第217話 覚醒……!

 ……懐かしい感覚だ。そう、彼は思った。

 遥か昔に、本来の姿を失った。制限された魔力環境下、制限された肉体。いかに自分が、グレンオードに託したものを本来の原動力としていたのかが分かる。

 目の前には、荒れ果てた大地が広がっている。グレンの変化に目を見張っているハースレッド、無言のままで主人の指示を待っている『黒い翼の兵士』ことアイラ・バーンズキッド。その背中には、トムディとヴィティアを始めとする、様々な冒険者達。

 皆一様に、あれは一体なんだ、何が起こったんだ、と呟いている。


「グ……グレン? ……グレン、なの?」


 ヴィティアが呆然として、そう言っていた。そう思うのも無理はなかろう、ここは今の今までグレンオードが立っていた場所なのだから。そして、そのグレンオード本人は既に、ここにはいない。

 彼は大きく深呼吸をした。湧き上がる興奮が抑えられない。数年ぶり――……いや、十数年ぶりに戻って来た。完全な、ありのままの姿で。

 これがどうして、笑わずにいられようか。


「キヒヒヒヒ……ケヒャヒャヒャヒャヒャ!!」


 遂に、グレンオードとの約束は果たされた。もう随分と長い間、拘束されていたのだ――……しかし、それも仕方のない事だ。何故なら、それこそがグレンオードとの約束だったのだから。

 自分は自由。自由、自由――――――――自由だ。


「戻って来たアァァァァァ――――――――!!」


 歓喜のあまり、彼は叫んだ。

 充実した魔力。今の今まで、『どうしてこんな低俗な連中に良いようにされていたのか』。当然、負ける気がしない――……活力に満ち溢れている。それを達成するだけの能力が、当然のように彼にはあった。

 嬉々として彼は、ハースレッドを見た。


「…………スケルトン……デビル……?」


 たとえ、自分がいくら『スケルトン・デビル』を名乗った所で、気付く人間など居ないだろう、とは思っていた。あの、小さな姿のままでは――しかし、今は違う。ひとたび睨むと、ハースレッドは怪訝な表情のまま、彼から距離を取った。

 全身を、負の感情が支配している。苦しい、痛い、悲しい……しかし、それこそが彼の原動力。彼が持つ、莫大な魔力の源だった。

 だから彼は、全身に魔力を溢れさせた。魔法陣のような規則正しい力を持たない自由な魔力は、彼の周囲に煙のように纏わりつき、風に吹かれて形を変えた。

 赤黒い、血のような魔力だった。


「キヒ、キヒヒヒヒ……運が悪かったなァ、ハースレッド。……もう、ご主人はここには居ねえよ」

「居ない……だと……? やはり貴様、グレンオードの肩に乗っていた、小さな魔物……」


 彼の背後で、トムディが叫んだ。


「……スケゾーなのか!?」


 その言葉に、彼は振り返った。


「スケゾー!! 僕だ、トムディだよ!! ……分かるか!? 教えてくれ、グレンは今、どうなってる……!?」

「あァ?」


 瞬間、彼は移動した。

 その速度は雷よりも速く、それでいて微かな足音さえしなかった。背の低いトムディの目の前で中腰になった彼は、トムディの目前にまで顔を近付けた。

 ほんの一瞬、トムディの表情に恐怖が見える。

 それを確認して、彼は嬉しそうに笑った。


「誰が『スケゾー』だァ? 言ってみろ、クソ野郎」

「は……? えっ……」


 彼は、トムディの髪の毛を掴み、真上に持ち上げた。


「トムディ!! ちょっと、やめてよ……!!」


 慌ててヴィティアが駆け寄る。彼はヴィティアに向かって、親指で中指を弾き飛ばすようにして、軽く振った――所謂、デコピンだ。

 その僅かな動きから、爆風が巻き起こる。


「きゃっ……!!」


 風圧で、ヴィティアが吹き飛ばされた。それを確認して、彼は――……失笑した。

 全く、くだらない。自分の主人は――グレンオード・バーンズキッドは、こんな連中を護ろうと必死になっていたのだ。大した魔力も持たず、特にこれといって役にも立たない連中。

