第165話 絶対に諦めない……!

 ミューは、時間が止まったかのような錯覚を覚えた。

 キャメロンが、リーガルオンの顔に傷を付けた。リーガルオンは目を見開いて、攻撃したキャメロンを見ていた。一方、キャメロンは既に連撃体勢に入っており、着地するとリーガルオンに拳を向けた。

 その距離は、自然に離れていく事はない。

 リーガルオンの【野獣の咆哮】が、消えたのだ。


「うおおおおお!!」


 信じられない。

 ……まさか、本当に。


 腹に、二発。下顎に、痛烈な一撃が入った。キャメロンの勢いは止まらず、軸足に強烈な回転を加え、リーガルオンの腹を撃ち抜くように、脚を振り抜いた。

 リーガルオンが衝撃に耐えられず、吹っ飛ぶ。

 砂煙が舞った。


 キャメロンは動きを止めた。吹っ飛んだリーガルオンを見て、再び構えの姿勢に入る――……すっかり息は上がっていて、かなり苦しそうだ。……先程、【天駆ける乙女の小夜曲】という技を発動してから、急にキャメロンの体力が減ったように見えたのは、ミューの気のせいだったのだろうか。


 しかし、ミューは初めて見ていた。


【野獣の咆哮】を発動させたリーガルオンが距離を詰められ、殴られ、蹴られ、吹っ飛ぶ様を。


「ハァ……ハア……」


 キャメロンの息遣いだけが聞こえて来る。


 ……倒してしまったのだろうか。先程から、リーガルオンは煙の中に隠れたままだ。しかし、キャメロンも動きが鈍くなっているように感じられた。リーガルオンに追い打ちを掛けないのは、そういう事なのだろう。

 傷が酷い。元々、キャメロンの体質を考えれば、これ以上戦ってはいけない。

 不意にキャメロンが、ミューを見た。


「…………?」


 キャメロンは、ミューに微笑みを見せた。



「【野獣の成長グロウアップ・オブ・サバンナ】!!」



 急激に魔力が展開され、すぐにキャメロンはリーガルオンの方を見る。

 光で煙が霧散し、その向こう側にリーガルオンが現れる。黄金色に輝くリーガルオンの全身から魔力は発され、強烈な渦となった。

 暴風に、思わず髪を押さえる。


「な……何だ……!?」


 キャメロンがそう言って、拳を構える。ミューも思わず青くなってしまう程に、それは強大な力だった――……見た事が無かった。リーガルオンの戦術が破られる事についてもそうだったが、リーガルオンがこのような技を使う所を見るのは初めてだった。

 ただ、何か。とてつもなく恐ろしい何かが起ころうとしている事だけは、容易に分かる。

 ミューの身体が、本人の意思とは関係無く、震え出した。思わずミューは、自身の身体を抱いた。


「くっはは……くはははははっ……!!」


 何度も聞いた、笑い声が聞こえて来る。

 しかし、その禍々しさは――……今までに聞いたどの笑い声よりも強く、悪意に満ちていた。


「面白え面白え面白え面白え面白えじゃねえか!!」


 リーガルオンの身体が、僅かに大きくなった。皮膚は浅黒く変化し、まるで獅子の皮膚のように固く。筋肉は盛り上がり、キャメロンと肩を並べる……いや、それ以上に太くなる。リーガルオンが立っている場所を中心に地面は振動し、手の爪は伸び、靴は壊れた。

 まるで怪物のような姿に、リーガルオンは『変身』していた。

 もはや人のものとは思えない、鋭い目がキャメロンを見る。


「俺が、子供騙しみたいな魔法だけで権威を勝ち取っていると、そう思ったか?」


 リーガルオン・シバスネイヴァーは、強い。何もしなくとも、強いのだ。

 だが――……。この上、まだ本気では無かったと言うのか。

 その場に居た誰もが、そう思っただろう。最も、回復に徹しているチェリアと、身体が麻痺して動けないグレンオードが、どこまでその戦いを見ていたかは定かではない。

 しかし、ミューは改めて思った。そして、恐怖した。


 こんな男と、自分は肩を並べて歩いていたのだ。いつ殺されるとも限らない、人を殺す事になんの躊躇いも感じない男と。

 今まで生きて来られた事が、既に奇跡。だが、それも終わるのだろうか。

 この場に居る、全ての人々を巻き込んで――……。


「『王座』に座る人間の、格の違いを見せてやろう……!!」


 思わず、ミューは耳を塞いだ。

 リーガルオンの口から、およそ人間とは思えないような声が発された。

 たったそれだけで、周囲に居た誰もが固まった。次の瞬間、ミューの視界から、リーガルオンが消えていた。


 えっ……?


