第八章 気まぐれな(全てを知った)天使

第107話 あなたは優しいから

 小さな俺が、セントラル・シティで魔法を使った大道芸を観た、すぐ後のことだ。


『ねえ!! 魔法が使えれば、お金が稼げるようになるの!?』


 当時俺は、セントラル・シティで芸をやっていた団体の一人に、芸が終わってから、そう問い掛けていた。

 きっと団員の男は、驚いていただろうと思う。まだ年端も行かない小さな子供が、『魔法で金を稼ぐ』なんて言葉を口にするなんて思わなかったのだろう。

 だけど、団員の男は丁寧だった。芸に使った金属の棒を拭きながら、男は苦笑して答えた。


『実は、さ。俺達も、あんまり実入りの良い商売やってる訳じゃないんだ。魔法で金を稼ごうって言うなら、多分傭兵が一番近道じゃないかと思うけど』


 俺は、その言葉に希望を抱いた。

『魔法』という未知の存在に心を動かされ、すっかりその気になっていた。あれさえ満足に使えるようになれば、きっと世界は変わる筈だと――……そう、思った。もしかしたら、母親の足を治す手段だって見付かるかもしれない。今はまだ何も出来ない俺だけど、練習して努力すればきっと、母さんを助けられる存在になるんじゃないか。


 セントラル・シティの図書館で、母さんが戻って来るまで、『魔導書』と呼ばれる本を読んだ。魔法についての簡単な使い方と、その方法を覚えた――……図書館でもやってみようとしたが、うまく形にならない。図書館の机なんかではなくて、もっと練習できるスペースが必要だ。

 そうだ。そんな時のために、わざわざ遠い所に住んでいるんじゃないか。

 そうして俺は、家で魔法を練習する事に決めた。セントラル・シティで借りた本を手に、母さんの帰りを待った。家まで戻ると、いつもの乾いたパンだけの夕食が待っている。だけど、俺はもう悲しくなんてなかった。


 突破口が見付かったんだ。俺は、そう思っていた。



『母さん!! 俺さ、魔導士になって、傭兵をやろうと思うんだ!!』



 きっと、母さんだって喜んでくれるはずだ――――――――そう、思っていた。


『傭兵?』


 あれ。


 何だか、思っていた反応と違う。


 母さんは驚いていた。俺がそんな事を口にするとは予想していなかったからだと、そのように思う。そして、どこか悲しそうな顔を――……どうしてだろうか。俺には、まるで理由が分からなかった。

 傭兵は、金が稼げると聞いた。母さんも、もう俺を置いて、あくせく働かなくて済むのだ。これ以上の事は無いだろうと、そう思うのだが。

 そうか。母さんは、傭兵についてあまり知識が無いのかもしれない。


『…………魔導士? どうしたの? …………誰かに言われたの?』

『セントラルで、教えて貰ったんだ。傭兵になると、今よりずっと裕福になれるんだって!! 走れないと無理だって言うから、母さんはちょっと厳しいかもしれないけど…………俺がやるから、母さんは心配しなくて良いよ!!』


 俺はいつだって、母さんを安心させてやりたかった。

 もう、ぼろぼろになって働かなくても良いんだ。それを、どうにかして説明しようとしていた。気付けば手の動きは大振りになっていたが、俺は躊躇う事もなかった。

 母さんは少し涙ぐんで、俺の頭を優しく撫でた。


『…………ありがとう、グレン』


 そう、喜んで良いんだ。これからは、俺が家族の稼ぎ手になるんだ。

 俺は、希望に満ちていた。


『でも、傭兵は危険な仕事なのよ。…………あなたは優しいから、きっと無理よ』


 そう言って。

 母さんは優しく、俺の好意を咎めた。

 一瞬、母さんが何を言ったのか、俺には分からなかった。ただ優しい顔でそう話す母さんに、俺は驚いた。

 まさか、無理だと言われるなんて。


『…………えっ? だ、大丈夫だよ!! 今は無理かもしれないけど、頑張れば魔法だって使えるようになるから!!』


 子供心に、俺は焦った。


『大丈夫よ、私、頑張るから。…………お母さんは、グレンが危険な目に遭わない事の方が大事だな』


 どうして、認めてくれないんだ?

