佐賀

佐賀 一日目

 突然だが、皆さんは佐賀についてどういった認識をお持ちだろうか。

 九州にある小さな県。バキだのヴィンランドサガだのゾンビランドサガだのと妙なコラボをやっている。ブラックモンブランを作っている竹下製菓の本拠地。ちなみに私は佐賀について「福岡と長崎の県境」だと思っています。


 そんな私の佐賀に対する偏見はさておき、今回の旅行の目的地は佐賀県。正確には佐賀のほぼ北端に位置する「波戸岬」のキャンプ場となる。

 いつも飛行機で貧乏旅行していたのにいきなりキャンプ?

 ……そうなんです。いろいろあったんです。


 発端としては、まず数年前に例の友人が「ゆるキャン△」を視聴したところまで遡る。砂に書いたI LOVE YOUの文字より流されやすいタイプの友人は無事どハマりし、キャンプ道具一式を揃え、冬に一人でキャンプに赴き、積雪で死にかけつつも経験を積み、万難を排して私をキャンプへと誘った。

 一方私は小学生の頃にキャンプなど何度も経験済み、何なら無人島に乗り込んでイモガイ(猛毒種)ひしめく海でサザエを捕りに潜ったりという刺激的な体験もしている猛者である。ディスカバリーチャンネルのサバイバル番組も欠かさず見ている。そんな私にとってツーリングキャンプなど赤子の手を握るより容易いことよと快諾し、ついでに勧められたゆるキャン△も視聴した。後日もう一周観た。良。


 そんなこんなで肩慣らしに向かったのが友人宅の近所の山にあるキャンプ場。当時私のマシンはオンボロのスーパーカブ、友人のは新車125ccであり、二人で走っているとカタログスペックの差をひしひしと感じる(というか法定速度の差を感じる)ため、大変苦労した。

 ちなみのこのとき私が山をギア二速でえっちらおっちら登っていると、後ろから煽り運転してきていた友人の姿が突如見えなくなり、あとで問いただすと「お前のエンジンから白煙が出てたからとりあえず逃げた」とのこと。いや教えなさいよそれは。


 と、いろいろありつつも無事に一泊二日のキャンプを終え、次はどこに行こうかね……と期待に胸を膨らませていたのが一年前の春である。その後、学会やら就活やらに追われて何もできない日々が続き、気づけば季節は一周と四分の一回っていた。


 ここでようやく話は現在に戻る。

 私がふと思い立ってキャンプ行きてえな〜〜と近隣のキャンプ場を調べまくり、近隣にろくなキャンプ場がないことが発覚し、「近隣」の定義を「同じ島内(つまり九州全域)」まで無理やり拡大したところ、いいところを見つけたのである。

 それが今回訪れる「波戸岬キャンプ場」であった。

 まず予約しやすい。支払いしやすい。これはかなり大きなメリットである。以前けっこう素敵なキャンプ場を見つけたと思ったらwebサイトから利用申込書をダウンロード→印刷して手書きで記入→メールかFAXで送信→請求書を返送→予約金支払い→利用許可書を郵送→ようやく予約確定とかいう20年放置した肥溜めのような利用手続きを見て愕然とした経験からも言える。webから予約してクレカ払いができるのはとてもよい。文明を使いこなしてこその現代人だろう。

 そして海が見える。海水浴ができる。夏に海水浴をせずしていつ海水浴をするというのか。

 さらに、距離がちょうどよい。我々の家からバイクで数時間かそこら走れば着く。ツーリングとしてちょうどよい距離、おまけにキャンプもできる。


 我々は「いいとこ見つけちゃった!」と興奮し、鼻息荒く予定を立てた。混雑を避けてお盆から少しだけずらした日程を組み、電話しながら持っていくものを確認し、バイクをメンテナンスした。

