第227話 間違いなく、女には見えるだろう!
ある日のことだ。
ラグナスは王国ロウランドの中で、珍しく国内の兵士に呼び出されていた。普段入ることのない会議室に向かうと、見たことのない男が立っていた。……明らかに、ラグナスの所属している十三番隊のメンバーではない。服装からして、かなり上層の人間だろう。
屈強な体格の、髭の男だった。男はラグナスを一瞥すると、口を開いた。
『ラグナス・ブレイブ=ブラックバレルか』
『……ああ。……俺が、そうだが』
『上官には敬語を使いたまえ。素養が無いのがばれるぞ』
素養など、必要なかった。ラグナスにとって大事なのは、目の前にある生活と金だ。
思わずそのように反論しそうになったが、ラグナスはぐっと堪えた。……仮にも相手は、この国でそれなりの立場にいる人間。素養の有無はともかくとして、逆らえばあまり良い事はないだろう。
『失礼した。……孤児出身なもので、敬語というものがよく分からない』
『ふむ。まあ、良いだろう』
しかし。一体何だろうか、この空気は。
この部屋には、先程自らのことを上官だと言った国の兵士と、ラグナスしか居ない。わざわざ名指しで呼び出されるほどの功績もあげていなければ、問題も起こしていない……筈だ。
そうでなければ移動だろうか。隣国との戦争には、決着が付いた。可能性としては無くはないだろうが……各国はまだ、火花を散らしている状況だ。いつまた戦争になるとも限らない。
加えて、ラグナスのいる十三番隊は、今回の戦争で最も優秀な功績をあげた。
今ここでラグナスを十三番隊から外すのは、チームワークの観点から見て、誰が判断しても得策ではないと考えるだろう。
得体の知れない状況に、ラグナスは少し気まずい思いだった。
『ところで君は、最近アバ・フェルディと特別に仲良くしているそうだね』
ラグナスは、怪訝な表情を上官に向けた。
『……まあ特別かどうかは分からないが、仲良く無いと言えば、嘘になるだろう』
『そうか、結構。君から見て、アバ・フェルディをどう思う』
思わず、眉をひそめた。
上官は机の上で指を組んで、ラグナスを試すような視線で見ている。それが堪らなく、ラグナスにとっては不快だった。
『……どう、とは?』
『率直に言おう。もしも君がアバ・フェルディと交際関係にあるとするならば、今すぐに縁を切りたまえ。君の出身は調べた。アバ・フェルディとは、十三番隊で初めて合流したようだな』
瞬間、ラグナスは沸騰した。
『なっ……国に所属していない傭兵が、他者との交友関係にまで口を出されるのか……!?』
普段のラグナスならば、冷静に状況を受け止めていただろう。……だが、どうしても反論せずにはいられなかった。雇われ傭兵という不安定な立場で、国の兵士に逆らうのは少し、立場的に無理がある。それは、ラグナスも十分理解していた。
賢くない。それは、死に急ぐ者の判断だ。……しかし、コントロールができない。
上官は目を閉じて、ラグナスに言った。
『勿論、何も無ければこんな事は言わない。所詮、金で雇われている人間だ。それが寄り付こうが離れようが、利用できる限り利用するのみ……しかし、今は待って貰いたい』
その言葉は、ラグナスに重く突き刺さった。
『アバ・フェルディには今、スパイの容疑が掛かっている』
そうしてラグナスは、言葉に詰まった。
その後、上官はラグナスに向かって何かを話していた気がする。だが、何故かラグナスは上官の言葉が耳に入って来なかった。ただ、右から左へ通り過ぎていく言葉――……しかし、どうにか理解できる部分もあった。
まだ、アバは容疑が掛かっているだけで、スパイの確証は無いということ。だが、もしもスパイだと国が判断すれば、次はラグナスに警告なく、アバを始末する可能性があること。それは、確かなようだった。
だから、アバと仲良くするのをやめろと、国は言う。
『……ラグナス?』
はっとして、ラグナスは顔を上げた。
気が付けば、十三番隊の部屋まで戻って来ていた。長めの髪を結ったアバが、首を傾げてラグナスを見ていた。
『大丈夫? 顔色悪くない?』
ラグナスはぎこちない笑みを浮かべて、アバに返答した。
『あ、ああ。……大丈夫だ。……少し、考え事をしていた』
そう言って、ラグナスは誤魔化そうとした。
