第214話 笑ってんじゃねえぞ

 特注の戦闘服に着替えて、靴を履く。グローブをはめるのなんて随分久し振りな気がして、少し新鮮な気持ちだった。


「……本当に、行くのか」


 リーシュに問い掛けると、リーシュはどこか緊張したような面持ちで、俺の問い掛けに頷いた。


「……はい」


 正直。……あまり、リーシュを連れて行きたくはない。

 これから先に待っているのは、どんなに取り繕っても『戦争』と呼ぶ他にない出来事だ。

 俺はもうリーシュを守る事はできないだろうし、むしろ逆に、リーシュに守られてしまう結果にもなり兼ねない。

 一人で戦うと決めた方が、まだ幾らか気が楽で。背負うものが増えると、途端に満足に動けなくなる。

 この身を捨てるつもりで戦えば、勝機が見出せるかもしれないのに――……いや。そうでもしなければ、きっと俺が役に立つ事なんてないだろう。

 リーシュはまた、そんな俺の考えを見抜いているのだろうか。


「準備はいいか」


 先生の背中に乗ると、少し無骨な印象を与える大きな鱗に触れる事になる。それがどうにも普段と違って危機感を伴っていることに、少しばかり緊張もする。

 一体、どんな状況になっているんだろうか。……今の俺に、一体どんな事ができるだろうか。師匠の助けにはなるんだろうか。

 そんなことは、とんと検討もつかなかったけれど――……。


「行くぞ!!」


 先生はそう叫んで、魔力を高めた。振り絞った、という表現の方が正しいかもしれない。

 召喚魔法は仮の姿を作ることに関してはそれ程のコストにはならないが、召喚体が消えることに関しては、絶大な魔力の消費を伴う。

 借りていた魔力を取り戻すか、それとも霧散させるかといった感度の問題に近く、そのコストは当然呼ばれる側……魔物にも、相応に負荷を与えることになる。

 つまり先生は、このまま戦地に行ったとしても――……満足に戦う事は出来ないだろう。

 その事実は、俺に強くのし掛かった。

 先生の目の前に、巨大な魔法陣が出現する。

 龍の召喚は、相変わらずとんでもなく大掛かりだ。子供の時はその大きさに度肝を抜かれたものだが、大人になった今でもその評価は変わらない。

 先生は羽ばたいて、光が溢れる空間の中に飛び込んだ。

 一瞬、真っ白な世界にその身を支配される――……空虚な世界。ふわりと浮いたような感覚。

 しかしそれも、長くは続かない。一瞬にして場所は変わり、白い光の向こう側に、見慣れた光景が広がった。


「…………師匠!!」


 思わず、そう叫んだ。

 唐突に出現した俺達に、周囲の冒険者や魔物が視線を向けた。

 一体どうなっているんだ、ここは……? 地面は一面に巨大な魔法陣が描かれていて、その向こう側の世界は止まっている。これは……隔離魔法。見た所、聖職者が使う聖域【サンクチュアリ】の派生に近いように見える。

 近くにいる冒険者達は皆一様に、手を出すことを恐れているように見えた。それも当然、目の前に広がる魔物は、到底普通の冒険者が手に負えるような相手ではない。

 常軌を逸脱している。


「グレン……!!」

「グレン!? なんで!?」


 地上で、同時に二つの声がした。

 咄嗟に叫んだのは――……トムディと、ヴィティア。お前等こそ、どうしてこんな所に……と思うけれど。きっと、何らかの理由があってここに来たのだろう。

 大きく羽ばたいて、先生が地上に着地する。師匠は、どこに――――…………



「グレンオード・バーンズキッド。……きっと現れるだろうと、そう思っていたよ」



 そうして、初めて――――…………俺は、『その男』と対面した。

 幼いリーシュの心を壊し、成長したリーシュの足枷となり、バレル・ド・バランタインを誑かし、ヴィティアを攫い、キャメロンとミューを傷付け、ウシュクに罪の引き金を引かせた男。

 その、目の前にいる男を見て、俺は。


「――――――――くっ」


 思わず、笑ってしまった。

 師匠は串刺しにされたのか、腹の部分が貫通していて、その場に座り込んでいた。あの様子では、呼吸をするのもやっとの状態だろう。回復魔法が必要だ。最も、この場にあれを治せる聖職者は居ないように見えるけれど。

