第9話 心の味を求めて

 満月の夜だけ現れる食堂……店の暖簾には「心の食堂」と書かれている。今夜もそれを潜り新しいお客がやって来た……

「こんばんは~、満月の夜だけ現れる食堂と言うのはここですか?」

「いらっしゃいませ~、はい、そうですよ。ここが『心の食堂』です」

 さちこが愛想よく答えると、暖簾から半身だけ店の中に入れていた娘は引き戸を開いて完全にその姿を店の中に入れた。歳の頃なら高校生ぐらいの感じの少女だった。短くカットした髪の毛が僅かに頬まで伸びていた。

「実はお願いがあってやって来たんです」

「お願い? ここは食堂だから、食べる事以外は出来ないのよ」

 さちこの言葉に少女は訴えるように

「沢山の人に訊いて、色々な噂を耳にして、ここしか無いと思って、何ヶ月も探して来たのです」

 どうやら、単に食事に来たのではないと、奥の調理場に居るまさやも感じていた。

「良かったら詳しく話してみて下さい。お力になれるかは、聞いてみてからですね」

 まさやの言葉に少女は頷いて話し始めた。

「私は、近県の県立高校に通う高校二年生です。名前を若井彩音(わかいあやね)と言います。母は随分前に病で亡くなりました。今は父と弟との三人暮らしです。経済的に困っている訳ではありません。ごく普通の暮らしをしています」

 高校二年生にしては随分大人びた感じがした。体格は小柄だが、目つきがしっかりしていて目に力があった。色白で赤い唇が印象的だった。

「それで、何を頼みたいのかな?」

 まさやは直感でこの少女の頼みが大凡想像出来ていた。それでも、こちらから聴き出すような事はしない。あくまでも相手が言うのを待つのだった。

「あのう……母の味を教えて欲しいのです!」

「彩音ちゃんって言ったけ? 俺はあなたのお母さんとは知り合いでは無いのだけどね」

「それは判っているのです。でも、ここに来ればどうにかなると思って……すいません。無茶なのは良く判っているのです。実は私ではなく弟の為なのです」

「弟さんの為?」

 さちこが小首を傾げて不思議がると、後ろに立っていたまさやは、さちこの前に出て来て

「どういう事なのか、何か事情があるみたいだが……良かったら聞かせてくれないかな」

 まさやの言葉に彩音は事情を語り出した。

「母が亡くなったのは私が小学五年生の時でした。癌でした。私は事情を良く判っていましたが、当時幼稚園児だった弟は良く判らなくて。実際母の記憶も殆ど無いのです。今年、弟もあの時の私と同じ年令になりました。学校の授業で色々な事を学びます。そのひとつに「おふくろの味」という言葉が国語の教科書に出て来たそうなんです。先生の説明に、クラスの他の子は皆両親が揃っていますが、弟は母の顔さえ知りません。学校から帰って来てポツリと『姉ちゃん。俺、おふくろの味ってもう一生味わえないんだね』って言ったのです。亡くなった母は料理上手で色々な料理を拵えて食べさせてくれました。私は覚えています。母の料理の美味しさを……でも弟は何も覚えていないのです。それが判ると姉として私は弟に母の味を味わらせてあげたいと思ったのです」

 まさやは「心の食堂」を開いてから、尤も難関な問題が持ち込まれたと思った。この次の満月の夜までなら向こうの世界で亡くなった本人を探して来るという事も出来なくはないが、既に生まれ変わっていればお手上げだ。残るはまさやの知識を総動員して突き止めなければならなくなった。

「おふくろの味と言うと良く引き合いに出されるのが『肉じゃが』ですが、お母さんは作っていましたか?」

 まさやの問い掛けに彩音は

「はい、良く作ってくれていました。ですから私も記憶を頼りに作ってみたのですが……」

 そう言ってうなだれた。

「どの様なのを作りましたか?」

「普通のです。じゃがいもと人参と玉葱ときのこも入っていました。椎茸とかシメジとか」

「肉は?」

「牛肉と豚肉でも作りましたが、何か違っていました。母のとは違うのです」

 彩音の言葉を聞いてまさやは、彩音の母親が何処の出身か気になった。

「お母さんは何処の生まれですか?」

 まさやの質問に彩音は記憶を辿るように考えてから

「確か秋田です。秋田の生まれと言っていました」

 それを聞いてまさやはある事が思い当たった。秋田の一部では「肉じゃが」に比内鳥を使う所があるのだ。以前自分も秋田に行った時に食べた事があった。正直「肉じゃが」というより「鶏とじゃがいもの煮込み」と言った感じだったのを思い出した。

