第106話 白馬の王子様
「おい…………っ!! ちょっと、やめてくれよ…………!! 一体どうしたって言うんだ!!」
俺は屈み、俺に向かって頭を下げている国王の肩を掴んだ。
俺に向かって土下座する、スカイガーデンの現・国王。例えこれが夜とはいえ、世間に知れたら大変な事になるだろう。そんな事を、わざわざしているんだ。何かがあるのは、分かっているが。
国王は頭を下げたままで、俺に言った。
「何も言わず、何も聞かず、リーシュ・クライヌを見付けたら、彼女を連れて、この場所を離れてくれないか」
何かあるとは、思っていたけれど。
「国王…………」
俺は言葉を失い、その場に膝を突いた。…………こんな事をするなんて、完全に予想外だ。土下座して欲しくて、俺はこの場所に来た訳じゃない…………だが、それ程に国王が必死だということだ。
リーシュの婆さんは、なんと言っていただろうか。
『リーシュはね、地上に捨てられていたんだよ。あんたが住んでいた、あの山にね。まだ、小さな赤子だった』
『事情は、私にも分からないよ。スカイガーデンの人々に聞いても、何も答えてはくれなかった――……ただ、気不味そうな顔をされたね。それがあって、私はリーシュを育てる事に決めたんだよ。本名も分からないままにね』
そうだ。確か、リーシュの婆さんはそう言っていた。
婆さんも、何かが起こっている事は理解していた。だけど、それが好ましくない事だと理解して、リーシュを育てる事に決めたんだ。…………『金眼の一族』の国王によく似た娘が、山に捨てられていた。そんな事があって事情を問い詰めても黙っているなんて、普通に考えて異常な事態だ。
リーシュとリベットが同一人物だとは思わなかった。――――けど、『家族』だったら?
有り得るかも…………しれない。
「後半は、譲歩してやっても良いっスよ。でも、前半は駄目っスね」
不意に、俺の肩からスケゾーが顔を出した。国王は顔を上げて、未だ見た事の無い魔物に目を見開く。
「…………君は?」
「オイラは、スケルトン・デビルの偉大なる末裔。そして、このグレンオードの使い魔っスよ。ご主人がなんと言おうが、オイラは全てを話すまで納得しねーですが」
スケゾーはそう言って、腕を組んだ。…………まあ、俺だってこんな事をされて、事情を聞かない訳にも行かない。だが…………。
リーシュの婆さんは、この件について黙秘する事に決めたんだ。それを俺が、勝手に壊してしまっても良いのか…………?
何が、リーシュの為になる?
「そうか…………。魔物の魔力を感じると思っていたけれど、君が…………」
国王はだらりと首を下げ、沈黙した。
…………気まずい。そんな事を考えながら、少しの時が経った。国王はやがて、ぽつり、ぽつりと、何かを呟き出した。
「クライヌさんは…………元気かい…………?」
「あ、ああ。変わらずに過ごしているよ」
あ、そうか。リーシュがクライヌなんだから、あの婆さんもクライヌなんだよな。
やっぱり、婆さんはこの国王の所まで、事情を聞きに行ったんじゃないか。そして、何も教えては貰えなかった。何も聞かなかったんだろう。婆さんはきっと、この『スカイガーデン』というデリケートな場所を、俺達よりもよく知っていたから。
「リーシュは、ここに来るのかい?」
「分からない。だけど…………現れる確率は高いと思ってる。今は、俺達もよく知らない連中に捕まっているんだ」
「捕まっている…………!?」
…………こうなりゃ、『予想』だとか『予感』だから話さない、なんて事はできない。仕方ないな。
「ああ。何を企んでいるのか、詳しい事は分からない。でも…………狙っているのは、『金眼の一族』だ。あんた達も危険な目に遭うことがある、かもしれない」
国王は立ち上がり、不安そうな眼差しで俺を見た。
「そ、そうなのか…………!? それは、いつ!?」
「止めてくれ、俺にだって分からないんだ。恐らくそうだろう、ってだけで…………いつ攻めてくるのか、人数がどれくらいかなんて、分からねえよ。もしかしたら、ここの人達なら簡単に倒せるかもしれないし、それも分からない」
俺は人差し指を国王に突き付けた。