 準備は万端。あとは楽しむだけ。

 これが地獄の釜の蓋の上でタップダンスするがごとき愚行の始まりであるとは、二人とも予想だにしていなかったのである……。


 そして当日。

 一度私の家に集合し、昼前に出発する手はずである。キャンプ場に早めに着き、いい場所を確保し、テントを張って、海へ。計画は完璧。

 時間通りに到着した友人をしばらく冷房の効いた部屋で涼ませてから、出発。


 バイクにテントや寝袋を積み、フック付きの網で括り付け、さあ行くぞと跨った瞬間に私は悲鳴を上げた。

「あっづ!!」

 尻に焼ごてを押し付けられているかのごとき熱さ。陽光の下でたっぷりとあたたかさを吸い込んだ座面は卵を落とせば目玉焼きができそうな塩梅であった。

「ほれ、さっさと出発するぞ」

 乗ってるうちに慣れるだろ、と涼しげな顔の友人。きっと尻の皮が分厚いに違いない。奴を尻目に私は悪戦苦闘しながらバイクのエンジンをかけた。そしてクラッチレバーを握った瞬間、私は再び叫んだ。

「あっっっっっづ!!!」

 座面に接する私の尻はジーンズと下着という二重の防壁によって覆われており、伝わる熱もそれなりに減衰している。ところがクラッチレバーを握る手は生身である。剥き出しである。そして金属製のクラッチレバーは、それはそれはいい具合にアチアチであった。

 クラッチを握らなければバイクを動かせない。クラッチを握ったままでは指が焼肉になる。BLEACHか?

 出発前から実に前途多難であった。


 そしてようやく発車、と思いきやあまりにも暑すぎたため、発車後二分でコンビニに寄った。買ったのは軽食とソルティライチである。ソルティライチは水分と糖分と塩分を同時に摂取できる万能飲料であり、夏の暑い日に飲むとそれはそれは天上の神々の飲み物かと錯覚するほどにおいしい。


 折しも太陽は我々の頭上、南天に燦々と輝く真昼時。

 信号で止まったときは地獄である。じりじりと肌を焼く陽光、それを吸い込んで自身も熱を発するアスファルト、上下から挟まれてホットサンドになりそうな状態で信号が青になるのを延々と待つ。

 そして困ったことに、走り始めても一向に涼しくならない。対流により汗の蒸発が促されわずかに熱が奪われるものの、押し寄せる灼熱の空気はまるでサンタナ(メキシコに吹く熱風)である。エアコンの室外機の風を浴びているがごとし。死ぬ。死んじゃう。


 ソルティライチを補給しながら走っているうちに海沿いに出た。こうなると風もあり、わずかに涼しくなって走りやすい。

 信号も少ないため、実にすいすい走れる。景色もよければ天気もよい、これぞツーリングである。ただし暑い。今回の旅行紀、もう「暑い」しか書くことがない。


 ヒンヒン言いながら走り続け、辿り着いたのは虹の松原。

 ここは佐賀県唐津市の海沿いにある名所、要は松の木が大量に植えてある砂浜である。防風林としての役割を果たしており、松はどれも潮風を受けてぐにゃぐにゃと曲がりくねっている。この形状でこの荷重でこの応力集中を受けてよく折れないな、と思ってしまうあたり機械系学生が染み付いている。

 松林の中を切り開くようにゆるくカーブした道は、松からの木漏れ日もあってか走っていて気持ちがよい。ドライバーにも人気が高いスポットである。


 ここで小休止を挟む。

 虹の松原の道沿いに停めてある移動販売車、そこで売っている唐津バーガーが昼ごはんだ。厚めのパンにパティ、どっさりのチーズ、スパイシーなタレは胡椒が効いており大変うまい。


 お腹が満たされたところで再出発。

 唐津市街を抜け、その先へ。途中の百均に寄って安っぽいサンダルとアームカバーを買った。手の甲の日焼けが気になっていたのだ。長袖にアームカバーで珍妙な格好になってしまったが、この際あまり外見など気にしていられない。


 それからソルティライチが尽きたためドラッグストアで凍ったアクエリアスを買った。しばらく走って、融けた頃合いを見計らって飲もうとしたが、開栓した瞬間に吹き出してけっこうな量がこぼれた。ああ、一番濃いところが!!


