第86話 魔法少女!!まじかる☆グレンちゃん

「…………ねえ、グレン。私はもう諦めてるから、あんたも諦めてこっち来てよ」


 深夜の広い浴室に、ヴィティアの声が響いた。俺は膝を抱えて、風呂場の隅で震えていた。

 モーレンが用意してくれた風呂の時間は、あまり無かった。キララ・バルブレアに見付かってはいけないのだから、当然だ。消えたチェリアとスケゾーはどこに行ったのか分からない。長旅で疲れた身体を癒やしてくれとの配慮だったが、正直余計に疲れるだけだったかもしれない。


「ねえ、グレン」


 もっと早く気付いて、避けていれば。……いや、正直もう三日も池で水浴び程度しかしていなかったので、温かい湯に浸かりたい思いはあったのだが。

 遠くで、ヴィティアの溜息が聞こえる。


「いーかげん覚悟決めてほら、自分の身体見る」

「げっ…………おま、近いって!!」


 意外とかなり近かった。ヴィティアは身体にタオルを巻いているから、俺に裸が見える事はない…………が、目に毒だ。

 雀の鳴くような、可愛らしい声が俺から漏れ出る。

 絶望だ。


「良いじゃない、私は別に今のあんたを見ても何とも思わないし、あんたは私のこと見なければ良いんだから」

「おっ!! おまえ!! 何でそんな冷静なんだよ!! 破廉恥だぞこら!!」


 そういやこいつ、俺の背中を流すとか言ってたな。

 自分でも、頭に血が上っているのがよく分かる。ヴィティアはふと胸を張って、得意気に笑った。


「ただの全裸よりも恥ずかしい光景を何度も見られている私にとって、もはやタオル位恥でも何でもないわ!!」

「それ慣れちゃいけないヤツだから!! お前ちょっと、羞恥心というモノをだな!!」


 くそ、恥ずかしいのは俺だけかよ。いっそ、ヴィティアも男に変えられていれば良かったんだ。そうすれば、自分の身体を見るだけで恥ずかしくなる、俺の気持ちが理解できるだろうに。

 いやでも、キャメロンがこの場に居なくて本当に良かった。あいつがもしここに居たら、俺の姿を見て狂喜乱舞するかもしれない。

 場合によっては、同じ魔法を掛けられに行ったりとか…………。


「ほら、そんなに恥ずかしいなら、あんたは目を瞑ってて良いから。私が洗ってあげるから」

「ぐっ…………す、すまん…………って俺、洗われるの!?」


 ヴィティアに手を引かれ、洗い場の椅子に腰掛ける俺。ヴィティアは少し顔を赤くして、俺の頭を洗い始めた。

 しかしここ、温泉なんだよな。誰も居ないんだから、男湯があればそっちに入ったのに。…………いや、入っても洗うのには苦労したかもしれないが。予想外だった、まさかそもそも男湯が無いなんて。

 ん? いや、待てよ。そういえば、ここに来てから俺達以外に、男を一人も見ていないような…………気がする。


 もしかして俺みたいに、過半数はキララに女へ変化させられて、日々を過ごしているとか…………?

 …………まさか、なあ。

 思わず、苦笑してしまった。


「しかし本当、ムカつく位キレイな肌ね」

「あ、あんま触んないで…………」

「洗えないでしょ、隠さないで」


 何だ、この感覚はっ!? 駄目だ、この一線は超えたらかなりヤバい気がするっ…………!!

 やめてくれっ!! やめろぉっ!!


「もうお嫁に行けない…………」

「行きたかったの?」



 *



 …………ん? あれ。ここは、どこだ。


「あ、起きた?」


 目の前に、ヴィティアの顔がある。辺りは暗い…………牢屋の中まで帰って来たのか? …………いつの間に。

 後頭部は何か、柔らかい…………瞬間、俺は覚醒した。


「膝枕アァァァァ――――――――ッ!!」


 激しく起き上がったせいで、牢屋の壁に激突した。先程までは柔らかいモノに触れていた筈の頭が、激しく壁に当たる。

 星が見えた。


「ぐっ…………ぐおおおおおっ…………」

「あんたほんと、急に面白いわね…………」


 後頭部を押さえて、俺はその場に悶えていた。


「…………俺は?」

「お風呂で鼻血を噴いて倒れたから、ここまで運んで貰ったの」


 そうだったのか。既に風呂に入る所から記憶を失っている俺だったが、恐らく自分の痴態に耐え切れなかったのだろう。


「もしかして、女の子の身体が苦手なの? かなり、今更だけど」


 身体が痙攣した事が、ヴィティアに悟られていなければ良いが。

 ここ最近のやり取りで、不気味に思われただろうか。確かに、一般論で言えば俺は女性に耐性が無さすぎる。ラグナス程とは言わないが、ある程度は知識を持っていて、避けずに対処する事だって必要だろう。

