第213話 いい。このままでいい

 俺は、大きな岩の上でぼんやりとリーシュを眺めながら、考えていた。リーシュは鼻歌を歌いながら、枝の上に登って果実を採集している。

 ……とても楽しそうだ。初めてここに来た時より、確実に状況は良くなっていると言える。


「グレン様、見てください!! この果物、こんなに大きいですよっ!!」


 嬉しそうにそう言うリーシュに俺は苦笑して、軽く手を挙げて反応した。

 確かに、確実に良い方向には向かっているだろう。……でも俺は、どうしても昨夜の夢が気になってしまっていた。

 ……あれは本当に、リーシュの過去だったのだろうか。ただの想像で、あんなにもリアルな夢が見られるものなんだろうか……分からない。

 もしも本当にリーシュの記憶だったとするなら、とんでもない事だ。リーシュ自身も思い出せていない事を、俺は偶然にも見てしまったという事になる……うーむ。


「……グレン様?」


 気が付けば、俺が見ていた枝の上にリーシュは居なかった。

 ふと視界の端から現れ、覗き込むようにして俺の事を見詰めていた。


「おおっ……!?」

「大丈夫ですか? ……朝からなんだか、ぼーっとされていますよね」

「おおっ、……何でもないぞ、うん」


 急に近くに寄られると、どうしても意識してしまう。

 相変わらず動悸は激しいし、何やら首から上が熱くなって来るしで、まるで安定しない。……一体どうしてしまったんだ、俺よ。

 妙に距離の近いリーシュから離れるように、俺は座ったまま腰を上げて移動した。


「……………………」


 なんだ?

 リーシュは両手をついて、妙に色っぽい体勢のままで――……俺を、どこか呆けたような表情で見詰めている。


「……リーシュ?」

「ああっ!! ……い、いえっ!! なんでもないです!!」


 なるほど、なるほど。

 どうやら病気なのは、お互い様という事らしい。

 二人しか居ないという事実が相まって、妙な気恥ずかしさがあった。お互いを受け入れたが故の羞恥心というのか、どうにも。今朝からリーシュは不意に顔を赤くしたり、取り繕ったり恥じらったり笑ったりと、大忙しだ。

 まあ、俺も似たようなものなんだろうけど。リーシュと違って、俺がやっても可愛さはまるで無いけどな。土偶が踊ってるだけと表現するのが適切か、まあそんな感じだ。

 一息ついて、リーシュは軽く咳払いをした後、俺のところに戻って来る。ちょこんと、可愛らしく隣に座った。

 ……暫くの間、沈黙が訪れた。

 なるほど。どうやらスケゾーが居ないとこうなるらしい。スケゾーよ……本当にうざがったりして申し訳なかった。お前の活躍は偉大だったよ。

 それにしても、スケゾーはどこに行ったんだろうか。そりゃあ、師匠に付いて行ったんだろうが……目的がよく分からない。あまりに距離が遠すぎるからか、スケゾーの心に語り掛けても返事は返って来ないし、謎だ。


「あ、あの……グレン様っ!!」

「おう!?」


 唐突に啖呵を切られて、驚く俺。リーシュは随分と切羽詰まったような様子で、俺を睨み付けた。……かわいい。


「……そろそろ、セントラル大陸に戻りませんか」


 そう言われて、俺は思わず真顔になってしまった。

 リーシュは真剣に、顔を茹蛸みたいに沸騰させながら、そう言う。悪い話ではないと分かって、俺は安心だったけれども。


「戻ろうか?」


 そもそもこの場所に来た最も大きな目的は、俺とリーシュが癒されることだ。

 長い長い試練に耐えてぼろぼろになってしまった身体を、ゆっくりと回復させるため。

 今、俺達は心の底から繋がっていると言う事ができる。リーシュも間違いなくそう思ってくれているはずで、だから俺達は、お互いがお互いの心の支えとなっていて、それで安定している。

