第216話 ごめんな

『……ごめんね』


 ずっと、そう言われてきた。

 事あるごとに、俺はそう言われて。母さんからそう言われてしまうと、俺はそれ以上、何を言う事も出来なくなってしまって。母さんがそう言うたび、俺との距離が少しずつ開いていくようで、俺は少し悲しかった。

 俺が本当に言って欲しかった言葉は、『ごめんね』ではなくて。


 氷の剣は、深々と俺の腹に突き刺さった。透き通るように美しい剣の刀身が俺の血で赤く汚れ、地面に血溜まりを作っていく。

 俺は、リーシュの方を向いたまま、背中から腹にかけて生えた剣を握り締める。包帯の向こう側は骨しかないので、剣が食い込んでも痛覚はなかった。

 リーシュの瞳が揺れる。


「……悪いな。……母さん……あのさ。……大切な……人なんだよ。だから……攻撃しないで、貰えないかな」


 途切れ途切れになりながらも、言葉を紡いだ。

 綻びがあって、ふとすると解けてしまうような不格好な言葉と共に、どうにか背中の母さんに振り返った。俺の言葉が届けば――……母さんは、俺を攻撃できないはずだ。

 母さんの目は、死んでいる。

 突き刺さった氷の剣を母さんが手放し、再び魔力で瞬時に剣を創り出すまで、そう時間は掛からない。

 母さんの右腕が、振り上げられる。その右手に、魔力が集まっていく。

 俺は、笑みを浮かべた。

 眉を一杯に寄せて、なんとか笑みを作って、そして――――――――その悲しみのやり場を、どこに持って行ったら良いのかが、分からなくて。


「スケゾー!!」


 振り返って、スケゾーと魔力を共有する。

 俺の叫びに合わせて、スケゾーが俺の体内に魔力を流し込んで来る。

 身体は悲鳴を上げている。魔力共有を解除してから、少しばかり回復していた意識が、また朦朧としていく。

 母さんから振り下ろされる、鋭い氷の刃。

 ナックルと化したスケゾーで、それを受け止める。

 接触音は一瞬。しかしそれは、俺の腹の奥までずしりと響くような重さを伴っていた。


「アイラ――――――――おお、美しいアイラよ……!! そうだ、それでいい……!!」


 母さんの背中で、狂気にも似た笑みを浮かべた男が、実に愉しそうな声で、そう言った。


「『悪魔の子』。やはり、是が非でもこちら側に加えておかなければならなかった……だが。連れて来たのがアイラで、本当に良かった……!!」


 饒舌にハースレッドはそう言って、暗い笑みを見せた。

 母さんの剣が俺の拳を押すたび、俺の骨が痛む。助けてくれと、叫んでのたうち回る。

 俺にこの人を、攻撃しろって言うのか。

 大切な人を護るため、大切な人を傷付けろと。……そう、言うのか。

 ……誰か、教えてくれよ。俺が一体何をした。

 生きて行くのは、そんなにも辛い事なのか。こんなにも痛みに耐えなければ、先に進む事はできないのか。

 未来に希望が見えない。


「えっ……!? グ、グレンのお母さん……!?」


 戸惑ったように、ヴィティアが言った。

 視界の端から、どうにか母さんを止めようと、トムディが突っ込んで来る。

 母さんは容赦なく、それを斬り捨てた――……トムディが消える。魔力で作られたものだ。


「くそっ……!!」


 駄目だ。……そんなもの、通用しない。

 母さんの攻撃を受け止めながら、どうにか俺は――……背中を見た。

 可能性があるとすれば、リーシュだけだ。先程も途中までは、完璧にリーシュが戦況を支配していた。リーシュさえ動ければ、きっとどうにかなる。

 どうにか、なる――――…………



「あっ……、あ……」



 リーシュは頭を押さえていた。

 その様子を見て、俺は悟った。


「さあ!! 行こう、アイラ!! 君の力があれば、ここにいる冒険者集団を打ち破る事など、造作もない事だろう!!」


 覚悟を決めよう。

 こんな時ばかり冷静になる頭が、急速に回転を始めた。今ここにある状況、絶望を前にして、逆転の手段を考え始めた。


 なあ、グレンオード・バーンズキッド。……本当は、あるだろう?

 そうだ。……本当は、ある。

 奥の手。俺がずっと胸の底に隠しておいたものが、ある。

 それを、使おう。

 そうなると、邪魔になるのはリーシュだ。まず、これを排除しなければならない。

 このフィールドから、リーシュを除外する方法――――…………ある。

 俺は、ポケットにずっとしまってあったものを、取り出した。


『あ、そうだ、村長。村の周囲に魔法陣書いといたんで、消さないでください。村の人達にも言っといて。何かあったら、こいつを使って俺を呼び出してください。一応、実体じゃないですけど、護りに行くんで』