「それより。…………あんたとリーシュは、どういう関係なんだ? もしかして、連中にリーシュが捕まった理由も関係してるんじゃないのか?」
国王は、俺と目を合わせようとはしなかった。俺に話すべきかどうなのか、悩んでいるようにも見えたが。
だが、俺は引かない。国王が何かを隠しているのは、もはや明確だ。リーシュを助けるために、その事情はどうにかして聞かなければならない。
国王は…………答えない。
ただ、時間だけが経過していた。他に物音はしない。どうやら、誰も起きてはいないみたいだな。こんな話を誰かに聞かれでもしたら、俺も国王もまずい。
やがて国王は一息付くと、立ち上がった。
「……………………私の、娘なんだ」
やはり、という思いと、ならどうして、という思いは頭の中を駆け巡ったが。
「リベットと彼女は、双子なんだ。リベットが姉で、彼女が妹…………でも、リベットと彼女の間には、決定的な違いがあった。『魔物の魔力を持っている』という、違いが」
「…………魔物の、魔力?」
「理由は分からない。でも、そうなってしまったんだ。私達の血とは違う何かが、紛れ込んでいた」
確かに、リーシュは他の人間と比べて、明らかに魔力が多い。あんなに不器用なのに、魔力を飛ばすだけで攻撃になっているんだ。それは、俺にも分かっている。
でも、それが魔物と通じるのかと言われると……俺には、判断が付かない。
「彼女が産まれた時、すぐに騒ぎになったんだ。スカイガーデンは、『穢れ』を最も嫌う種族によって構成されている……間違っても、『王族の娘が穢れている』なんて噂になってはならなかった。そうなれば私達は信用を失ってしまい、民衆はパニックを起こしてしまう」
俺は――――その告白に、眉根を寄せた。
「だから、地上に置いて行く事になった。…………彼女には、悪いと思っているよ。でも無事、クライヌさんに引き取られて。幸せにやってくれればと、そう思っていた」
幸せに、やってくれれば。
俺は、拳を握り締めた。
「…………だから、リーシュの婆さんがここに来ても、何も話さなかったってのか?」
リーシュはずっと、孤独だった。そんな事は、初めてリーシュに出会って村に連れて行かれたあの日から、一瞬でその状況を理解できるほど、明らかな出来事だった。
だから、ノーブルヴィレッジの連中は、リーシュに過保護になった。…………あれは、そういう理屈だ。バカをやっているのが天然なのかわざとなのか知らないが、明るく振る舞う事で、リーシュが救われればと思っていたに違いない。
村には若い人間が居ない。だから、リーシュには友達が居なかった。本当はずっと、疑問に思っていた筈なのに。
「そうなんだ。…………だから、彼女は絶対に、ここに来てはいけない」
「『彼女』って言うなよ」
俺は、国王の肩を掴んだ。
「頼むから、リーシュの事を『彼女』なんて言うなよ。あんたの娘だろ…………!!」
リーシュは、疑問に思っていた筈なんだ。
どうして、自分は一人なんだろうか、と。
「多分、リーシュは…………『自分は捨てられたんだ』って、思ったと思うぞ」
「理解しているよ」
「理解しているよ、じゃねえよ…………!! 一緒に暮らせる方法が何か、あったかもしれないだろうが…………!! それを探しもしないで、そんな事を――――」
「私達が『リーシュを捨てた』んじゃない。リーシュに、私達を『捨てさせた』んだ。…………それが、最善だと思った」
国王は、俺の目を見た。
「ここに居たら彼女は、殺されてしまうから」
爆発し掛けた感情は、喉の奥に引っ込んだ。
簡単な気持ちで、リーシュを手放した訳では無いと。…………そう、一目で分かる顔だった。他人が口を出してはいけない領域。リーシュを愛しているからこその、決断。
国王は、とても辛く、悲しそうな顔で、苦笑していた。
「それはあの日からずっと、変わらないんだ。勿論、私達が悪い…………それは、分かっているんだよ」
どうしようもなく、俺は――――国王から、目を背けた。
地上に、置いて来よう。その決断が、どれだけ重いものだったのか。俺には、分からない。一緒に居られない事と、リーシュが殺される事を天秤にかけた。…………そういう事だったのか。