 自分としては、そういう理屈の話でない事もよく分かっているので、変えようが無いのだが。


「いや、別にそんな事無いぜ? 俺だって、恋愛経験の一つや二つ」

「無いのね」

「ぐうっ!!」

「一応言っておくと、恋愛経験ある人は、自分の事を『恋愛経験ある』なんて言わないから」


 そ、そうだったのか…………!! 知らなかった、何だよそのカラクリは…………そうか、恋愛経験って、人によって感度が様々だもんな。一度や二度じゃ、経験したとは言えないのかもしれない。

 くそっ!! その仕組みが分かっていれば、ヴィティアを騙し通せたかもしれないのに…………!!


「隠さないで、グレン。私のこと、何でも聞いてくれるんでしょ。私もグレンの事は、知っておきたいから」


 ヴィティア。

 ふと、俺は真面目になった。ヴィティアは真剣に、俺の話を聞くつもりになっているようだった。

 話すべきか、黙っておくべきか。俺は少し、悩んでしまったが。…………リーシュもトムディも、俺の内側に深く踏み込んで来る事は無かったから、あまり気にしていなかった。

 これも、仲間が出来たからこそなんだろうけど。


「…………俺は、リーシュに会うまで、母親以外の女性とロクに触れ合ったことがなかった。…………話した事も、仲良くした事もなかった」


 ヴィティアは、俺の話を聞いていた。

 まあ師匠は女性だけど、あれはあれでちょっと違う関係だから、仲良くしたと言うのとはまた、少し違うのだろう。


「昔、母親を殴った事がある。その直後に母親とはある事情があって、会うことができなくなった。…………それから、今でも女の人に触れるのはちょっと…………怖いと言うか、何と言うか。まあ、そんな感じなんだ」


 全ては、話していない。それを話したらきっと、ヴィティアは「私も手伝う」と、言うような気がしたから。

 ヒューマン・カジノ・コロシアムの時にベリーベリー・ブラッドベリーと名乗る女が、「触れると壊れてしまうような気がする」と表現したが、全くその通りだ。俺はずっと、過去の事を後悔している。

 俺の、昔の記憶。俺の、トラウマ。

 ヴィティアに、悟られていないと良いが。



「へええ、そうなんだ。…………私は、何番目のちゃんと話した女の子なの?」



 そこが問題なのか?

 どうやら、悟られてはいなさそう、だが。何故かヴィティアは少し嬉しそうにして、俺をにこやかな笑みで見ていた。

 対して、俺は微妙な笑みを貼り付けたまま、ヴィティアの心情を理解するのに数秒の時間を必要とした。

 首を傾げる。


「…………正直言うと、リーシュが初めてで、次がヴィティアだと言っていい位だ」

「ふんふん、そうなのね。じゃあ、一緒にお風呂も膝枕も、私が初めてという訳ね」

「さあ、どうだったっけなあ」


 少なくとも公式には、ヴィティアが初めてだな。…………公式って何だ。

 どうしよう。こんな返答をされるとは考えてもいなかった俺は、暫し悩んでしまった。見た所、ヴィティアはかなり嬉しそうだが…………俺の話のどこに、嬉しい要素があったんだろうか。


「ヴィティア? どうしたんだ?」

「ううん、別に? さー、早いとこアイテムを手に入れて、ここを出ないとね!!」

「あ、ああ…………」


 ヴィティアは俄然やる気を出したようで、立ち上がって準備運動をしていた。

 一体、何なんだ。



 *



 よし。


 ズボンは裾を捲って、ベルトはきつめに締めた。靴は魔法で少しばかり、小さくさせて貰った。お気に入りの奴だから、変形しないで元に戻せると良いんだが。

 まあどうにか、これで動く事ができるだろう。


「それでね、私、ぶっちゃけ盗むのが一番早いと思うのよ」


 開口一番、ヴィティアはそう言った。


「…………盗むう? …………あんま、気が進まねえなあ」


 思わず、苦い顔をしてしまう俺。


「なんでよ。あんな態度の女の子、いちいち説得してる時間なんか無いわよ。どうせアイテムを揃えてゲートを開いたら、スカイガーデンを知っている誰かの所に飛んで行くものでしょ? だったら別に、あの子が持ってる必要無いじゃない」