 それからまた走ること一時間と少し。客観的に見ると座って手首を動かしているだけなのだが、徐々に暑さで体力が奪われていく。やはり真夏にツーリングなど愚かだったか……と遺言書の書き出しを考え始めたところで、看板が見えてきた。波戸岬キャンプ場まで3km。


 午後二時、太陽の熱を吸い込んだ地面によってもっとも気温が高くなる時間帯。

 やっとのことで目的地に到着である。ここまでですでに四本の500mlペットボトルが胃の中に消えていた。


 クレカ払いで予約は済んでいる。キャンプ場内の地図を渡され、指定されたエリアへ。

 三方を森に囲まれた芝生のテントサイトである。見晴らしがよく、海へと下る坂道もあり、なかなか楽しそうだ。

 エリア内のどこにでもテントを張れるらしいが、木陰の涼しそうなところにはすでにテントとタープが張られており、裕福そうな上流階級の家族たちがゆったりとくつろいでいる。我々は仕方なく、よく開けた素晴らしく日当たりのよい場所にテントを張ることを決めた。


 テントを張るのはそれなりの重労働だ。特にペグを打ち込むのは、地面が硬いため何度もハンマーを叩きつけねばならない。

 風のない午後、日差しを遮るものもなく、なんだか風景さえ揺らいだり色褪せたりして見える。

 定期的に日陰に逃げ込んで汗をぬぐい、水道の水を頭から被り、塩タブレットを怒涛の勢いで噛み砕きながらテントを張り終えた。その途中、私はアブに刺されて血が出た。自然が豊かとはつまりこういうことである。


 テントの中で水着に着替え、念願の海へ。


 海水浴場はここから数キロ先にあるが、眼下にも海はある。ならばここでよかろうと坂道を駆け下りた。

 そこで目にしたのは鋭い火成岩の入り組んだ岩場である。

 ちょうど干潮の時間帯、そこはまさに「磯」といった趣で、潮溜まりには生き物がうごめき、岩には鋭いフジツボや亀の手がそこかしこに張り付き、浅瀬には海藻がゆらめき、ウニが大量発生していた。ウニが大量発生??

 そう、海底にはウニが大量発生していた。波にゆらめく水底をよくよく見れば、色が濃いところは岩場ではなくウニである。ウニが密集しているのだ。ここまでくるとトラップ以外の何物でもない。百均サンダルで踏み抜いて無事で済むとは思えない。

 ちなみにウニが大量に発生していると、その近辺は海藻が食い尽くされ繁茂しなくなる「磯焼け」状態になる。こうなると生物も生息できなくなり、漁業には大打撃である。でもウニがいるんだから獲って食えばいいではないかと思うが、ウニたちも飢餓状態になるため生殖腺(私たちが食べる部分)も満足に育たず、したがって食用にはならない。ただただ迷惑である。ウニも必死だろうけれど。


 比較的平らでウニの少ない場所を選びつつ海に入った。外海と繋がっているのもあり、あまり深いところまで行くのは危険だ。飛び込んだり泳いだりはできそうにない。とはいえ水は冷たすぎずぬるすぎず、腰まで浸かるだけでも実に快適である。