『あのね、ラグナス。戦争、一段落したでしょ。……明日は、特に訓練もないんだって。休日らしいの』
『そうなのか。それは、良かったな』
ラグナスがそう言うと、十三番隊に所属している男が簡易ベッドから身を乗り出して、ラグナスに笑い掛けた。
『おいラグナス、あんまりアバを虐めてやるなよ。ちゃんと話、聞いてやれ』
『話?』
見れば、アバは随分と緊張している様子だった。
困った。今、ラグナスにアバの話を聞いている余裕はない。少し気持ちを落ち着けて、じっくりと状況を考え直したい所だったのだが。
『あのさ、それで……明日、デート、しない?』
ラグナスは思わず、呟いた。
『…………デート?』
*
デートとは、一体何だろうか。
ラグナスにとっては、そんなスタートだったものだが。わざわざ十三番隊の部屋を別々に出て、待ち合わせをするとの事だった。ラグナスは小国ロウランドの街並みを見つめながら、アバとの約束の地に立っていた。
少し遅れて、アバがラグナスの視界に入って来る。
『ごめん、ラグナス。……おまたせ』
ラグナスは、少なからず衝撃を受けた。
戦闘服か簡易なズボンしか履いていなかったアバが、何やらひらひらとした腰布のようなものを身に着けている。まるで戦争に出ない、国の娘のようだった。確かあれは、スカート……と、言っただろうか。
普段の装いとは全く違う、白を基調とした清潔感のある服装。心なしか、顔までいつもと違うように見える。
随分と、美しい――……。
『どう? ……びっくりした?』
『……あ、ああ。……どうしたんだ、それは』
『お小遣い、コツコツ貯金してたんだ。一応、家族のためだったけど……今日だけ、生活費を割いたの』
『そうか……』
『……今日は、大事な日だから』
なんと言って良いものかラグナスが戸惑っていると、アバは少し苦笑した。その表情に若干の陰が落ちた事に、ラグナスは気付かなかった。
アバはラグナスの手を取って、言った。
『行こ!』
*
本当に、アバは敵国のスパイ……なのだろうか。
『それでね、隊長さんが言ってたの。お前ら、何のために戦争に行っているんだ、って。勝つためじゃない、平和のためじゃない、国民のためでもない。俺は金と女のために戦争に行ってるんだって。ひどいよねー』
『ああ……そうだな』
喫茶店に入り、ラグナスはアバと向かい合って、コーヒーを飲んでいた。小国ロウランドは好調で、殆ど住宅地に被害を出さずに、先の戦争を終えることができた――……束の間の平和を、皆が楽しんでいるように見えた。
とてもではないが、アバがスパイだとは思えない。アバはロウランドから少し離れた小さな村で産まれ、貧しい家族のために傭兵として金を稼いでいる。悪事を働くような人間ではない……そもそもスパイのような事ができるほど、気丈ではないのだ。
一体、何を勘違いして、そのような噂が流れているのだろう。
『ラグナス』
『ん?』
ふとラグナスが顔を上げると、アバは少し覇気のない笑みを浮かべていた。
『……もう、帰ろうか』
そう言って、アバは席を立った。
『もう、良いのか?』
『……うん』
十三番隊の部屋を出て、いつもとは違う服装をして、ただ街に出て、喫茶店で茶を飲む。
一体アバが何をしたかったのか分からずにいたが、ラグナスも席を立った。会計を済ませると、二人は喫茶店を出た。
特に話すことも無かったのだが、なんとなく落ち着かなかった。ラグナスは少し足早に歩いて、十三番隊の持ち場を目指した。
頭が混乱し続けているというのも、あまり良い気分ではなかった。
『ラグナス』
不意に後ろから、アバに呼び止められた。ラグナスは振り返って、アバを見た。
唐突の出来事だった。
ラグナスは思わず、ぽかんと口を開けてしまった。
『興味ないなら……興味ないって、言ってほしい』
アバは、泣いていたのだ。
『……えっ』
目が覚めるようだった。ラグナスは目を丸くして、アバの様子に戸惑った。
どうしてアバが泣いているのか分からずにいた。アバはどうにか涙を堪えようとしていて、それでも耐え切れず、止めどなく溢れているようだった。
それ程の出来事が、これまでの間にあったという事だ。
……何故。
そんなにもアバを傷付けることが、何かあったとは思えない。
『私、……あんまりキレイじゃないかもしれないけど、今日は……ちょっと、頑張ってみたんだ。気に入ってもらえたら良いなって、思って』
