第232話 『あまりもの』なんていない

 誰かに呼ばれたような気がして。俺は、目を覚ました。

 何か……でっかい悪魔みたいな奴がいる。沢山の、黒い翼の兵士と、それから……魔物が、一方向に向かっていく。

 あの悪魔は……ハースレッド?

 顔は全然違う。けれど、どこか面影があるような。

 他に、人間はいない。居るには居るけれど、俺の仲間は……散々な状況だった。


 ラグナス。……腹を貫かれて、全身紫色に変色して、死んでいる。

 キャメロン。……崖際で、心臓を貫かれたようだ。

 チェリィ。……おいおい、頭に貫通した孔が開いてるじゃないか。

 ミュー。……首が飛んでいる。これは……いくら何でも、酷すぎるだろう。


 悪魔は、今度はヴィティアに向かっていた。かたかたと震えながら、ヴィティアがただ、悪魔の方を見ている。

 リーシュは……。

 リーシュ。



「リーシュ!!」



 ヴィティアに向かっていたハースレッドの手が、止まった。

 リーシュの綺麗な白い翼が、黒く変色している最中だった。ぴくりと反応したリーシュが、俺と目を合わせた。

 一瞬にして、黒く色が変わり始めている翼が、純白に戻った。

 俺の顔を見て、叫ぶ。



「グレン様!!」



 あいつか。……ハースレッドが、やりやがったのか。

 俺は、半透明な殻のようなものに覆われている。これに包まれていたから、敵陣の中心地みたいな場所に居るのに、攻撃もされなかったのだろう。

 意識が回復するにつれて、段々とこの状況が理解され始めた。それと同時に、どうしようもない絶望感が、俺を再び暗闇へと貶めていく。

 もう戻らない、仲間。過ぎてしまった時は、もう逆戻りはしない。

 これが、現実……。

 間違いなく、現実だ。夢を見ている訳じゃない……これが、今置かれている現実。現状だ。

 ……スケゾー?

 スケゾーがいない。

 俺は、一人だ。


「目覚めたのか、グレンオード・バーンズキッド。しかし……この状況で、君は一体どうする……?」


 ハースレッドが俺に向かって、既に戦いは終わっているのだと、そう告げた。

 確かに、この悲惨な状況を見れば。誰がどう見たって……戦いは、終わっていて。

 一体どうして、こんな事になってしまったんだ。

 本当に……? 本当にみんな、殺されてしまったのか。

 俺が、眠っている間に。

 皆、俺を助けに来てくれたのだろう。それは分かる。助けに来て、そして……ハースレッドの前に、為す術もなくやられてしまったのだろう。



 くそ……!!

 俺は一体、何をしていたんだ……!!

 俺が……俺がもう少し、しっかりしていれば……!!

 そう思った時、ふと、俺は……目を、見開いた。



 ――――――――違う。



「グレン!!」



 崖の上で誰かが、俺の名を呼んだ。ハースレッドが、崖の上に顔を向ける。

 そこには、聖職者の服を着て、小さくて、いつも不器用な男が――……自前の杖を握り締めて、立っていた。

 ……トムディ。


「やあ。最後は君か……結局、全員でグレンオードを助けに来たんだね。……でももう、遅い」


 違うんだ、俺。しっかりしろ……!!

 そうさ。

 人は皆、違う個性を持っている。

 自分一人では解決できないことが、生きていく中では沢山起こる。そんな時に、自分の事だけを見ていたら。そうしたら、行き止まりになってしまって、そこから先に進むことができなくなる。

 一人ではどうにもならないことが、二人ならどうにかなる。

 そんなことが、ある。

 そんなことは、沢山あるんだ。


「トムディ!!」


 崖の上からトムディは、下を見て――……その凄惨な状況に、顔を歪めた。

 俺は半透明な殻のようなものを、叩いた。当然、びくともしない。……これは一体、何なんだ。

 見れば、傷も回復している。皆が必死に戦っているその陰で、俺はどうしてこんなにも、皆から距離を取っているんだ。

 距離――……?

 ハースレッドが虹色の……あれは、『シナプス』だ。『シナプス』に向かって、手を翳した。すると、先程まで眠っていた黒い翼の兵士達が、一瞬でトムディの所まで辿り着き、トムディを取り囲んだ。

 やめろ……!!


