見えざる鍵盤

「はー、ヒマですねー」

「いくら土曜とは言え、世間では大型連休の真っ最中だ。人など来んだろう」


 今日は世間的にはゴールデンウィークの2日目。ただ、今日というのは祝日ってワケじゃなくて普通の土曜日だから情報センターは普通に開放されているとか。ただ、人が来る気配はないですよね。

 本来ならB番を担当していて自習室にいるはずの林原さんも事務所で待機しているし、こんな日もあるんだなあって。受付のマシンの前で待機してたら、そんなにやる気を見せても今日は空回るぞ、との金言。


「ま、今日は座っているだけで時給が発生すると思って待つことも仕事と割り切るんだな」

「待つことも仕事ですかー」


 ただ、俺にはまだこの部屋でどう退屈な時間をやり過ごすかという技術が身についていない。林原さんは机の上に本かノートのような物を広げて自習を始めたようだけど、そんな知識も経験もない俺は自習道具も持っていない。

 春山さんも冴さんも、今は連休で実家に戻っているらしく、大型連休と言われる期間中にちらほらあるセンター開放日には俺と林原さんで回すことになっている。冴さんは本当なら実家からでも出てこれる距離らしいけど。


「林原さん、近くで見ていいですかー?」

「構わんが、面白くなくても責任は取らんぞ」

「大丈夫ですー」


 近くで林原さんの作業を見てみると、それはもしかしなくても大学の勉強とはあまり関係がないんじゃないかということに気付く。応用化学科で音楽の楽譜を使う授業があるなんて思えない。俺が知らないだけであるのかもしれないけど。

 時々、タンタンと机の上で指が踊るように動いている。まるでピアノを弾いているみたいだ。きっと、林原さんの頭の中ではぽろんぽろんと音が鳴っているのかもしれない。無知には見えない鍵盤。

 確かに、林原さんにはちゃんとしたメロディーが聞こえてるのかもしれないけど、俺にはタンタンと机を打つ音にしか聞こえない。それでも、林原さんがノってくると、見えない鍵盤がそれらしく見えてくる。


「林原さんってー、ピアノを弾くんですかー?」

「趣味と副業でな。週に1、2度程度、2時間だが、洋食屋のディナータイムに弾いている」

「ひゃーっ、すごいですねー! ピアノでお金もらってるんですかー!?」

「それほど大層な話ではない」

「どんな曲を弾くんですか!?」

「まあ、様々だな。クラシックにゲーム音楽、店ではジャズ風にアレンジしたりもするがまだ経験に乏しい。不覚だが春山さんに師事を仰いだり」

「えっ、春山さんも音楽をやる人なんですか?」

「あの人は音楽一家でジャズ畑に生まれ育ち、雑食体質で割と何でもやれるベーシストだ。姉は社畜で三味線奏者らしい」


 あの人とは音楽と宇宙の話がなければある程度話せる域にまで決して歩み寄れなかっただろうとは林原さん。と言うか意外って言うか想定外過ぎて何かもういろいろついていけない。


「はー、見てみたいですねー、林原さんのピアノと春山さんのベース」

「オレのピアノはともかく、春山さんは本当に気紛れでな。当てにならんぞ」

「えー、そうなんですかー」

「やりたくなったらその辺にいる奴を巻き込んでバンドをやるそうだが、飽きるのもまた早いらしくてな」

「なるほど……」


 林原さんは相変わらず右手で鉛筆を動かしつつ、左手は見えない鍵盤を叩く。こういう日のセンターには人が来ないのだとわかるのも、きっと経験から。俺もそういうのがわかるようになったら内職を始めてしまいそうだ。


「川北、オレの作業が一段落したら自習室の掃除でもするか」

「掃除ですか?」

「こういった日の暇潰し……もとい、センターの保守・保全業務だ」

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