第12話 サービスの本質
満月の夜、今夜も心の食堂に浩二と満代がやって来た。
「あ~やっぱりここに来ると落ち着くわね。やれやれだわ」
満代のその言葉にさちこが尋ねる
「どうされました。何かあったのですか?」
さちこの言葉に今度は浩二が
「いや、この前の事なんだけど、無愛想な店に入ってしまってね。それでね……」
「良ければ話して下さいますか?」
その言葉に満代が
「ねえ、丁度良い機会だから、さちこさんや、まさやさんの考えも聞いてみたいと思わない?」
浩二は満代の言葉を聞いて、少し考えてから
「そうだね。尋ねてみても良いかも知れないね」
そう言ってさちこの方に向き直り
「まさやさんにも尋ねたいのですが、この前なんですが、味は良いのですが、無愛想と言うかサービスの悪い店に入ってしまったのですよ。それで、作り手としては料理人さんは味が良ければその他は割りとどうでも良いと思ってるのでしょうか?」
いきなりのサービスの話に
「お店として、お客様に愛想よくするのは、又来て貰いたいからだと思うわ。味や値段が同じなら感じの良い店の方が良いでしょう」
浩二は確かにそうだと思った。普通、店の人がここまでハッキリと言う事は少ないのでは無いかと思った。
「でも、そのお店は、店員さんも調理している人も物凄く無愛想で、逆にこっちが愛想よくしちゃう位なんです」
満代の言葉に浩二は前の事を思い出しながら
「余りにも美味しいので、カウンター越しに『美味しいですね』って話しかけたら『ありがとうございます』って言っただけで、後は黙って仕事してるんです。満代が運んで来た店員さんにも同じように『美味しいですね』って言っても『調理場に伝えておきます』って一言言っただけだったのです」
そう言って少し憤慨していた。その様子を見て奥の調理場からまさやも出て来て
「本当に味だけで勝負して行こうとしてる店かも知れないし、職人的気質で会話が苦手なのかも知れませんね。まあ。、私もどちらかと言うとそっちの方ですが……」
浩二はそれを聞いて、『まさやは違うだろうと』思ったのだった。
「高い料理屋や料亭は別にサービス料をお客さんから徴収するけど、大体はそれを従業員に還元するか、別な形でお客さんに還元しているけどね」
幸子が高級な店の実情を話すとまさやが
「それはまた違う話だからな。二人が行ったのは、どの様な店なのです?」
二人に尋ねると満代が
「日本料理のお店で、ちょっと洒落た和風の造りになっていて、店の模様の印象は悪く無かったのよ」
そう言って浩二に同意を求めた。
「そうなんです。だから結構期待しちゃった面もあるのですが……」
まさやは浩二の言葉を聞き終わり
「今、聞いた限りでは最低限の事はしているみたいですね。会話が弾まないのは主の性格の為かも知れませんし、店員も主に気を使って、余計な事は言わないのかも知れません。で、味は本当に良かったのですか?」
「はい、それはもう! 正直、まさやさんに匹敵するぐらいの味でした」
「何をお食べになったのですか?」
まさやの問に今度は満代が
「勿論、お刺身の盛り合わせと鯖の味噌煮です。他にも色々と頼みましたが、主なものはその二つです」
「刺し身は食材の良し悪しで決まりますが、鯖の味噌煮は常々お二人に食べて戴いているので気になりますね」
まさやはそう言って調理場に入るとやや時間を置いて、二人の前に鯖の味噌煮を持って来た。
「これは、私からの提供です。普段食べているものではありませんが、今一度食べ比べてみて下さい」
二人は、出されたお皿に乗った鯖の味噌煮を見て驚いた。そして箸で摘まんで見て、確信した。それは普段の鯖とは全く違っていたからだ。
「これ……普段のとは違いますね。見た目も違うし、味も違いますね」
驚いている浩二や満代にまさやは
「これは神奈川の三浦で穫れる『松輪サバ』(まつわさば)と呼ばれるものです。とても高級品で普通は味噌煮にはしませんけどね。今日はお二人の為に敢えて出してみました。この鯖は、魚自体は腹部が張り出して丸々としています。身はしっかりと乗った脂のため桜色に見え「黄金の鯖」とも呼ばれる事があります。普通は刺し身で食べるのです。普通、鯖を刺し身では食べませんがこれだけは特別です。関サバと並んでブランド鯖なのです」
そう言ってさちこに刺し身を持って来させた。
「この鯖は、三浦沖で一本釣りされ、極力人の手が触れぬよう出荷直前まで生かして運ぶことで生食できるほどの鮮度が保たれるのです。そういったサービスを受けているのです」
薦められて刺し身を口にして浩二も満代も何も言えなかった。脂の載り具合が抜群で、しかも少しも生臭さを感じない。超特急の鮮度だと実感させられた。鯖なのにぷりぷりとした食感が堪らなかった。
「でも、この『松輪サバ』とこの前行ったお店との関連は?」
浩二の質問にまさやが
「実は煮方も普段とは変えてあるんです。お気づきですか?」
その言葉に満代が反応して
「実は、鯖は兎も角、味噌の味が似ている気がしたのです。何か判ったのですか?」
もし、自分達の話した情報だけで何か判ったのなら、それは凄いと思うのだった。
「そのお店の場所はどちらでした?」
二人は、思い出しながら詳しい場所と店名を話すとまさやは、少し遠い目をして頷いた。
「その店の主には息子さんがいました。結婚して中々出来なかったのですが、やっと出来ましてね。それは随分可愛がっていました。その息子さんの好物が鯖味噌でした。すくすくと育ったのですが、ある時交通事故で亡くなりましてね。それ以来無口な男になりました。今でも恐らく心の傷は残っているのでしょうね。だから店で鯖味噌の注文を受けると彼は息子に食べさすつもりで作っているのです。だから、その都度真剣になるので余計口数が減るのです。奥さんもそれを痛い程判っているから、やはり無口になるのです。決してサービスが悪い訳では無いんですよ」
まさやの言葉に浩二は興奮して
「まさやさん。知ってるのですか?」
「昔の先輩です。彼からは随分色々な事を教えて貰いました。碌な恩返しも出来ずにこっち側に来ちゃったけど近況が聞けて良かったですよ」
「そうだったのですか……」
ぼんやりとしている二人に向かってまさやは
「さあ、刺し身は早く食べて貰わないと味が落ちますよ」
そう言って二人を現実に戻させた。
「次は何を作ります?」
さちこが注文を尋ねると満代が
「その息子さんは他には何が好物だったのですか?」
そう尋ねる。するとまさやが答えた
「そうですね。トンカツが好きでしたね」
「じゃあ二人にローストンカツ定食を」
「はい、かしこまりました」
さちこが注文を受けて調理場のまさやに伝える。その様子を見て、そう言えば、浩二は二人には子供は居なかったのだろうかと思った。いれば、男の子だろうか、それとも女の子だろうかと考えた。今まで二人の口からはその事を聞いた事は無かった。尋ねてみたい……喉元まで出掛かった言葉をようやくの思いで飲み込んだ。それはこの二人ならばきっと何時かは言ってくれると思ったからだ。それまで待とうと浩二は考えた。それは、やがて自分も満代と夫婦になり子供を作るだろう。親となった時にしか、その痛みは判らないのではないかと考えたからだ。
気が付くと揚げたてのトンカツを満代が嬉しそうに頬張っていた。
「浩ちゃん。凄く柔らかくてジューシーなの!」
自分も何時か親となる日がやって来る。それを強く意識するのだった。
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