第206話 そばに、いてくれなんて

 スープの食材選びに少しばかり時間が掛かってしまったが、俺はどうにか、この場所で調理できるだけの材料を揃えてきた。

 持ち合わせの鍋と、焚火。植物が多い場所だけに火の扱いには少し慎重になってしまうが、ちゃんと場所を区切ってやれば、そう難しい話じゃない。

 俺は、リーシュの前にスープを差し出した。


「ほら、これで完成だ」


 俺が料理をするなんて、リーシュと出会ってからの冒険者生活で初めての事だ。リーシュは少しばかり目を丸くして、俺の試作品を見詰めていた。


「まあ、味は食材頼みだ。過度な期待はするなよ」

「あ、いえ……」


 そう言いながら、俺も地べたに座った。

 ……正直、まるで自信がない。

 料理ってこんなに難しいものだったんだな。焼いて喰うの延長線上にあるものだと思っていたが……それぞれの食材は美味しくても、少し混ぜ合わせると香りや味が変わって、全く想像通りに事が運ばなかった。

 スープしか作れない、なんて馬鹿にしてごめん。師匠。

 しかし、これでも当時の味が再現できるように努力したつもりだ。何度も味見をした。そう悪い事にはなっていないはず、だ。

 リーシュは皿を見詰めて、暫しの間フリーズしていた。


「変なもんは入ってないって。大丈夫、ちゃんと味も確認したよ」


 すっかり日は暮れて、月明りがぼんやりと辺りを照らしているだけだ。ここは暖かいから、こんな格好でも肌寒いという事がない。不思議なものだ。

 リーシュはスープを一口、含んだ。少し疲れたような顔で微笑むと、リーシュは言った。


「……おいしいです」

「そうか。そりゃ、良かった」


 その視線は、使い物にならなくなった俺の両腕に向けられる。

 骨が剥き出しになってしまって、代わりに人工物で覆われた俺の両手。見た目があまりに痛々しいので、この場所でも包帯は取らずにいるが――……どうやら、それが気になるようだ。

 やはり東門での出来事と、ノックドゥでの事件が後を引いているのだろう。リーシュは困ったような表情を見せて、俯いてしまった。

 その様子に、俺はつい――……過去の出来事を思い出していた。


「今、どんな事を考えてる?」


 抽象的な問い掛けだったが、リーシュにはきっと届くだろう。俺がそう聞くと、リーシュは答えた。


「……何もしていないのに、胸が苦しくなります」


 俺はじっと、リーシュの様子を見詰めた。


「忘れようとしても、思い出してしまうんです。……人の信頼を失うのって、怖い……ですね」


 自分の知らない範囲の人間が、寄ってたかって自分を非難すること。

 それには、想像を超えたダメージを受けるものだ。見ず知らずの相手に言われただけなのだから、気にしなければいい――……多くの人は大概、そう言う。でもそんな風に割り切れるのは、ある種、経験を積んだ人間だからだ。

 人目に触れる事に慣れている人間。例えば、キングデーモンのギルドリーダーを務めているクランや、ノックドゥ女王のエドラなんかがそうだ。彼等はきっと、どんな意見にも賛成と反対、両方の意見が出ることを、その肌で感じている。だから、突然に非難の嵐が来ても耐えられる。

 そうでない、俺達のような人間は……。頭では分かっていても、どうしても、押し潰されてしまいそうになる。

 その気持ちは、よく分かる。


「――――周りから……『お前が悪い』って言われ続けると、別にそうじゃなくても、とんでもなく自分が悪人になってしまったような気がして、罪の意識に圧し潰されてしまう事がある」


 リーシュが顔を上げて、俺を見た。どこか、真意を問うような瞳だった。

 俺はそんなリーシュには目を向けずに、少し過去の事を思い出しながら、リーシュに話した。


「そうだよな。……だって、誰もが自分の中に『常識』を持っているんだ。自分はそれが『常識』だと思っていても、他人にとってはそれがそうではない事もあって。多くの人から攻撃されると、自分自身の立ち位置を見失ってしまうもんだよな」

「……グレン様?」

「ああ、いや。……少し、昔を思い出しちゃってさ」


 まだ、俺が魔導士として若かった時のことだ。

 リーシュは、俺の言葉の続きを待っているようだった。薄っすらと光る月明りに照らされて、その表情は淡く霞んだ。それは少し神秘的なようでもあったし、消え入る前のような雰囲気もあって、どこか儚いようでもあった。

