きっと私の気の所為

不意に飛び込む、何かの視線。


「……………。」


まただ。最近気にかかる事がある。

窓の方を見ると、風に吹かれた木と舞う緑の葉っぱ。

特に何もない、普通の光景。

誰かの視線を感じた気がしたのに、誰もいない。……少し気味が悪い。


「ん?どうかしたのかい、店主さんや」

「失礼しました、お客様」


初老の男性に丁寧に返すと、彼は気にしてないと言うように笑った。

そうして、私が見ていた窓の方に視線をやると、息をついた。


「ふーむ。今日は風が強くてかなわんなぁ。外の様子が気になるのも分かるよ」

「…そうですね」

「ベル姉ちゃん!おかわり!」


初老の男性の隣に座っていた男の子が、元気よく皿を出してきた。

この子はおじいさんの孫のマルク。元気で素直な子で、よくスイーツを目当てに来店してくれる。

そんな孫に、おじいさんが声を上げる。


「これ、マルク。ここは食堂ではないぞ!」

「ケーキもう一つお願いします。美味かったよ!」

「はい、かしこまりました。気に入られたようで嬉しいわ」

「まったく…誰に似たんだか」


おじいさんはため息を付いた。

この二人は、喫茶店『レイシー』の数少ない常連客。先代の頃からご贔屓にして頂いている。

私はカウンターから店の奥に向かう。

そこはキッチンと商品在庫置き場になっていて、作ったスイーツと各種の珈琲豆と茶葉が揃っている。

私は冷蔵庫から切り分けたケーキを皿に乗せると、店内に戻った。


「お待たせしました。追加のお品物です」

「ありがとう、ベル姉ちゃん」


マルクの手前にお皿を置いた。「それから」と言って、少年に優しく笑って見せた。

ぱちん、と指を鳴らす。

ぽん、と小さなカップがカウンターに現れた。カップの中身は、温かいカフェオレだ。


「これはサービスね」

「カフェオレ!」


マルクはまだコーヒーが飲めないようで、いつもカフェオレを頼んでいることは知っていた。いつも来てくれるのだし、たまには私のサービスでもいいでしょ。


「いいのかい?ベル嬢」

「ええ。おじいさまにも一杯サービスします」

「ありがとう」


このおじいさんはコーヒーが好きな人だ。

新しいカフェや喫茶店が出来れば必ずコーヒーを飲みにいく。

なのだが、うちのコーヒーを気に入ってくれているようで、暫く他のお店に通うようになっても、唐突にふらりと戻って来てくれる。

おじいさん曰く、「どこにいっても、結局はここのコーヒーに行き着く」らしい。

拘りのある人物に珈琲を気に入られるのは、とても感謝しているし有難いことだった。


「そういや、今もアル坊はここに来るのかい?」

「ええ。たまに来てくれますよ」


ちなみに、アルフリードとおじいさん達は顔見知り。先代の頃からの常連客は特に、お互いが顔見知りである。


「あいつは傭兵を辞めて、新しい仕事を始めたそうだな。全く、あれの母は堅実に薬師として薬局を営んでおるというのに」


彼の母親は、この町で薬局を営んでおり、町の人々から頼りにされている才女だ。

調合する材料も自分で採取しにいくらしい。亡くなったとされる父親はお医者様だったそうだ。……アルフリードはご両親の才能を無為にしていないかしら…。

おばさまもこの前、ため息を付きながら「嘆かわしい」とぼやいていた事を思い出した。


「ターニャ先生と兄ちゃん、似てないよね」

「そうねぇ…おばさまはビシッとしているからね」


才色兼備をいくおばさまと、自由と言えば聞こえはいいが、身を固めずにふらふらしているアルは…似ていない母子だと私も思うわ。

……本当、最近は何をしているのかしら。

このところ姿を見ていないと思っていると…


「あーもう!うるせえ!」

「信じられない!私の事は遊びだったの?!」


誰かの言い争う声とともに、からんからんとお店の入り口が開く。

何かしら、痴話喧嘩なら他所でやってほしいわね…と思って入り口に目を向ければ、見知った青年とその彼を睨み付ける美女の姿だった。しかも男の方はアルフリードその人だ。

……何をやっているのよアイツ。「馬鹿なのかしら」とつい口から零れそうになった言葉を飲み込む。

急な事で呆気にとられる私に、カウンターを挟んで座るおじいさんはため息を一つ。


「じいちゃん、あれって痴情のもつれってやつかな」

「マルク、しぃー」


その間にも、二人は言い争いを続けている。私はこの人達を落ち着かせようと、入り口付近で向き合う男女に近づいた。


「大体、そっちが私に気があるような事を…!」

「あんたの勘違いだって言ってんだろ、ラム!」

「お客様。他のお客様のご迷惑になりますので、店内で大きな声で話すのはお控え願えますか?」

「……っ!」


相手の女性……ボディラインを強調したような服を着た彼女は、思い切り目を見開いて私を見ると、顔を真っ赤にしていた。

急に第三者に言われて、恥ずかしくなったのかもしれない。


「よう、店主さん」

「ーーお客様。昼間から厄介事を引き連れてこないで頂戴」


一方の彼……アルフリードに軽く挨拶をされ、思わず半眼に目をすぼめてじっと見てしまった。一瞬何を言おうか迷ったが、私は店主に徹することにして、朗らかな顔を崩さないように伝える。

それから二人にお引き取り願おうと考えていると、強い力で手首を掴まれた。

予想通りというか、常連客の彼は不敵な笑みを作っている。


「……どうなさいました?」

「相変わらずクールだな、お前さんは」


簡単に肩を引き寄せられてしまった。これでも私、女性の中では長身の方なのだけど…困ったな。

私が戸惑っていると、アルが小声で


「ベル、話を合わせてくれ」

「は、はあっ?」


意味が分からず、戸惑っていると


「悪いな。この人は俺の彼女なんだ」

「……っ?!」


急にとんでもない嘘を言い出すアルに、思わず叫びそうになった。

察するに、この女性は彼のことが好きで…当の本人はまたその気がなくて、こんなことになってるんでしょう?