『……これは?』

『まあ、あれですよ。召喚魔法の亜種みたいなもんで。スケゾーのローブに付いている奴と同じです』


 皆でなくても良いなら。一人で良いなら。

 この場所からリーシュだけを飛ばす方法なら、ある。

 召喚魔法だから、魔法の書き方が違うだろう、って? ……おいグレンオード、お前は魔導士だろう。さっき先生が――レッドウールが、師匠と先生の間にある召喚契約を利用して実体を飛ばしたの、忘れたか。

 できるんだ、技術的には。……どうすればいい。

 ――ほら、できる。

 簡単だ。

 俺は、『零の魔導士』なんだから。

 俺はエメラルドグリーンに輝く石を握り締めて、魔法を使った。


「ハースレッド。……ここは引け」


 俺の言葉に、ハースレッドは眉をひそめた。


「――何を?」


 その瞬間、全身から炎が噴き出した。


「勝利のための戦争? ……人間同士の決着? ――――そんなもの、どこにもねえんだよ」


 痛い。

 視界に泡が見える。全身から、煮え滾るような泡が噴き出す――……既に耐えられなくなってしまった俺の身体が、変化を始めている。

 だが、俺はハースレッドに向かって笑みを浮かべた。その瞳から血の涙が流れても、なお。

 全身が焼け焦げる。マグマのように沸騰している。

 それでも、絶対に苦しみを見せない。

 見せてなるものか。



「『災害』が、起きるぜ――――――――!!」



 決死の想いで、俺は緑色に輝く石を――……リーシュに向かって、投げた。


「……グレン様?」


 リーシュ。


「グレン……!!」


 トムディ。


「えっ……? あ……」


 ヴィティア。


 ラグナス。キャメロン。チェリィ。ミュー。


 それぞれの顔を思い浮かべながら――俺は、魔力を高めた。限界を超えて。スケゾーとの共有率が、際限なく高まっていく。


 生み出す。

 新たな『戦力』を、この場に。


 そいつはちょいとばかり頭が悪くて、人間の事なんて大切には考えていなくて、信頼関係を作るのは本当に大変だったが――……。

 やってくれるはずだ。

 どす黒い怒りに全身が支配されていく。それと同時に、俺の意識はどこか遠くなっていく。身体の感覚は遠のき、代わりに悲しみや、虚無感や、その他色々なものが押し寄せて、黒く、黒く塗り潰されていく。


「グレン様!!」


 リーシュが気付いて、飛び出そうとした。……が、既に遅い。俺の発動させた転移魔法がリーシュを包み込み、もうリーシュはこの魔法から逃れる事はできない。

 行先は、『リーシュが最も心安らげる場所』。

 それなら、良いだろう。


「グレン様……!! グレ――――――――」


 言って欲しかったんだ。

 ただ一言、『ありがとう』って、そう言って欲しかったんだ。


『…………ごめんね』

『…………ううん。行ってきます』

『行ってらっしゃい』

『すぐ、帰って来るから』


 魔導士を目指したあの日、俺は母さんにそう言って、俺と母さんの会話はそれっきりになった。次に会った時もやっぱり母さんは、少し苦笑して、俺に言うだけだった。


『……………………ごめんね』


 俺はずっと、その事にやるせない想いを感じていた。

 どうして。

 どうして、『ありがとう』って、言ってくれないんだ。

 目の前の母さんは、もう『ごめんね』すら、言ってくれない。……でも俺は、そんな母さんに笑みを浮かべた。


「――――――――わかるよ、母さん」


 そうだったんだな。

 こんな気持ちだったんだな、母さん。


 護りたいものが、護らなければならないものが、すぐそばにあるのに、護る事ができない。自分はそれ程強い存在にも、大きな存在にもなれない。

 俺の背中は思ったよりも小さくて、人をどうにか一人分、やっとの想いで隠す事くらいしか、できなくて。

 罪の意識に、押し潰されてしまいそうになる。

 戦えなくてごめん。護ってやれなくてごめん。一緒に笑ってやれなくてごめん。

 未来を共に生きられなくて、ごめん。

 謝る事ばかりだ。

 とてもじゃないけれど――――『ありがとう』なんて――――言えない。


 俺の作った包囲網に、リーシュが閉じ込められる。透明な壁だ――もう、声も届かないだろう。リーシュの声もこちらには届かず、リーシュは眩い光に包まれながら、身体を薄くさせながら、必死で目の前の壁を叩いていた。

 泣きながら。

 トムディは、この戦いに手が出せない事を悟ったようだった。ヴィティアはただ、どうして良いのか分からず、戸惑っているばかりだった。

 俺は、皆に振り返った。

 せめて、精一杯の笑顔で。



「――――――――ごめんな」



 それきり、俺は視界からずっとずっと、遠く離れた所まで追いやられた。

 真っ暗な世界に落ちていく。際限なく意識は深い奈落の底へ――……元々、俺とスケゾーの魔力量には差があった。無理をしてスケゾーの魔力を取り込み過ぎれば、当然俺の身体がどうなるかは決まっていた。

