第14話 デーモンがあらわれた

「迷える仔羊に……魂の導きを……立ちはだかる者に……静寂の断罪を……」


 聞いた事の無い詠唱だ。ヴィティア・ルーズの足下に、先程までとは違う――……黒い魔法陣が出現した。その大きさも、今までとは比較にならない。禍々しい、邪悪な魔力の存在を感じる。突風が吹き荒れ、村を襲った。

 何だ、これは……いや、ヴィティアの顔が怖いよ。お労しや、急に老けて……目の隈が激しく存在を主張している。先程までの、ツンとしている筈なのにどこかマゾっ気を感じる娘は、そこには居なかった。


「ご主人……あれ、魔力枯渇のサインっスよね?」


 ナックルと化したスケゾーが、俺に問い掛ける。そうか? ……確かに、よく見てみればそう思えない事も無いが……自分自身の魔法で魔力枯渇って、するもんなのか?

 普通、そんな状態になる前に、まず魔法が使えなくなるだろ。顔が変わってしまうような事態には陥らない筈だ。

 ……いや、既にこの状態は、普通じゃない。『異常』なのか。


「スケゾー、あれ知ってるか? 俺は見た事がない」

「あれって、魔法の事っスか? いやあ、オイラは人間界の魔法については何とも……でも、召喚魔法っスよね」

「召喚? そうなのか?」

「召喚魔法って、魔法陣の文様が独特なんで……なんか、それっぽいんスよね」


 確かに、言われてみればそう見えなくもない、が……自身の魔力を枯渇させるほどの魔法陣で、魔物召喚? 聞いた事無いぞ、そんなの……もしかして、この状況って結構やばいのか……!?

 ここには、リーシュも居る。村もある。召喚されるのだとしたら、何が考えられる? 【レッドプロミネンス】の時に見た魔法陣の、実に二倍以上……オークやゴブリンみたいな、並の魔物って事は無いだろう。

 思わず、青くなってしまった。…………スケゾー級の魔物に暴走されたら、俺だって止められる自信なんか、無いぞ…………!!


「ま、魔導士様!! これ、大丈夫なんですか!?」


 リーシュが叫ぶ。俺は覚悟を決めて、リーシュに笑みを向けた。

 ふと安心したリーシュ。俺は一度、空に向かって親指を立てた。

 それを真っ直ぐに、今度は真下に向け――――…………



「全員、逃げろォ――――――――!! 冗談じゃない、これは村が無くなるぞォ――――――――!!」



 そう、叫んだ。


 いつも飄々としているスケゾーが、今は緊張して、冗談を飛ばす素振りを見せない。……それだけで、危機を感じるには充分だ。指を差した方向へ、村民達は駆け出した。……良いぞ、とにかく逃げるんだ。ここではない何処か、出来るだけ遠くへ。

 俺はヴィティアの方へと振り返り、夥しい魔力を持って既に煙すら上げている魔法陣と対峙した。形振り構わず、全身に魔力を集中させる。


「スケゾー!! 『十%』準備だ!!」

「大丈夫ですご主人!! もうとっくに準備してるっスから!!」


 おどろおどろしい魔力。ヴィティアの全身からそれは発され、既にヴィティアは意識を失っていた。俺はスケゾーとの共有率を高め、何時でも魔力を引き出せるように準備し、拳を構えた。

 何だ……? 魔法陣から、光が発された。それはヴィティアの全身を包み込み、瞬く間に俺の視界を奪う。……スケゾーは光にあまり強くない。共有している分、余計に眩しさを感じてしまうが。


「くっ…………!!」


 どうにか薄目を開けて、場の状況を確認しようとした。ヴィティアの作った魔法陣から何かが出て来る……突風がヴィティアを魔法陣の外へと吹き飛ばし、ヴィティアは転がって倒れた。

 ……やっぱり、既に意識なんか何処かに飛んでいる。ヴィティアはこの瞬間、何者かに操作されたんだ。

 光が治まっていく。始めに現れたのは、悪魔系の魔物が持つ、側頭部から伸びる二本の角だ。骸骨のように白く固い皮膚に覆われ、目は暗闇で見掛ける猫や狸のように光っている。屈強な身体と、赤紫色の筋肉、人型……広がった魔法陣が小さく見える程に巨大な腕が地面をしっかりと掴み、それは全身を現し――――…………