 ミューは、辺りを見回す。あらぬ場所で砂煙は上がり、轟音が響いた。

 先程までキャメロンが立っていた位置に――……リーガルオンが、立っている。


「キャメロン……!!」


 控えめにも、ミューは叫んだ。途中で声を止めたのは、リーガルオンがすぐにミューを見て、そのざらついた舌を見せたからだ。

 ミューは竦み上がった。その殺意が、ミューの方へと向いていた。キャメロンはどうしたのだろうか。ミューには、分からなかったが。

 リーガルオンは、嘲笑を浮かべた。


「今なら、もう一度だけ……俺の仲間として残るかどうか……選ばせてやろうか?」


 ミューは思わず、蒼白になった。

 目で追う事さえ、出来なかった。ミューには、まるでリーガルオンが消えたように見えた――……『王』を名乗るだけあり、驚異的な力を持っていた、リーガルオン・シバスネイヴァー。……だが、その本気は、更なる奥底にあった。

 この状況で、そんな事を問われるとは……思っていなかった。


「お前には、力がある。魔力が無いからこそ、見えるモンがある。俺はそう考えている――……いたよ。俺もよ、十年も隣に置いて来た子猫には、やっぱり愛着があんだよ。それがどんなに、我儘なクソ猫でもな」


 リーガルオンが歩いて来る。


「飼い猫に手を噛まれる事もある。俺ァ、そんな事で怒ったりしねえさ」


 だが、リーガルオンの瞳は殺意に満ちている。


「今、チャンスはこれきりだ。今言うなら、無かった事にしてやるぜ。『助けてください』ってな」


 それは、選択ではなく、強制。

 ミューは胸の前で指を組み、祈った。


「――――――――なあ?」


 神様――――…………。


 砂煙のあった位置から、何かの鈍い音がした。リーガルオンが振り返った時、既にキャメロンはそこに居た。

 反応出来なかったリーガルオンが、殴られる。ミューのすぐ近くに居たリーガルオンは吹き飛び、壁に激突した。

 キャメロンの頭から、血が出ている。それは、キャメロンの顔の半分近くを覆っていた。

 折角変身した衣装も、その殆どは破けてしまっている。


「余所見をするな」


 だが、立っている。

 キャメロンは肩で息をしながらも、リーガルオンに向けて口を開いた。


「お前の相手は、この俺だ……!!」


 どうして、そこまで。

 ミューは、一度はキャメロンに背を向けた。伸ばされた救いの手を、振り払ったのだ。今となっては、キャメロンがミューを助ける義理などもう、何処にもない。

 もう、あの孤児院は無くなった。

 二人は、『家族』では無いと言うのに。


「くっはは!! まだ生きてやがったか……!!」


 リーガルオンが、再びキャメロンへと向かう。それに向かって行くキャメロン――だが、不自然にもその身体は、何にも触れていないにも関わらず、弾き飛ばされた。

 リーガルオンの剣が振られた。吹っ飛んだキャメロンは追い打ちを受け、更に身体の傷を増やす。……まさか、この状況。現象は違うが、この魔法は。


「今度こそ、お前は俺に指一本触れられねえぜ」


 まさか、【野獣の咆哮】なのか。先程の雄叫びが、もしかして。


 リーガルオンは何度も、剣を振った。その度に魔力の波動――斬撃はキャメロンへと向かう。恐ろしい速度で放たれる斬撃を避け切れず、キャメロンは防戦一方になっていた。

 動き、撹乱し、リーガルオンに近付こうとした。……だが、その度に見えない魔力の防御が、キャメロンの身体を弾き飛ばす。今度は背後や横からも、近付く事が出来ない。


「どうした、武闘家。……いや、魔法少女だったか? くはは、笑わせる……!!」


 ……こんなものは、戦いではない。……拷問だ。

 もう、良い。元々、キャメロンはこの戦いに参加する必要すらない。ミューとリーガルオンが殺さなければならなかったのは、『零の魔導士』。グレンオード・バーンズキッド、ただ一人だったのだから。


