If you touch anyway
「みんな、準備はいーいー?」
「はーい」
「それじゃあ、長音から。せーのっ」
あー、と伸ばせるだけ長く音を出す。MMPの発声練習はこの長音のメニューから始まる。
アナウンス部長の三井先輩がみんなの前に立って先導し、残るメンバーはアナウンサーもミキサーも関係なく植え込みのレンガ枠の上に立って声を出す。
サークル棟前のスペースに立つ一本の木と、そのスペースを囲うように築かれた植え込みは放送サークルMMPが構える発声練習の場所。昔からこの場所でこのように練習が行われている。
「やっぱり菜月は出来てるね」
「うちを何だと思ってるんだ」
「ゴメンゴメン、アナウンサーだったら出来てるのが当たり前だけど、MMPは必ずしもそうではないじゃない」
「ん、暗に僕のことを言ってるのかな」
「圭斗に自覚があってよかったよ」
まったくもう、と三井先輩は溜め息を。何故かこのMMPというサークルでは、特に今の代になってからはミキサーの方が喋りに長けるという印象がある。大体こーたと律の所為だろうけど。
圭斗先輩はトーク自体は面白いけど、ネタを熟考するタイプではなく大体途中で時間を持て余してしまう傾向にある。ヒロ? ヒロはまず鼻炎をどうにかしろというのと、例によってぐだぐだなのと。
「とりあえず、姿勢から正して」
「ちょっ、触るな三井」
「いーから! 僕にまかせといて」
三井先輩が圭斗先輩の真ん前に立ち、直すべき箇所をスキャンしている。あれよあれよと圭斗先輩はレンガの上から下ろされ、一段低いところで三井先輩の手直しを受ける。あれっ、これはなかなかレアな圭斗先輩だ。帝王オーラがいつもより薄いぞ。
「まず、まっすぐ立って。で、ちょっと広めに足開いて。うん、そう。ゲンコツが2つ3つ入るくらい。あ、みんなも一緒にやってね。で、まっすぐ前見て。うん、そう。で、視線をちょっと上に。いいね」
三井先輩が圭斗先輩で実演することを、その声に合わせて残りの面々も同じようにやっていく。発声には姿勢が大事だと、それを聞いたことはあってもどのようにするのかは案外知らないものだ。
「重心を低く。お腹、お腹ね! はい、肩回してー、脱力。胸張って。どう、圭斗。腰のこの辺にちょっと緊張を感じるでしょ?」
「と言うか、いくら何でもちょっと触りすぎじゃないか?」
「必要だからやってるのに」
「わかったよ、まだあるなら続けて」
「みんないーい? この姿勢が基本ね。頭のてっぺんから、すーっと、お尻の穴までまっすぐ線を引くような感じね」
圭斗先輩の頭のてっぺんから、すーっと三井先輩の手が軽く鼻先や唇、胸元や腰などに触れるか触れないかくらいの距離感で降りてくる。そのように線を引くのだというイメージのつもりなのだろう。
そうなると、つーっと動く三井先輩の手を視線が追ってしまうのはヒトをやっている以上ある程度はしょうがないし、するとどうだ、圭斗先輩の各パーツから溢れ出る色気に中てられてしまうではないか。
「三井、触りすぎだ」
「え、そんなに触ってないよ」
「やっぱり僕はそっちを見下ろせるこっちのポジションがしっくりくるよ。野坂、交代してくれ」
「えええっ!?」
問答無用で下界に落とされ、俺と入れ替わるように圭斗先輩がレンガ枠の上に戻る。うう……圭斗先輩の物理的に見下ろす視線がマジで帝王様のそれだ! はー、眩しいぜ、さすが圭斗先輩イケメンだ!
「じゃあ次、短音に行く前についでだから腹筋の話もするよ。じゃあ野坂、こっち来て」
「本当にやるんですか……と言うか俺はミキサーで」
「この中で一番いい腹筋してるの間違いなく野坂だし、このタイミングでの交代はさすが圭斗だね。はい、それじゃあ腹式呼吸と腹筋についてー」
「はーい」
菜月先輩と圭斗先輩のはーいという返事がかつてこれほどまで無慈悲に聞こえたことがあっただろうか、いや、ない。三井先輩、どっちにしても触るのならフェザータッチではなくもっと普通に触ってください!
「それじゃあみんなも同じように意識してみてくださーい」
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