引越

引越 一日目

 卒業式を終えた。

 人生最後の卒業である。

 もちろん人生の幕を閉じることを虹の橋を渡る的言い回しで卒業などと呼ぶこともあるかもしれないし、私は今後アイドルグループに所属することが100%ないとは言い切れないし、その他卒業という言い回しを用いる機会があるかもしれないが、それはそれとして、だ。

 小学校は六年、中学校は三年、高校も三年。大学は四年……と思いきや、どこで道を踏み外したのか六年も通ってしまった。麦わらの一味だって六年後にシャボンディ諸島で、などと言われたら困惑するに違いない。長すぎる。もう十分である。これ以上にモラトリアムを延長しようとすれば、博士課程という魔窟に足を踏み入れることになる(あれは断じてモラトリアムなどではない)。


 終わってみれば呆気ないものだ。

 六年間の大学生活で私が獲得したものといえば、不規則な生活で上昇した血圧。アルコールによる肝臓へのダメージ。奨学金という名の膨大な借金。修士号を示すペラい紙切れ。たくさんの経験。かけがえのない友人。周囲への感謝。しまった。途中からちょっといいことばかり言ってしまった。

 とにかくそれらを後生大事に抱えて、私は帰途についたのだった。


 さて、人を見る目が壊滅的に壊滅している人事担当者がうっかり採用のハンコを押してしまった結果、四月から私はとある企業に就職することとなった。長らく謳歌してきた学生生活に別れを告げ、社会人として働き始める時が訪れたのだ。

 そうして住み慣れた九州を離れ、新天地たる京の都へと必要が出てきた。

 距離にして700km。

 飛行機? 新幹線? 電車? 高速バス? アルコール漬けで灰色になった私の脳細胞が導き出した答えは……「走る」であった。

 読者の方々は覚えておいでだろうか。私が中型二輪の免許を取り、中型(250cc)のバイクを手に入れ、真夏にキャンプに行って激しく後悔したりしていたことを。このバイクを引越し先にただ荷物として送るのではつまらない。どうせなら「乗って行く」ほうが楽しいのではないか……?

 こうして私は密かに計画を練り始めたのだった。


 ここ福岡から京都まで行くには、いくつかのルートが考えられる。

 まずは新幹線に沿って瀬戸内海沿いを通るルート。そして日本海沿いを走るルート。小倉から大阪までフェリーに乗るルート。大分からフェリーで四国に渡り、四国から橋で本州へ渡るルート。何をしたいか、何日かけて行くか、などによってルートを決める。


 私は天気を調べた。

 晴れ。私が走る日にち、ルート上の天気はすべて晴天である。

 晴れた日に日本海沿いの道をのんびり走るのはきっと気持ちいいに違いない。そんな感じであっさり決めたルートがこちらになる。

 まず小倉から関門海峡を渡り、下関へ。そこから山口県を縦断して萩まで向かう。一日目の宿は萩にとっておく。二日目以降は海沿いに島根県を走り抜け、鳥取から山中を走って京都へ。行けるところまで行き、適当な場所で宿を探す。到着は三日目になる予定だ。

 ぶっ続けで走ったとして所要時間は十六時間(グーグルマップ調べ)。

 なかなかのハードスケジュールになりそうだ。


 「旅行紀:学生編」最後の旅にして、帰り道を考えない最初の旅。

 間違っても最期の旅にならないよう、安全運転で行こう。



 役所で転出届を出したりいろいろしているうちに正午を過ぎた。

 荷物をまとめて午後三時、いよいよ出発である。

 既に家具や服などは向こうに送っている。持っていくのは最低限必要な着替え、それから銀行通帳などの大事なもの、それくらいだ。リュックひとつにまとめ、タンクバッグ(燃料タンクに磁石でくっつけるタイプの小物入れ)にスマホを入れ、片耳にBluetoothイヤホンを差し込んでナビアプリを起動する。まったく便利な世の中である。スマホがない時代にツーリングするの大変だったろうな……。

 三日間走るとは思えない軽装になってしまったが、まあ大丈夫だろう(注:全然大丈夫じゃなかった)。


 旅路を心配したり新生活を応援したりと最後まで忙しなかった両親に、手を振りながら走り去った。

 大変お世話になりました。

 昔ならいざ知らず、今の時代には家族のライングループというものもある。ペットのインコの画像やらが貼られて騒がしい。離れていても離れている感じがしない。きっと大丈夫だろう。

 なんて思っていたけれど、信号待ちで止まって一息つくたびにこれまでの思い出だの何だのが去来して目の前が滲んでしまった。

 生まれてからずっと、そう、二十四年間住んでいたのだ。致し方なし。


 福岡市内を抜けて北九州・小倉方面へ。

 平日の午後、夕方に差し掛かろうとしている時刻。仕事帰りの車が増えてきた。

 ここまでは友人とのドライブで通ったこともあり、比較的見覚えのある道だ。特に迷うこともなく、一度目の給油。なんとこのバイク、燃料メーターがついていない。給油のたびに走行距離メーターを0に戻し、だいたい200km走ったら給油……というサイクルで乗っている。たぶん250kmぐらい走れるとは思うが、ギリギリを攻める必要はない。余裕を持っていこう。


 ガソリンを入れたあと添加剤をタンクに注ごうとしたが、添加剤が出てこない。何か詰まってる? と容器を強く握った瞬間、添加剤がどぽっと噴き出してタンクの燃料注ぎ口周辺に飛び散った。さらに、添加剤の注ぎ口に付いていた紙蓋が外れ、ひらひらと燃料タンクの中に舞い落ちていった。