「うおあァァァァ――――――――!?」


 俺は、叫んでいた。


 一体こりゃ、何だ。人型、悪魔系の魔物である事は確かだ。だが、見た目は髑髏のようでもスケゾーとはまるで姿かたちが違う。何よりその、巨大な体躯だ。村に伸びた木を片手で握り締める事が出来そうな巨体は、召喚されると辺りを見回し、場の状況を確認していた。


「此処は…………何処だ?」


 喋る。……落ち着いた雰囲気があった。見上げた巨大な顔は、穏やかな村には全く似つかわしく無い。角ばった頬に暖かみは全く感じられず、『魔物』という言葉がとてもしっくりくる風貌だ。


「……『デーモン』っスか。これは、まずいっスね」


 スケゾーの言葉に重みがある時点で、それが如何にやばいのかがよく分かる。


「デーモン? ……デーモンってのは、悪魔族じゃないのか?」

「ああ、そうっスよ。オイラと同じ種ですが……オイラ達の世界でただデーモンと言うと、あいつらの事を指すんスよね。『ザ・デーモン』とまで呼ばれている種でして。……まあ、悪魔族の親玉みたいな存在っスよね」


 ……『存在っスよね』って気軽に言う事か、それ。

 ザ・デーモン。……よく分からないが、なんか語感的にとてもヤバそうな雰囲気が漂っている。でかいし、見るからに強そうだ。だが、血の気が多いようにも見えない。もしかしたら、事故だと説明すれば何事も無く、帰って貰えるかもしれない。

 ヴィティアは気を失っている。奴の主人は、既にここには居ないのだ。


「む。…………人か」


 お、デーモンとやらがこっちを見た。

 ふむ、と下顎を撫で、露出している歯が音を鳴らす。俺は爽やかな笑顔を作る事に努め、向日葵の花が咲きそうな空気を創り出した。

 我ながら、完璧な愛想だ。これなら、交渉もスムーズに進むかもしれない。


「あの、すいません」

「召喚されたら村を潰せ、と言われているのだが。……この村で間違いはないか?」


 ……既に、交渉の余地など残されてはいなかった。

 くそ。……やはり、戦うしかないのか。だとしても、この巨体とここで戦ったら……奴が意識して村を潰さなくても、勝手に村が無くなってしまうだろう。なら場所を変えるかと言いたいが、この悪魔と戦闘出来るだけのスペースなんて、近くには無かったような気がする。……いや、いっそ人の居ないこの場所こそ、戦うのには最適か? 村民は既に逃げているから、村には誰も居ない。少なくとも、人間的な被害は出ないぞ。

 村が無くなったら、村民は泣くだろうが……俺は苦笑した。

 一撃で終わらせる手段でも無ければ、どう足掻いたって飛んだり跳ねたりの戦闘になってしまう。俺にはそんな火力の大技は無いから、まあ無理な話だ。


「魔導士様……あ、あんな魔物、倒せるんですか……!?」

「倒せるか倒せないかって言ったら、まあやってやれない事はないだろうが……接戦になるのは間違いないから、それが問題なんだよ」


 スケゾーとの共有率を上げれば、俺の身体能力も跳ね上がるが……しかし、あんまり共有率を上げ過ぎてもなあ、と思う。全くノーリスクな訳でもない。出来れば避けたい所だ。

 やっぱり、村が無くなるのを覚悟で戦うしか、手段は無さそうだ…………ん?

 俺は、振り返った。


「…………お前、何で居んの? さっき逃げろって言っただろ?」


 リーシュは両の拳を握り締めて、俺の言葉に憤慨していた。


「に、逃げられませんよ!! 何のために私がここに戻って来たと思ってるんですか!!」


 あれ? 何か俺は、大事な事を忘れているような。

 ここに来る時に……そう、何か無かったか? 世界の終わり的な、こいつの唯一の長所であり短所…………

 俺の背後で、黒紫色の光が巻き起こった。俺はその異変に気付いて振り返り、思わず冷や汗を流した。

 魔力の量が――――違い過ぎる。


「あまり時間を掛ける訳にも行かないのでな。手短に終わらせて貰うぞ」


 闇魔法。……中身は何だろうか。魔物の魔法って、何が起こっているのかよく分からないモノが多いからな。デーモンは右の掌に魔力を集めていた。ブラックホールのような魔力の塊は渦を巻き、赤黒い筋肉が盛り上がる。

 召喚と単に言っても、それが実体を伴わない召喚なのか、それとも実体を召喚しているのかで、対処が変わって来る。…………さて、どっちだ。


「ふんっ――――!!」


 村に向かって、デーモンは魔力の塊を投げ付けた――……!!