人一倍魔力が高かった、リーシュが悪い訳じゃない。国王が悪い訳でもない。…………なら、誰が悪い。長老か。それとも、そんな反応をする国の連中か。
「グレン君。そんな顔を、しないでくれ」
違う。
悪いのは、『社会』だ。この国で、この『社会』で、リーシュは相容れない存在だった。存在することを、赦されなかった。たった、それだけだ。誰が悪い訳でもない。結局の所、リーシュもまた、俺とさして変わらない状況にあるんだ。
リーシュは、『村から出て来た、世間知らずの田舎娘』じゃない。
『余り物』だ。
社会に、必要とされなかった。俺達と同じ――――…………。
「でも、安心したよ。地上には、未だにあまり耐性が無くてね。君のような、優しそうな青年が味方に付いていて」
俺は何も、答えられなかった。
「どうか、リーシュを…………リーシュ・クライヌを、幸せにしてやって欲しい」
そう言って、国王は頭を下げた。
国王は一度も、リーシュの事を、本当の名前で呼ばなかった。…………いや。リーシュはきっと、名前すら付けて貰えなかったんだろう。それさえ、赦されなかったのだろう。
このスカイガーデンでは、それさえ、赦されなかったのだろう。
『自分自身と向き合う者に、困難は必ず付いて回る。その困難を前にした時、人は『何故こんなにも自分だけに理不尽な事が起こるのか』と思うものだ。だから人は、自分自身と向き合わない。そうすれば、生きるのが楽になるからだ。そうしてそこに、正義と悪が出来る』
『従って、我々は『正義』だ。…………この意味が分かるな?』
長老の言葉が、頭の中に蘇った。両の拳に、力が籠る。
――――ふざけるな。
何が、『正義』だ。自分達が危険な目に遭いたくないから。危険な目に、遭うかもしれないから。たったそれだけの理由で、リーシュは社会から捨てられたんだ。
人より魔力が高いから。…………そこに、違いなんてねえじゃねえか。地上とスカイガーデンの人間がやっている事は、まるで同じじゃねえか。
そんな、ことで。リーシュは、見捨てられたって言うのかよ…………!!
「…………事情は、分かった。…………善処する」
どうにか俺は、それだけを呟いて、国王に背を向けた。今この場で国王を責めたって、どうしようもない。問題は何も、解決しないんだ。
…………助けてやりたい。
リーシュ・クライヌに、居場所を与えてやりたい。
ただ漠然と、俺はそう思った。
*
部屋を出て、扉を閉めた。
俺は、憤慨していた。憤り、その怒りの矛先を見付けられず、ただ沸騰した頭をどこかで抑えようと努力しながら、灯りの一つも点いていない廊下を歩いた。
どうすれば良いんだ。ここに来れば、リーシュがこの場所に現れるんじゃないかと思っていたが。…………逆に、こんな所に来ちゃ駄目なんだ。事情を知ったリーシュが、どう思うか。そんな事は、俺にだって分かる。
早足で、廊下を歩く。放っておけば、俺は走り出してしまいそうだった。今直ぐに当てもなく何処かへ走って、何かを殴り付けたい。そんな衝動に駆られていた。
「ご主人、落ち着いてください。…………なんか、おかしくねえっスか」
「ああ、おかしいな。全部、おかしい。お笑い種だ。この場所は、頭のおかしい連中で構成されてんだよ」
「そうじゃなくて」
肩のスケゾーは、腕を組んで冷静に物事を考えている。
「どうして、人間の子供に、魔物の魔力が流れ込むんスかね」
俺は、立ち止まった。
「…………何だって?」
「この場所は、地上からの脅威を最も嫌う場所じゃねーですか。それなのに、魔物が介入して来るなんて。普通に考えて、おかしくねえっスか」
まあ、それは、確かに。変だとは思うが。
「何か、あったかもしれないだろ。何処かには、スカイガーデンの包囲網を破ってくる魔物だって、居るかもしれないじゃないか。魔物の目的なんて様々だろ。誰かに指示されりゃ、それくらい…………」
――――――――ちょっと待て。
「誰かに指示でもされねえなら、近付く価値ねーと思うんですよね。こんな場所」
そうか。元から魔力の高い魔物にとって、『金眼の一族』は興味の対象には成り得ない。『ゴールデンクリスタル』の価値は、『金眼の一族』よりも魔力の低い、地上の人間だからこそ発生するものだ。
