第8話 女性の好きな秋の味覚

 満月と言うのは人の心を怪しくもさせ、また色々に変化(へんげ)させるものなのかも知れない……

 浩二は、窓の外に浮かぶ満ちた月を眺めていた。隣には一人の女性が浩二の肩に頭をもたげていた。そっと右腕を伸ばしてその華奢な肩を抱くと

「やっぱり、あのお店って不思議なお店なのね。まさか、この前まで浩二くんと恋人の関係になるなんて思わなかったもの」

「ああ、そうだね。それは僕もそう感じていた所さ。人の縁の不思議さをね」

 二人は一枚の毛布に包まりながら何時迄も月を眺めていた。


 満月食堂に現れる度にやって来る浩二が困惑した表情で暖簾をくぐって店に入って来た。

「いらっしゃい! あら、どうしたの? 思い詰めた顔をして……」

 さちこが浩二を心配して声を掛けると

「ああ、すいません。考えごとしていたものでして……ああ、そうか、まさやさんとさちこさんに相談すれば良かったのか!」

 浩二の言った内容が食べ物の事だと見抜いたさちこは奥の調理場に向かって

「浩二さんが相談あるみたいよ」

 声を掛けると中から白衣姿のまさやが姿を見せた。

「どうしました? 食べ物の事で悩んでいるなら多少はお役に立てるかも知れませんね。多分こんなサラダがうってつけなんじゃ無いですか?」

 この食堂が不思議なのは今に始まった事では無いが、それにしても未だに口にしていない自分の悩みまで判っているとは驚きだった。そして出された料理を見て驚いた。それは今まで浩二が見たことの無いものだったからだ。

「これは……サラダですか?」

 浩二がガラスの器に目を落としたまま尋ねると

「そうです。薩摩芋と栗のサラダです。白く掛かっているのはソースです。それを付けて食べてみて下さい」

 まさやはそう言って銀の小さなスプーンを手渡した。このガラスの器も銀のスプーンも、うらぶれた感のあるこの食堂にはおよそ相応しくない感じがした。だ が言われた通りに潰された薩摩芋と細かくカットされた栗、それの上にたっぷりと掛かった白いソースの部分をスプーンで掬って口に入れた。

 何と言う味だろうか! 薩摩芋の甘さと栗の甘さが程よく口の中で融け合っていた。それを濃厚な白いソースが皿に贅沢な感触を与えていた。

「こんなの今まで食べた事が無い! これはいったい?」

 浩二の驚きが少し収まるのを待って、まさやが解説をする。

「この薩摩芋は実は特殊な種類でしてね。伝手で手に入れたのです。確か、生のままでは鹿児島県からは出せないと思いました。栗は丹波篠山のものです。薩摩 芋は石焼で蒸すように火を通しました。薩摩芋のデンプンは時間を掛けてやればやるほど甘さが増します。これを木の包丁でざっくりとほぐしました。栗は皮を 剥いて甘露煮にしました。但し、この場合は甘さを抑えています。程よい甘さと薩摩芋のほくほく感を損なわないようにしました。

 浩二は言われてガラスの器に目を落とすと刻まれた栗が艶やかに光っていた。まるで、それは宝石の輝きにも似ていると思った。

「どうりで、口の中の感触が最高でした。でも、このソースが半端なかったです。これは生クリームが使われているのは判りましたが、それだけでは無いと……」

 浩二の質問にまさやは

「そうですね。ベースはジャージー種の牛乳から作った生クリームです。それにヨーグルトや砂糖、それに色々な調味料を入れてます。濃厚でそれでいてさっぱりと感じて貰えたと思います」

 浩二は、もう一度スプーンで掬って同じように口に入れてみた。ホクホクした薩摩芋の甘さに僅かに固い栗の甘さが舌の上で絡みあう。その後を濃厚でそれで いて爽やかなソースが覆い尽くして行く。浩二は食べる事が官能であるとこの時初めて感じていた。そして、その時会社での出来事を思い出していた。

 それは同じ課の満代と言う女子社員の事だった。来客や顧客からの電話の受け答えも愛想良く、気の使い方も浩二は気に入っていた。特別な美人では無かったが、性格の良さが顔にも出ていて、魅力的な女性だった。

 浩二は以前からこの満代をデートに誘おうと努力していたが、食事等は二度ばかし誘う事が出来たが、食事代を払おうとすると「割り勘で」と言われ、目論見は上手く行かなかった。

