第196話 私は敵ではありません

 マグマドラゴン。師匠の旧友であり、仲間であり、相棒でもあった深紅の龍。以前俺も呼び出した事のある、通称『先生』が今、俺とリーシュに向かって強烈な殺意を向けている。

 マグマドラゴンだけではない。……親のように育てて貰った、師匠にまで鋭い視線を向けられている。


 俺はリーシュの前に立ち、両手を広げていた。阿鼻叫喚に包まれるノックドゥの城前広場。ステージの上に立っているのは、俺、リーシュ、取り押さえられているウシュク、ウシュクを取り押さえている男、毒見役の男、倒れているチェリィ、チェリィの様子を見ている男、そして師匠。

 思考は一切、巡っていない。それどころか、緊張と不安で吐き気まで感じている。師匠は俺の後ろに居るリーシュを一瞥すると、目を閉じて、今度は俺に視線を向けた。


「グレンオード・バーンズキッド。そこをどけ」


 掛け値なしの、明らかな敵意。……冗談で言ってる訳じゃない。そんな事は、一目見ればすぐに分かる。

 俺は苦笑して、師匠にリーシュの無罪を主張しようとした。


「……おいおい。ししょ」

「黙れグレンオード。……リーシュ・クライヌはたった今、ノース・ノックドゥの国王殺害、または未遂の容疑が掛かっている。発言次第では、お前も共犯者とみなす」


 俺の言葉は、無残にも師匠に一喝された。

 ……嘘だろ。……こんなの、どうしろって言うんだよ。

 盾になっているつもりが、これではまるでリーシュを庇う事ができていない。俺の発言権は完全に失われ、師匠は再び、目を閉じた。


「リーシュ。……貴様に問おう。貴様は、セントラル・シティで三つ首を持つ、猫の魔物を連れ回していたそうだな。それは、何故だ?」


 まさかそんな事をこの場で聞かれるとは思っていなかったのか、俺の背中に居るリーシュが青い顔をして、師匠の言葉に返答した。


「えっ……?」

「何故だ、と聞いている。何か必要な理由があったのか?」


 リーシュが困っている。三つ首の、猫の魔物――タタマのことだ。あれは単にリーシュの後ろを付いて来てしまっただけで、リーシュに非は無い。

 背後では、ヴィティアが立ち上がっていた。キャメロンとミューも明らかに戸惑っている様子だ。ステージの上には来ていない。

 クランは――……呆気に取られている。

 俺はリーシュを庇うように、再びリーシュの姿を身体で隠した。


「それは、あのネコベロスって魔物が――」


 左肩に、激痛が走った。

 一瞬だった。師匠が右手の人差し指を俺に向け、光の魔法を放っていた。俺は唐突な出来事に防御もできず。左肩から、血が噴き出た。


「グレン様!!」


 リーシュが俺の二の腕を掴んで、狼狽する。俺は思わず膝をつき、師匠を見上げた。

 この魔法……よく知っている。師匠は遠距離魔法をそこまで得意としない代わりに、近距離から中遠距離までの攻撃魔法については他の追随を許さない程に完成されている。人差し指から放たれる、光の銃。

 マグマドラゴンもまた、俺を攻撃するために魔力を高めている。


「『発言次第では、共犯者とみなす』――――と、伝えた筈だが?」


 駄目だ。……本当に、俺には指一本出させない気だ。

 俺とリーシュの関係を知っているからこそ、だ。リーシュを疑っている師匠は、必ず俺がリーシュを庇うという事を予め想定している。そうした上で、俺に手を出させないように力で屈服させる気だ。

 そうやって、リーシュに尋問しようって言うのか。

 リーシュは師匠に怯えを見せながらも、少し震える声で言った。


「そ、それは……猫さんの魔物と、友達に……なった……から、で……」

「そうなのか? ……先日、セントラル・シティの東門付近に大量の魔物が出現するという事件があったのは、貴様も知っているな。……それは、貴様が仕組んだ事ではないのか?」

「ち、違いま――――ひっ……!!」


 リーシュの足下に、光の銃が放たれた。破裂音のような激しい音と共にステージに穴が空き、リーシュのすぐ近くで煙を上げた。

 びくん、と跳ねるようにリーシュは動いた。先程までは両手で伝わらないジェスチャーをしようともがいていたリーシュが、完全に硬直し、震える事しかできなくなった。


「もしも嘘を吐いた場合、発覚した時点で殺す。……覚えておけ」


 こんな、やり方は。

 これじゃあ、尋問と言うより脅迫じゃないか。


「次の質問だが。……その事件において、セントラル・シティの東門に現れた魔物の中に、貴様と同じように背中に翼を生やした人間が現れた。それは大層強い魔力を持っていたそうだが、何か貴様と関係があるのではないか?」

