第209話 事態の急変!
日差しが眩しい。
目を覚ました。起き上がると、何も変わり映えしない辺りの光景が目に入る。虫も魔物もいない、時折ドラゴンが近くを通るだけの場所。平和な場所だ。
呆けた頭で、辺りを見回した。枝葉の隙間に見えるのは、どこまでも広がる青空。その下は相変わらず分厚い雲に覆われていて、地上の様子を確認する事はできなかった。
……いつの間に、眠ってしまったのだろうか。頭を掻きながら、ぼんやりと思考は昨日の出来事に遡る。
そうだ。リーシュに告白されて、恋人同士になって、それから――……。
思わず口元を押さえて、俺は眉をひそめた。
……夢、じゃないよな。
ちらりと、隣を見やる。
「…………ん……」
リーシュが寝返りを打って、反対側に転がった。……一糸纏わぬ姿で。
間違いなく、夢ではない。そりゃそうだろう。人生で一度も経験した事のない、リアルな人肌の感触がまだ、全身に残っている。
残念ながら、感覚の無い両手には残っていなかったが……って、いやいや。そうじゃないだろ。
「やって、しまった」
そう。やってしまった。
まさか、ノーブルヴィレッジであれだけ村人全員に言われていた事が現実になってしまうとは。嫌だった訳では勿論ないけれども、ちょっと悔しいような奇妙な気分でもある。
良かったのか、これで……? 夜の間だったから、妙にムードが高まってしまっただけとか、そういう可能性もあるんじゃないのか……?
頭を抱える。気恥ずかしさと嬉しさと若干の怖さもあって、誰も居なければ俺はその場で悶絶していた事だろう。
リーシュが起きてしまうから、勿論実際にはそんな事はできない――……
「……リーシュ」
名前を呼んで、その頭を撫でた。すると、リーシュの表情が少しだけ和らいだようなものに変わった。
何の警戒もしていない。あまりにも無防備な状態に、思わず俺の顔もほころぶ。
相変わらず人形のようで、ぞっとする位に綺麗な肌だ。月明りの下では幻想的だったが、太陽の下ではむしろ現実的で、愛らしさを感じる。
それと同時に、頭の中ではもう一人の俺が、こんな事を言う。
――――――――もう、このままでも良いんじゃないか。
別に、このままここに居たって、誰も困りはしない。今は客扱いをしている龍も、気長に話せば打ち解ける事ができるかもしれない。ここに居れば誰にも脅かされないし、生きて行くために必要なものは全て揃っている。
良いんじゃないのか、このままでも。
地上に――セントラル・シティに戻ったって、辛いだけだ。俺は相変わらず『零の魔導士』のままで、リーシュは相変わらず『悪魔の子』のままで、その認識は変わらない。他の仲間は良いさ。別に、俺が居なくなったって困りはしないだろう。
そもそも、俺はもうスケゾーと魔力共有する事すらできるか怪しい。戦う駒として役に立たないのは目に見えていて。仮に戻ったとしても、皆の足を引っ張るのは間違いない。
そうさ。……誰も、困らない。
この場所に身を隠して。外の世界は危険だ。何より、リーシュがまた危険な目に遭うのは避けたい。俺が使い物にならないと知れたら……唯でさえ一度、リーシュを攫った連中だ。今度は護る事ができないのは確かなんだ。
『僕はまだ、ギルドを諦めようと思ってないから』
分かるだろ、グレンオード・バーンズキッド。冷静に考えてみろよ。一万セルなんて、もう夢のまた夢だ。母さんとの約束を守ろうと頑張って来たのはそうかもしれないけど、自分が死んだらお話にもなりゃしないんだぜ。
動かない両腕。使えない魔法。……ほら。一万セルに届く要素が、一体どこにあるって言うんだ?