スケゾーの言う通りだ。近付く意味がない。魔物にとって欲しいのは、人間としての何かだ。それなら、地上の人間を襲った方が遥かに楽だし、効率的だ。わざわざ天空に防御網を張っている連中なんて襲うものか。
指示された? …………誰に指示されたんだ。産まれた時の子供に魔力が混入したとするなら、それは母体…………王妃が襲われたからだ。わざわざ、最もガードが固いであろう王妃を狙う? 出来過ぎている。
「スケゾー、お前は…………リーシュが、計算の元に産まれた子供だって、そう言うのか…………?」
「そこまでは言ってねーですよ。ただ、『変だ』って言っただけっス」
冷汗が、頬を伝った。
待てよ。だとしたら…………どうなる。
「グレン様?」
咄嗟に、振り返った。スケゾーが素早く、俺の身体に入り込む。
リベット…………? 起きて来たのか。窓から漏れる月明かりに照らされて、淡く青色に光っているリベット。不安そうな眼差しで、俺の方を見詰めていた。
だが、やがてリベットは、昼間にも見せた明るい笑顔で、俺に向かって歩いて来る。
「どうしたのですか? リーシュさんの事が気になって、夜も眠れないのですか? …………わたくしが側にいて差し上げましょうか?」
俺は今、ひどい顔をしているだろう。
…………気付かれたくない。
話し掛けてくるリベットを無視した。俺は真っ直ぐに歩き、リベットの隣を通り過ぎようとした。
「この国はずっと、眠っているんです」
通り過ぎる最中、リベットの金色の瞳は闇の中で輝き、俺を見る。
――――何だと。
思わず振り返った俺は、リベットと目を合わせた。リベットはどうしようもなく苦笑し、手を背中で組んで、正面から俺と向き合った。
まさかこいつ、さっきの国王との会話を…………聞いていた、のか?
「過去に縛られ、視力を失い、疑心暗鬼になっているんです。見えないものを疑って、警戒し過ぎているんです。…………リーシュさんを救うついでと言っては何ですが、この国も変えて頂けませんか」
ただの天然娘では、なかったみたいだ。初めて会った時からどこか、心の奥底に冷えたものがありそうだとは、思っていたが。
「地上の人間を城に宿泊させるなんて、有り得ない事ですわ。この事がばれたら、またお父様がなんと言われるか…………いつもそんな事を考えて、神経をすり減らしてしまって、もうずっと、まともに寝られていないんです」
それは今回の事で、よく分かった。
だが――――だからと言って、俺に何をしろと言うんだ。俺に出来ることは、おそらくここに現れるであろうリーシュを助けること…………それだけだ。
「…………あんたらの事は、あんたらで解決してくれよ。よそ者の俺達が何をした所で、変わりゃしないだろ」
「そうかしら? わたくしはグレン様こそが、わたくし達をこの状態から脱出させる為の、鍵になると思っているのですけど」
買い被りすぎだ。
俺に、何かが出来るとは思えない。長老の時だって、俺は話を聞いてやる事しかできなかった。国王の時も…………。精々俺に出来ることは、自分の身を守る事と、大切な人間を護る事。
それさえ、怪しい状態だと言うのに。
「まあ、グレン様はわたくしではなくて、リーシュさんの王子様ですものね」
そう言うと、リベットは目と鼻の先まで近付いて、俺の唇に指で触れた。少し悪戯っぽく笑うと、上目遣いに俺を見詰める。
「良いですか、グレン様。眠れる女の子は、王子様のキスで目を覚ますものですわ。女の子を救う時は、ちゃんと思い切るのですわよ」
それだけを話して、リベットは俺から離れる。
「あ、おい…………」
闇に紛れて、妖精は消えた。唇に残った柔らかい指の感触を、思わず手で触って確認してしまった。リーシュの双子の姉――……は、リーシュと比べると遥かに頭の良い女の子のようだが。
…………何を言っているんだか。
「王子様じゃねえって…………」
誰にも聞こえない独り言は、夜の闇に紛れて消えた。
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