「あ、ありません!! 誓います!! 私とは何も関係がありません!!」


 師匠は唯でさえ鋭い視線を、更に細めて鋭くした。

 リーシュは蒼白になって、がたがたと震えていた。浅い呼吸の音が聞こえる。師匠に見詰められるだけで、今にも倒れてしまいそうだ。

 俺は、どうすればいい。


「では、たった今の就任式で、国王チェリィ・ノックドゥに毒を仕込む事ができる人間が居たとすれば、それは貴様だけだという認識なのだが――……それは、どう説明する?」

「わ……私は……私は、何もしていません!! 信じてください!!」


 目尻に涙を浮かべての、必死の返答。

 見ている事ができず、俺は地面に視線を落とした。

 師匠はそれきり沈黙を守り、ただリーシュの事を見ている様子だった。


「……んなこと、誰が信じるんだよ……!!」


 そう呟いたのは、その一連のやり取りを見ていた国民のうちの、一人だった。

 俺は、右手で目を覆った。


「どう考えたって、お前でしか有り得ないだろうが!!」

「そうだ!! リーシュ・クライヌを殺せ、マックランド!!」

「制裁だ!! 東門に魔物が押し寄せて来たのは、やっぱりあいつが原因だったんだ!!」


 次第に、国民の意志は一つにまとまっていく。

 もう、止める事はできない。


「ち、違います……!! あの、私は何も関係がありません!! 何もしていません!!」


 次々と、リーシュに向かって罵詈雑言が浴びせられる。リーシュはひっく、ひっくと嗚咽を繰り返しながら、必死で国民と師匠に訴えた――……。


「私は、何もしていません!!」


 聞いちゃ、いないんだ。

 国民にとっては、今この場で起きた事件の矛先を、誰に向けるか。それだけが、問題だ。そこに分かり易い攻撃対象が居れば、必ず怒りはそちらに向く。

 そこに分かり易い『悪』さえいれば。例え、それが冤罪でも構わない。

 そういうものだ。


「お、お願いです!! 信じて――」


 くそ。

 糞……!! 糞……!! 糞……!!

 俺が。俺さえしっかりとして、冷静に物事を見る事ができていれば。こんな事は、起こらなかった。

 物事を信じた時。成功を確信した時。いつもそこに、心の隙間が生まれる。

 分かってるだろ、油断するなって……!! もう大丈夫だと思った時こそ、そこに付け込まれる隙が生まれるんだって……!!


「信じてくださ……っ!!」


 石が飛んで来て、リーシュの額に当たった。リーシュは思わず額を押さえて、その場にうずくまった。

 次々と、ステージにモノが投げ入れられる。師匠は腕を組んで、その様子を傍観している――……リーシュは震え、或いは既に震えを通り越して痙攣し、涙を木製のステージに染み込ませていく。


 遂に目標が達成できると、思った。何年も、大人になってからでさえ辿り着けなかった母さんとの約束に、今度こそ辿り着く事ができると、俺は信じてしまった。

 それだけを信じて、周りの事が見えなくなってしまったんだ。

 国民の一人が、リーシュを指さして言った。


「そもそも、あいつ自身が魔物なんじゃないのか!?」


 どうして俺は、こうなんだ。

 自分の拙さが、吐き気を催す程に憎い。

 何回繰り返すんだ、俺は……!! こんなんじゃ……!!

 大切な人を……護れないだろうが……!!



「――――――――ま、魔物!? 魔物がいるんですか!?」



 俺は、硬直した。



「ど、どこにいるんですか……!? もしかして、そのために皆さん、武装していらっしゃったんですか!?」



 …………リーシュ?



「リーシュ・クライヌ。……問題は、貴様自身にあるんだが」

「えっ……もしかして、寄生虫ですか……!? そ、それは嫌ですね……!!」


 な……何……言ってんだ?