 傷付いた師匠の盾になって、襲い掛かる魔物の猛攻から師匠を護っている小さな魔物が、後ろを振り返った。


「…………ご主人…………!! レッドウール、てめえ…………!!」


 スケゾー。

 お前、居ないと思ったら……こんな所に居たのか。

 スケゾーに睨まれて、先生は目を閉じた。力も使い果たしたようで、その場で体勢を崩し、眠るような声色で言った。


「マックランドからは、止められていた。絶対に話さないようにと……だが小僧。私は……連れて来ない事の方が、道理ではないように思えてならなかった」


 その言葉に、俺はグローブの締め具合を確認して、言った。


「センセ。…………サンキューな」


 魔力の高まりを確認する。動かない両手の感覚を、もう一度確かめる――……鈍い痛みが走った。今の状態でこれなら、戦い終わる頃には肩まで浸食しているかもしれないな。

 師匠は自分で、自分自身に回復魔法を掛けながら。……既に視線はどこか遠くを向いていて、ひゅうひゅうと浅い呼吸をしている。口から涎が垂れっ放しになっている所を見ると、このまま放置すればそう長くはもたないだろう。

 力任せに、右の拳で左の手の平を叩いた。


「最高の判断だ」


 俺は出来る限りの殺気を、黒いローブの男に向けた。男は俺の殺気など、あまり気にしていないように見えたけれど。


「初めまして、になるのかな。……それとも、『久しぶり』と言った方が良いかい?」


 男は微笑みの中に若干の嘲笑を混ぜて、俺にそんな事を言った。

 俺は男に合わせて笑みを浮かべたまま。少し俯いて、口を開いた。


「……なるほどな。……ずっと、気になってはいたんだ。俺は仲間以外の誰にも、俺が向かう場所を話していないのに――……どうしてこんなにも都合よく、俺の目の前に現れる事が出来るんだろう、ってな」


 腹の底からせり上がる怒りを、抑え切る事ができない。

 ずっと俺は、欺かれていた。善人の顔をして俺の近くに寄って来て、あたかも仲間であるかのように振る舞った。俺と付かず離れずの距離を保ちながらも、腹の底ではいつ俺をどうやって殺すべきか、算段を立てていた、というわけだ。

 ――随分、大した男じゃないか。


「どうして、俺が居ないタイミングを見計らって、リーシュやヴィティアを攫う事ができたのか、ってな。どうしてセントラル・シティが最も手薄になる時を狙って、東門に魔物を集められたのか、ってな……!! 当たり前だよなあ……!! そいつは、セントラル・シティでは絶対の権力を持つ、『ギルド・キングデーモン』だったんだからな!!」


 若返りの魔法。

 俺は、すぐ近くで見ていた。リーシュの婆さんが使っていたし、実は師匠も使っている。限られた一部の人間しか知らず、魔法もひどく難しいものだが、確かにその技術はある。

 ずっと、見ていたのに。俺は、その魔法を知っていたのに。


『そうか、知っているなら話が早いな。正直言うと、私達は――……『魔王』の存在を疑っている』


 ――どうして、その可能性を考えなかった。

 なるほど。……確かに奴は年老いた顔をしているが。よく見れば奴、そのままだ。声も少しばかり枯れ気味ではあったが、落ち着いたいかにも優し気な雰囲気はそのまま残っている。


『私はこれまで、魔物の強化について、魔王の存在を疑っていた。……だが今となっては、その可能性は薄いのでは、と考えるようになった――……もしも大量の魔物を従えるような力を抱えた人間が居るのだとすれば、これは間違いなく、人間の仕業であると』


 とんだ茶番だ。

 俺達がどのように考え、何を探して、どう追求していたのか。それを横でずっと眺めながら、こいつは腹の底では冷酷に笑い、情報収集をしていた、という訳だ。当たり前のように情報が入って来るポジションで、何の苦労もすることなく。

 ……正直、まるきり信頼していた。疑う理由はなかった。

 思わず、歯を食い縛った。


『本当に……!! 本当に、すまなかった!! 僕は、こんな事になると思って君を誘った訳じゃないんだ!!』


 あの時も。……あの時も。……あの時も。


『君は、認められるべきだ……!! どんな形であれ!! こんな所で、終わるような人間じゃない!!』


 あたかも味方であるような顔をして、ずっと俺を殺す算段をしていたんだな。

 場合によっては自分の味方さえ裏切って、安全な場所を確保して逃げるつもりだったんだな。

 全ての罪を、お前の右腕に着せて。

 お前は。


 人生、二十と数年。

 こんなに腹が立ったのは、初めてだ。



「笑ってんじゃ、ねえぞ…………!!」



 そいつは。

 クラン・ヴィ・エンシェントの『隣』で、ずっと見ていやがったんだ……!!