 彼には、まるでその気持ちは分からない。『弱い』人間ほど、弱さにしがみつくものだ。大勢でなければ意見すら言えず、自分より弱い者を見付ける事でしか、自分自身を維持できない。

 再び彼は、トムディに視線を向けた。


「……俺ァお前らを、ずっと見てた」


 ひとつひとつ、言葉を紡ぐように、トムディに言い聞かせた。幼い赤子をあやすように、それでいて闇よりも暗く。


「ずっと、ずうぅぅっと見てた。お前らがどう成長していくのか、ご主人の護ったお前らが何かの役に立つのか、そこに意味はあるのか、ずうぅぅっと考えてたァ……」


 あまりの圧力に、トムディが青い顔をした。

 彼が表情を歪めると、本来形を変える筈のない『骨』が歪み、くしゃりと潰れる。その様子がまた、トムディの恐怖を誘った。


「それで、気付いた」


 本来あるはずのない、にっこりとした笑顔。



「――――――――てめえら全員、使えねえ。死んだ方がいい」



 そうして彼は、トムディの髪を離した。体勢を立て直す余裕もなく、トムディがその場に崩れ落ちた。

 トムディは地面に顔を埋めて、ぴくりとも動かなくなった。


「アァァァァ暴れ足りねエなアァァァァァ!!」


 言うが早いか、瞬時に彼はハースレッドに向かって突っ込んだ。ハースレッドは反応する事ができず、首が飛んだ。

 彼は赤黒い魔力を飛ばして、斬撃を放ったのだ。ハースレッドの首が地面に転がり、それは彼の方を向いた。

 その時、彼は気付いた。


 ――――――――こいつ。……『実体』じゃない。


 これだけの魔力を所有してなお、実体じゃない。召喚されているのか、自らを召喚しているのか――……もしもの時に備えていたと言う訳だ。初めの時からそうだったが、大層慎重に事を進めている。

 ……まあ、これで終わっても面白くない。

 彼の周囲を取り囲んでいた魔法陣が、その姿を消した。そうして――隔離されていたものが無くなり、境界線を引かれた空は元通りになった。


「アイラ、予定変更だ。一度、帰るよ……君は、私の敵か?」


 消え行く中、そう言われたアイラが魔法を使い、転移していく。首だけになったハースレッドは、彼にそう聞いた。

 彼は、ハースレッドに答えた。


「てめェを含む、この世の全ての『生物』の敵……なンだろうなァ。例えて言うならよ?」


 ハースレッドは、無表情のままで言った。


「……なら、何故私の邪魔をした?」

「気に入らねェからさ、全てが。……まァ強いて言うなら、ご主人だけは別だぜ。グレンオードとは一心同体でよ、あいつの甘っちょろい心が、幾らか俺にも変化を与えてンだろうなァ」

「何れにしても、君を倒さなければ革命はない、という訳か。……よく分かったよ」


 そうして、ハースレッドは最後に言葉を残して、消えた。


「『魔王城』で、君を待つ。……そこで、決着を付けよう」


 ハースレッドが消えて、冒険者達は解放された。そこに取り残された彼は、大きく溜息を付くと、空を見上げた。


「暴れ足りねェって言ったんだがなァ……まァ、あの状態じゃ戦闘にもならねェか」


 まあ、良い。丁寧にもハースレッドは、自分自身の居場所を伝えてから消えた。それを追い掛ければ良いだけだろう。

 憎き魔界。魔王城の居場所など、遥か昔から覚えている。

 何故なら、その近くには彼の――牢獄があったのだから。


「……嘘でしょ? ……スケゾー」


 膝をついたまま立ち上がる事もせずに、ヴィティアが彼にそう言った。

 だが、仕方ない。

 グレンオード・バーンズキッドは、彼等彼女等に、『夢』を見せたのだ。

 ……ならば、今度は自分が、『現実』を見せなければならない。

 彼は、ヴィティアに向けて言った。


「ご主人は――グレンオード・バーンズキッドは、死んだ」


 ぴくりと、地面に突っ伏したままのトムディが、反応する。


「なァに、心配すんな。ご主人の『敵』は、俺の『敵』だ。まず一番始めにぶっ壊すのは、あいつ等だろうなァ。……その先はまァ、わかんねーけどな? 近くに居ると危険だぜ」


