第85話 出会って五秒で牢屋

 風の音が聞こえる。

 どこかから漏れて入り込んだ空気が、音を立てているんだ。その隙間風が、自分自身に当たっている感覚がある。こんな状態では、そのうち風邪を引きそうだ。

 にも関わらず、俺は微睡みの中にいた。何で俺は、こんな所で眠っているんだ…………? 意識も遠いし、今までの事がよく思い出せない。自分はうつ伏せになって、倒れていたようだ。地面は固い。

 ここは…………?


「ん…………」


 なんだ? なんだか、聞いた事もない女の声が聞こえる。ようやく俺は目を開き、視界に映るものを確認した。


「ここは――――牢屋――――か?」


 な、なんだ!? さっきから聞こえている、この声…………もしかして、俺のものなのか?

 くそ、あの女、一体俺に何をしやがったんだ…………!? 見た所、ここはどう見ても牢屋だ。幾つもの牢屋がある部屋に、俺達は捕らわれてしまったらしい。他に捕まっている人間は居ないようだが…………

 そうだ、ヴィティアとチェリアは? 俺は辺りを見回し、状況を確認する。その場にチェリアはいない…………が、ヴィティア…………!!


「おいっ!! 起きろヴィティア、大丈夫か……!?」


 俺は倒れているヴィティアの肩を掴み、揺さぶった。……程なくして、ヴィティアが僅かに身体を震わせ、瞼を開く。良かった、どうやら眠っていただけらしい。

 それにしても、チェリアとスケゾーはどこに行ったんだ。特に、スケゾーの姿が見当たらないのが不思議だ。チェリアと同行しているのか、どうなのか。


「ん…………」

「大丈夫か?」


 ヴィティアが目を開け、俺を見る。きょろきょろと、俺と同じように辺りを見回している。やはり、ヴィティアも俺と同じタイミングで眠らされたんだろう。


「どうやら俺達、捕まったらしいぜ…………」


 いや、有り得ないだろ。普通、出会ったばかりで何も分からない人間を牢屋なんかにぶち込むものだろうか? 否。メサイアだか何だか知らないが、本当にとんだとばっちりだ。

 さっさとここから出て、あのキララ・バルブレアとかいう女をもう一度、説得しなければ、俺達に未来は無い。

 ヴィティアは俺を見て、訝しげな表情を浮かべた。



「俺達って…………あんた、誰…………?」



 ――――――――えっ?



 な、何言ってんだ…………? 記憶喪失? 俺の知らない間に、何かあったのか?

 と言っても、もし記憶喪失の魔法なら、俺にも同じ魔法が掛かっていて良いよな……? あれか? この声が原因なのか?

 確かに、若干、若返ったような…………気は、するけど。あんた誰、って事は無いだろう。


「しっかりしろよ、ヴィティア。俺だよ、グレンだ。なんだか分からないが、閉じ込められたらしい」

「グレン…………?」

「そうだよ!! どこからどう見てもグレンオード・バーンズキッドだろ!? 目を覚ませよ!!」


 なんで疑問形なんだよ、もう…………!!

 ヴィティアはやや緊張した面持ちで、喉を鳴らした。黙って何も言わず、俺の胸に手を伸ばす。

 むにゅ、とヴィティアの指は、俺の胸にめり込んだ。


 …………むにゅ?


「んっ」


 思わず、鼻に掛かったような声が漏れてしまう。ヴィティアは眉をひそめて、俺を見ていた――――いや、ちょっと待てよ。何だよこれ…………こ、これは…………!!

 よく見れば、今まで着ていた服が少し大きい。腰回りなんかスカスカだ。通りで、歩き難いと思った。薄暗くてよく分からなかったが、見れば指も白いし、何より、その――――――――おっぱいが、ある。

 ヴィティアは髪飾りを外して、その裏側を俺に見せた。鏡のようによく磨かれた髪飾りの裏に、俺の顔が少しだけ映る。暗くて、分かり難い…………だが。


「本当に、グレンなの…………?」


 どこからどう見ても、それは俺ではなかった。

 申し訳程度に原型を引き継いだ、俺の赤い髪。だがそれは今までのように短くはなく、ヴィティアと同じかそれよりもやや長い、肩くらいまでの長さになっている。肩幅も随分と狭くなり、なで肩になっていた。