「ハースレッドオォォォォォォォォ――――――――――――――――!!」




 自分でも驚く位に激しく撃ち抜かれた声の弾丸は、真っ直ぐに黒いローブを着ているハースレッド目掛けて突き刺さった。

 顔は普段と比べると明らかにしわが目立つが、ハースレッドそのままだ。不気味な笑顔を携えて、激昂する俺から視線を離す事もしない。


「頭に血が昇ると、野蛮な猿のように叫ぶ癖は相変わらずだね。子供の頃から何も変わっていない――……叫んで何かが変わるのかな? 『零の魔導士』君」


 はらわたが煮えくり返る。

 幼い記憶からこれまでの出来事が、すべて繋がった。リーシュの過去の記憶にも登場した、もやの掛かった顔とも一致する。こいつが全ての元凶で、こいつが居たからこそ、キングデーモンはうまく行かなかった。

 クラン・ヴィ・エンシェントが、どれだけの苦労をしたか。表向きは協力する振りをして、実はクランが居なくなったタイミングを見計らって、セントラル・シティの東門に魔物を集めた。

 どうやって……? 決まっている。『シナプス』を使って、だろう。


「スケゾー!! 来い!!」


 良いながら、魔物の群れに向かって突っ込んだ。師匠の前で防御に徹していたスケゾーは振り返り、一瞬で俺と魔力を共有する。俺の移動速度は跳ね上がり、師匠の身体を抱えて、一直線に後方へと跳躍する。

 先生の隣に、師匠を逃がした。優しく降ろすと、目を閉じていた先生が薄っすらと目を開く。


 …………っぐ…………!!


 たったそれだけで、全身が軋むように痛んだ。骨の奥から、ズキズキと刺すような痛みが襲って来る。全身から止めどなく汗が吹き出した……俺はどうにか、師匠と先生を護るように、前に立った。

 そうして、両手を広げる。肩に、スケゾーを乗せて。


「どうした? 今日は、随分と動きのキレが悪いみたいじゃないか。調子が悪いのかな? それとも……何かがあったのかな?」


 知っている癖に、ハースレッドは落ち着いた笑みで、そんな事を俺に言う。

 ――――分かってんだよ。こんな状態じゃ、奇跡でも起きない限り逆転は有り得ないって。

 だけどな。そんな事で、大切な人を諦められるか。戦えないから仕方なかった、なんて、後で嘆いてたまるか。

 もう、涙なんて流すだけ流した。

 もう、苦痛なんて受けられるだけ全て受けた。

 困難っていうのは、まるで雪崩のように、重ねて起きるから『困難』なんだ。

 俺は、その事を知っている。

 俺は壊れた拳を振り被り、両の拳を強く突き合わせた。


「今のうちに笑っておけよ、ハースレッド……!! 今に、笑えなくなるからよ……!!」


 あまりに強く食い縛った歯から、血が流れ落ちた。

 ……頼む。

 奇跡でもなんでもいい。

 俺に、力をくれ。

 そう思いながら、ハースレッドを指さし、俺は叫んだ。



「てめえの顎の骨が折れてな…………!!」



 ハースレッドが余裕の笑みで、俺に何かを言い掛けた時だった。

 ――不意に、俺の前に現れ、俺の前で武器を構える人間がいた。

 突然の事で、俺は少しばかり驚いて、構えた拳の力を緩めた。まるでそれが当然のように武器を構え、横一列に並んで、俺の代わりに魔力を高めた。


「グレン様。……下がってください。私が戦います」

「大丈夫!! きっと抜け道があるはずさ……!!」

「ま、魔法陣さえ解除すれば、助けが来るのよね!?」


 リーシュと、トムディと、ヴィティア。

 俺は思わず、苦笑した。


「……少し、相手をしてあげなさい」


 ハースレッドがそう言うと、黒い翼の人間が氷の剣を両手に構え、前に出た。

 それが、戦いの合図になった。

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