「袋の鼠になる気分はどうだい? ……さあ、フィナーレとしよう」


 そうか。

 これは、俺自身が作り出した、外界との壁。人との壁――俺の、壁か。

 誰にも傷付いて欲しくない。その一心で、外の世界から心を閉ざした。愛想よく振る舞って、その実、誰にも頼らないことで、俺は周りから……仲間から、距離を取っていたんだ。


「グレン!! ――――助けに来た!!」


 切羽詰まったような声で、しかし、トムディは叫んだ。トムディが持つ立派な聖職者の杖が、眩い光を放った。

 それをハースレッドが、嘲笑しながら見ていた。


「ふはは……何を覚えて来たか知らないが!! この状況で、君に何ができる!? 奇跡でも起こしてみるか!!」


 黒い翼の兵士達が、トムディに襲い掛かる……!!

 俺は。

 俺は、言わなければ。



「トムディ!! 頼む、トムディ……!! ――――――――助けてくれ!!」



 魔力の波動を感じた。

 ヴィティア!?



「奇跡!! 起きてよ!!」



 祈るように指を組んで、ヴィティアが叫んだ。

 瞬間――――…………

 ……えっ。

 うおおおおおっ……!? な、なんか来るぞ……!!

 とてつもない衝撃が、辺りを包んだ。爆風に、思わず顔を隠すが――……殻に包まれている俺には、何も起こらない。

 な、何が起こったんだ!? 突然……目の前の『シナプス』に向かって、なんかとんでもない衝撃が……いや、ちょっと待て……!!


「なっ……!?」

「…………へっ?」


 ハースレッドと、呆然として目を丸くしているヴィティアが、同時に呟いた。

 こ、これは……!!

 い、隕石だ!! 隕石が、『シナプス』に直撃した……!?

 唐突に、トムディを取り囲んでいた黒い翼の兵士達が、その動きを止めて地面に落下した。先程まで虹色の輝きを放っていた『シナプス』は光を失い、その場に停止した。

 呼んだのか……!? ヴィティアが、隕石を……!!


「ナイス、ヴィティア!!」


 トムディが叫んで、崖の上から飛び降りた。トムディの落下地点に、巨大な魔法陣が出現する……で、でかい……!?

 また、はったり系の魔法か!? ハースレッドが慌てて、トムディに向かって動き出す――……が、反応が遅れている。間に合わない……!!

『シナプス』を失ったことで、ハースレッドの魔力が弱まっているんだ!!