「リー……!!」


 ミューは、リーガルオンを呼び止めようとした。


「俺の【天駆ける乙女の小夜曲】は、まだ終わりではないぞ……!!」


 だが、キャメロンの速度が、更に上がった。

 キャメロンは、あらぬ所に拳を突き立てる――……何を、しているのだろうか? リーガルオンは、遥か遠くに居る。


「ぬうおおおオオォォォ――――――――!!」


 殴る。殴る。殴る。しかし、その拳は確かに、何かに当たっている。リーガルオンの剣撃を受けながらも、キャメロンは一歩も引かない。

 ……そうか。この拳は、リーガルオンの防御膜を破るために。

 空間に、ひびが入った。


「【刺突】!! 【刺突】!! 【刺突】!! 【刺突】!! 【刺突】!!」


 キャメロンは、脚を振り抜いた。


「【飛弾脚】!!」


 空間が、割れた。

 キャメロンとリーガルオンの間を、硝子の欠片のようなものが落ちる。リーガルオンは余裕のまま。キャメロンは、歯を食い縛っていた。

 リーガルオンの剣は、キャメロンただ一人に定められている。


「それがどうした!! 【野獣の咆哮】は、幾らでも掛け直せる!!」


 そう言った瞬間、リーガルオンが気付いた。


 キャメロンの両手が、光っている。淡い茶の輝きを放つそれは、爆発的に広がり、そして凝縮された。両の拳を合わせ、腰の辺りで構えた。


 紅く光るキャメロンの目が、見開かれる。


「まじかる☆乙女ちっく☆神拳!! ――――――――奥義!!」


 リーガルオンの頬に、冷や汗が見えた。



「【飛翔拳ひしょうけん】!!」



 キャメロンの叫びが、虚空を切り裂く。

 突き出された拳から、魔力の拳が放たれた。それは驚異的な速度でリーガルオンに着弾し、そして爆発する。


 ミューは、信じられないものを見ていた。

 まさか――……『武闘家』が、『飛び道具』を。

 それも、リーガルオンの得意としている中距離で、それを上回る速度と威力で。

 放つなんて。


 砂煙が舞い、そして晴れて行く。キャメロンは膝をつき、視線を落とした。両手が痺れているのか、震えていた。

 奥義。……まさに、奥義だ。既に魔力も底を尽きたのか、キャメロンの強化された筋肉が元に戻って行く。……強化魔法は、継続的に魔力を消耗する。既に、戦う事は不可能だろう。


 だが、リーガルオンも、また――……。


 ……いや。



「…………流石に効いたぜ、今のは」



 驚愕して、キャメロンはリーガルオンを見ていた。

 口から血を流しながらも、リーガルオンは笑みを浮かべていた。リーガルオンの腹は、ひび割れているように見える。だが、その破片は地面に落ちると、溶けるかのように無くなった。


 瞬間、ミューは気付いた。

 リーガルオンは、【野獣の咆哮】で空気中に膜を張るのと同じように、身体も魔力の膜で覆っていたのだ。


 まるでそれが当然であるかのように、キャメロンの顔が、不自然に歪む。

 吹き飛び、壁に激突した。骨が折れる鈍い音がして、キャメロンはその場に崩れ落ちた。


「……これでもう、動けねえだろう」


 リーガルオンは、ミューを見た。

 ミューは、指一本動かす事が出来ずにいた。


 ……キャメロン・ブリッツは、負けた。それは、既にこの場が終わっている事を意味していた。

 全ては、終わったのだ。


「これが現実だ、ミュー・ムーイッシュ。弱い奴は、夢を叶えられねえ。いいか、強さこそが全てだ。ゴミクズと一緒に居ても、良いことはねえんだよ」


 リーガルオンは剣を、ミューに向けた。

 まさか、まだ、仲間に。

 この状況でまだ、抵抗するべきなのか。ミューは、そう悩んでいたが。


「……ま、これから死ぬ奴に何言っても無駄か」


 それがとんでもない思い違いだった事に、気付いた。

 リーガルオンに降伏するという、選択肢があるのかと――……一瞬でも考えた自分を、恥じた。ミューは視線を落とし、目を閉じた。


「俺も、とんでもねえゴミクズに目を付けちまったもんだ」


 恐らく、剣は構えられたのだろう。ミューは無心のまま、せめて起きた出来事を後悔しないようにと、固く目を瞑った。

 心の奥底では、謝罪を。


 ごめんなさい、キャメロン。折角助けに来てくれたのに、ごめんなさい。『ありがとう』のひとつも言えなくて、ごめんなさい。


 魔法少女を、馬鹿にしてしまって、ごめんなさい――――…………。



「……おい。……そこをどけ」



 ミューは、目を開いた。

 そこには――――――――。



「…………お兄ちゃん」



 両手を広げて、ミューの前に立っていた。


 全身血だらけになって、手首は折れているようだった。だが、それでもその男は、ミューの前に立っていた。


 意識があるのか、無いのか。それさえも分からないように見えた。リーガルオンに立ち向かっているにも関わらず、不自然に視線は落ちていて、立っているのもやっとのように見えた。


