第39話 イイ事って何ですか?

 案の定、サキュバスの主人はバレル・ド・バランタインだった。

 サキュバスの手足を拘束し、スケゾーがそれを担ぐ。……端から見ていると、小さな魔物が人型の魔物を持ち上げているように見えるので、かなりアンバランスだ。

 俺は戦闘装備に着替え、隣の部屋まで走った。俺に危険が迫っていたと言う事は、当然リーシュも同じだ。俺と違い、リーシュは寝る時に警戒なんて出来ないだろう……くそ、こんな時に部屋が違う事が仇になるとは……!!


「リーシュ!!」


 俺は力強く、部屋の扉を開いた――――――――!!


「だから、意味が分からないと言っているんです!!」


 んん……………………?

 ベッドに、リーシュ……と、俺の捕まえているサキュバスよりは小柄の、赤髪のやや弱そうなサキュバス……が、正座して向かい合っていた。リーシュは真剣にサキュバスを見詰め、サキュバスの方はやや顔を赤らめて、困っている様子だった。


「いやっ……だから、その……イイ事よ」

「それでは分かりません。主語と述語を明確にして、ちゃんと私に分かる形で話をしてください」


 主語と述語を明確にして、って。そんな事を言われても、困るだけだろう。……案の定、相手のサキュバスは困っていた。全力で。


「ええっ……それは、その……○○○を、×××したりとか……そういう事とか……」

「とか、ですか? まだあるんですか?」

「そんな……全部なんて、言える訳無いでしょ!? 私にどうしろって言うのよ!!」

「人の部屋に勝手に押し掛けて来て、『イイ事してあげる』なんて言うから内容を聞こうとしてるんじゃないですか!! そんな、人に言えないような事をしているんですか!? もしかして泥棒さんですか!?」

「違うわよ!!」


 …………リーシュ。


「それに、正直私はそんな事をされても、ちっとも良い事だとは思えません」

「するでしょ!? したいでしょ!? っていうか何で私の魔法効かないのこの子!! バカなの!?」


 ほんと、俺も馬鹿だと思う。

 大方、誘惑の魔法か何かを掛けようとしたんだろうな。あれって、心の底に欲望が無ければ全く反応しない代物だからな。

 サキュバスを見てエロいと欠片も思わなければ、全く反応しない。……まあ、一応リーシュは女性だからな。ハンデはあるかもしれないが。


「ほ、ほんとですか!? あなたされたいんですか!? 女の子同士でですか!? 人の睡眠を邪魔した結果がこれですか!! 流石の私も怒りますよ!?」

「ふえ…………あ、ナコお――――!!」


 ついに赤髪のサキュバスが俺達に気付いて、捕まっている紫髪のサキュバスの名を呼んだ。何故かサキュバスにキレていたリーシュが、俺を見て顔色を変えた。


「あ!! グレン様!!」

「おう、リーシュ。……無事で何よりだよ、ホント……スケゾー、頼む」

「捕らえるのは一匹で良いっスよね」

「おー」


 スケゾーが赤髪のサキュバスに向かう――……仲間が捕まっているのを見て、赤髪のサキュバスは震え上がった。


「ひっ…………!!」

「お前は実体じゃねえですね。死にゃしねえんで、勘弁っスね」


 赤髪のサキュバスの頭部を掴んで、スケゾーが魔力を吸い取った。一瞬にしてサキュバスは弱り、その場に崩れ落ちた……危険な魔物だからな。行動は封じておいた方が良い。

 リーシュは寝間着姿のまま、俺に駆け寄る。


「あれ、グレン様? まだ夜ですよ?」

「着替えろ、リーシュ。戦闘装備だ。すぐに出るぞ」


 きょとんとしているリーシュを横目に、スケゾーが赤髪のサキュバスの魔力を吸い取り切った。サキュバスは小さな呻き声を上げ、魔法陣を描いてその場から消滅する――……その様子を、ナコと呼ばれたサキュバスは見ていた。すっかり、白い顔をしている。