 手を、繋いだ。だからもう、何も怖くない。

 セントラル大陸に戻る事だって、今ならもう……なんともないだろうと思う。


「あの、セントラル・シティではなくて……セントラル・シティはセントラル大陸の東の方にありますから、そうではなくて……西の方に、行きませんか」


 西か。……どの街に居るのかは分からないが、そこにはキャメロンとミューがいる。

 確かに、セントラル・シティで冒険者をやる事にこだわらないのなら、住む場所なんかどこだって良い。もう今の段階で、俺は戦えない……そんな選択も有りだろう、とは思う。

 実際、俺もどうするか決めかねていたんだ。


「西か。……行った事は無いけど、治安の良い街もいくつかあるって聞いたな」

「それで、その……色々な街をまわって、落ち着ける場所が決まったら……家を、買いませんか」


 急にリーシュがそんな事を言うので、俺は思わず目を丸くしてしまった。


「家を?」


 リーシュは固く目を瞑って、叫ぶように言った。


「私と……け、結婚してくださいませんか!!」


 えっ。

 もう、あまりにも唐突に、リーシュがそんな事を言い出すもので……俺としては、なんだかもう、何がなんだか。


「ええっ」


 そんな風に呟く事位しか、出来なかった。


「グレン様は、両手が使えませんので……私、頑張って働きます。冒険者でなくても良いのなら、なんでも仕事はあると思いますし……グレン様も……その、頭がいいので、たぶん自宅仕事とか、向いていると思うんです」

「……は、はい」


 やめてくれそんなに赤い顔でそんな事言うのやめてくれ……!!

 恥ずかしさに拍車がかかったと言うのか、もう叫んで逃げ出したくなるくらいムズムズする。どうしよう。いやまあ嬉しいは嬉しいんだけど、まさかリーシュがこんな事を言い出すなんて。

 知らなかった。人間あまりに恥ずかしすぎると、むしろ逃げ出したくなるものなのか。


「だ、だめでしょうか!! ご、ご飯も作りますよ!? それから、えっと……もう、夜中に一人でベッドの上でもぞもぞしなくても大丈夫になりますよ!?」

「オアアァァァァ――――――――ッ!? おま!! ちょっと!!」


 ちょっと待って!! 何見てんのお前!? 今このタイミングでそんなカミングアウトすんのやめてくんない!?

 見られてたのかよオォォォォ!!


「毎日だって頑張りますし、私、グレン様が望むのなら十人だって二十人だって子供」

「ストオォォォォ――――ップ!! もうやめて!? これ以上、俺のハートに傷を付けないで!?」

「だ、だって……!!」


 なんでこう、こいつは真面目な顔してこんな事が言えるんだよ……!! 化け物か……!!

 リーシュは至って真剣な様子だ。いや、なんか……妙に既視感のある光景だぞ。……そうだ。このパターン、サウス・ノーブルヴィレッジで俺の仲間になるために、リーシュが取った行動と一緒なんだ。

 うわあ、懐かしい。……いや、現実逃避はやめよう。


「わかったよ。……結婚、しようか」


 そう言うと、リーシュはまた例の、とろけるような笑顔を見せた。


「……………………えへへ」


 そのうちチョコレートみたいになるんじゃないか、もう。

 でも、確かにそうだな。冷静に考えてみれば、セントラル・シティで無理をして冒険者を続けるよりも、余程安定して暮らせるかもしれない。セントラル・シティと比べると随分田舎だから、物価も安いし。もう日々、血眼になって金を稼がなくても良くなる。

 畑も作れるだろうし、自給自足だってできるだろう。

 ……悪くない。


「それじゃあ、まあ……先生と師匠が戻って来たら、話してみようか」

「はいっ……!!」


 嬉しそうな顔しちゃって、まあ……。

 その反応は、素直に嬉しい。こんなにも本気で自分が必要とされた事は無いので、どうも新鮮な気分だ。


 ……おっと。


 向こう側で、少し大きな物音がした。噂をすれば、先生が目を覚ましたんだろう。今日は朝から眠っているようで、何度話し掛けても返事をしなかった。俺は親指で音のした方を指さして、リーシュを見た。リーシュもまた、満面の笑みで頷いた。

 先生ことレッドウールに事情を説明して、セントラル大陸に戻ろう。師匠にも行先を説明すれば、きっと分かって貰えるはずだ。

 枝を潜って、先へと進む。龍の巣は相変わらず樹海のようで、視界は悪いが木漏れ日が美しい。

 この場所ともお別れになるんだ。暫く歩くと、やがて枝葉の向こう側に、真っ赤な体表が見えた――……。


「ども、センセ。これまた、随分と遅い朝っすね」


 軽く手を挙げて、俺は先生に挨拶した。先生はふと俺を鋭い龍の瞳で見詰めて、荒々しい声で言った。



「小僧!! すぐに準備をしろ!! マックランドがやられた……!!」



 俺は、手を挙げたままの状態で……固まった。


「場所はセントラル・シティの北だ!! マックランドには絶対に言うなと言われていたが、戦況は絶望的だ……東門で、様々な種族が人間を襲っていたそうだな……!! あの状況と同じ事が起こっている!! 黒い翼の人間もいる!!」