「どけっつってんのが、分かんねえのか……!!」


 リーガルオンが、直接キャメロンの肩に向けて、剣を振り下ろした。

 肉を切り裂き、キャメロンの骨に当たる。

 その剣を、キャメロンは握った。


「あァ…………!?」


 背中からキャメロンを見ているミューには、僅かな首の動きがあったとしか、分からなかった。

 だが、きっと。その視線が、リーガルオンを見た。

 浅い呼吸。震えている脚。もはや、肌色が見えている部分の方が少ない肌。


「『ヒーロー』は……何があっても……絶対に……倒れない……」


 ミューは、思い出した。


『ヒーローはいつも仲間の事を想っていて、どんな時も絶対に諦めないし、倒れないの。かっこいいでしょ?』


 過去に、自分が言った言葉だ。


「あ……」


 思わず、声が漏れた。その言葉に白けたのか、リーガルオンは剣を捨て、キャメロンの腹を殴った。


 だが、倒れない。


 リーガルオンの額に、青筋が浮かんだ。続けて、キャメロンの顔を、身体を、殴り続ける。既にキャメロンは防御する事も出来ずに、リーガルオンにされるがまま、殴られ続けていた。


 だが……、……倒れない。


「絶対に、諦めない……!!」


 涙が溢れた。

 血が飛ぶ。一方的に、リーガルオンはキャメロンを殴り続けていた。顔の形が変形し、歯が折れ、身体をくの字に折ることになっても、なお。


「やめて……」


 何度でも、キャメロンは踏み止まる。

 何度でも、その闘志をリーガルオンに向けた。その殺意を、全身で受け止めた。やがてリーガルオンは剣を構え、斬撃の波動をキャメロンの全身に浴びせた。

 だが、どういう訳か、骨が斬れない。


「もう、やめて……!!」


 流石のリーガルオンも、動揺を隠せないようだった。

 キャメロンは、倒れない。

 歯を食い縛り、そして、叫んだ。



「『ヒーロー』は!! 絶対に――――諦めない――――!!」



 そうして、遂に。

 キャメロンの身体から、力が抜けた。


「キャ……………………!!」


 ミューが叫ぼうとした、瞬間だった。


 キャメロンの身体が、支えられた。腕を掴んでキャメロンの動きを止め、背中から背負うようにして支えた。いつの間にか、静かにその男は現れ、言った。


「ごめんな。……ありがとう、キャメロン」


 その男は、肩に魔物を乗せ。


「チェリア、連続で悪い。……キャメロンの傷、治して貰えるか」


 ――――――――そんな。ミューの仕込んだ麻痺は、こんなに早くは抜けない筈だ。そのように、量を調節したのに。


 ミューが部屋の隅を見ると、汗塗れになったチェリアが、グレンオードにピースサインを送った。


「へへ……全然、大丈夫です……!!」


 まさか、こんなに早く。

 グレンオード・バーンズキッドを、回復させるなんて。


「……くはは……!! ゴミクズがゴミクズを背負ってやがる……!! はは、くははははは……!! まるでゴミの山じゃねえか!! てめえが出て来て、一体何が出来るって言うんだよ!!」


 グレンオードの魔力に、リーガルオンが顔色を変えた。

 部屋全体に行き渡る、夥しい量の魔力。禍々しい、殺意に満ちた眼光。肩に乗せた魔物と、同調する感情。


 ミューは、初めて見ていた。

 使い魔――……スケゾーを引き連れた、グレンオード・バーンズキッドの『本気』を。


「今のうちに笑っておけよ、リーガルオン。……今、笑えなくなるからよ」


 その男、『零の魔導士』は。リーガルオン・シバスネイヴァーを指差し、叫んだ。



「てめえの顎の骨が折れてな……!!」


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