 母さんの態度は、俺にとってはかなり予想外だった。俺の代わりに、母さんはまだ『頑張る』と言う。…………何をどう頑張るって言うんだ? これだけ必死になって働いたって、家はこんなにも貧しいって言うのに。

 母さんの言う事は、おかしい。

 だって、このまま生きて行くのなんて、到底無理な話じゃないか。



 *



 夕飯の時間が終わると、俺は図書館から持ってきた魔導書を握り締めて、外に出た。少し冷たい風は頬を撫で、どこかいつもよりも月が大きく見えるような気がしていた。

 母さんは悲しそうな顔をして、苦笑した。その意味と理由が分からず、俺は首を傾げるばかりだった。

 母さんは、傭兵が危険な仕事だと言った。確かに、セントラル・シティで俺に魔法の存在を教えた男も、傭兵は魔物と戦う仕事なんだと言っていた。

 でも、魔物だって結局の所、使うのは魔法だ。なら俺が、魔物以上に魔法を使いこなせるようになれば、それで良い。それだけの話じゃないのか。


『…………そうだよ』


 俺は月明かりを頼りに、本を開いた。文字は読み難かったが、どうにか顔を近付けて本を読んだ。

 魔法はすごい。魔法さえあれば、きっと何だって出来るようになる。俺はすっかり、魔法に魅入られていた。


『魔力を大地から吸い上げて、身体の中で循環するイメージを持つこと…………』


 なんとなくではあったが、俺は魔法の使い方について、少し自信があった。使えないのに自信と言うのも、おかしな話ではあったが。

 使いこなせるようになるのではないかと、そう思っていたのだろう。そうでなければ、『魔物以上に魔法を使いこなせば済む話だ』なんて思わない。

 俺は魔導士の素質があるような気がしていたのだ。だって、セントラル・シティで芸を見せる団体に出会った時も、凄いとは思ったが、『自分には出来ない』とは一度も思わなかった。

 自分自身に流れる魔力の動きに、人よりも敏感だったのかもしれない。


『手のひらに、熱を…………集める…………!!』


 俺の目の前に、魔法は具現化する――――…………。

 一瞬の出来事だった。俺の手のひらの上に、炎の塊が一瞬にして現れた。俺の頭とちょうど同じ位の大きさで、激しく燃え盛る炎。

 炎なんて、焚き火の時にしか見たことは無かった。この世には、不思議な力があるものだ――……魔力を通じて、炎が燃える。


『やっ、やった…………!!』


 左手で、魔法を使っている右腕の手首を抑える。そうしなければ、小さな身体で制御する事は難しかった。

 だが、俺は歓喜に打ち震えていた。やっぱり、俺には魔法の素質があるのだと。本で読んだ内容には、無から有を生み出す為には、最低でも十年近い時間、修行に励まなければならないと書いてあった。修行が足りない内は、精々魔力を感じる程度の事しか出来ないものだと。

 だが、これはどうだ。俺は少し本を読んだだけで、こんなレベルの魔法を使う事が出来ている。これなら、魔物だって怖くはない。

 そう、俺はやったんだ。これで、母さんを助けられる。


『母さん!! ちょっと、外に出て!! 母さ――――――――』


 俺が興奮して振り返るのと、制御が緩んで右腕が暴走したのは、全くの同時だった。

 勢い良く俺の身体は、魔法を使っている右手を軸にして回転した。宙に浮いた足のせいで突っ張る事もできず、魔力の力に振り回され、視界は引っくり返った。


『わあっ――――!?』


 右腕が千切れてしまいそうだ。そう思った俺は、咄嗟に魔力の連結を緩めた。俺の右腕から炎の球は勢い良く発射され、俺は後方に吹っ飛んで、為す術もなく地べたを転がり、山小屋の外壁に背中から激突した。

 激しい衝撃と共に、目眩を覚える。…………だが、気を失う程の事ではない。後頭部を押さえ、俺はのたうち回った。


『ん――――!! ん――――!!』


 激痛に、身を捩らせた。暫くのたうち回っていると、俺はそれ所ではない現状に気が付いた。


『グレン!?』


 家の中から、声が聞こえる。

 何だ? 空気が熱い。ふと見れば、図書館で借りた本が、真夜中であるにも関わらず、オレンジ色の光に照らされている。その向こう側には、夜空に美しい輝きを放ち、熱を放出する赤い光の存在があった。

 俺は――――――――青褪めた。


『や、やばい…………!!』


 既にバケツで水を汲んで、等とは言っていられない程に、炎は大きくなっている。湖まで走るのは間に合わない。だが、ここに居たら家が燃えてしまう…………!!

