第226話 俺が生きている限り、お前は死なん!

 ハースレッドは何も言わず、ラグナスを見詰めていた。ラグナスはハースレッドに向けた愛刀の切っ先を、制止させたままで言った。


「さあ、次はどいつだ。それとも、俺がまとめて一掃してやろうか」


 冗談ではない。その覚悟で、自分はここに来たのだ。

 元より一人でも勝てる状況でなければ、戦いなど挑まない。リーシュは確かに強くなったが、それを戦力として考えるべきかどうかはまた、別の話だ。


「ラグナスさん!!」


 遅れてリーシュが崖を降り、ラグナスの所に駆け寄って来ていた。まだ、あまり顔色は良くないように見える――……そう。いかにリーシュが強くとも、それと戦えるかどうかはまた、別の話なのだ。

 どうもリーシュは、このハースレッドという男に弱いらしい。

 何があったのかは、ラグナスには分からないものだが。


「ごめんなさい……もう、大丈夫です……!!」


 そう言いながら、リーシュは光の剣を創り出し、それを構えた。……常時、具現化した魔力を発現させ、武器として使う。相変わらず、恐ろしい魔力の量だ。


「リーシュさん。……俺一人で、大丈夫ですよ。それより――グレンオードを元に戻す方法を、考えて貰えませんか」


 ラグナスは微笑を浮かべ、リーシュに言った。リーシュがグレンオードを見る――……これだけの騒音があっても、グレンオードはぴくりとも動かない。球体の中で目を閉じている。まるでそれは、眠っているかのようだ。

 あのようになった人間を見た事が無い以上、どうやって元に戻せば良いのかもまた、分からない。


「私の呼び掛けに、気付いてくれると良いのですけど……」


 おそらく、その程度しか方法はないのだろう。そして、それをするならば、やはりリーシュでなければ駄目だろう。

 お互いにとって、特別な存在でなければ。


「分かりました。俺がグレンオードの所まで、道を切り開きます」


 ラグナスはそう言って剣を構え、前に出た。

 愛刀で空を切ると、感覚が研ぎ澄まされていくのを感じる。澄んだ気持ちだ――……ラグナスはそう感じながらも、決して油断せぬよう、さらに神経を尖らせた。

 ハースレッドは面白くなさそうな顔をしていたが、目を閉じ、首を横に振った。


「……やはり、正攻法では駄目なようだね」


 そう言うと、ハースレッドの前方に魔法陣が現れた。そこそこ大きなものだ――……召喚魔法。どうやらこの場に、新たな何かを呼び出すつもりらしいが。

 そんなものの召喚を待っているつもりはない。ラグナスはハースレッドに向かって、既に動き始めていた。


「正攻法でなければ俺に勝てるなどと、安易な考えは起こさない方が良いぞ……!!」


 ラグナスの行く手を、黒い翼の兵士が阻む。

 理解していたことだ。ラグナスは兵士や魔物を斬り倒しながらも、速度を落としてハースレッドに向かった。

 例えどんな魔物が来ようとも、ラグナスは決して負けてはならない。この場に居るのは、自分とリーシュのみだ。仮に自分が倒れれば、リーシュはハースレッドに勝てないばかりか、最悪の場合はリーシュが連中の駒になってしまう恐れもある。

 ラグナスは行く手を阻む複数の魔物を斬り倒し、魔力を高めた。


「この剣は!! 風よりも速く、雷よりも疾い!!」


 必ず、助ける。



「【ソニック】――――――――」



 そうして。


 ラグナスは、止まった。



 止まらざるを得なかったのだ。堪らずにブレーキをかけ、ラグナスはその場に急停止した。

 ハースレッドの暗い笑みが、より深くなっていく。


「……勿論、安易ではないからこそ、そう言っているんだよ」


 ラグナスの目の前に現れたのは――……巨大な肉塊だった。身長の二倍以上はあろうかという、巨大な肉塊。得体が知れない……一見して、そのまま斬り付けてしまっても、問題がないように見える。