無理だろもう、冒険者なんて。戦う事なんて。
『私、ずっとセントラルで待ってるからね!!』
リーシュの手を握った。
同時に俺は、心の中で叫んでいた。
良い。もう、このままで良い。この場所に居たい。誰の目にも入らず、誰にも非難されない場所にいたい。
当たり前だろう。心から大切だと思える人と、ようやく心を通じ合えたんだ。
もう、危険なのは――……
*
トムディ・ディーンは、ヴィティア・ルーズと路地裏に隠れて様子を見ていた。
「今に始まった事じゃない? ……どういう事だ?」
監視しているのは、先程発見したマックランド・マクレランと、スケゾー。どういう訳かグレンオードの姿はそこにはなく、スケゾーは単身でマックランドと行動している様子だった。
グレンオードとスケゾーは一心同体。それを考えると、非常に奇妙な状態ではある。姿がばれないように、トムディは路地裏に捨てられた無数の粗大ごみに隠れて、聞き耳を立てた。
「最近と言っても少し前の話になるかもしれねえっスが――……セントラル・シティ周辺の魔物が強くなったっていうのは、ご存知っスかね?」
「いいや。私は長い間、セントラルを離れていたからな。……そんな話があるのか」
「オイラがご主人と山に暮らしていた時から、もう様子は変わり始めていたんスよね。リーシュさんがうちのご主人の所に助けを求めに現れて、山を下りた時に魔物と戦ったんスよ。そうしたら、この魔物が妙に強くて……知恵を付けたと言うのか、なんだかそんな感じでしたね」
「知恵を付けた。……力が強くなった訳じゃないのか」
「そうっスね、地力が変わったって感じはしなかったっスよ。どちらかと言うと、より狂暴的になった、って言うんスかね」
二人が話しているのは、恐らく一時期セントラル・シティで密かに噂になった、魔物の狂暴化についての話だろう。トムディも耳にした事がある……しかし、原因は分からなかった。街に攻め入るような事は無かったので、今の所大きな事件にはならずにいる。
途中から聞いているので、まだ話の繋がりが見えない。
「つまりセントラル東門に魔物が攻め入ったのは、恐らくずっと前から仕組まれていた事なのだろうと」
「少なくとも、オイラはそう思ってますよ。人間にとって得体の知れない魔王の存在説より、余程現実的じゃないっスか」
その言葉に、トムディは目を見開いた。
……確かに、セントラル・シティの東門に襲い掛かって来た魔物の量は尋常では無かった。普段は見ない狂暴な魔物が幾つも群れていたので、そちらばかりに目が行ってしまったが……言われてみれば、この辺りで見掛けるような魔物も混ざっていたような気がする。
あれは、セントラル大陸に存在する魔物を根こそぎ集めた結果だったのか。そうだとすれば――……場所と、タイミング。少し納得のいく話だ。
「確か、セントラル東門で戦闘があった時、治安保護隊員の数は減っていたな。どうも私は、キングデーモンの対応が怪しいように感じる」
マックランドが下顎に指を当てて、考え込む仕草を見せた。
「……ノックドゥでの一件、私は事前にキングデーモンから『リーシュが怪しい、警戒しろ』と伝えられていた。だから私も、リーシュ・クライヌばかりを見ていたのだが……事実、チェリィ・ノックドゥに毒を仕込んだのはリーシュではなかった。……こうなると、まるで連中は真犯人の不審な動きを隠すために、リーシュを疑え、と私に伝えたかのようだ」
「それだけじゃあ判断できねえっスけどね。本当に疑っていただけかもしれねーっスよ」
「いや、だが。スケゾー、聞いてくれ。チェリィに毒を仕込んだのは、リーシュではないという事が分かった。それなのに、グレンはギルドリーダーを降ろされた。……少し、変な状況だと思わないか。そこまでリーシュ・クライヌをノックドゥの人間が警戒したのは何故だと思う?」
ゴミ箱の上にいたスケゾーは、何かに気付いた様子だった。
「――事前に『リーシュは怪しい』という噂が、何者かの声によって伝えられていた?」
「その通りだ。リーシュの白い翼を見ているのは、セントラル東門に集まった連中だけだ。こんなに短時間でノックドゥの全域にまで噂が出回るのは少し不自然だと言わざるを得ない」
「……確かに、リーシュさんはこの場合、何もしてねえっスからね」
そうか。トムディは気付いていなかったが、グレンがギルドリーダーの就任式で壇上に上がる時、リーシュは何かに反応して白い翼を見せた。その時にノックドゥの民衆は確か、こんな反応をしていた。
『いや、違う!! あれは……ノックドゥに現れた、翼の生えた剣士と同じだっていう噂の……』
確かに、そうだ。
セントラルの東門で起きた出来事は、人々の目には印象的だったかもしれない。だが、それにしても噂が出回るのが早過ぎる。
冒険者の間ならば、まだ考えられるかもしれない。そうではなく、何の関係も持たない一般国民が殆ど全員、噂を聞いているなんて。