まってまって、急に何を言い出すのよコイツ、私をごたごたに巻き込むつもりなのか!


「な、ベル」

「え……っと」


声を掛けられて、はっとする。パニックしかけてた頭の中が少し冷静になった。

女性を振る為の口実の嘘に荷担するのは少し気が引けたが……これで店内に平和が訪れるなら。

騒動が収まるなら、いいの……だろうか?

ちらりとアルに目を向けると、目配せをされた。……これは仕方ない、か。

女性に怪しまれながらも、私は頷いた。


「ええ。…腐れ縁といいますか」

「ふざけないで!私だって、前の仕事からの付き合いがあるんだから……!」


…嘘ではないけど、私と彼女とはその意味合いが違うのよね、私は主に店員としての付き合いですし。

ああ、こういうのは胸が痛む。私にも少し気持ちが分かるから……。

と思っていると、それが分かったらしいアルが、すっと顔を近づけてきた。


「止めろよ。怖がらせないでくれ」


頬に生ぬるい感覚が走った。

唖然としていると、すっと彼の顔が離れていくのが分かる。

キスされたらしい事が分かり、驚いた私が頬を押さえてアルに振り返る。何時ものように、にやりとしている。

予告なしのそれは狡い。体温が上がるのが分かって、言いたいことがあるのに纏まらなかった。

……同時に、恥ずかしさのあまり殺意が沸いたわ。

見ていた彼女は、目に涙を溜めている。

ものすごい罪悪感が込み上げてくるわね。


「なっ……私の方が、そんな小娘よりもいい女じゃない!!」

「ベルはいい女だよ。俺には勿体無いくらいのな」


この時だけは、アルを恨めしく思った。

……本当に、この人は酷い人だ。

平気な顔をしてへらりと嘘をついて、本心でも無いくせに。


「二度と顔を見せるな、ラム」

「っ……覚えてなさいよ!」


バタバタと女性が走って去っていく。

やっと終わった、と体から力が抜けていく。


「やっと……嵐が去った……」

「おい、大丈夫かベル」

「……ちょっと!何してるのよバカ!」


女性を泣かせたという一点と、今までの好き勝手分を込めて鋭く睨みつける。

ついでに軽く押して距離を取った。

たまに……たまにあるのだけど……こんなときだけ利用されるのは、腹が立つ。


「……お前照れてる?俺の事を意識しちゃう?」

「お客様?ご冗談は顔だけにして下さいますか?」


からかわれているのが分かったけど、なんだか物凄くいらっとした。

さっきよりも強く睨むと、苦笑いを浮かべてから、諦めた様に口を開いた。


「分かった分かった。……助かったよ。サンキュ」

「……協力はこれっきりよ」


私はため息を一つ吐き出す。

すると、一部始終を見ていたマルクがぽつりとこんなことを言い出した。


「知らなかったよ僕、ベル姉ちゃんとアル兄ちゃん、付き合ってたんだ…」


瞬間、さーっと……私の顔の血の気が引いた。

慌てて私は二人に否定をすることにした。


「違うのよ、マルク!」

「そうじゃぞ。考えてもみなさい」


頭の上に?を浮かべている孫に、おじいさんはとても優しい声で続けた。


「あのアル坊が、ベル嬢のような美人を射止められるわけなかろうて」

「うん、そうだよね!よかったー!」

「…あ?俺、ディスられてる?」


おじいさんがからから笑うと、マルクは安心したように、にっこりと笑っている。

…そうね。誤解が解けたのならいいわ。

アルが少し不服そうだったけれど、それはスルーすることにした。


「ともかく、後でさっきのトラブルの話は聞かせてもらうわよ」

「ええー、長くなるんだけどよ……」


さて、と考えていると、からんころんと云う音とともに店の入り口が開いた。

今日は、よくお客様が来る日だことだわ。


「ベルメリーさん!」


勢いよく入ってきたのは、ボーイッシュな服装をしている少女だ。


「聞いてよ!アルフリードのせいで、わたしが……!」

「ちょ、おいこらエレナ!」


エレナと呼ばれたその少女は、アルの両手で口を塞がれてもがもが言いながら目を丸くしている。

この少女は、元はアルフリードの傭兵時代の知り合いで、現在はお互いの仕事の関係でちょくちょく会っているらしい。

偶々アルがここに連れてきた事がキッカケで、私も仲良くさせてもらっている。


「女の子に何してるのよ。止めたげて」


意趣返しではないけれど、私はぱちんと指を鳴らして〈ライティング〉と呟くと、アルは慌てて両手を上げていた。

本来の用途は明かりを付ける程度の電気を出す魔法。こけおどしくらいにはなる。

私は元々魔法が得意ではないから、頑張っても少し痛い程度の静電気しか出ないのだけど。


「……そんなに痛い?それ」

「おいベル、本当は怒ってるだろう」


……さあ、私は知りません。

努めて冷静にそう言うと、私はエレナの方に向いて微笑んだ。


「……エレナ。さっきの話を詳しく聞かせてくれるかしら?」

「はい!……あ、ブレンドコーヒーといつものパフェ一つ、お願いします」


わかりました。座って待っていて頂戴と呟いて私は店内の奥に向かった。


女店主が、最近気にかかっていた事を思わず忘れてしまうくらい、その日のエレナとの女子トークが盛り上がったのは言うまでもない。






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