 一体どうすれば、過去を消すことができるだろう。

 そうやって、俺も考えてしまったことがある。


「セントラル・シティに、傭兵登録をして――……まだ、あの時は『冒険者』なんていう言葉もなかったな。その時に、パーティに誘われた事があるんだ」

「……グレン様が、ですか」


 何故か、俺の事を怪訝な瞳で見るリーシュ。……なんでだよ。確かに初めてお前が来た時は、俺は多少人間不信になっていたけどさ。

 どうして俺が山で隠居のような事をしていたのかと言えば、それにだってきちんと理由がある。ただなんとなく、『零の魔導士』なんて呼ばれて蔑まれる事はない。


「俺は、後方からの火力を期待されて、そのパーティに入ったんだ。メンバーは剣士と武闘家と……あと、聖職者が一人いたかな。前の二人よりは、少し関係が遠い雰囲気だったけど」

「……そうなんですか」

「それでさ、その連中が言うんだよ。『俺達はドラゴンを狩りに行きたいんだ』って。そういうミッションだったんだ……それがどれだけ大変な事か、ちゃんと理解して言っているんだろうな、と俺は思った」


 周囲にドラゴンが居ない事を確認して、俺は少し小声でそう言った。リーシュも辺りを見て、俺の方に身を寄せる。


「俺はその時、魔導士がパーティに入った時にどんな事を期待されているのか……そんな事をよく考えないで、パーティに入ったんだよ。そうしたら、当然ぶつかってさ。剣士と武闘家が前に出るのに、俺は最前衛で魔法をぶっ放すんだ。向こうからしたら、危なくて近寄れやしない」

「た、確かに、それはそうかもしれないですけど。グレン様は、そういう人で……」

「そうさ。でも、ダンジョンに入ってしまった後だったんだ。引き返すのもちょっと、ということで、そのまま俺達は先に進んだ」


 そう、先に進んだ。

 今思えば、その時に引き返すべきだったんだ。でも、連中は俺の戦力をかなり期待していた。そして、作戦もあった。……だから、引き返そうという事にはならなかった。


「最下層まで来て、俺達はドラゴンと戦う事になった。それがミッションの内容でもあったし、下がる事はできなかった――……でも、そいつと戦う頃には俺達はもう、随分と疲弊していた。相手が強かった事もあって、もう戦えるのは俺しか残っていなかったんだ」

「そ、それで……どうしたんですか?」

「俺は皆を護ろうと思って、精一杯戦ったよ。連中も、『俺達はここまでだ』って言って、下がった。俺はその時、運命を託されたんだと勘違いして、一生懸命戦った」


 リーシュは、俺に怪訝な眼差しを向けた。


「…………勘違い、って?」


 忌々しい記憶。消そうとしても、消すことができないもの。

 俺の過去。



「――――――――連中は俺の事を犠牲にして、ドラゴンを倒そうとしていたんだ」



 はっとして、リーシュが息を呑む音が聞こえた。

 俺は、自分の手元だけを見詰めていた。だからその時、リーシュがどんな表情をしていたのかは分からなかった。


「気付くべきだったんだ。前衛が下がったのは、まだ分かる。……でも、聖職者の娘は俺に、どういう訳か回復魔法を使ってくれなかったんだ。魔力切れには見えなかった――……だから俺は、ギリギリまで体力を削って、ドラゴンと刺し違える覚悟で戦った」


 リーシュは真剣な眼差しで……或いは、少し痛ましい表情で、俺を見た。


「自分の身を切らせて、カウンターを撃つつもりでドラゴンに突っ込んだ時――……剣士が前に出た。……休んでいた、もう戦えないと言っていた筈の剣士が、前に出た。俺が攻撃しようとしている、まさにその目の前に」


 今でも忘れられない。人の肉を、全力で殴る感覚。忌々しい人間じゃない……当時は、護ろうと思っていた大切な人間の、肉の感触。

 肉が裂けて、骨が軋んで、やがてそれが折れて、へこんでいく感触。


「俺も限界だった。その時攻撃しなければ、ドラゴンは俺に反撃して俺はやられ、残りのメンバーもあっさり殺されていただろうと思う。……意識が無くなる限界の所で、俺はその『剣士ごと』ドラゴンに攻撃を叩き込んで、そのまま――……ドラゴンを、倒した」


 どうして。どうして、飛び出して来たのか。

 その答えは、今も分からないままだ。


 ただ一つ言える事は、連中が俺に託した希望は、まやかしの希望だったこと。ダンジョンの奥に進もうという話になった時、連中は魔法が飛ばない俺の事を受け入れてくれたものだと思っていた。それが、そうではなかったということ。