「『十%』…………!!」


 スケゾーとの共有率を上げると、全身に瞬間的な重みを感じる。熱に浮かされた時のように、鉛のような重い身体。目眩と言うのか、立ち眩みと言うのか、そのような感覚に襲われた。

 だが、それも一瞬の事だ。間もなく俺の身体能力は跳ね上がり、地面を強く蹴ると、俺は村の民家を一つ二つ、軽々と飛び越えられる程の脚力を手に入れる。

 真っ直ぐに、デーモンの放った魔力の塊の前へ、その身を滑り込ませる。……こうして目の前で相対してみると、やはり強大だ。一撃で村が吹っ飛びかねない程の質量……しかし、泣き言は言っていられない。

 左腕を、右に構える。剣を振る要領で、左の拳をそのまま左へと振り抜き、小指から魔力の塊へ……!!


「ぐっ…………!!」


 重い……何という重さだ……!! だが、しかし……この程度なら……!!


「――――ォラアアアアアアアッ――――!!」


 どうにかならない事も無い。

 俺の筋肉も、二倍程に膨れ上がった。弾き飛ばした魔力の塊は、そのまま海の方向へ。村に直撃する事無くコースを変え、やがて水平線の向こう側に消えた。コントロールしているデーモンの管轄を離れれば、そのまま霧散するだろう。

 デーモンは俺の様子を見て、少しばかり感心しているようだった。民家の屋根に着地すると、ある事に気が付いた。

 リーシュを見る。


「魔導士様…………!!」


 不安そうな顔をして、俺を見ているが。同時に、波動が村に激突せずに済んで、安堵している様子もあった。

 そうだ。……あるじゃないか。こいつとまともに戦う事無く、一撃で都合良く終わらせるスキルが。


「おい!! 準備しとけ!! 村を護りたいだろ!?」

「えっ……!? は、はいっ!!」

「一刀両断だ!! できるだろ、お前なら!!」


 リーシュは目を丸くして、俺の言葉に面食らっていた。まさか、自分に振られるとは思っていなかったんだろう……だけど、リーシュのあの魔法は……【アンゴル・モア】とかいう名前のスキルは、熟練の冒険者でも軽々とは使えない程の火力がある。

 コントロールが利かない事だけが弱点と言えばそうだが、この魔物相手なら問題無いだろう。

 文字通り、ぶっ飛ばしてしまえば良いんだ。全力で。


「で、でも……私が、ですか……!?」


 どうやら、自信が無いらしい。これまでずっと、底辺の扱いを受けていたんだろうからな。当然と言えば当然か。

 拳に魔力を込め、俺は魔物を威嚇しつつ、リーシュに言った。


「お前は強くなれる」


 リーシュが、俺を見た。


「お前、ただの人間ではないな……?」


 デーモンは俺を見下ろし、そう言った。俺は腕を組んで、不敵な笑みを浮かべる。

 魔法の準備だ。俺の全身は紅い魔力に包まれ、淡く光る。

 このお気楽すっとぼけ娘に、ザ・デーモンを倒す事なんか出来るのか。それは、分からないが……残念ながら俺の魔法一発では、あれ程の火力は出ない。村を護ろうと考えるのなら、リーシュが討つのが最も都合が良い。


「デーモンよ……ここで出会ってしまったのが、お前にとっての運のつくばい、因果の止め……!! 悪いが、そのまま魔界に帰って貰うぜ……!!」


 だが、出来る筈だ。俺はリーシュに向き直り、言った。


「よく聞いとけ。……少なくとも強くなるために必要な事が、ひとつだけある」


 今のリーシュには、決定的に欠けていることだ。



「自分を信じることだ」



 リーシュは、喉を鳴らした。だが――……その覚悟は、僅かに伝わって来た。

 良い表情になったじゃないか。俺は思わず、笑みを浮かべてしまったが――……大丈夫だ。こいつならきっと、やれば出来る。


「俺がタイミングを作る!! お前が討て!!」

「…………はいっ!!」


 良い返事だ。


「嘗て……魔導士業界で、『如何なる魔法も全て飛ばない』と呼ばれた魔法使い見習いがいた。広く噂になったが、魔界で生きるお前は知らないかもしれないな……奴は『飛ばない魔法』のスキルを磨き、そして、新たな境地を見出した……!!」


 俺の、オリジナルの魔法。こいつは爆破魔法に爆破魔法を重ね掛けした、俺の十八番だ。

 躊躇無くデーモンに向かって、飛び出した。

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