 それからデートに誘っても余り上手く行かなかったのだ。その満代が同僚の女子社員と話している会話を偶然耳にしたのだった。

 それは「秋の味覚」についてだった。どうも「一風変わった美味しいものが食べたい」と言う内容だった。

 まさやの出してくれたサラダを口にして浩二は「これだ!」と閃いたのだった。

「でも、どうして判ったのですか? ……まあ、今更なんですが」

 途中まで口にして思わず笑ってしまった。このような不思議な事は今までも幾らもあったからだ。

「これ、次の満月にある娘を連れて来ますから、もう一度食べさせてくれますか?」

 浩二の頼みにまさやは首を傾げた

「う~ん次の満月だと栗は兎も角、薩摩芋が特殊なのでそのままでは難しいですね。でも『秋の味覚』なら若干アレンジしたものを出しますよ」

 その言葉を聞いて浩二は安堵した。まさやが、そう言うなら安心出来たからだ。

「じゃあ、お願いします!」

 その後、鯖味噌定食を楽しんで浩二は帰って行った。それを見送ったさちこは

「浩二さん。本気で口説きに掛かってるのね。真剣なんだ……良いわね~私達も、あんな頃もあったわね」

 さちこの言葉にまさやは

「今だってそうだろう!」

 そう言ってさちこの頭を軽く指先で叩くのだった。


 さて、次の満月の夜である。果たして浩二は満代を連れて来る事が出来るだろうか……

「本当なんだよ。信じて欲しいんだ。必ず君を満足させるから!」

 裏道を二人で歩きながら、一生懸命に話しているのはどうやら浩二のようだった。隣にはスタイルの良い女性が一緒に歩いている。

「まあ、良いわ。信じてあげる。結局は何時ものようにデートの口実でしょ。それも悪くないけど、何だか言い訳ぽい感じがするわね。いつもの浩二くんらしくないわ」

「いや、そう言われてもそれが真実だから。僕は欲得ずくで言ってるんじゃ無いんだ。そこの店の主は必ず満代ちゃんを満足させられるから」

「そう……じゃあ、本当に私が心の底から満足したら、付き合ってあげる。そこまで私の事を想ってくれるなら、本望よ!」

 満代の言葉を耳にして浩二は気持ちが高まって来るのを自分でも感じるのだった。

「こんばんは~」

「いらっしゃいませ~ あら本当に連れて来たのね」

 浩二が暖簾をくぐって入って来るとさちこは笑顔でそう出迎えた。

「はい、連れて来ました。今日は宜しくお願いします」

 浩二がそう言って何時もの席に満代と並んで座った。さちこは調理場に入るとまさやに向かって

「浩二さん、何かいい雰囲気なんじゃ無いかしら。普通は向かい合いで座るものだけど、並んで座ると言う事は女の子も満更じゃ無いのね」

「それはそうだろう。嫌な奴と一緒にこんな場末には来ないよ。さて、これだ、持って行ってくれ」

 さちこはまさやからガラスの器を受け取ると浩二と満代の所に持って行った。この前の様に銀のスプーンが添えられていた。

「今日は薩摩芋の代わりに南瓜を使いました。まずは食べて見て下さい。後ほど店主が説明します」

 さちこが下がると浩二は満代の前にガラスの器を滑らせて

「食べて見て! 絶対満足するはずだから」

 浩二に言われて満代は銀のスプーンで南瓜と栗とそれに掛かっているソースの部分を掬うと口に入れた。一瞬の後、満代の顔が輝いた。

「これ! 凄い! こんなの初めて!」

 輝く満代の表情を横目で見ながら浩二は深い満足を得ていた。やはり頼んで、そして連れて来て良かったと思った。

「浩二くん。不束者ですが宜しくね」

 満代が浩二に抱きついていた。その様子を調理場から覗いていたまさやはさちこに向かって

「どうやら上手く行ったみたいだな。良かったよ」

 そう言って店の方に出て来た。

「ご満足戴いて良かったです。浩二さんにはこの前言っておいたのですが、今日は薩摩芋の代わりに南瓜を使いました。北海道産のえびすかぼちゃです。水分が 少なくとてもホクホクしています。栗は丹波篠山産ですし、ソースにはジャージー種の牛乳から作った生クリームをベースにヨーグルトや砂糖、それに色々な調 味料を入れてます」

 まさやの説明に満代は

「南瓜に栗がこんなに合うなんて知りませんでした。南瓜のサラダと言うとレーズンだとばかりだと思っていました」

「栗も合うでしょう。気に入って貰えましたか?」

「はい」

「これは、このサラダのレシピです。家でも作ってみて下さい。これには南瓜が大事になるので、出来るだけ良いものを使って下さいね。それから栗は市販の甘露煮を使っても出来ます。一から作るのは栗の場合は大変ですからね」

「ありがとうございます! 家でも作ってみます!」

 満代はまさやとさちこに礼を言った。その後、浩二の好きな例の定食を食べて帰って行った。その姿を見送りながらまさやは

「満代さんは前から浩二君の事を想っていたんだな。だから今回も浩二君と一緒に来たのだな」

 そう言うと、さちこは嬉しそうに

「切っ掛けって大事なんですよ。少しでも若い人の背中を押せたら良いじゃないですか」

 そう答えてまさやの手を握った。


 一枚の毛布に包まりながら満代は浩二に

「満月の度に連れて行ってね。約束よ」

「ああ、必ず連れて行くよ」


 今夜も満月が天空に輝いていた。

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