 リーシュはその様子を見て、何かに気付いた様子で、俺を見た。


「まさか――――襲われたんですか!?」

「ああ、そうだ。そして今、実はお前も襲われていたんだぜ。……知ってた?」

「ええっ!? そうなんですか!?」


 自分に何が起きていたのかさえ、全く事情を理解していなかったリーシュ。……あの赤髪のサキュバスの娘も、可哀想なものである。


「訳の分からない事を言われたので、からかわれたのかと思ってしまいました……!!」

「俺はお前が言っている事の方が分からないよ……」


 実は危険だったらしいという事にようやく気付いたのか、リーシュは青い顔をして震えていた。

 ……何だかよく分からない事が色々と起こったが、誰も傷付いていないのでラッキーだ。このまま、さっさと売られた喧嘩を買いに行こう。


「良かったな、リーシュ。助けに行くぞ」

「助けにって――――えっ!? もしかして……」

「ああ、そうだ。こいつらの親玉は、バレル・ド・バランタインだよ」


 こうなるような予感はしていた。だが、実際の所はどうなるか分からなかった。

 奴等が俺達の行動を封じに来るのであれば、俺達だって身の危険を回避するためには戦うしかない。それが結果的に、サウス・マウンテンサイドを救う。それだけの話だ。

 身内で収束させるつもりなら、まだ見逃してやらない事も無かったが。

 俺はスケゾーの捕まえているサキュバスを指差して、言った。


「スケゾー、そいつもさっさと魔界に還しちゃおう。こうなると、もう邪魔だ」

「ちょっと…………待って!! 待ってください!!」


 だが、スケゾーは少し躊躇している様子だった。……何だ? 珍しいな。


「いや、それが……捕まえて分かったんですが、どうもコイツだけ、実体っぽいんスよね」


 …………えっ?


「そうなの?」

「はい、多分間違いねーですよ。どうします?」


 俺は、ナコと呼ばれたサキュバスの娘を一瞥した。サキュバスはびくびくと怯えながら、俺の言葉を待っているようだった。

 なるほど、こいつは好都合だ。まさか俺の所に、側近の使い魔を寄越してくれるとは。


「おい。……バレル・ド・バランタインは今、何処に居る?」

「えー、あたし、分からないなあ……ごめんネ」

「惚けんなよ。実体同士で契約を結んでいる関係なら、相手の居場所くらい分かるだろ」


 何より、俺とスケゾーがそうなのだから。サキュバスはむすっとした顔で頬を膨らませると、目を逸らした。


「…………ルミル・アップルクラインの所よ。でも、どうするつもり? 正直、今のバレルには誰も敵わないと思うけど」


 俺はサキュバスを指差して、スケゾーに目配せした。


「おい、こんな事言ってるぞ。どうする? スケゾー」

「そうっスねえ。戦力減らしたいんで、今のうちにボコッときますか」

「ちょっと待って待ってあたしまだ死にたくないっ!!」


 その時、サキュバスの身体が光り出した。

 使い魔の再召喚。……俺とスケゾーが使った手だ。魔法陣で描くのなら簡単だろうが……サキュバスはそのまま、影となって消えて行く。

 サキュバスは舌を出して、俺に敵意を向けていた。


「べーっだ!! バレルとあたしを敵に回したことを後悔させてあげるわ!! やーいやーい、間抜け!!」


 別に今ここで、再召喚の魔法を打ち消しても良いんだが……まあ、どうせ荷物だと思っていたし、良いだろう。このナコとかいう使い魔は、俺に手も足も出ないだろうし……問題は、バレルの方だ。

 使い魔を再召喚したという事は、呼び寄せる必要が出来たという事。……つまり、俺を拘束しておかなければいけない理由が何かあって、目的が達成されたから使い魔が元の場所に帰った。……そう考えるのが、妥当な所だろうな。

 ってことは、つまり――……まずいな。


 俺はリーシュとスケゾーを見て、言った。


「……急ごう。時間が無い、かもしれない」



 *



「なっ…………何だこりゃあ…………!?」


 外に出ると、既に街は大変な事になっていた。

 空を飛び交う、魔物、魔物、魔物。俺達を襲って来たのはサキュバスだったが、またそれとも違う……ガーゴイルに、プチデビル。キラーデーモン……戦闘を得意とする悪魔だ。登場する魔物は、悪魔系ばかり……バレルの使う魔物に偏りがあるのは、悪魔を扱うのが得意だからなのだろうか。

 それにしても、こいつは良くない展開だ。……悪魔系の魔物というのは、血の気が多かったり、魔力が高かったりと、厄介な奴が多い。これだけの数になって来ると、サウス・マウンテンサイドの人達だけでは対処し切れないだろう。


「グ、グレン様……これは……!?」


 リーシュが剣を抜き、周囲の変化に驚いていた。


「聖職者の街が、悪魔だらけじゃねえか。……冗談にもならないな」


 召喚士って、こんなんだったっけ……と思いたくなるような数の魔物だ。バレルは自分の魔力を使っていない。当然、そんな芸当も可能なんだろうが……俺は、眉をひそめた。


「扱えないレベルの魔力を安易に使って、火傷で済めば良いけどな……」


 真夜中。魔物の数がこれ程になっても、実際に騒ぎが起きている訳ではない。マウンテンサイドの街は、静かなものだった。誰か一人でも起きていれば、叫び声の一つも上げそうなものだが――……