 最後に彼は、言った。



「俺があいつ等を潰した後、近くに居るようなら……お前等も、殺すぜ」



 例えて言うならば、自分は『絶望』そのもの。或いは、『災害』そのものだ。

 災害は、人を選ばない。どんなに未来を期待した人間であっても、時には一瞬でその命を失う事がある。

 それが、『現実』だ。いついかなる時も変わりなく存在する、この世界の真実だ。


 それだけを伝えて、彼はその場を離れた。

 先ずは、魔界へと通じている場所を探さなければならない――……この脚ならば、少し走れば見付かるだろう。そうして自分はグレンオードの目的を達成し、今度は自分自身の目的を達成しなければならない。

 既に形を失い、何を求めているのかもはっきりとしない『目的』を。

 平地を抜け、森へと入る。魔力の高い場所へと向かって、彼は走った。

 そして。



「それで本当に、グレンオードが救われると思うのか」



 彼は、いつか見た金髪の剣士と遭遇した。

 腕を組んで、木にもたれ掛かるようにして立っていた。まさか、戦いを見ていたのだろうか――……魔法陣によって隔離されていて、外からは入る事が出来なかった。可能性はあるだろう。

 外から中の様子を見ることが出来たのかどうかは、分からないが。

 彼は、その剣士――ラグナス・ブレイブ=ブラックバレルに言った。


「じゃあ、お前ならどうした?」


 問い掛けたが、ラグナスは答えなかった。

 どこか明後日の方角を見詰めて、何かを考えているように見えた。


「……俺は、魔王城に向かう。……てめェも、邪魔するんじゃねェぞ」


 それだけを言って、彼は離れた。彼なりに、ラグナスを思いやって言ったつもりだ。

 仕方ない。

 いつかの日、彼は人から、魔物から恐れられていた――……その時の経験がまだ、後に引いている。一度染み付いた言葉遣いや態度というものは、中々骨から離れないものだ。

 ただ、彼にも目的はある。



『零の化物』と呼ばれた彼にも、目的はある――――…………。



 *



 ヴィティア・ルーズは、呆然としていた。

 その場には、何も残ってはいなかった。先程まで脅威でしかなかった魔物達も居なくなり、ハースレッドも、黒い翼の剣士も居なくなった。

 隔離されていた冒険者達は解放され、どうすれば良いのかも分からず、それぞれの居場所へ帰ろうとしていた。


「あの、すいません。治安保護隊員の者ですが……この場所で、何があったのですか」


 肩を揺さ振られても、ヴィティアは気付かなかった。

 ……何が起きたのか、よく分からない。

 スケゾーだった魔物に、何を言われたのかも。……今、どうなっているのかも。

 ただ、ヴィティアはその場で放心していた。



 *



 トムディ・ディーンは、走り出した。

 行先は決まっていたのだろうか。それは分からなかった。とにかく成す術もなく、トムディはその場から逃げ出した。

 あまりの悔しさに、涙が止まらない。

 どれだけ努力しても、どれだけの苦渋を飲んでも、どうにもならない。……どうにもならなかった。遂にトムディは、最も信頼していた同士を失う所まで来てしまった。

 トムディは下唇を噛んで、泣きながら走った。

 セントラル・シティを通り過ぎ――……どこかへ。



 *



 リーシュ・クライヌは、砂浜に居た。

 もう随分と久しく見ていなかった、七色の海がリーシュの目の前に広がっていた。

 寄せては返す波の音が、静かな空間に音として響いている。時折聞こえて来る鳥の声は、波の音に混ざって音楽を奏でている。

 リーシュは、ただ――そこにいた。

 止めどなく溢れる涙が、橙色に染まった砂浜を湿らせた。砂浜に手を付いて、気が付けばリーシュは、沈み行く太陽の光を見詰めていた。

 サウス・ノーブルヴィレッジ。

 リーシュの故郷だった。



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