 まさやは彩音に「少し待っててね」と伝えると調理場に入って行った。そして何やら作業を始めたのだった。

 暫くしてまさやは深めのお皿を手にして調理場から出て来た。

「純粋な比内鳥では無いけど比内鶏と地鶏の掛け合わせの鶏で作った「肉じゃが」です。これでは無いですか?」

 出された「肉じゃが」を一口食べた彩音は

「美味しい! 物凄く美味しいです……でも、この味じゃありません。すいません…でも少し思い出しましたが、何か赤い肉だった気がしました。牛肉みたいな色でしたが、風味が違っていました」

 まさやの知識では「肉じゃが」に使う肉の種類は、地方によって違うが大体は牛肉か豚肉だ。主に西が牛、東が豚と言われている。その他には秋田の比内鳥や地域によっては鯨を使う所もあるのだ。

「お父さんは味を覚えて無いのかな?」

 まさやは、このような時は夫でもある父親が覚えていたりするものだがと考えた」

「父は母の作った料理を『旨か旨か!』と言って食べていました」

 まさやは、それを聞いて、ある考えが浮かんだ。そして急いで何処かに電話をした。

「そうか、あるんだな。直ぐに持ってこれるか?……そうか、じゃ宜しく頼む」

 まさやはそう言って電話を切ると彩音に向かって

「暫く待ってくれれば望みにものが食べさせられると思うよ」

 そう言って彩音を喜ばせた。

「本当ですか!」

「ああ、君のお父さんは熊本生まれだね?」

「はい、でもそれが……」

「それで判ったんだ。あれを使っていたら、風味が全く違うからね」

 彩音は、父の言った一言だけで判ったまさを、凄いと思った。

 やがて、黒一色の格好をした業者が何かをまさやに届けてくれた。一体彼は何処から来たのだろうか?

「材料が届いたから、少し待っていてね」

 それだけを言うとまさやは再び調理場に入って行った。


 料理場からは圧力鍋の蒸気が規則的に「シュ、シュ」と噴上がる音がする。やがてそれが消えるとまさやは忙しそうに手を動かし始めた。そして材料を鍋に入れて火に掛けた……

「さあ出来たよ。今度は間違い無いと思う。君のお母さんが作った「肉じゃが」に近い味がするはずだ」

 出された「肉じゃが」を一口食べて彩音の表情が輝いた。そして頬を涙が流れて行く。

「これです! この味です。これが母が良く作ってくれた『肉じゃが』の味です。でもこの風味は……」

 不思議がる彩音に

「これは馬スジを柔らかくなるまで煮込んでいます。牛とも豚とも違う独特の風味です。さっぱりしてるのに旨味が強い。馬ならではの味なんです」

「でも、どうして、馬だと判ったのですか?」

「あなたのお父さんの『旨か』という言葉からです。それは九州の言葉ですね。それも熊本地方の表現です。熊本は馬を良く食べます。馬スジの郷土料理も沢山あります。当然「肉じゃが」にも馬スジを使います。あなたのお母さんは自分の故郷の比内鶏ではなく、夫の故郷の馬スジを使ったのです。素晴らしいお母さんですね」

「そうだったのですか……私は全く知りませんでした。ひとつ両親の良い所を教えて貰いまいした。ありがとうございます!」

「きちんとしたレシピを書いておきます手間は掛かりますが、それだけの事のある料理ですよ」

 まさやの言葉に彩音は涙を浮かべながら

「ありがとうございます! これで弟も喜びます」

「判らない事があれば満月の夜にはここに居ます。また来て下さい」

「はい、今度は弟も連れてお礼に来ます!」

 彩音は慈しむように、馬スジの肉じゃがを楽しむのだった。彼女にとって暫くぶりの母の味でもあったからだ。

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