「えい」「きゃっ」「ほらほら」「もうっ」と水をかけあって遊び、なんだか悲しくなってやめた。


 海から上がって岩場の潮溜まりを覗き込むと、想像よりもはるかにたくさんの生き物たちがいてテンションが上がってしまった。

「わあエビがいる」

「あっカニ! 捕まえた! 挟まれた!」

「うええフナムシがいっぱい」

「魚」

 これが二十三歳と二十四歳の会話である。日本の未来はかくも明るい。


 そして海で遊ぶこと三十分……貧弱な大学院生たちの体力が尽きようとしていたのでキャンプサイトに戻り、完備された水道で体の塩分をある程度洗い流して一休み。

 体が乾いてから着替えてバイクに乗り込んだ。このフットワークの軽さがバイクの強みである。

 夕暮れ時、目指すは波戸岬。

 岬というぐらいだから素敵な景色なのだろう、とわくわくしながら見に行った。キャンプ場から数分走ればもう到着である。

 駐車場にバイクを停め、そこから延々と歩いて辿り着いた波戸岬は、結論から言えばただの岬だった。そこまで景色がきれいなわけでもなく、何か名所旧蹟があるわけでもなく。

「ただのWindows XPの壁紙じゃねえか」私はぼやいた。

 すでに疲れと乳酸がかなり蓄積している。バイクを置いたところまで休み休み歩いて引き返した。


 そのまま近く(五キロ先)のスーパーに行って今晩の買い物をする。主食はどうしよう、とうろうろしているうちに友人が鍋焼きうどんがいいと言い出し、この暑いのに正気か? と思ったが、なんだか響きを聞くと食べたくなってきた。うどん玉をカゴに放り込み、あとは水分と肉と野菜と酒とつまみ、そして明日の朝用のパンとスープとぶっといソーセージ。肉は鶏、豚を用意した。

「あっ花火ある! 花火やる?」

「やらない」

 にべもない返事。風流を解さないやつめ。

「なんで男二人で」

 確かにそうかもしれない。いや、しかし性別を理由にそういうこと言うのはこの令和の時代に即してないのでは? 価値観をアップデートしていく必要があるのではないか? 猛暑の中で汗だくの男が二人、しかめっ面で線香花火を睨みつけている絵面を想像して私はピャッと悲鳴を上げた。やっぱいいや。


 買い物から戻ったらすでに日は沈みかけている。急いで固形燃料に着火し(今回は枯れ枝を集めて火をつけたりはしない。面倒だし煤がすごいし火力調整しにくいし、何より暑い)鍋の中で肉と野菜と麺を炒めた。なかなかいい具合に火が通り、素敵な香ばしさが漂ってくる。

 辺りはだんだんと薄暗くなっていく。

「急げ急げ!」

 具材に火が通ったことを確認し、各自好きなように味付けをして、小型クーラーボックスで冷えていたビールをコップに注ぐ。

 間に合った。太陽の最後のひとかけらが地平線の先に没すると同時に、我々はコップを高らかに打ち鳴らした。

「乾杯!」

 最高の一日には最適な飲み物だ。よく冷えたビールでキューッとなった喉から全身に幸せが広がっていく。


 そして、いい具合に湯気の立っている鍋焼きうどんを食べる。焼肉のタレで野生的な味の鍋焼きうどんを作り上げた友人に対し、私はお吸い物の粉をふりかけて上品な味付けを施している。これぞ品位の差というものだろう。

 あとで一口食べさせてもらったが、焼肉のタレで炒めた鍋焼きうどんがおいしくないわけがなかった。


 のんびりと話しながら鍋焼きうどんを食べつつ肉を焼き、ビールを干し、ハイボールを干し、赤玉パンチを干し、チューハイを干した。

 夏ゆえに日没後も多少は明るかったが、しかしそれも十九時あたりが限度。

 二十時を回るとどんどん暗くなっていき、ついには手元さえ見えない闇が降りた。空には満天の星が見える。ああ素晴らしきかなキャンプ……という感慨を、そのとき耳元でプウンと鳴った蚊の羽音が跡形もなく打ち消した。

「出やがったな!」

 日が沈んだら奴らの時間である。持参したハッカ油を辺りに撒いたが効果は薄く、これは蚊取り線香が必要だったな……と後悔しても後の祭り。蚊は叩いても叩いても無尽蔵にリスポーンするが、我々の血液は有限である。このままでは干からびて死んでしまう。

「テントの中に避難してもう寝よう。そして早朝に起きよう」

 まだ午後十時にもなっていないが、キャンプというのは早寝早起きが基本である。私は諸手を挙げて賛成し、テントに潜り込んだ。さあ、明日は四時半頃に起きて日の出を拝むぞ。

 

 ……さて、ここからがこのキャンプ最大の難所である。

 とはいえ少し長くなってしまったので、この先は次回更新「佐賀 二日目」に譲って一度筆を置く。ちゃんと更新しますのでご安心を。

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