 目の前に、キラーデーモンが降りて来た。足音を殺して、無言で俺に迫って来る。


「スケゾー。『五%』」


 瞬間、スケゾーの身体は白いナックルとなって、俺の拳に纏わり付く。キラーデーモンは、槍のような武器を俺に向け、振るう。

 奴が攻撃をするよりも速く、俺は奴の背後に回っていた。対象物が消えた事でキラーデーモンが驚いている間に、後ろからその頭を拳で撃ち抜いた。

 一瞬だけ体液が飛び散り、それも含めて魔法陣となって消えて行く。


「…………なるほど。出て来た先から、声も無く捕まるってことか」


 この様子だと、既に何人かは捕まっているかもしれないな。

 上空には、黒い雲が渦を巻いている。一雨来そうな雰囲気だ……バレルが闇に消える前に、何とかしないとな。

 と、その前に。俺はリーシュを見た。これから始まる戦いに緊張しているのか、喉を鳴らして剣を抱き締めていた。

 バレルは間違いなく、リーシュにとっては格上の相手になるだろう。あまり、快く連れて行く気持ちにはなれないが……。


「リーシュ。……今回はちょっと、大変な戦いになりそうだけど――――」

「はいっ!! 頑張りましょう!!」


 間髪入れずの返事に、俺は思わず目を丸くしてしまった。

 俺は、『大変な戦いになりそうだけど、宿で待っているか』と問い掛けるつもりだった。だが、リーシュは顔を上げて、しっかりと俺の目を見てそう言った。

 ……過保護な心配は、必要なさそうだな。俺は笑みを浮かべ、リーシュに合図した。


「よっし。そんじゃまあ、早いトコ片付けようぜ。行こう」


 俺とリーシュは、走り出した。



 *



 ルミル・アップルクラインの所とはいえ、こんな夜中に『赤い甘味』ではないだろう。とは思いながらも、俺はひとまず喫茶店『赤い甘味』を目指していた。

 彼女の自宅を知っている訳ではない。『赤い甘味』に何かヒントのようなモノがあれば良いと思っての行動だったが。


 道中現れるガーゴイルに回し蹴りを喰らわせながら、俺は考えていた。

 この夜は、どうにか凌いだとしてもだ。こんな事をすれば、後日セントラル・シティで騒ぎになるのは間違いない。バレル一人の思惑とは考え難く、この話には何か、裏で糸を引いている奴が居るように思える。

『ゴールデンクリスタル』が破格の高値で取引されるアイテムだとか何とか、そんな話があればまた違った話になるかもしれないが――……俺の知る限りでは、そんな話は聞いた事がない。


 リスクとリターンが釣り合っていないだろう、と思う。サウス・マウンテンサイドはセントラル・シティと連携している街だ。騒ぎになった時に戦わなければならないのは、マウンテンサイドの民衆だけではない。セントラル・シティから指名手配――――そんな事になれば、世界中の冒険者から狙われて、この大陸の殆どを満足に歩く事は出来なくなる。

『ゴールデンクリスタル』とやらが、そこまで危険を冒しても手に入れたい代物なのかと、そういう話だ。


「ご主人。…………なんか、人が倒れてるっスよ」


 人?

 周囲に街灯はなく、夜の街は暗い。俺の肉眼では、まだはっきりと捉える事は出来ていないが……スケゾーには見えているようだ。喫茶店『赤い甘味』へと近付くに連れて、俺にも周囲の状況が把握出来て来る。

 スケゾーとの『共有』があれば、視界はクリアになるが――……もう少し、長時間共有したままで居られる方法を検討しないとな。いちいち共有しては解除していたんじゃ、隙を作る事にもなり兼ねない。


 人……は、立っていない。どこに居るんだ……? 走っていると、何か不自然な音と共に、俺は水溜りを踏んだ。

 何だ…………まだ雨は降っていないのに、水溜り…………?

 驚いて、思わず立ち止まった。


「きゃあっ…………!?」


 リーシュが叫んだ。口元を手で覆っている。

 違う。俺が踏み抜いたのは、ただの水溜りじゃない。暗くてよく分からないけれど、これは血で…………。


「おいおいおい…………マジッスか…………!?」


 スケゾーの言葉に、俺は前を向いた。

 立ってるんじゃない――――倒れて、いるんだ。『赤い甘味』のすぐそばに、ぼろ雑巾のように転がっている小柄な体格の――――男。

 全身を襲う悪寒に、俺は身を震わせた。


「トムディ!!」


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