 俺はちっとも、受け入れられてなんかいなかった。

 俺がやられた事を確信してから、全回復して飛び出して来た剣士の、あの顔を見れば分かった。


「結局、ドラゴンは予定通りに倒す事ができたんだよ。近場の街に迷惑を掛けている魔物が居なくなって、俺達は無事にミッションを達成した。……でも、その剣士も重症でさ。病院に運び込まれて、そこで言われたらしいんだ。『もう冒険者としてはやっていけない』ってさ」


 思い出しながら俺は、自分自身の腕を掴んで、力一杯に握り締めていた。感覚のない腕は、どれだけ握っても痛みを感じる事はなかった。

 けれど、俺の心は悲鳴を上げていた。話す事そのものが、俺の負担になっているようだった。


「その宣告を受けて、剣士が俺に言ったんだ――……なんて言ったと思う」


 リーシュは、何も言わなかった。……いや、言えなかった。


「『この疫病神』って、俺は言われた。『なんで俺達のパーティに入って来たんだ』って。土下座をさせられて、何度も頭を踏まれたよ」


 何度、逃げ出したくなったか。

 まるで、心の中に杭を打ち込まれているかのようだった。その場に動けない俺は、身体の痛みよりも、心の負荷の方が高くて。


「それが原因で、俺は魔法の飛ばない魔導士――……『零の魔導士』として、蔑まれるようになったんだ」


 思わず、頭を抱えた。

 本当は、誰にも話したくなかった。誰にも話さずにこれまで仲良くしていられたことに、感謝もしていた。

 でも、俺は話さなければならない。

 同じ悩みを抱えた人間。同じ――……『あまりもの』として。


「ずっと、引きずってる。……頭から離れないんだ。あの時、その剣士に言われた言葉がさ。……それから、ずっと、俺は『あまりもの』のままなんだ。誰も来ない山奥で魔導士をやっていたのは、それが原因だったりなんかして……」


 自分の話をすることに、必死になっていた。俺はふと顔を上げて、リーシュを見た。

 少し、リーシュの様子に驚いた。

 目を丸く見開いて、何の表情も見せていなかった。代わりに、その頬には――……涙が流れていた。

 共感したのだろうか。……苦しいのだろうか。……それとも、俺を蔑んだりなんかもするのか。

 でも、助けようと思うのであれば。

 今、誰からも助けて貰えずに、もがいて苦しんでいるリーシュを助けようと思うのであれば。……俺は、これを話そう。

 そうして、求めたいと思った。



「そばに、いてくれないか」



 リーシュが、下唇を噛んだ。

 知らず、俺は涙を流していた。

 言いたくない、忘れたくても忘れられない過去を話した事で、俺も心に余裕がなくなっていた。


「間違っていてもいい。不幸でもいいんだ。……でも、一人でいるのだけは、どうしても……もう、耐えられないんだ」


 誰でもいい訳じゃない。想いを理解してくれる人でなければ駄目だ。リーシュは俺の事を理解して、そばに居てくれた。これまでずっと何も聞かず、俺の母親を攻撃した事実があってもなお、俺と分かり合おうとしてくれた。

 今だから、思う。

 やっぱり俺は、サウス・ノーブルヴィレッジで声を掛けてくれた事が、本当は嬉しくてたまらなかった。



「リーシュに離れられたら、また俺は――――『あまりもの』に――――」



 その言葉は、最後まで紡がれる事はなかった。

 スープが引っ繰り返って、辺りに水溜まりを作った。視界は反転して、俺は仰向けに寝転がっていた。

 口元を覆っていたものが離れ、俺の頬に雫が垂れる。


「どうしてっ……!! そばにいてくれ、なんて、言うんですかっ……!!」


 どうしてだろうか。

 リーシュが、泣いている。

 少し怒ったような態度で、俺に言っていた。


「どうしてっ……!?」


 背後に月を構えて怒り顔を見せるリーシュを、どうしてだか俺は綺麗だと、そう思った。



「そばに、いてください……!!」



 リーシュがそう言って、俺の胸で泣いた。

 俺はその艶やかな銀色の髪の毛を撫でながら、起き上がり、リーシュを見た。


「……そばに、いるよ」


 俺達は、寄り添う。

 どこにも行けなくなった者同士、手を繋げば希望も見えるだろうか。

 今日より良い、明日のために。



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