いつか聞いた彼の話
今日も今日とて、喫茶店『レイシー』は絶賛営業中である。
「こんな閑古鳥の店内でか?」
「ええ、静かでしょう?」
「それ言っててむなしくないか?」
「うるさいわね。……大変失礼しましたお客様。エスプレッソでございます」
私…ベルメリーはうっかり本音を溢しつつ、お客様であるアルフリードの前に店自慢のエスプレッソを出した。接客業としてはいけないわね。
注文を受けたからには、最高の商品をお出しする。それが先代からの教えである。……いま勝手に教えにしてしまったけど。
「どーも。店主さんよ、毎度思うんだが畏まらなくたっていいんだぜ?」
「いいえ、接客中は…」
「分かった。なら少し話に付き合ってくれよ。もちろん堅苦しい話し方は無しで」
「仕方ないわね…」
話し相手がいないと言われ、私は渋々頷いた。
彼は煎れたエスプレッソを一口啜る。
こうなってしまうと、なし崩し的にプライベートの時と同じ話し方になってしまう。…くう、閑古鳥の店内が恨めしい。
こうなったら、と思った私はキッチンへ戻り、簡単に飲み物を淹れてからカウンターへと戻った。
……アルの話は、他のお客様が来るまで続くことがよくある。
「それで、話って?」
「久しぶりに戻ってきたら、新しい店が増えてたなって」
「元々この街は店が多いのよ。入れ替わりも激しいけれどね」
水と芸術の国の中でも、観光の街である『ルテティア』
かつてこの街は、天災によりバケツをひっくり返したような大雨が続いて、そこら中に水溜まりがある街だったと言われている。
しかし、世界的に飛行艇が普及したことにより、古い歴史と建造物を目当てに観光客が訪れるようになったので、数十年前から住民ぐるみで街を整備していったのだ。それこそ、水溜まりを埋めて、お客様のために飲食店や旅館を作って行った。
その結果、そこらじゅうにレストランや食べ物屋、喫茶店がひしめいている現在の街並になっていったという訳だ。
「その分、観光客も多いってことな」
「まあね。どうしても新しい店にお客を取られちゃうのよね」
まあ、ここのお店は大通りからは外れた小道に立っているせいもあるかも知れないのだけど。
すると、アルはいいのか?と私に投げかけてくるので、私は首を傾げる。
「のんきだな。いつかこの店がやっていけなくなるかもしれないぜ」
せっかくあの人から譲り受けた店だろ、とエスプレッソを片手に言われると何故だろう、腹が立ってくる。
喫茶店『レイシー』は元々、先代の店主である父親が始めたお店で、私は彼からお店を譲り受けただけに過ぎないのだが。
「…父さんのことは言わないでよ」
急に掠めた懐かしい香りと、脳裏に浮かんだ顔を思い出して、私は息をついた。
「ベル、追加でダージリンティー」
「申し訳ありません。お客様、当店ではダージリンティーは取り扱っておりません」
しゃあしゃあと嘘をつくなって、と言われても仕方ない。納品は明日までないのだ。
割と真面目に、あまりに注文がないのでやめようかと考えていたくらいである。
「ホントに切らしちゃったのよ、アールグレイならあるんだけど」
「じゃあそれで」
かしこまりました、お客様と返事を一つ。
紅茶を煎れながら、ぼんやりと義父の影を思い出す。
十年前、なにも知らない孤児だった私を拾い、お茶の煎れ方を教えてくれた彼には感謝している。
どうやら他国から連れ去られて、また何処かに売られてしまう所だったらしい。なんでこんな言い方なのかと問われれば、私には喫茶店に来るまでの記憶がひどく曖昧になっているせいだ。
そのせいもあって、先代は私をまるで娘のように育ててくれた。
「あの人、今はどこにいるんだか。連絡とかこないのか?」
「たまに手紙が来るわ。この前の手紙は、太陽と砂漠の国にいるって」
「……ずいぶんと遠い所だな」
そんな父親代わりの彼は、さっさと私に店を譲って世界各地を旅している。
何でも、最高のコーヒー豆を探したいとか何とか言っていた。
少し寂しい気持ちもするが、手紙の中の父親は楽しそうで、少しほっとしている。
「…月日って長いよなあ」
「いきなりなんなのよ」
「あんだけ人見知りしていた子供が、10年経てば立派な女になるんだからな」
「……なに言ってるのよ、あんただってもう25才じゃない」
そりゃ、年取るわけだ。と笑みを浮かべるこいつを見て、私は十年前を思い返してみるけれど、彼はあまり変わってないような気がする。
少し身長が伸びて、仕事で鍛えられて図体が大きくなり、傷が増えたくらい。
…昔は、格好いいお兄さんだと思っていたし、私もそこそこなついていた気がする。そういえば、私が思春期に入ってから、雰囲気が急に変わったのよね。
まじまじと見ていると、今日の彼はヒゲを剃って綺麗にしていた。思わず私は
「そういえば、ここに来る前どっか行ってきたの?」
「ん?」
「髭剃ってるし、いつもよりも小綺麗じゃない?」
「ああ、母さんの所。あと、それはもう止めた」
聞いてみると、どうやら思った以上に回りからの評判が悪かったらしい。ついくすりと笑うと、軽く睨まれてしまった。
そんな話をいるうち、紅茶の蒸らす時間がいい頃合いになってきたので、ポットからゆっくりとティーカップに注いだ。珈琲とはまた違う綺麗な色のそれを、カウンターに座るアルの前に置いた。
「お待たせしました、アールグレイよ」
鼻を擽るような甘ったるい香水の匂いは、しない。
ここ二、三年は少なくなったけれど、一時来るたび、毎回違うそれを纏っていた。
私はその匂いが彼に合ってない気がして、どうしても好きになれなかった。
そして気づけば距離をとっていた事があった。
「サンキュ」
私もまだまだ子供で、知らない匂いを纏い始めた彼が、何処か遠くに行ってしまいそうな気持ちになっていた。
実際は早ければ数週間、遅くても数ヶ月に一度のペースでここに顔を出してくれる。来なかったら少し寂しいと思う。
けれど……何故そう思ったのかしら?
……無性にムカついてきたわね。
「…アルのばか」
「なんだと?」
独り言が声に出てたみたいだ。
ふう、とため息を吐き出して、話すのも微妙なので、話題を替えることにする。
「ところでアンタ、仕事は」
「今日は休み」
「あらそう、サボタージュね」
彼がにんまりと笑うと言うことは、図星なのだろう。というか、仕事をいつしてるのか不思議だ。
そこへ、カランカランと音を立ててドアが開いた。入って来たお客様は、最近よく来る人だった。
「こんにちは、ベルメリーさん。ブレンド一つ!」
「かしこまりました。…あ、こちらね」
慌てて注文を受けた珈琲をいれ始めると、アルはおもむろに口を開いた。
「あいつ、初めてみる奴だな」
「最近来てくれる、お客様よ」
「ふーん…」
ちょっとアル、久しぶりの上客に変な視線を送るのを止めて頂戴。
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