「そ……それでも!! 君に何もできないのは、変わりないさ……!!」


 その時、俺は気付いた。

 ……いつもと、違う。

 魔法陣の中心に向かって、トムディは杖を構えた。そのまま、一直線に落下していく。

 魔法陣が、輝き出した。


「そうさ!! 僕はずっと、落ちこぼれで……!! 何も、できなくて……!! 馬鹿にされても、仕方がないと思うさ……!! でも!!」


 奇跡。

 俺は今、本当に、奇跡を見ているのかもしれない。


『助けてくれえぇぇェェェ!! ハマってしまったんだああァァァ――――!!』


 そいつはずっと、地べたを這いつくばってきた。誰からも小馬鹿にされて、何度も、苦汁を舐めてきた。


『今はまだ、本気を出していないだけさ。…………僕は、いつか絶対に、誰もが助けを求める至高の聖職者に、なるんだ』


 でも。

 諦めなかった。

 どんな時も、ずっと。


「油断してくれて、ありがとう……!!」


 トムディの杖が、魔法陣の中心に。

 魔法陣から、光が溢れる。それは一瞬にして周囲に広がり、俺や、リーシュや、ヴィティアや、沢山の人達を、取り囲んでいく。


『グレン。この至高の聖職者を、これからもどうぞよろしくね』

『この至高の聖職者は、いつだってグレンの味方さ!!』

『それでも……例え、回復魔法は使えなくても。……僕は真面目に、至高の聖職者を目指しているんだよ』



 羽ばたく時か――――…………トムディ。



「【魂の再降臨リザレクション】――――――――!!」



 トムディの巨大な魔法陣を中心にして、波動が広がっていく。

 あたたかい、光。強い光だ。何も無かった荒野に、草花が芽吹いていく。あっという間に、それは広がっていく。

 ハースレッドが立ち止まった。その強い生命の力を前にして、止まらざるを得なかったのだろう。

 そして。


「こ、これは……」


 心臓を貫かれたはずのキャメロンが、立ち上がった。


「……生きてる……」


 ミューの首も、元に戻っている。


「トムディさん……トムディさん、すごいです……!!」


 チェリィが感激していた。

 魔力を使い果たしたトムディが微笑んで、魔法陣の中心で、倒れた。

 奇跡だ。……奇跡が、起きた。

 そうだ。たった一人で、永遠に戦い続けるのなんて、無理だ。だから俺達は、手を繋ぐんだ。


「グレン様!!」


 リーシュが、駆け寄ってくる。俺の所に向かって、走って、そして――……俺の『殻』を、破った。

 あれだけ強固に外界との間を隔てていた『殻』が、いとも容易く砕け散った。それは光の粒になって、消えた。リーシュは涙が止まらないようで、俺の胸にすがりつくようにして、泣いていた。

 穏やかな気分だ。

 リーシュの頭を、撫でた。


「ごめんなさい……グレン様」

「どうして、謝るんだ?」


 問い掛けると、リーシュは首を横に振った。


「……グレン様は優しいから、きっと許してくれます。でも、それでは、いけないと思って……」


 母さんの件か。

 それだけじゃない。きっと、リーシュは――……これまでの事すべてを、謝ろうとしているんだろう。


「私は、『あまりもの』です。……この世界に一人、余ってしまいました。……ひとりで居れば良かったのに、それをグレン様に押し付けてしまいました」


 孤独。……孤独、か。


「だから、ごめんなさい……!!」


 きっと、そんなものは、遠い昔に終わっていたんだ。



「リーシュ。……『あまりもの』なんて、いないのかもしれない」



 自分の知らない所で、きっとどこかで、誰かが見ている。

 誰かが自分のことを、気にかけてくれている。


「それはただ、気付いていないだけ――……気付いていても、手を伸ばす勇気がないだけ、なのかもしれない」


 見ようとしなければ、それは見ずにいられる。

 感謝をしなければ、無かったことにもできる。

 母さんが死んで、俺はずっと、一人だと思っていた。でも――……生きていく中で、本当にいつまでもたった一人なんて、そんなことはなかった。


 誰かに出会う。

 誰かと生きていく。

 それがきっと、答えだから。

 強さの理由も、優しさの理由も、きっとそれだけが――……答えだから。


 その時、崖の上に、沢山の人々が現れた。



「リ――――――――シュ!!」



 リーシュが驚いて、崖の上に目を向けた。


「頑張れ――――――――!!」


 その言葉に、今度はリーシュが救われる。リーシュは驚いて、涙を流した。

 あれは、ノーブルヴィレッジの……。


「来ないでって、言ったのに……」


 ……ほら。本当に孤独な人間なんて、どこにもいない。

 もしもそんな人を発見したら、今度は俺達が手を伸ばす番だ。


「まさか……あれだけの魔物を、すべて駆逐したというのか……!?」


 ハースレッドがそう言った瞬間、ノーブルヴィレッジの村人達と一緒に、クラン・ヴィ・エンシェント率いる治安保護隊員の姿も見えた。

 その人数に、ハースレッドが驚愕していた。

 よく見れば、よく探せば。俺達は、一人じゃ生きていけない。

 だから、手を繋ぐんだ。


「『ごめんね』は、さ。もう、聞き飽きたよ。……他の言葉、ないかな」


 リーシュは涙を拭いて、微笑んだ。



「……ありがとう、ございます」



「おのれ……『シナプス』を作るのに、私がどれだけ時間を掛けたと……よくも、よくも……!!」


 ハースレッドが怒りに打ち震えている。その視線は、遂に……俺に、向けられた。

 今度は、俺が頑張る番。……俺が、奇跡を起こす番か。

 スケゾーなしで、俺がどこまで戦えるのか。そんな事は、まるで分からなかったけれど。


「グレン様……あの人、私のお父さんなんです」


 リーシュ?

 白い翼が、これまで見たことが無いほどに大きく……美しく、輝く。艷やかな銀色の髪が、煌めく黄金の瞳が、俺の顔に迫った。


「……一緒に、戦ってくれますか」


 俺は、頷いた。


「もちろん」


 そのまま、リーシュは俺の口元に――……



「【マジックリング・キッス】」


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