月ごろになると一杯買って来て二人で良く剥いたものでした。父の帰りを待って茹でたてを三人で食べたものです。思い出します」

 次にさちこが出したのは木の芽和えが入った小鉢だった。

「この木の芽和えは父が好きでした。父が亡くなって母も元気が無くなり後を追うように逝ってしまいました。父は母の作ったこれを食べながらビールを呑んでいました。これも懐かしいです」

 満代は食べながら、どうしてまさやが友達の両親の事が判るのだろうと思っていた。それは友達も同じだったようで

「どうして、両親の好物が判るのですか?」

 そう尋ねるとさちこが

「ここは『心の食堂』です。ここはこの世とあの世の境にあるのですよ」

 そう言って微笑んだ。

「さ、次の料理ですよ」

 そう言ってさちこが持って来たのは筍の煮物だった。穂付きの小ぶりの筍が半分に切られており、それに青蕗が添えられている。天には木の芽が、前に桃色の桜麩が添えられていた。筍のアイボリー、蕗の青、木の芽の緑、桜麩の桃色と鮮やかな色を見せていた。器の黒がそれらを引き立たせていた。

「綺麗……食べるのが勿体無いぐらい……そういえば小学生の頃に家族で筍掘りに行きました。筍って以外に地中深いので掘るのが大変なんです。私一人では無理な時は父が手伝ってくれました」

 満代の友達は煮物の器を愛おしむように箸をつけて行く。

「この筍も蕗も木の芽も私達は命を戴いているんですね……」

 そして最後は烏賊飯だった。やや小ぶりの烏賊に飯が詰められてパンパンに膨らんでいる。醤油の色に染まった烏賊に切り込みが入っていて箸でつまめるようになっている。

「母は北海道出身なので良く烏賊を買って来て烏賊飯を作りました。一緒に烏賊の皮を剥いたり手伝ったものでした」

 満代と友達は出された料理を全て食べ終わった。そして友達が口を開いた

「今日は両親との思い出の料理ばかりでした。とても美味しかったです。そしてひとつ気がついた事がありました。私両親が亡くなって落ち込んでいました。養子の私を実の子と同じ、それ以上に愛して育ててくれました。とても、存在が大きかったので亡くなって戸惑っていたのです。でも、今日ここで料理を食べさせて貰って、気が付きました。二人は今でも私の心に生きていると言う事をです。逢いたければ今日のように思い出の料理を作って食べれば良いと気が付きました。ありがとうございます!」

 満代の友達の元気になった声を聴いてまさやは

「良かったです。あなたには未来があります。何か辛い事があったら満月の晩しか開いていませんがまた来て見て下さい」

「はい! ありがとうございます! しっかり生きて行こうと思います」

 満代の友達は何回も礼を言って帰って行った。

 暫くして今度は浩二が顔を出した。

「あれ? 出張じゃなかったのですか?」

 驚くまさやに浩二は

「いや~どうしても今夜来たくて超スピードで案件をあげて帰って来たんですよ。大阪なんで普段は新幹線ですが飛行機を奢りました。お腹すいた! 何か食べさせて下さい!」

 そう言って店先にへたり込んだ。その時友達を送って帰って来た満代が見て驚いて

「あれ! どうしたの?」

 訳を聴いて

「やっぱりね。我慢出来るはずがないと思ったんだ……そうそう、まさやさん、友達の両親の事はどうして判ったのですか?」

 満代の言葉で良く判らないが、ある程度の事情を察した浩二が

「だから『心の食堂』なんだよ」

 そう言って満代を煙に巻いた。

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