 今まで着ていた服が服だったので、胸はあまり主張しない…………が、明らかに大きい。腰回りは随分と細くなり、ベルトは尻に掛かっている。


「や、ちょ、ちょっと待って――――…………わっ!!」


 俺はヴィティアから後退った。ズボンの裾を踏んでしまい、そのまま牢屋の床に尻餅をついた。

 いつも履いていた筈の、靴が脱げる。

 ヴィティアは髪飾りを戻して、腕を組んで俺の事を見ていた。その頬には、冷や汗のようなものが見える。

 俺は、絶句した。


「……………………女体化の魔法?」


 少なくとも俺は今まで生きて来て、そんな魔法を聞いた事がない。

 俺は黙ったまま、自分の股間へと手を伸ばした。…………俺は、女が苦手だ。女の身体なんて、触れないモノ筆頭に近いくらい、苦手だ。肌に触れるたび、意識が飛びそうになるし、全身が強張る。リーシュやヴィティアが仲間になった今でも、その部分についてだけは相変わらず、全く慣れることがない。

 震える指が、自身の股に移動する。ゆっくりと、ある筈のモノの感触を確かめる――――…………


 ぱすん、と、静かに手が、股の骨に当たった。


「……………………きゅう」


 俺はその体制のまま、倒れてしまった。


「グレン!? ちょっと、しっかりして!!」


 口からエクトプラズムが出たような感覚って、こういう状態の事を言うんだろうか。放心してしまった俺は言葉もなく、ヴィティアの声掛けにも反応する気力が全く湧いてこなかった。

 よもや、自分の身体に触れなくなる日が来ようとは。誰が想像できただろうか。


「大丈夫よ、すぐ元に戻るから!! 気をしっかり持って!!」

「ヴィティア…………お、俺はもう、駄目かもしれない…………」

「っていうか男の分際で何で私より胸大きいのムカつく!!」

「そこどうでも良くね!?」


 何故か俺に対して憤慨しているヴィティアだったが。不可抗力だ。俺にはどうする事もできない。


「あっはっはっはっは!! 良い気味よのう!!」


 聞き覚えのある、酷く耳障りな声が聞こえた。

 気付けば牢屋の出入口は開いていて、その向こう側に桃色の髪が見えた。キララが指を鳴らすと牢屋の明かりが点灯し、俺とヴィティアの姿を照らす。

 明るい所で見れば、一目瞭然だ。俺の身体は完全に、女のそれになっている。


「てめええええええっ!!」

「のうグレンオード、気分はどうだ? 女の身体というのも、悪くはないだろう?」


 俺は牢屋の柵に手を掛けて、キララ・バルブレアを睨み付けた。キララはにやにやとした頭に来る笑みを浮かべて、派手な扇子で自身を扇いでいる。


「おいコラ、キララ・バルブレア!! 一体こりゃ、どういうつもりだ!! 出会って五秒で牢屋って、小説のタイトルにもなりゃしねえぞ!!」

「グレン!!」


 俺の言葉に、ヴィティアが制止を掛けた。


「出会って五秒で女体化なら、意外といけるかもしれないわ」

「ああ、確かに…………ってやかましいわ!!」


 心の底からどうでもいいコメントがヴィティアから入ったが。

 くそ、この程度の牢屋なら、自分の魔法ですぐにどうにかしてやるのに。腕力を強化する魔法を掛けても、牢屋はぴくりともしない。何らかの強化がされているのか、それとも俺が女になったせいで、色々な部分が弱体化しているのか。

 キララは勝ち誇ったような笑みで、俺の目の前に立っていた。


「一週間したら、そこから出してやろう。そうしたら、さっさとここを立ち去れ。スカイガーデンへの許可は出さん、二度と私の前に姿を現すな」


 一週間だと…………!? ふざけやがって。こちとら何も悪い事をしていないんだ、こんな仕打ちはあんまりにもあんまりだ。

 …………だが、それを今この場で抗議した所で、火に油を注ぐようなものだろう。コイツは、どうにかして仲間に引き込まなければならない人間だ。今は耐えるしかない。リーシュの為だ、俺よ。耐えるんだ…………!!


「…………分かったよ。じゃあ、一週間したら俺の性別も元に戻してくれるんだな?」

「いや、お主は一生オナゴのままでいろ」

「ぶち殺すぞこのクソガキがああああああ!!」


 残念ながら、俺の堪忍袋の緒は、とうの昔に切れていたらしい。


「おー? そんな事を言って良いのか? どうせ戻し方など分からんのだろう?」


 歯軋りをして、俺は牢屋の内側からキララを睨み付ける。…………たぶん、あんまり迫力は無いのだろうが。この理不尽なクソガキを、どうにかして黙らせる手段は無いのか。見付けなければ、俺がストレスで禿げそうだ…………!!


「おいお前、そのへんにしとけよ…………!! あまり大人を怒らせると、良い事は無いぜ…………?」


 キララは悪役も顔負けの汚い笑みで俺達を見下すと、ククク、と押し殺したように笑った。


「残念ながら、妾は男を怒らせるのがケーキの次に大好きじゃ」

「ハ…………ハハ、そうか。良かろう、ならば戦争だ…………!!」


 ついに俺の言葉遣いまでおかしくなってきた!!