 あまりにも唐突な出来事に、俺は顔を上げて、真っ直ぐにリーシュを見てしまった。リーシュは額から血を流しながらも、目を丸くして、まるであっけらかんとした様子でいた。

 笑顔だった。

 それは、この状況ではあまりにも場違いで。この状況では、あまりにも気持ちの悪い光景だった。

 頭から血を流しながら、まるで自分には怒りの矛先が向いていないかのような態度で、笑うリーシュは。


「気を抜くな……!! これは、リーシュ・クライヌの作戦だ……!!」


 治安保護隊員の一人が、武器を構えてそう言った。俺は思わず、リーシュに声を掛けようとした。


「ご安心ください!! 私、助太刀しますよっ!!」


 声を掛けようとして、気付いた。

 リーシュの瞳が揺れている。……細い指先が、微かに震えている。

 まるで明るい口調でありながら、何故かその声に、鬼気迫るものを感じる。


「私がいれば、もう大往生ですから!!」



 不意に。



 俺は、思った。



 俺から見るリーシュ・クライヌは、いつも明るくて、日が昇るような笑顔を向けていて、誰にでもボケをかまして、どこか馬鹿っぽさが残る、田舎娘だった。


「グレン様の、お師匠様っ!! 私、戦えますよ!! 剣は……今は折れていて、使えないんですけど……それでも、動く事はできますよ!! 荷物持ちくらいにはなりますから……!!」


 もしかして、そうでは、無かったんじゃないのか。

 リーシュが不意に――……いや、『わざと』馬鹿な発言をしたり、あまりにも遠慮のないボケをかまして、周囲を白けさせたりするのは。それは単にリーシュが馬鹿だったからとか、天然だったからとか、そういう理由では無かったんじゃないのか。

 リーシュは自分の頭を小突いて、苦笑した。


「ごめんなさい。……私、ちょっと抜けている所があるんですけど。それでも、一生懸命、頑張りますから」


 そうやって、いつもどこか抜けたような態度を取っていれば。少なくとも自分が、周囲にとって脅威に感じられる事は無くなるだろう。

 あのリーシュなら、少なくとも危険ではない。そう思ってもらえる確率が、少しでも上がるのであれば。

 やるかもしれない。

 例え、リーシュ本人にその自覚は無くても。たった一度でも、自分が誰かに怯えられた経験があるのであれば。

 自然に、そう振る舞うようになる事だって、あるんじゃないのか。

 そうだ。リーシュの魔力は、人よりも圧倒的に高い。

 可能性は、ある。


「こっ……怖がらせて、しまいましたか……? よく見てください。私はただの田舎娘で、剣士なのにまともに剣も振れなくて……魔物じゃ、ないです。こんなにバカな魔物、いないですよ……!!」


 リーシュは、笑顔を作った。次第に身体の震えは激しくなって、立っているのもやっとの状態になって、声も揺れ始めた。

 本当はずっと、戦っていたんじゃないのか。自分は魔物なのかもしれない、この高い魔力の原因が分からない、って。スカイガーデンから戻ってからは、尚更自分の存在が不安だったんじゃないのか。


 そうだ。

 だってリーシュには、幼い頃の記憶さえ無いんだ。


 自分が何者であるのか、それを一番気にしているのは、当然のようにリーシュである筈だったんだ。

 リーシュは両手を広げて、笑った。


「私は、敵ではありません」


 瞳は涙に濡れていた。指先は凍えているかのように、震えが止まっていなかった。足元は覚束なくて、今にも転んでしまう寸前だった。



「私は、敵ではありません……!!」



 リーシュ。


 誰にも言えない不安を、一人で抱えていたんだな。それが、リーシュ・クライヌという人物の、本当の姿だったんだな。

 ごめん。

 気付いてやれなくて、ごめん。

 スカイガーデンの問題が解決して、リーシュも立ち直ったような気がしていたんだ。

 立ち直れる訳、ないのにな。

 リーシュが持つ、自分の過去に対する『恐怖』は、誰にも払拭できないから。

 俺は立ち上がり、暴動に真正面から立ち向かうリーシュに、正面から向かった。


「私は……!!」


 抱き締めて、その頭を抱えた。



「もう、いいよ。……リーシュ」



 瞬間、リーシュは今までせき止めていたものが溢れ出すかのように、涙をこぼした。

 俺も、胸が一杯になって、うまく言葉が繋がらなかった。


「ご、ごめんなさい、グレン様。……私が、……私のせいで……」

「お前のせいじゃない……!!」


 国民から、物は飛んで来ない。師匠からの攻撃もない。

 気付けば、俺の声も涙に濡れていた。


「お前のせいじゃないから……」


 リーシュは赤子のように、俺の胸で泣いた。俺はリーシュの頭を抱えて、まるで動く事が出来なくなっていた。


 もう、混乱は止められない。

 この状況に何か、神がかった一手を繰り出す人間さえ、居なければ――――…………。



「……チェリィ・ノックドゥは、助かるよ」



 沈黙に包まれる広場。ぽつりと、そんな事を呟いた男がいた。





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