第4話 決意

 僕は中学三年になった。

 その日は僕一人だけで掃除していた。当番だった連中は誰もいない。いつものことだ。しばらくして一人で帰宅するのを怖がった新井君が一緒に手伝ってくれた。

 一クラスの人数も二十五人しかいないけど、机の数はなぜか昔のまま四十もある。いつか増える予定でもあるんだろうか。


「俺たちどうなるのかな」

 新井君はいつもびくびくしている。

 “どうなるか”の内容がどうやって日々のイジメをしのいでいくか、という学校レベルから天下国家の不安まで背中にしょってしまう。

 このあいだ新井君の肩をかりて下校してとき(怪我の原因:アクマ王)、通学路に合流する路地に捨て猫がいるのを見つけた。

 僕はもちろん、新井君の家もペットなんか飼う余裕がないから通り過ぎた。

 そしたら新井君はぽろぽろ涙をこぼしてるんだ。

「かわいそうなやつ」

 そのかわいそうなやつ、のなかに自分や僕やカッちゃんたちのことがはいっているんだろう。それくらいは僕にもわかった。

 でも、不安のタネを見つけないと落ち着かない性格ってのはつらいだろうな、と言う気がした。

 心に空白ができると新しい不安のタネを心にばらまいて育てたあげく、また不安に怯える。新井くんはかわいそうな奴だった。

 ……僕が鈍感すぎるのかも知れないけど。



 学校でいじめられていたとしても、世の中の動きは伝わってくる。

 しかし、でも戦争のことはどうにもならない。僕たちは一介の中学生にすぎないんだし。

 学校生活は一変した。まず、節電が徹底された。

 小さな島をめぐる争いが拡大して地域紛争へ、やがて四つの国を巻き込んだ戦争になった。おかげで、石油を運んできた海の道は分断され、国内の備蓄は半年でなくなって、火力発電は死んで、まだ原発はうごかない。

 朝の授業は一時間繰り上げられ、かわりに一時間早く授業が終わる。部活動はない。つまり太陽の昇っている間だけ学校にいることができる。

 コンビニは絶滅した。電気が足りないからネットは瀕死のありさまだ。さらに輸入肥料がなくなって、自給率は二十パーセントを切って食料は配給制になった。そして……。


 僕たちが中学三年生になると同時に「国家総動員法」が施行された。

 国民は一丸となってこの国難に耐え忍ぶべし、というわけで義務教育が終わると進学する子供を除いては国家青年動員隊に入隊を強制される。

 ニートやアルバイターは犯罪だ。

 働くか学ぶか二つに一つ。戦争が始まってからは、進学できなかった子供を引き取ってくれるのは国家青年動員隊だけになった。肉体労働が必要な場所(農村とか、山村とか、漁村とか)で力仕事が待っているし、そこをでるとほとんどが自衛隊へいく。

 自衛隊に入って世界を回ろう!! というわけだった。でも、僕も新井くんも体力に自信がまったくない。



 残された選択肢は一つしかなかった。つまり、

「勉強するしかないだろ」

 僕は床モップを動かしながら答えた。と言うのは簡単だが、今の学力では動員隊送りになるかも知れなかった。

「だよな。俺、こんどから塾にいくことにしたんだよ。親父が一生懸命さがしてくれてさ。今からでも入れてくれる塾が見つかったんだ。ちょっと町から遠いけど」

「じゃ、塾帰りは気をつけなよ」

「うん」

 クラスが違うから、校内ではすれちがいになって結局、新井君と会話らしい会話をしたのはそれが最後になってしまった。



 塾の帰りに襲われたんだ。

 その日はたまたまお父さんが迎えに行けなかったらしい。ということはずっと前から狙われていたんだろう。でも犯人は……言うだけ野暮だ。公式にはわからないことになっているが校内の噂はあっという間に広まった。アクマ王。

 家まであと少しというところで、両方の上腕骨と、ご丁寧に指まで折られたという。一度に二カ所も折られると回復がものすごくおくれるってことをやつらは知っていたんだ。まさに悪魔の所業だった。新井くんは両腕ぷらんぷらんのまま、半狂乱で家まで帰ったらしい。

 次に新井君と会ったとき、彼は頭をそられて白木の箱におさまって、まわりには菊の花がいっぱい生けてあった。

 読経を聞いた帰り道、誰かのささやきが耳に入ってきた。

 “……自殺だってさ”



 この時点で、僕の何かは決定的に変わった。

 死にたくない、これ以上いじめられたくないという消極的な理由だったけれど、すこしでもましな高校に行くための猛勉強をするしかない。

 だから、エアコンが死に絶えても、イジメが続いていても、僕は必死で勉強していた。夜は節電だったから手回しのLEDランプだけでがんばった。

 勉強だけが、このくそったれな現実から脱出できるただ一つの方法だと信じていた!

 でも、テストはほとんど白紙で出した。下手に勉強をしてるってわかったら、アクマ制裁が降ってくるのは目に見えていたし。

 だから用心深く三年の九月になっても僕は進路を保留にして、進路指導も適当にやり過ごした。

 で、土壇場になってカッちゃんと僕のあこがれの高校を志望した。

 もうそのころには“こいつは何を言ってもだめなヤツ”というコンセンサスが広まっていたから、担任も進路指導の先生も勝手にすれば? という無関心を決め込んでいた。

 どうせこいつは中卒で動員隊送りだ、とその顔に書いてある。


 ……見下すのは勝手だけどね。

 僕は三年の年末から体調不良と言うことで休んだ。

 この時期だと出席日数は足りているから、卒業できるはずだ。どのみち高校受験のテスト範囲は中学三年の二学期で九割はカバーしているわけだし、あんな監獄中学にもどる義務も義理もあるはずはない。

 残りの二ヶ月間、僕は持てる力のすべてを勉強に費やした。 

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