 何故、あの小さな炎の球が、一瞬でこれ程までに燃え広がったのか。そんな事には気が付かない程に、俺は動揺していた。魔力によって生まれた炎の火力は、魔力に依存する。そんな事も分かっていない時代だった。

 咄嗟に俺が手を伸ばしたのは、先程まで見ていた魔導書だった。


『み、水…………!! 水の魔法は…………!!』


 慌ててページを捲るが、該当の箇所は出て来ない。順番に捲って読んでいたから、先に書かれている魔法の事は、まだよく分かっていなかった。

 どうしよう…………どうすれば…………!!


『グレン!!』


 家から、母さんが出て来る。動かない足でどうにか踏ん張って、山小屋の扉を開ける。

 何となく、見られる前に対処しなければならない気がしていた。俺は振り返り、母さんの顔を見て――――…………、そして。


『嘘…………グレンが…………?』


 母さんは、驚愕していた。俺の目の前に広がる炎。俺が魔導書を手にしているのを確認して、いつも歩く時に使用している杖を取り落とした。

 なんと弁解すれば良いのか。…………母さんに魔法の事を話したって、理解して貰えないだろう。俺は母さんが魔法を使う所を、一度も見ていなかった。

 母さんは魔法を使えない。そう、思っていたから。


『か、母さん…………!! これは…………!!』


 瞬間、母さんの両手が、水色に輝いた。


『…………【ブルーカーテン】』


 俺は、母さんが魔法の名前を口にするのを、生まれて初めて聞いた。

 綺麗な音だと思った。母さんの口から発されたそれは、魔力の引き金となって周囲に響き渡る。両手から放たれた魔力は燃え盛る炎の真上に向かって飛び、そこに魔力の雲を形成した。


 水の魔法だ。俺はまだ、見た事もない。母さんに使えたのか? …………そんな事を、考える余裕は無かった。

 激しい水が、炎に向かって降り注ぐ。俺の魔法はいとも容易く消え、森には再び、暗闇と静寂が広がる。

 俺はただ、呆然と――――その様子を見ていた。


『…………グレン』


 魔法を使い終えた母さんが、杖を持ち直し、俺の所に歩いて来る。その一瞬で、随分と疲弊していた。胸を抑え、今にも倒れてしまいそうな様子だった。

 俺は、母さんが杖を突いて俺の所に歩いて来る様を、ただ見守っていた。何が起こったのか分からず、理解が追い付いていなかった。

 母さんは、泣いていた。


『魔法を使うのは、やめて…………!!』


 俺は。


 母さんが涙を流して怒るのを、生まれて初めて、見ていた。


『魔法はね、危険なものなの!! あっという間に手を離れて、遠くにいる命を一瞬で奪うものなの!! そんなものを持っていたら、あなただって危なくなるのよ!?』


 肩を掴んでそう言う母さんに、俺は…………どこか、現実味を感じられなかった。

 いや、それは逆だったのかもしれない。普段、ただ俺に優しく苦笑する母さんの方が、どこか非現実的で。初めて、母さんが生きているような気がしたのかもしれない。

 小さな俺には、どちらなのか。全く、分からず。


『お父さんみたいに――――』


 母さんの言葉は、そこで止まった。

 魔法の影響なのかは分からなかったが、唐突に雨が降り出した。つい先程まで月が顔を出していたのに、瞬く間に激しくなり周囲に降り注ぐそれは、まるで母さんの涙に同調しているかのようだった。

 母さんは俺の胸に、顔を埋め――……俺の身体を、強く抱き寄せた。

 そうして、母さんは再び、俺に顔を見せる。



『…………急に怒って、ごめんね?』



 そこには、いつもと同じ。どこか空虚な、上の空な、空気のような苦笑があるだけだった。

 俺は、両手を握り締めた。


『でも、炎の魔法は、家が燃えたら困るから。…………練習するのは、別の場所にして欲しいわ。そうだ、回復魔法なんて良いんじゃないかしら? あなたは優しいから…………』


 母さんは、俺の事を信用していない。

 まだ、俺が小さな子供だからなのか。支えてやらないといけないと思っているからなのか。

 確かに、俺はまだ何も知らない。一人でセントラル・シティで生きて行ける訳でもない。…………でも、今だけだ。すぐに、何かの形で母さんを支えて行ける人間にならないといけない。

 優しい人間になれと、いつも言われてきた。他ならぬ、母さんにだ。…………なら俺は、母さんをどうにかして助けなければいけないんじゃないか。


『…………あなたは優しいから、きっと無理よ』


 もう、こんな笑顔は、止めさせなければ。

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