 いや。……問題はない。こんな所で躊躇している状況では無いはずだ。

 巨大な肉塊から、突如として剣が射出された。


「…………づっ……!!」


 どうにかそれを避ける。剣は右の二の腕を掠め、ラグナスの皮膚に薄い傷を付けた。


「ラグナスさん!!」


 リーシュが加勢しようと、駆け寄って来る。


「来てはいけません!!」


 ラグナスはそれを、叫んで制止した。

 掠めた傷口は、急速に紫色へと変色していく。ラグナスは傷口に左手を当て、魔法を使った。

 ラグナスは、表情を歪めた。


「リーシュさん、こいつから離れてください!! 毒を持っている……!!」

「えっ……!?」


 ラグナスはリーシュから遠ざかるように、肉塊と距離を取った。

 肉塊は転がるようにして、ラグナスに接近してくる。ラグナスは剣を構え、応戦せざるを得なかった。

 不格好な全身から放たれる、無数の武器――……鉄球。剣、ハンマー。鋏のようなものまであった。

 連続して放たれる攻撃を、どうにか剣で受け止める。武器も猛毒に侵されているなら、触るだけで危険だ。じりじりと、ラグナスは後退させられていった。

 やはり、黒い翼の兵士はラグナスに向かって来ない。……苦しくも、ラグナスは歯を食い縛った。

 弄ばれていると、そういうことか。


「どうした、ラグナス? ……急に、勢いが衰えたじゃないか。そんなに猛毒が怖いのかい? そんなものでは、止まってはいけないんじゃないのか?」


 ラグナスは跳躍し、肉塊から大きく距離を取った。僅かに口の端を吊り上げると、ラグナスは口を開いた。

 肩で息をしながら、愛刀のライジングサン・バスターソードを構え直した。

 解毒魔法が完全に効いていない。……特殊な毒なのだろう。



「……なるほど。この戦いは……グレンオードのモノであって、俺は第三者であると……そう、錯覚していた」



 距離の離れた場所で、リーシュが不安そうな表情を見せている。

 違う。猛毒など、大した理由ではない。毒を持っている魔物など、山のように居る。多種多様な魔物を相手にしてきたし、その程度でラグナスの猛攻は止まらない。

 毒に身体を支配される前に、相手を倒してしまえば良い。それだけのことだ。

 内側から、激しい怒りに支配される。……久しく経験していない事だった。忘れていた筈の感情が、衝動が、蘇っていくのを感じた。

 どんな戦いも、ラグナスを本当の意味で怒らせる事などなかった。

 再び、肉塊はラグナスへと襲い掛かる。


「なるほど。……死体を回収していたのは、貴様だったのだな」


 ラグナスは急速に、強い想いを感じていた。


「頭を使わなくてはね。ラグナス・ブレイブ=ブラックバレル」


 ハースレッドが愉しそうに、嘲笑う。

 故人とは。まるで、時が止まった人間のことを言っているようだ。

 この世から居なくなる、というのは、まるで建前のようで。進んでいた時間が、ある日ふと、止まってしまう。そこから未来が無くなる。

 そちらの表現の方が、正しいと思った。

 肉塊の攻撃を、遂にラグナスは避け切れなくなった。攻撃することができない――……。


「しかし、醜い姿だ。魔力の少ない人間は、『シナプス』に触れることによる『進化』に耐える事ができない」


 その、肉塊の中央にある、瞳。

 ラグナスの行動を束縛する、エメラルドの瞳が。


「何の価値もないと思っていたけれど……取っておいて良かったよ」


 ラグナスの全身から、蒸気のように魔力が吹き出した。



「黙れハースレッドオォォォォォ――――――――!!」



 *



 ウエスト・リンガデムの地は、元は小さな王国が密集して団結していた、連合国だった。だが、度重なる衝突で関係は崩れ、ラグナスが生まれる時代には大きな戦争へと発展していた。

 老若男女問わず、戦闘のできる誰もが戦争に参加していた。当時のラグナスはリンガデムにある小国、『王国ロウランド』に傭兵として雇われ、戦っていた。

 ひとつの案件があるたび、傭兵はバラバラに分かれて別の小隊を組む。誰がどこに配属されるかは上の命令次第だ。

 その日もラグナスは、王国ロウランドの戦闘服を着て、一人、会議室に呼び出された。


『ラグナス・ブレイブ=ブラックバレル。……今日から、十三番隊に移れ』


 この世界では、余計な事を考える人間は、死に直結する。

 ラグナスは無機質な瞳で、王国の兵を見上げた。


『承知した』


 廊下を歩き、支持された十三番隊の拠点へと移動する。地図を見ながら、ラグナスは歩いた。

 人の死に、大した感情など持たなかった。それはもう、何度も見慣れている光景だったからだ。人は、死ぬもの。昨日まで楽しそうに話していた人間が、明日、生きていないのは日常だ。

 少なくとも、ラグナスにとっての日常だった。

 ラグナスは、十三番隊の部屋の扉を開いた。


『……あっ、ごめんなさい』


 不意に、部屋を出ようとする人間と鉢合わせた。その娘はラグナスと目を合わせると、きょとんと目を丸くした。

 ラグナスは地図と娘とを見比べて、口を開いた。


『十三番隊がここだと聞いて、来たのだが』

『あっ、もしかして新入りさん?』


 とても戦うようには見えないが……この娘も、傭兵なのだろうか。ラグナスはそう思いながらも、続けた。


『移動だ。二番隊から来た。ラグナス・ブレイブ=ブラックバレルという』

『私、アバ・フェルディ。よろしくね』


 ……どうやら本当に、傭兵らしい。

 王国の兵士と違い、傭兵は気ままなものだった。役目が終わればすぐに解放され、戦略会議や王国の命などはほとんど無い。その代りに重要事項などは一切共有されず、ただ命令のままに動き、人を殺すのが仕事だ。賃金も安い。

