第7話 うどんの味~過去を持つ男

「心の食堂」であのうどんを出し始めてから幾度目の満月の夜だった。一人の女性が店の暖簾をくぐって中に入って来た。

「あのう……こちらでうどんを食べさせて頂けると伺って来たのですが……」

 歳の頃なら三十代半ばあたりか、シックな紺のワンピースを来た女性だった。髪が肩まで届いており、清楚な感じとも言うのだろうか、第一印象はそんな感じだった。

 まさやは、最近よく店で、出るようになったとは言え、最初から、うどんを指定して来る客は珍しかったので興味を持った。

「はい、ちょっと変わった讃岐の麺を使っています。本来の讃岐うどんではありませんけどね」

 まさやは、うどんを頼む客には勘違いしないように、予めこう話しておく

「それなんです! 齋藤さんの麺を食べられると言うので探してやって来たのです」

 齋藤俊哉……先日、いきなりやって来て自分の打ったうどんを披露して行った男の名である。あれから、齋藤は律儀にうどんの麺を送り続けてくれている。送り先はこの店ではなく、この店にまさやの注文した食材を届けてくれる業者あてだ。支払もそこが一括で行ってくれている。まさやの店はその業者に一括で支払っているのだ。業者は満月の晩に上手く合うように色々と調整もしてくれている。但し、この業者の存在は秘密裏になっている。

「あなたは、齋藤さんとお知り合いですかな」

 まさやの質問に女性は

「私は、齋藤さんの元の恋人です」

「失礼ですが、齋藤さんとはお歳が離れていると思いますが……」

 さちこがまさやに『自分に任せて欲しい』と目線で合図を送ったのでまさやは任せる事にした。

「良かったら、話して下さいませんか?」

 さちこの言葉に女性はゆっくりと話しだした。

「すいません。齋藤さんは実は父の弟子だったのです。高校を出たばかりで父の元に弟子入りして、うどんの修行をしていたのです。わたしは幼い頃から齋藤さんを見て育ちました。学校を出てからは私も父の店を手伝いました。父は讃岐でも有名なうどんの店をやっています。父の元に弟子入りして十年が経った頃、私も二十歳を過ぎていました。私は何時しか齋藤さんに心を寄せるようになりました。父も、斎藤さんが一人前になったら、二人で独立しても良いとさえ言うようになりました。全ては順調でした。あの日までは……」

「何かあったのですね?」

 さちこの言葉に女性は頷いて

「齋藤さんは幾人か居た父の弟子の中ではダントツでした。父も『俺の持っている技術の全てを齋藤が受け継いだ。もう教える事は何もない。俺を越えて行く職人になるだろう』と言って本当に信頼を寄せていたんです。最初は独立と言う話でしたが、父は自分の跡を継いでくれる事を望むようになりました。勿論、その時の相手は私です」

 女性はさちこが出してくれたお茶を口にした

「ああ、美味しい! お茶も、そして水が良いのですね。だからうどんの出汁も美味しくなるのですね……私も歳に不足はなくなっていましたので、現実の問題として、婚約と言う段階になりました。そこで問題が起こったのです」

 女性はお茶を再び飲むと決意したように

「齋藤さんが、今までの讃岐うどんに疑問を持ち始めたのです。曰く『伝統的な讃岐うどんは勿論大切に保存伝承しなくてはならないが、新しい時代に新しい讃岐うどんを作って見ても良いのではないか』と言い始めたのです。齋藤さんにとっては、次代を担うなら当然の事を言ったまでだと思ったのでしょうが、父はそうは取りませんでした。裏切られたとも飼い犬に手を噛まれたとも思ったようです。すぐさま「破門」を言い渡しました。傷心した父はそれから寝付いてしまい、その後亡くなりました。他の弟子からも齋藤さんは「師匠親方を殺した張本人」と罵られる事になりました。そのような状態では讃岐の協会に居る事も出来ません。人一倍讃岐の事を思っていたのに、協会を追放されてしまったのです。その後、幾ら探しても行方は判りませんでした……でも、先日、私のところに手紙が届きました。宛先人不明の手紙です。それには『東京のある街にある食堂に麺を卸し始めた。満月の晩にだけ現れる食堂だ』とだけ書いてあったのです。筆跡から直ぐに齋藤さんのものだと判りました。それからずっと探していたのです。そして今夜、やっと探し当てたのです」

「そうだったのですか、それはご苦労様でした」

 さちこがそう言った時に、まさやが丼を持って厨房から出て来た。

「これが齋藤さんのうどんですよ。出汁は私のオリジナルですがね。どうぞ食べて見て下さい。あなたの知ってるうどんだと思いますよ」

 まさやに言われて女性は箸を持って一口うどんを口に入れた……

「これです! この二段腰とも言うべき味わい……これこそ齋藤さんが追い求めていたうどんなんです!」

 女性は涙を流しながらうどんを啜っていた。その時だった。店の暖簾を分けて一人の男がやって来た。その姿を見た女性は

「齋藤さん!……まさか!」

 もう言葉は出て来なかった。胸が一杯になってしまったのだった。

「真砂子、すまん。お前を放り出して去ってしまった事は幾ら詫ても叶わないだろう。俺は確かに親父さんを悲しませてしまった。でも、本来の讃岐うどんを捨てた訳では無いんだ。これからも讃岐うどんはあるべきだし。存続すると思う。だけど、それとは別にもう一つのうどんがあっても良いと思ったんだ。ライバルとして育って行けば、本来の讃岐うどんもより、磨かれると思ったんだ。でも、それは協会には受け入れて貰え無かった。俺は仕方なく讃岐の影響の無い場所でうどんを打つ事にしたんだ。そして自分でも、それが完成したらお前を迎えに行こうと思っていたんだ。風の便りにお前が未だ独り身で居ると聞いてな……」

「俊哉さん!」

「真砂子!」

 二人は、まさやとさちこの前でしっかりと抱き合った。

「もう……何処にも行かないで……この年月俊哉さんの事だけ思って暮らしていたの」

「済まなかった。この食堂でまさやさんに合わなかったら、俺はお前の前には出られなかった。それだけ、まさやさんとさちこさんには助けて貰ったんだ」

「でも今夜、逢えて嬉しい……」

 真砂子に抱きつかれながらも、齋藤俊哉は保温の水筒からうどんの出汁のようなものを出してまさやに

「あれから、自分でも色々と工夫してみました。是非味見して下さい。まさやさんのOKが貰えたら俺、真砂子と夫婦になります!」

「それは重大ですね。でもそれだからと言って甘くはなりませんよ」

 笑いながらも真剣にその出汁を口に含むと

「これは、鮎が入っていますね。鮎の干したので出汁を取ると特別な風味と旨味が加わって独特の味になるのです。いりこよりも数倍良い味が出ます。コストさえクリア出来れば常時使いたいですよ」

 そう言って、残りを飲み干した。

「さすがです! まさやさんに教えて貰った色々な節も使っています。でも自分だけの味が出なかったのです、どれも、まさやさんのコピーに思えてしまって……そんな時に鮎を思いつきました。正月の雑煮では鮎で出汁を取る事を思い出したのです。苦労したのはその割合でした。でも、それもやっと満足の行くものが出来ました」

 齋藤は今までの苦労を言って真砂子を抱きしめた。


 その後、四国のある場所に新しいうどん屋が開店した。独特の風味のうどんはたちまち評判になったと言う。

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