 先生は疲れ果てたような様子で、そう言った。一目見て分かる程に、魔力が減少している……戦っていたのだろうか。

 ……朝から眠っていると思っていたのは、そうではなくて。……先生は、師匠に召喚されていた……のか。


「今度はどうやら、本当の黒幕もいるようだ……!! 連中は、セントラル・シティを占領するつもりだ……!!」


 俺の思考は、止まった。


「急げ!! 戦闘準備をしろ!! マックランドと私の間に通じている契約を使って、お前を本体ごとセントラル・シティに転移させる!!」


 これまで、マグマドラゴンである先生が取り乱した事など、ただの一度もなかった。どんな敵が相手でも先生は余裕で、戦闘にすらならない事も多々あった。

 それ程に、周囲の人間や魔物と、龍――……先生の間には、戦闘能力に大きな開きがあった。



「マックランドを、救ってやってくれ……!!」



 瞬間。

 俺は、天地が引っくり返るような衝撃を受けた。


 遂に、連中が本当の意味で動き出したのか。これまで連中の邪魔をする俺をどうにか排除しようと必死になっていた奴等が、姿を隠す事を止め、本当の意味で俺達に襲い掛かって来た。……そういう事なのか。

『俺達』というのは、俺やリーシュや、それを取り巻く皆じゃない……『セントラル大陸に生きる、人間すべて』に。

 そうだとすれば――……もう、悠長な事は言っていられない。俺達は全力で、クランや他のギルドとも連携して行かなければならない。それがセントラル東門で起きたような、酷い状況になると想定されるのであれば。


「…………師匠を…………?」


 でも。


「そうだ!! 動け、急げ!! 時間がない!!」


 師匠を、救う。

 セントラル・シティの東門で起きた出来事と同じように? ……俺が最前線で、連中と戦うって?


「……は、……はは……」


 引き攣ったような笑みを浮かべて、俺は……その場に、固まってしまった。

 師匠を助けなければならない。それは、分かった。



 ……………………でも、どうやって?



 だって、そうだろ。

 俺は、両手が使えないんだぜ。

 スケゾーと魔力を共有する事もできない。

 戦えないんだ。

 見ろよ、この両手を。見るのも嫌になる程グロテスクで、感覚すらない俺の両手を。

 こんな状態で、一体俺はどうすりゃいい。

 無理だろ。

 ……無理だ。


『グレン様、好きです』


 もう、このままで良いと、そう思っていた。誰の目にも入らず、誰にも攻撃されない場所にいたい。

 そうだろ。

 別に、このままここに居たって、誰も困りはしない。それなら俺はもう、セントラル・シティに戻る必要も、留まる必要もない。

 無理して戦う必要はないんだ。

 だって、戦ったって無駄死にするだけだ。

 ちょっと前までは、俺が死んだ所で、誰も困る事はなかった。だから俺はある意味安心して、身体を犠牲にしてでも皆を護るように動けた。

 ……今は、違う。

 俺が死んだら、リーシュが悲しむ。

 悲しむんだ。

 どうしようもなく、俺は背中のリーシュを見た。

 リーシュは絶句して、俺と同じように何も言えなくなって、ただ……俺を、見ていた。


『私と……け、結婚してくださいませんか!!』


 ああ……………………無理だ。


 無理だろ。戦闘なんて、もう……俺に師匠を救うのなんて、無理だ。見れば分かる。

 誰だって言うさ、『お前には無理だった』って……!!

 そうだろ!?

 誰か答えてくれ……!!

 俺の肩を叩いて苦笑して、『いや、無理はしなくていい』って……!! そう言ってくれよ……!!

 やっと通じ合えたんだ。虚しく空を切るだけだった俺の手を、握ってくれる人がいるんだ。……手放したくないんだ。

 そうだよ……!! どうせ無理だ、俺なんかが行ったところで……!!



 いい!!

 このままでいい……!!



「……………………ごめん」



 俺は、そう言った。

 身体は震えていた。固く握られた拳で、俺は不透明な何かを握り潰す想いだった。

 涙が出そうだった。俺は泣く代わりに、精一杯の笑顔を、向けた。



「リーシュ。……………………俺、行ってくるよ」



 俺がそう言うと、リーシュは気付いたようだった。

 俺と同じように、どうしようもなく泣きそうな顔をして、口元だけどうにか、微笑みを作っていた。


「私も、行きます」


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