第14話 手料理の向こう側

 今年は満月とクリスマスが重なった珍しい年だそうだ。世間の喧騒とはかけ離れた場所に今夜も「心の食堂」は店を開いていた。

 浩二と満代が早々とやって来て腹ごしらえを済ますと

「今夜は二人だけで過ごしますので……」

 そう言って照れながら姿を消すと、店の中は静かになった。まさやが厨房から出て来て

「こんな夜なら誰も来ないかもな」

 そう呟くと間もなく一人の女性が店にやって来た。歳の頃なら五十台後半か六十前後に見えた。頭は白くなっておらず短いが黒々とした髪をしていた。

「いらっしゃいませ」

 さちこの声に迎えられるとその女性は

「あのう……実はご相談があってやって来ました」

 そう言ってコートも脱がぬまま店に立ち尽くしていた。それを見たまさやは

「どのような事かは存じませんが、我々でお力になれるならお聞き致しますが」

 そう言って、その女性に席を薦めた。

「ありがとうございます」

 女性はコートを脱ぐと薦められた椅子に座った。心なしか少し安堵した表情が受け取れた。

「どのような事かおっしゃって下さい」

 まさやの言葉に女性はポツポツと語り出した。

「私は美武秀麗と申します。名前から判るように両親は戦後大陸から渡って来ました。もう両親共々帰化して随分経ちますが、両親の生まれは向こうなのです。私は日本で生まれましたが、大陸で育った両親の影響で中国料理がやはり好きです。幼い頃から食べていた味がやはり自分の好みになっています」

 さちこが出したお茶を一口付けると

「美味しいお茶ですね。私はお茶は日本のが好きなのです」

 そう言って僅かに嬉しそうな顔をした。

「それで、ご相談とは」

「はい、実はたまにですが母が作ってくれた料理なのですが、料理の名前も判らないのです。街の中華料理店を回ってもそれらしい料理がメニューに置いていないのです。私は日本だから無いので大陸や台湾に行けばあると思って色々と探しました。でも何処にもありませんでした」

 女性の話を聞いてまさやは、「もしかしたら……」と思い始めていた。過去に同じような相談を受けた事があったからだ。

「それはどのような料理でしたか?」

 まさやの質問に女性は記憶を手繰るように語り出した。

「両親は広東省の出身です。海の近くの街で育ったそうです。戦後は八路軍が嫌で外に逃げようとしましたが、台湾はもうかなりの人が渡り始めていたので、迷った挙句日本にしたそうです。理由は親類が横浜で働いていたからで、少しでも知人が居る方が良いだろうと言う事でした。両親はお互いが遠縁にあたるそうですが、日本に行く船で初めて逢ったそうです。父が二十歳、母が十八の時でした。

 日本に着いてからは縁者の紹介でやはり横浜の中華街で働き始めました。やがて二人は結婚し私が生まれました。それを期に家族は帰化したのです。

 母は私が幼い頃から大陸の色々な料理を作って食べさせてくれました。正直母の手料理はどの中華レストランよりも美味しかったです。その中の一つが今回どうしても忘れられない料理なのです。それは甘酸っぱくてカリカリとして熱っくて……」

 どうも女性の話が思い出に行きそうなのでまさやが引き戻す。

「具体的には何が入っていましたか?」

「ああ、すいません。簡単に言うと『海老ワンタンの甘酢がけ』とも言うのでしょうか、揚げた海老ワンタンに甘酢が野菜と一緒に掛かっているのです」

 それを聞いて今度はさちこが言う

「野菜は人参、竹の子、ピーマン、玉葱、椎茸等ですか? たまにはパイナップル等が入っていましたか?」

 女性はさちこがいきなり言ったので驚いてしまった。

「どうしてご存知ですか? 誰も知らないと思っていましたのに……」

 まさやが笑って

「それは多分、『タンツー・ホントン』と呼ばれる料理ですよ」

 難なくまさやが言ってしまったので女性は只驚いているだけだった。

「実はね、昔、ある方から教わったのです。その方もやはり戦後こちらにやって来て帰化された方でしたがね。やっぱり広東省だと言っていました。これは向こうの家庭料理なので日本では余り広がらなかったのでしょう。それに近いものに酢豚がありますからね」

「そうでしたか……こちらに来て良かったと本当に思いました」

「ここには誰からお訊きになったのですか?」

「はい、やはり帰化されて広く事業をなさっている方からです」

 それを聞いてまさやは心当たりがあったが今は黙っていた。元気な事が判ればそれで良いと思った。

「丁度材料がありますからお作りしましょうか?」

「はい! お願い致します」

「お母さんのよりは落ちるとは思いますがね」

 まさやは笑うと厨房に入って行った。まさやは人参、竹の子、ピーマン、玉葱、椎茸等に油通をして、火の通った状態にした。次に海老のすり身をワンタンの皮に包んでいく。

かなりの数が出来上がると、それを油で揚げ始めた。

揚がったワンタンを別の中華鍋に入れて、先ほどの野菜を加えて行く。

適当に混ざった頃を見て、醤油、ケチャップ、お酢、砂糖、オイスターソース等が混ざった調味料を加えて行く。

適度に絡める様に鍋を何回か廻して最後に片栗粉でとろみをつけて、仕上げに胡麻油を少し絡めて出来上がった。

「さあ食べて見て下さい。熱くてワンタンがカリカリの内が命です」

 女性は出された料理に口を付けると

「これです! この味です! 殆ど母の味と変わりません。素晴らしいです」

 そう言って感嘆の声を挙げた。

「やはりでしたね。実はお酢を控えて、やや甘めにしてあるのです。あなたが食べた時は子供でしたから、お母さんならお酢を控えると思ったからです。やはり手料理には真心が篭っていますからね。我々は想像でそれを補うだけです」

「でも、素晴らしいです! 母の心理状態まで推測して料理を作るなんて……」

 女性は宝物を慈しむように料理を食べて行く。

「恐らく日本ではウチしか出していない料理です。お母さんに会いたくなったら、満月の夜にまたやって来て下さい。何時でも歓迎しますよ」

 さちこが笑顔で伝えると女性も

「是非、また寄らせて貰います。次は別なものを頼みます!」

 そう言って笑ったのだった。

 

 まさやは想う……料理の向こう側にはそれぞれの想いが存在するのだと……

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