第11話 小鍋立ての魔力
満月の夜だけ現れる食堂に、今夜はこの前彼女と上手く行った浩二が連れを伴ってやって来た。
「いらっしゃい! 今日は彼女ではなくお友達ですか?」
さちこの言葉に浩二は
「会社の後輩なんですが、今日はまさやさんとさちこさんに相談に乗って貰いたくて連れて来たのです」
「あら、ここは単なる食堂よ。人生相談する所じゃないのよ」
半分からかい気味に言うさちこに浩二は
「それが料理が絡んで来るから、もうここしか無いと思って……どうかこいつの悩みを訊いてやって下さい」
テーブルに頭を擦り付けるように頼む浩二は隣に立っている後輩に
「馬鹿! お前からも頼め! そもそもお前の事なんだろう!」
言われてその青年は
「は、初めまして、高槻真也と申します。今日は、相談に乗って欲しくて先輩と一緒にやって来ました。宜しくお願い致します」
そう自己紹介をして二人に頼み込んだ。
奥からまさやも出て来て
「やれやれ、また問題かい? 最近何か多くてねえ~」
そう言いながらも笑っている。
「まあ、出来るかどうか訊いてからだね」
浩二も真也もそれはそうだと納得して真也が話始めた……
「実は、好きな娘がいるんです。でも、友達止まりというか、映画を見に行ったりはするのですが、ドライブとか、二人だけで食事とか呑みに行くとかはダメなんです。そのたぐいは誰か別に参加するなら行くのですが二人だけではダメなのです」
「そう友達止まりという事らしいけど、逆に意識してるのじゃ無いのかな? 何とも思っていなかったら、関係無く行くでしょう!」
まさやの言葉にさちこも
「そうねえ。意識してるから、二人だけにならない様にしてるのじゃ無いかしら?」
「そうですかねえ……それでいてファストフード店なんかは平気で入ってハンバーガーなんか食べるのです。洒落たレストランに誘うとダメなんです」
真也がそう言うと横で聞いていた浩二が
「なんとかなりませんか? お願いします!」
そう言ってもう一度頭を下げた。
「仕方ないですね。浩二さんの後輩さんじゃ何か考えますか。まず、二人だけで入った一番高額な店は何でした?」
まさやの質問に真也が真剣に記憶を手繰ると
「定食屋でした。それも割り勘で……」
そう言って浩二の方を見た。
「お前、定食屋って……あそこ連れて行ったのか……大胆だな! 俺だって満代と一緒に行くようになったのは最近なんだぞ。あそこは……親しくない娘を連れて行くような場所じゃ無いだろう?」
浩二が半分呆れて言うと真也も
「だから、単なる友達ですよ。男とおんなじ感覚で連れて行ったのです。そりゃ本音はどうにかしたいと思っていましたけど……」
二人の会話を聞いてまさやは
「食堂レベルなら連れて来られるのですね? ここなら大丈夫ですか?」
そう真也に問うと
「はい、多分大丈夫だと思います。先輩と満代さんが親しくしてる食堂だと言えば来たがると思います」
そう言って目を輝かせた。
「なら、やりようがあります。次の満月の夜ですが、最近は暗くなるのが早いです。五時にはもう暗くなっています。ここに五時に来られますか? 来られるなら五時から七時までを貸し切りにして二人だけにします。色々と演出を考えていますから、その時に頑張って下さい」
まさやの提案は真也にとって全く判らない事だったが、兎に角自分は五時に彼女をここに連れて来れば良いのだと思った。
「誘って来ます! 必ず!」
「その娘は好き嫌いはありますか?」
「無いと思います。特殊なモノ以外は大丈夫です」
こうして、次の満月の夕方に作戦が決行される事となった。
「親方、自分も来ちゃダメですかね?」
浩二がおどけて言うと
「そうですね。七時過ぎなら良い物を見られると思いますよ」
まさやはそう返した。
その後、二人は「鯖味噌定食」を食べて帰ったのは言う間でもない。
次の満月がやって来た。真也は何とか恋人関係になりたい和美を連れて満月食堂にやって来た。
「その食堂って、浩二さんと満代さんが恋人関係になる切っ掛けの料理を食べたお店でしょう。一度行って見たかったの。だから今日は嬉しくて」
笑顔を見せる和美を見て真也は心が浮き立つのだった。何か今までより和美がより親しくしてくれる感じだったからだ。
やがてこの前の満月の夜に浩二と一緒に来た場所に満月食堂はあった。だが全く感じが違うのだった。店の雰囲気がこの前と違うのだ。
「あら、何か思ったよりお洒落な感じじゃない」
和美に言われ真也も店を見ると確かにこの前よりお洒落な感じがしている。サッシの引き戸だった入り口は粋な格子戸になっており、暖簾には「心乃庵」と書かれている。しかも藍染めの暖簾だ。店の前には小さな庭が出来ており、竹や松などが植えられていて、竹の犬矢来まで作られていた。
「あれ、違ったかな……でも「心の」って暖簾に書いてあるから、ここだろうな?」
多少の疑問を持ちながら格子戸を引くと
「いらっしゃいませ~お待ち致しておりました」
そう出迎えてくれたのは、絣の着物を来たさちこだ。今日は十時絣の着物に絞りの名古屋帯。帯揚げは白、帯締めはえび茶と言う格好だった。勿論頭もきちんと結ってある。店の中を見渡せば、何時ものテーブルとカウンターではなく、二人で向かい合わせに仕切られた席が四つ程離れて点在していた。完全な純和風の様子になっていた。