何を言わんとしているのか、分からない。
戦争の中、男の中で育ったラグナスには、アバの中で一体何が起きているのか、その真相を理解できなかった。今日もまた、デートの意味も分からずに、ここに来てしまったのだ。
しまった。……せめて、デートが何なのか位は聞いておくべきだった。まるで上の空のように見えたのだろう。
今更、ラグナスは自分の事を後悔していた。
『ご、ごめんね。ドキドキもさせられないような、駄目な女で……』
そう言って、アバは振り返って、どこかに行こうとした。
『アバ!! 少し待て!!』
先日の上官に言われた事が気になってしまい、アバがどんな目的でここに来ていたのか、ろくに確認もしないままでいた。
それが、失敗だったのかもしれない。
ラグナスは走り、逃げようとするアバの左腕を咄嗟に掴んだ。
『す、すまない。泣くほどの事をしてしまったと言うなら……謝る』
どういう訳か、ラグナスは焦燥に駆られていた。戦時中でさえ、背中から武器を向けられる程の事でもなければ、焦る事は無いというのに。
アバの涙の理由が分からず、それがどうにも歯がゆい思いだった。
『いいよ。だって、私が悪いんだし……』
『何故、悪い?』
『だって、ラグナスいつもと全然変わらないんだもん!! 少しもドキドキしてないってことでしょ!?』
ラグナスは、困ってしまった。
……著しい、言語の不一致がある。
『ドキドキ……? ドキドキしているかと言われれば、正直別にドキドキはしていない』
『けふぅっ……』
何故か、アバは多大なショックを受けているようだった。
わけがわからない……!!
『当たり前だろう!! こんなに平和な所で心臓の鼓動が速くなったら、それは間違いなくただの病気だ!!』
呆然。
ラグナスは必死で弁解をしているつもり……なのだが。アバは口を開けて、ただ、ラグナスの様子を傍観していた。
……そんなに、自分は駄目なのか? 何が駄目なのかも分からないというのに。
ラグナスは、言葉を探した。
『だ、だが……!! 今日のお前は、間違いなく綺麗だと思うぞ。その、なんだ……服装も清潔そうだし、正直驚いた。普段、俺とそんなに変わらない服だから、別人のようだ』
……おお。……少し、効果があったようだ。
アバは急に頬を染めていたが、涙は止まっていた。……そうか。確かに言われてみれば、アバは頑張って、美しくなろうと努力していたのだ。まず、それを褒めないでどうするのか。
ラグナスは、アバを褒める言葉を探した。
『特にその、ひらひらした感じがいい』
『……そ、そう?』
『ああ。周りの格好から考えても、間違いなく女には見えるだろう。俺が保証する』
……おや。
どうやらあまり、良い台詞ではなかったらしい。……アバの顔を見れば分かる。
元々、ラグナスとアバでは生まれ育った環境が違い過ぎるのだ。これもまた、必然というものだろう。
『……私に興味が無い訳じゃ、ないのね?』
『お前に興味が無ければ、今日ここには来ていない』
あまりにも、必死で弁解していたラグナスだったが――……不意に、アバが笑った。
『…………ラグいなあ』
ようやく、笑ってくれた。ラグナスは安堵して、胸を撫で下ろした。
言語が噛み合わないのは、いつものことだ。だが、傷付きながらもアバは、ラグナスの本音を理解したようだった――……もうアバは悲しそうにはしていなかったが、少し残念そうな顔をしていた。
ラグナスには相変わらず、その理由はよく分からない。
『取り乱してごめんね。……やり直し、できるかな』
『ああ、その件なんだが……デートとは、一体何なんだ』
『それも知らないでここに来たの!?』
『……す、すまん』
正直。……この件に関しては、まるで自分の方が付いて行けていない。
ラグナスは、素直にそう思った。
『もういいよ。いつも通りにしてくれれば良いから』
『いや、しかしだな……そうだ、どうだろう。俺もその、スカート……? とやらを履くというのは』
『やめて!?』
アバが普段通りに戻った事に、ラグナスは助かっていた。
だが、その不思議な感情の正体は、分からないままだった。
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