スケゾーが腕を組んで、俯いた。
「……………………クラン・ヴィ・エンシェント、っスか」
その言葉に、マックランドが首を横に振った。
「それは分からない。……だが、どうも何かが引っ掛かるな。この状況を冷静に眺めてみると、『得体の知れない、外部の犯行』――とは、どうも言い切れないような気もするんだ」
「確かに、はっきりとは言えねえ」
そこまで言うと、スケゾーは再び顔を上げて、マックランドを見た。
「でも連中はまた、ここに来る」
マックランドが眉をひそめて、スケゾーと視線を合わせる。
「今、ご主人は戦えねえ。セントラルの東門で黒い翼のヤツと戦った時、その強さを知ったっスよ……普通の人間じゃ到底無理だ。あれを相手にするには、それこそクラン・ヴィ・エンシェントか――……マックランド、おめー位の冒険者でなければ壁にもならねえでしょう」
「簡単に言ってくれる」
少し苦笑して、マックランドは腹を抱えた。
「もし来るとしたら、また大勢の魔物を連れて、だろう。敵はセントラル大陸の魔物か? それとも、魔界の魔物か? ――どちらの可能性もある。それらを含む数多の魔物を引き連れて現れる、黒い翼の生えた人間。対して、こちらは花も恥じらう純情乙女が一人と言うのか? 軍隊に軍用犬で挑むようなものだ」
スケゾーが青い顔をした。
「花も恥じらう純情乙女……」
「そこは突っ込まなくていい!!」
茶化されて頬を赤くしたマックランドが、溜息をついた。和んだ空気を再び引き締めてから、鋭い眼光をスケゾーに向ける。
隣ではヴィティアが、真剣な表情で二人の会話に聞き入っている。
「……そこまで言うからには、『またここに来る』という確信があるんだろうな?」
スケゾーは頷いた。
「連中は少しずつ、大掛かりな事に手を出すようになってきたと、オイラは見てる」
こんなにもスケゾーが長く喋る所を、トムディは見た事がなかった。
ずっと、考えていたのだろうか。グレンの肩の上で、全ての出来事に関わり、そして傍観しながら。特に口を挟まなかったのは、ただ冷静に状況を見守るためだったのだろうか。
「セントラル東門での出来事。そして、ノックドゥでの出来事。それらを総合して考えると――……きっと連中は、ノックドゥでチェリィさんを殺し、ご主人を始めとするギルド予定の連中を犯罪者として拘留するつもりだったんスよ。……でも、それは失敗した。それなら、次にどうするか?」
スケゾーは自身の頭蓋骨に向けて、指をさした。
「次はきっと、作戦に失敗したウシュク・ノックドゥを始末する事が先決でしょう。だから、少しだけ時間に余裕ができた――……でも、連中の本当の狙いは、ノックドゥのギルドリーダーを殺す事によってキングデーモンの人員がノックドゥに移動し、結果として薄くなったセントラル・シティの防衛を破るためっス。だから、ウシュクを殺し次第、必ずもう一度、この場所に戻って来る」
「……いつ?」
「間もなく」
マックランドはスケゾーに向かって、苦笑とも嘲笑とも取れるような笑みを浮かべた。わざとらしく溜息をついて、腕を組んで路地裏の壁にもたれる。
「……まったく、大した観察眼じゃないか。一体どういう心境の変化だい? ……私の記憶では、お前はそんなに頭が回る奴じゃなかったと思うんだがねえ」
その言葉にスケゾーもまた苦笑した。
「オイラも心外っスよ。ご主人と毎日チェスをやっていたのが、無駄に力を発揮してんスかねえ」
二人が話しているのは、本当の事だろうか。
もう一度、連中がこの場所に来る――――…………?
トムディは、恐怖を感じた。いつかは来るだろうと思っていたが――……スケゾーの予測が本当ならば、あまりにも早過ぎる。トムディは連中を出し抜いた気でいた。もう一度体制を立て直してから、動き始めるだろうと思っていた。
その判断は、甘かったのだろうか。
「スケゾー。お前は、グレンオードの心臓だ。……簡単に、単身で戦場へと足を踏み入れようとするんじゃないぞ」
「分かってるっスよ。だから呼んだんじゃないっスか、『師匠』」
小さく、スケゾーは呟いた。トムディは、やっとのことでどうにか言葉を聞き取る事ができた。
「でも、戦わなければならない時もある」
その時だった。
瞬間、轟音に思わずトムディは空を見上げた。大地の震動を感じる――……。音がするのは、北の方からだ。誰もが空を見上げ、辺りで悲鳴を上げる者もいた。
「マックランド!!」
スケゾーが叫んで、マックランドの肩に乗った。マックランドは親指を噛み切ると、素早く魔法陣を作り、そこから黒いドラゴンを出現させた。
「ああ、分かっている……!!
トムディはヴィティアを見ると、頷いた。
「僕達も行こう!!」
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