 勿論、試した事は無かったけれど――……。

 やがて、ただ真っ暗なだけだった俺の視界に、生物の姿が映った。

 生物――……? ……いや。それは、お世辞にも『生物』とは言い難い。

 全身、人間の骨なのか動物の骨なのか、それさえも分からないような骨格で出来ている。二足歩行で、頭は牛のような形の骨をしていて、しかし後頭部から白い骨が伸びて、それは柔軟性を持っていて、髪の毛のようにだらりと垂れ下がっている。

 骨しかない筈の頭蓋骨からは光が見えて、それがまるで目のように見える。

 懐かしい存在。俺はそれを見て、笑みを浮かべた。



「その姿で会うのは久しぶりだな。……スケゾー」



 おどろおどろしい、殺気。そいつは俺を見ると、腕を組んで反応した。


「キヒヒヒヒ……あァ、懐かしいなァ相棒。……で、もういいのかい? 俺が暴れちまっても?」

「頼むよ。……ただ、俺の大切な仲間は傷付けないでくれよ」

「ケヒャヒャヒャヒャ!! そいつは、無理な相談だなァ!!」


 俺がそう言うと、スケゾーは笑って、俺の目の前に顔を近付けた。


「知ってんだろう? ……俺も、お前と同じさ。可哀想になァ……孤独ってのは、人間は耐えられねえものなんだろう? 意図して孤独にされる事の辛さよ。お前が動けなくなれば――……俺は、お前を取り巻く環境すべてを無かったことにするぜ」


 スケゾーは、俺の『鏡』だ。

 俺の嫌な部分。俺が隠している部分。それは怒りだとか、嫉妬や憎しみや、様々な負の感情そのままだ。

 だから俺は、スケゾーの『この部分』を、共有して俺の奥底にしまっておく事にした。

 そうやって、俺はスケゾーと『魔力共有』を達成した。


 俺は、スケゾーに『命』を。

 スケゾーは、俺に『負の衝動』を。

 それぞれ、預けた。


 そうすれば、スケゾーは少し足りない『馬鹿な魔物』のままでいられる。……もう、誰も傷付ける事はなくなる。


「なァご主人!! 憎いだろう!? 憎くて憎くて、たまらねェんだろう!! キヒヒ、今日は吉日だぜ。後は全部、俺に任せろ……てめぇの敵も!! てめぇの使えねえ仲間も!! 全部俺が、ぶっ壊してやるからよ!!」


 でも、今は。


「スケゾー。……大丈夫だよ。俺はお前だ」


 苦笑して、俺はスケゾーに言った。


「最後はきっと、なんとかしてくれるだろ?」


 そう言うと、スケゾーは少し面白くなさそうな顔をした。俺から視線を逸らして、背を向けた。


「……なんだァ、面白くねェなァ。……お前、それが最後の言葉で良いのかよ。どうせお前はもう、二度と俺の魔力を押し退けて出て来る事はできねえんだぜ。事実上、死んだのと同じだ……もし仮に俺が死んでも、お前が住める肉体になっているかどうかは、もう分からねェんだぞ」

「良いよ。……悪いけど、頼む」


 俺の言葉に、スケゾーは返事をしなかった。


「つれねェなァ」


 それきり、スケゾーは消える。俺の想いは届いたのか――それは、分からなった。それでも俺は、少し安心していた。

 もしも本当に全てを壊すつもりなら、俺の前に出て来たりはしなかっただろう。……だから、きっと大丈夫だ。

 俺は、真っ暗な世界に手を伸ばした。



「……………………ひとり、か」



 俺はここで、一人。

 スケゾーは強い。寿命も殆ど、無制限みたいにある存在だ。魔物の中でも別格で、魔物からでさえも恐れられるような存在。まさに『災害』そのものだ。

 だから俺は、もうここから出て来る事はできない。この暗くて冷たい場所で、永遠に生き続ける事になる。


『やめろおおおおぉぉおぉぉぉぉ!!』


 ……そうか。

 セントラルの東門で戦った時、スケゾーと魔力を共有したら、悲鳴みたいなものがずっと聞こえている状態になった。

 あれは、スケゾーの記憶だったのかな。


 俺達はみんな、『あまりもの』だ。

 人から手を離された存在。誰かから裏切られたり、遠ざけられた存在。みんなが俺達を邪魔に思い、みんなが俺達から居場所を奪おうとする。そんな存在。


 でも――――――――まいったな。

 本当に、『あまりもの』になっちまった。


 人の役に立たず、人から求められず、どうしようもない能力の癖に目立ってしまった余り物。でも一人なら、もう目立つ事も、誰かから疎外される事もない。

 ……長かったな。

 そしてこれからは、きっと、もっと、ずっとずっと、長いんだろうな。

 一人でいる時間はきっと、途方もなく寂しく、心さえ凍てつかせる程に冷たくて、そして――長いんだろうな。

 スケゾー。

 長い間、俺なんかのために協力させて、悪かったな。

 でも、約束通りだ。……もう、暴れて良いぜ。



 ……俺はもう、ここから出る事はできないんだから。


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