 幸先が悪い。


 小倉市に入ったあたりでスマホの電池残量が20%を切った。

 ナビを起動しているとこんなにも減りが早いものなのか、と驚きつつもぬかりなく持ってきておいたモバイルバッテリーに繋ぐ。しかし充電されない。見れば、モバイルバッテリーそのものの充電が切れており、力なく赤のランプが点灯している。そういえばこの前使ったあと充電していなかったな……。なーにが「ぬかりなく」だ。ぬかりしかないぞ。

 いや、でものんきに困っている場合ではない。さすがにナビなしで今夜の宿まで辿り着くのは不可能だ。通りかかったショッピングモールに入ってみたが、充電スポットは見当たらなかった。こうなれば新しく電池式のモバイルバッテリーと電池を買うか……などと思っていたら、救済策は思わぬところにあった。

 思い出したのだ。

 このバイクの前の持ち主によって施された改造のことを。

 シートを外してみると、確かにそこにあった。ところどころ錆びてはいるものの、立派なUSB給電ケーブルである。スマホと繋いでエンジンをかけてみれば、「充電中」のマークが浮かび上がり、私は快哉を叫んだ。これだから中古のバイクというのはロマンの塊なのだ。

 ありがとう、前の持ち主の方。


 充電の心配がなくなった私は、軽やかに先へと進んでいく。

 関門海峡を見下ろしながら橋を渡れるかと思ったら、一般道は関門トンネルで下関まで向かうことになるのだった。景色も何もない海の底、なまぬるい空気がごうごうと音を立ててかき混ぜられているトンネルを進めば県境である。

 そして私はついに九州とオサラバし、本州に足を踏み入れたのだ。


 トンネルを抜け、下関市を走る。ここから海沿いを離れ、山中の道を通って日本海側の地方都市・萩まで向かうのだ。山道に都合よくガソリンスタンドがあるとは限らない。念には念を入れて100kmごとに給油しつつ走っていく。


 時刻は六時を回り、陽が落ちて空が青灰色に染まっていく頃。

 私は重大な問題に直面していた。


 寒い。


 三月の終わり、季節はすっかり春である。陽が照っている日中は非常に暖かい。では、陽が落ちたあとは? 折しも晴天、空には雲ひとつなく、日光により地上に蓄えられた熱は夕暮れを境に猛烈な勢いで空の彼方へと消えていく。気温は下がってゆく一方である。

 そもそもバイクとはむき出しの身体を乗せて時速60kmとかでびゅんびゅん移動する乗り物だ。体感温度は気温より大幅に下がる。それを踏まえて私の服装は、日中に走っているときのみ非常に快適な……つまるところ、薄着であった。防寒着は既に引越し用の荷物に詰めて新居に送ってしまっていたのである。

 完全に失敗した。

 風が容赦なく突き抜けて肌を刺す。下半身の感覚は既になく、歯の根が合わず常にガチガチ鳴っている状態である。グリップヒーターの温度を最大にしても、革手袋を突き抜けてくる風で指先から凍えていく。

 コンビニを見れば立ち寄って、熱いペットボトル飲料、肉まん……身体の温度を騙し騙し上げていくものの、焼け石に水の逆バージョン。早く着かないとカチコチに凍ってしまう。


 下関から秋吉台を通り抜けて萩まではおよそ90km。

 すっかり陽が沈み、辺りは真っ暗。周囲に街灯はなく、人通りはなく、車通りもない。時折、民家のようなものが見受けられるが、明かりさえ点いていない。ここは人里なのか? この道で本当に合っているのか? さっきテケテケいなかった? このまま進んでうっかりきさらぎ駅とかに着いたらどうしよう。

 ナビも「この先80km道なりです」しか言わない。もうちょっと詳しく教えてくれ。


 暗い山道を進んでいくと、時間の感覚もなくなっていく。頼りになるのは定期的に現れる案内看板の文字だけだ。「萩 ○○km」の数字が徐々に減っていく、それが一瞬のようにも永遠のようにも思える。


 やがて、遠くに車のライトが見えた。嬉しかった。ちゃんと人が通る道だったんだ。

 道に街灯や車通りが増えてきたので、対向車の目を射ることのないようローとハイを切り替えながら進んでいく。ハイビームなんて初めて使ったかもしれない。

 九時を回った頃、ついに萩市に入った。

 飛び上がるほど嬉しかった。


 予約していた宿は萩駅のすぐ近くにある。

 駐車場にバイクを停め、チェックインして部屋に荷物を置き、宿の風呂に飛び込んだ。部屋に備え付けの風呂はないので大浴場だが、他に客もいない。実質貸切だ。

 浴場の床には畳が敷いてあって驚いた。

 踏むと柔らかく、暖かい。そして滑らない。掃除するのは大変そうだが、快適さは石の床とは比べるべくもない。いいなあ、畳風呂……。大きな浴槽に浸かっていると、特に冷えていた膝や指先に徐々に血が巡ってくるのを感じ取れた。


 生き返った私は晩ごはんを求めて宿の外へ。

 すべてが閉まっている。町はしいんと静まり返っていて、街灯も人通りも……もしかして地方都市ではこれが普通なんだろうか。これまでそれなりの大都市で過ごしてきたからか、夜でも人はそこらを歩いているし店は開いている、それが当たり前だと思っていた。もしかしたら違うのかもしれない。

 なんとかコンビニを見つけて駆け込んだ。パスタサラダに筑前煮(最近は血圧が高いため、野菜多め塩分少なめを心がけている。しかしコンビニ飯の時点でほぼアウトでは?)などを買って宿に戻る。

 晩ごはんを腹に収めて、さっさと横になった。明日は早起きして、日中に行けるところまで行きたい。あまり夜に走りたくはない。寒いから。


 ハプニングらしきことは起こったものの、無事に一日目を終えた。

 二日目も何事もなく行けますように……そんな願いは、脆くも打ち砕かれることになる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る