「ねえ、キララちゃん!! 私達、本当に困っているの!! 意地悪しないで、協力して? ねっ?」


 相手が子供だからか、今度は母性を活かして説得を試みるヴィティア。俺にはできない、良い対応かもしれない。

 だが、キララは兎も軽く殺しそうな視線で、ヴィティアを睨み付けた。


「ひっ…………!?」

「子供扱いするな、女児が。…………お主の方が年下だ」


 どうやら、この頭のおかしい幼女は、ロリババアだったらしい。…………知らねえよ。もう、どうしろって言うんだ。


「妾の所に男を寄越したのが運の尽きよ――――グレンオード。さっさと諦めろ、アイテムはやらん」

「お、おい…………!! 待てよ…………!! こんな事して良い訳無いだろ!? いい加減にしろよ!!」


 言いたい放題言って、キララは扉を開けて、去って行く。当然、俺達を解放する事などなく――――…………。

 キララは、立ち止まった。



 …………なんだ?



 不意に、キララはとても寂しそうな瞳で、俺の事を見た。鬼か幼女にしか見えなかった顔が、一瞬だけ、大人のそれに変化した。

 だが、それきりキララは背を向けて、部屋から出て、出入口の扉を閉めてしまった。

 …………何だよ。

 俺達は、牢屋の中に取り残された。俺は掴んでいた牢屋の柵を手放し、呆然と立ち尽くした。


 確かにリーシュの婆さんから、ちょいと性格がひん曲がっている、と言われたが。…………どの辺が『ちょいと』なんだよ。こんなの、まるで予想外だ。全然、人としての会話が出来ないじゃないか。

 こんな奴から、スカイガーデンに通じるアイテムを手に入れる事なんて。とても、出来るとは思えない。


「……………………私達が『夜の顔』を持っている限り、スカイガーデンに行ける人は存在しません」


 モーレン!? …………居たのか、あまりに影が薄すぎて全く気付かなかった。

 キララと一緒に登場して、後ろで様子を見守っていたようだ。その結果は、惨憺たるものだったが。モーレンは寂しそうな顔をして、俺と目を合わせられずにいた。


「一週間は、ここに閉じ込めておくしかありません。…………出る時に、私が貴方に掛かった魔法を解きます。それで、立ち去ってください」


 …………どうやら、訳ありらしいな。

 俺は腕を組んで、モーレンと向かい合った。柵越しに、モーレンの悲痛な表情が見える――――…………だが、俺は険しい顔でモーレンを睨み付けた。


「あんたらの大将が、相当捻くれた性格なのはよく分かった。…………だけどこんな事、いつまで続けるつもりなんだ? 俺達が言っても仕方ない、キララ・バルブレアを変えられるのは、あんたらだけじゃないのかよ」


 俺達は、誰がどう見たって被害者だ。ここがギルドなら、キララ・バルブレアの問題は、ギルド・グランドスネイクの問題でもある。

 何故黙ったままで咎めずにいるのかと、俺はその点を指摘したつもりだった。


「――――私は、何があってもキララお嬢様の味方でいるつもりです」


 俺は、舌打ちをした。


「無礼はお詫びします。…………しかし、対応を変える事は出来ません。陰ながら、ご食事やご入浴など、出来る事はお手伝いさせて頂くつもりです。…………どうか、怒りをお沈めください」


 モーレン・レンジという女は、結局の所、キララの味方なんだ。それは分かっていたが、だからといって、こんな理不尽な出来事に目を瞑るって言うのかよ。


「言っておくがな、俺はその、メサイアとかいう男とは何の関係もない。どこまで勝手に勘違いするつもりなのか知らないが、こんな事が許されると思うなよ。こんな態度を続けていたら、いつかどこかのギルドと戦争になっても文句言えないぞ」

「存じております。ですから、こうして山奥に隠れ、人の嫌がる仕事を担って暮らしております」


 思わず、溜息をついてしまった。

 キララ・バルブレアよりは、少し話ができる女みたいだ。どうしてモーレンが、そこまでキララの性格を肯定するのかは分からないが――……解決の糸口が見付かるとしたら、それはこの人からなのかもしれない。


「グレンオード様。ヴィティア様。…………長旅で疲れたでしょう。ベッドもない場所で申し訳ございませんが、本日はこちらでごゆるりとお休みください。ご食事の準備と…………お嬢様が寝静まった後、ご入浴の準備をいたします」


 それだけを俺達に伝えて、モーレンは部屋を出た。


「…………グレン、どうしよう」


 ヴィティアが不安そうな顔で、俺に問い掛ける。ぐしゃ、と長くなった髪を掴んで、俺は目を閉じた。


「少し、作戦を考えるよ。時間をくれるか」


 結局、メサイア問題に首を突っ込まないといけなくなるのだろうか。

 なんてこった。避けようもない、とんでもない災難だぜ。

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