 魔物が襲撃してくる事もある最中、人間同士の対決とは呑気なものだとラグナスは常々思っていたが。それでも、人間同士の争いは激しい。

 消耗戦だったが、各国で戦える人間は徐々に少なくなっていた。このままでは、小国すべてが滅びる時も、そう遠くは無いのではないだろうか。ぼんやりと、そんな事を考えるラグナスだった。

 十三番隊に所属して、月日はあっという間に過ぎた。



『ラグナス、おつかれ!!』



 最近妙に、アバ・フェルディが絡んでくる。


『ねえ、この後ちょっと時間ある? お酒でも飲まない?』

『俺は飲まないが……良いか?』

『いいよー。付き合ってくれればいいからさ、ねっ』


 アバはロウランドから少し離れた場所にある村に実家があって、母子家庭の一人娘だという。だからなのかは知らないが、とても饒舌で、よく感情的にものを喋る人間だった。

 対してラグナスは、孤児で行く当てもなく、傭兵をやっているというだけだ。そもそも人と深く話した事がないし、アバと違って趣味などない。

 だから、どうにも会話が弾まない。にもかかわらず自分と仲良くしようと試みるアバのことが、ラグナスには良く分からなかった。

 ありがたい事だとは、考えつつも。


『それでね、その光の勇者様が言ったんだって。氷になってしまった美しい王女様を前にして、『時よ止まれ、お前は美しい』って』

『……ほう』

『もう二度と元には戻らない王女様が、せめてずっと美しいままでいられるようにって、勇者様は考えたらしいの』


 少し酔っ払って、若干恍惚気味に話すアバに、ラグナスは眉をひそめて答えた。


『……という、物語だろう?』

『そうだけどさ。ねえ、ロマンチックじゃない?』

『うーむ……』


 返答のしようがない。

 ラグナスがどうしようもなく考え込んでいると、少しつまらなさそうにアバが言った。


『……ねえ、また考え込んでるの?』

『いや……すまない』

『ラグいよ』

『ラグい!?』


 二人は、あまりにも違った。未来を夢見る楽観的なアバと、未来を現実的な側面でしか見られない悲観的なラグナス。だから、二人で話せばこうなるのは、半ば必然とも言えた。

 だが、ラグナスにとっては新しい存在だった。少なからず傭兵というものは皆、目が死んでいる。そんな中で、まったくそのような様子が見られないのは、どうにも新鮮だった。

 見ているだけで、ころころと表情が変わるのだ。

 ラグナスは、女性と話した事など殆どない。……こういうのを、『女らしい』と言うのだろうか。

 店を出て、帰り際にアバが言った。


『ごめんねえ、今日もうるさくて』


 少し千鳥足になっていたので、ラグナスはアバに肩を貸していた。


『別に、うるさいとは思わなかったが。いつもの事だろう』

『あはは!! ラグナス硬い!!』

『硬い……と言われてもな』

『ラグい!!』

『だからなんだ、その言葉は……』


 むしろ、賑やかで良い。そうは思ったが、余計な蛇足かと思い、ラグナスはそれを口にしなかった。

 不意に、アバが言った。


『明日もさあ、生きて帰れるかなあ』


 アバが常に死の恐怖と戦っていることを、ラグナスは知っている。

 どうも、ラグナスとは違って人の死が怖いらしい。この死者が続出する場所で、そんな精神ではやっていられないだろうと、内心ラグナスは思っていた。

 だから、アバが毎日の戦いが終わった後で、とても楽しそうに酒を飲んでいるのをラグナスは止めないし、楽しそうであって欲しいと考えた。

 不思議と、自分以外の人間に対して、ラグナスは初めて深入りしていた。


『私は、ラグナスと違って強くないからさー……いつ死んでも、おかしくないよねえ』


 時折アバがそう話す時、ラグナスはどういう訳か、面白くなかった。

 だからいつも、ラグナスは言っていた。


『安心しろ。俺が生きている限り、お前は死なん』


 その感情の正体を、ラグナスは知らなかった。


『やーん!! ラグナス好きいー!! かっこいー!!』

『安直だな……』


 アバはラグナスにとって異色の存在ではあったが……同時に初めての、心を許せる相手でもあった。

 少しずつ、自分の中で何かが変化していくのを、ラグナスはその肌で感じていた。


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