 まあ、それは確かに、そうなんだが。それにしても、ギルドの持ち物を盗むというのは、なあ。

 俺は別に、ヴィティアと違って盗賊らしいスキルなど、何一つ持ち合わせていない訳で。結局、説得できずに持ち出すというのは、ただ『ギルド・グランドスネイク』を敵に回すだけの行為になるような気もする。

 もしこのギルドの連中が総出で俺達に戦争を挑んで来たら、当然この人数で返り討ちにする事など難しい訳であって。


「心配しなくても、運が良い私の盗賊スキルがあれば、何かを盗む事なんて息をするように出来るわよ」

「いや、正直それが、一番心配なんだが…………」

「失礼ね!!」


 だってお前、失敗するじゃん。どう見てももう、失敗の前フリにしか聞こえないんだが。

 ヴィティアは憤慨したようで、牢屋の柵に狙いを定め、魔力を高めた。破壊系の魔法は少なくとも、使えないだろうと思うのだが。その程度の対策はしてあるんじゃないだろうか。


「よく見ていなさい。私のエレガントなスキルがあれば、脱獄なんて簡単なんだって事を見せてやるんだから」


 …………あー、はいはい。多分それは、駄目な奴だろう。

 ヴィティアは右手を牢屋の錠に翳し、高らかに叫んだ。


「【エレガント・マスターキー】!!」


 暗い室内に眩い光が放たれ、俺は目を閉じた――――…………!!

 相変わらず、ピカピカする魔法だなおい…………!! 派手すぎて、隠密行動にはまるで向いていない。…………が、外から物音はしない。どうにか気付かれる事は無かったか。

 牢屋の錠が外れ、床に落ちた。ヴィティアはそれを確認すると、少し得意気な表情になって、俺に錠を指差した。


「どうよ?」


 まあ、鍵を外した事に関しては、すごいと言っても良いが。


「…………またアレか? 全部の鍵を一度に外せるとか、そんなヤツなのか?」

「外したい鍵が一つしか無かったらどうするのよ、それ…………【エレガント・マスターキー】は、唯の【マスターキー】を封じる魔法が掛かっている鍵も、強引にこじ開ける事ができる魔法よ。そこらの盗賊がやっている【マスターキー】の強化版といった所ね」


 なるほど。【マスターキー】というのは、扉の鍵を開ける魔法だ。でも誰でも入れると困るので、大概の鍵には【マスターキー】対策が施されていて、簡単には開かないようになっている。それをも開けるとなると、使用価値はかなりあると言っていいだろう。


「たまには、役に立つ魔法を覚えるもんだな。光が出るから、隠密行動には向かないだろうが」

「ふふん。どう? 扉の鍵だけじゃなくて、窓や城門なんかも開けられるのよ? 凄いでしょ」

「確かに、何でもっていうのは一つ、大きなメリットだな。光が出るから、隠密行動には向かないだろうが」

「あんた偶には普通に誉められないの!?」


 何はともあれ、扉が開いてしまった。ヴィティアのスキルを使えば、皆が寝静まっているこの時間に、どうにか盗み出す事が出来るだろうか。

 牢屋の次は、出入口になっている扉だ。ヴィティアは牢屋を出ると、扉に向かって走った。


「安心して、グレン。今回は復活したこの私が、あっさりと問題を解決してあげるわ…………!!」


 どうしてだろうか。俺には自信満々なヴィティアが、これから何かを失敗するように思えてならなかったが。

 でも、今回ばかりは失敗しようが無い、とも思える。仮に鍵を開けるスキルが失敗したとして、この場所ならヴィティアの服が脱げても大した問題ではないし。本人が騒がなければ、作戦は続行できる。

 もしかして、これはひとつ、チャンスなのか…………?


「【エレガント・マスターキー】!!」


 再び、光が放たれる――――…………!!

 俺は走り、扉に耳を付けた。向こう側から、音はしない。…………そういえば、様子を見に来る事もないしな。扉の番くらい居るかと思ったが、意外と警備は手薄なのか…………?

 ここの扉さえ開けば、確かに『盗む』という選択肢も、あながち悪い手段ではないのかもしれない…………!!

 覚悟して、開けてみるか。場合によっては、騒ぎになる前に眠らせてしまう、なんて手段もあるかもしれない事だし。


「よし、開けるぞ、ヴィティア。強行突破だ…………!!」


 俺は、扉のノブに手を掛けた。

 小さな物音がして、扉が――――…………


「…………開かないんだけど」


 俺は、ヴィティアに振り返った。

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