「こちらにどうぞ」
さちこに案内されて奥の席に向かい合わせに座る。
「料理はお任せとなっております」
それだけを言うとさちこは奥に下がって行って程なくお通しを持ってやって来た。盆の上には一本のお銚子と猪口が乗っていた。
さちこが箸置きに利休箸を置いてお通しの白和えが入った小鉢を置く。その脇に素焼きの猪口を置き、二人にお銚子の酒を注ぐ。
「順番に出て参りますからごゆるりと」
そう言って下がってしまった。呆気にとられて見ていた真也だったが
「じゃあ、取り敢えず乾杯しようよ」
和美も聞いていた店の雰囲気とは全く違う様子に我を忘れていたが思い出したように
「ああ、そうね。乾杯しましょう。でも何に?」
「僕と君にでは?」
真也は普段とは違う言葉が口から出たので自分でも内心驚きながらも平静を装う。
「まあいいかもね」
和美も笑いながら答えて猪口を交わした。
酒が口の中いっぱいに広がる。濃厚でそれていて果実酒を思わせる口当たりが食前酒として気分を盛り上げてくれる。喉越し爽やかで後に残らず。それでいて、また恋しくなる味わいだった。日本酒の独特の喉を通過する時に感じる若干の違和感も感じなかった。
「これ凄い! こんなお酒初めて!」
驚きの声を上げた和美に真也は
「全くだね。こんな酒があるなんて知らなかったよ」
続いて白和えを口にする……豆腐本来が持つ濃厚な大地の味に上品な甘さが乗って、僅かに感じる塩味が和えられた青味と人参、それにシメジの風味を良く出している。
「白和えってこんなに美味しい料理だったんだ」
和美の驚きも納得だった。浩二が普段から言っていた事は本当だったのだ。曰く「この世のものとは思えぬ美味しさ」と……
続けて出て来たのは酢の物だった。中身は胡瓜に和布、それに小鰭だった。正直、真也は「光りもの」は苦手だった、だが和美の前で食べない訳には行かない。渋々口に入れた途端頬が緩むのが判った。酢の加減といい、小鰭の〆具合といい、次元の違う処理がしてあった。
その次は刺し身だった。鮪の中トロと雲丹をアオリイカで巻いたものだった。雲丹の濃厚さがさっぱりしているアオリイカと絶妙の加減を味あわせてくれている、大間産の鮪の中トロは言う間でもない。
そして次にさちこが持って来たのは、小さな炭が入った卓上コンロを二人の間に置いた。取り皿と小さな杓子を置く。そして直径二十センチ程の鍋をその卓上コンロの上に乗せた。
「葱鮪の小鍋立てです。充分に熱くしてからどうぞ」
見ると醤油がベースになった汁の中に大きめに切った四角い鮪と筒切りになった葱がこれもかなり多く入っている。
さちこが鍋に蓋をすると二人の間に白身魚の揚げ物を置いた。
「とらふぐのから揚げです。鍋が煮えるまでこれをどうぞ」
さちこに勧められるままに口にすると、淡白な味わいとから揚げの風味が堪らない。思わず酒が進んでしまう。既に二本目を呑んでいた。
「浩二さんと満代さんが言っていたお店の感じとは違うけど、どれも抜群に美味しいわ。今日はありがとうね。わたしの為に無理をしたのでしょう。本当にありがとう!」
和美の言葉に真也は
「正直に言うよ。これからは友達ではなくてきちんと交際してくれないかな。僕は本気なんだ」
「真也君それほどまでわたしの事……」
そこまで言った時に鍋が吹き出した。
「食べよう……今日はこれがメインだよ」
真也は和美の分も取り皿に鮪と葱をよそった。杓子で汁を飲んで見ると、醤油の風味が効いていて、旨味が強い。葱は甘く、それでいて濃厚な大地の味がする。火が通った鮪は余分な水気を鍋に出して旨味だけが濃縮している。その二つを口に含むとその絶妙な組み合わせに深い満足感を覚える。
「わあ! 葱と鮪って全く違うものが一緒になって生み出す美味しさって、凄い! わたし、判った! この組み合わせって男女と同じなのね。海と陸地と言う違ったものが組み合わさると素晴らしい結果を生むのね。わたし……判った! 真也君、これから一生よろしくね!」
和美の言葉に真也は一瞬狼狽えたが、
「ありがとう! 本当にありがとう! 一生大事にするね!」
そう言って二人は両手を握り合った。その時、店の時計が七時の時報を鳴らした。その瞬間だった。純日本風だった店内が何時もの様子にガラッと変わったのだった。
「あれ、これ……」
戸惑っている二人に入り口の引き戸を開けて浩二と満代が入って来た。
「やったな真也!」
「おめでとう和美ちゃん!」
驚いている二人もやっと笑顔を見せる。
そう、それはまさやが仕組んだカラクリだった。僅かの間だけ二人に幻を見せて雰囲気を創りだしたのだった。
店の奥にいるまさやに浩二が
「でも何で『小鍋立て』だったのですか?」
そう尋ねるとまさやは
「『小鍋立て』は必ず二人だけで食べるものなんだ。それもしっぽりと濡れてね……粋な食べ物なんだよ。今日に相応しいでしょう?」
そう言って浩二を見た。納得した彼が二人を見ると、未だ二人は見つめ合ったままだった。
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