イタリア 八日目

3月24日(土)


 深夜に一度、友人の「日本帰るとかキモいやめろ」という謎の寝言で起こされた。

「何て??」

 一応訊いてみたが、案の定返事は返ってこない。そういえば「寝言と会話してはいけない」みたいな怪談なかったっけ……? ついうっかり返事をしてしまった。大丈夫だろうか。

 でもまあ、イタリアの幽霊というのはあまり怖くない。性格明るそう(偏見)


 そして再び寝ようとしたが、なんだかひどくかゆい。

 見れば腹や腕に赤い発疹がいくつかできている。ダニか。いや、ダニにしては発疹のサイズが大きい。なんか虫でもいるのだろうか。さてはこのシーツ……一見清潔そうに見えるが、最後に洗ったのはいつだ……?

 仕方なくそのまま寝た。虫刺されの薬は持ってきていない。我慢するしかないのだ。


 朝起きて例の朝食をとり、それからパンテオンに向かった。

 なんというか、「パンテオンって何?」という感じである。大きめの神殿であることは知っているが、イマイチ他の観光地に比べて知名度が低い。当然、期待度も低い。ヴァチカン行く前に寄るか〜〜ぐらいである。

 到着し、実際に目にしても、「ああ、うん……おっきいね……」という感想がぼんやり出てきただけだった。

 中に入ると、天井が高い。石でできた半球状のドームのてっぺんに、丸い採光窓が空いている。そしてドームの内側には立体的な模様が彫られており、もはや狂気の沙汰である。

 あの高さのドームを二千年近く前に造ったというだけでも「現代人よりすごくない?」という感じなのに、そのドームに彫刻まで施す余裕があるとは。重機もないのにいったいどうやって……?

 なんというか、古代人の発想力ってすごいんだろうなあ……と思った。現在の人類の発展の礎を築いてくださった方々である。感謝の気持ちを忘れずにいたい。もうほとんどの人は骨も残ってないけど。


 生協のスーパーがあったので、寄って水とクッキーを買った。昼ごはんである。メニューが悲しい。

 私だって好きで節約しているわけではない。お金が潤沢にあるなら毎食どこかのリストランテに入るし、メニュー表の値段なんて気にせずに食べたいと思ったものを注文するだろう。

 学生だから、というわけではない。学生でも豪遊している知り合いはいる(東京の私大に通う知り合いなどは、そもそも家がお金持ちだったりする。育った環境によって金銭感覚とはこうも違うのか、と驚きさえ覚えるほどだ)。私の場合、単にお金がないだけだ。未来の自分の稼ぎに期待しておこう。


 そして、いよいよヴァチカン市国へ。

 どこからがヴァチカン市国なのかさっぱりわからず「もう入った?」「まだローマ」「入った?」「まだ」「入」「まだ」を繰り返した。

 特に国境線が引いてあるわけでもないが、腰ぐらいの高さの柵で囲まれている。その柵が国境線だとするならば、本当に大聖堂の敷地内のみがヴァチカン市国の領域らしかった。


 そして領土に足を踏み入れた。とはいっても建物ではなく、噴水のある広場である。サン・ピエトロ大聖堂の写真を見たことがある方はわかるだろうと思う、あの真正面の写真。あの広場だ。

 物を売り歩く人々も柵の向こうには入れないらしく、策の前にたむろっては観光客を鵜の目鷹の目で眺めている。


 そしてサン・ピエトロ大聖堂入口から伸びる行列は、なんと広場を半周して反対側まで伸びている。なんてこった、また行列か。

 並んでいると、紙コップを捧げ持ったよぼよぼのおばあさんがやってきた。なるほど、押し売りがいない代わりに物乞いさんがいるのか。神の前だから人々の財布の紐も緩くなるだろうということだろうか? 私は仏教徒なので関係ありません。残念でした。


 実は、「物乞い」という言葉を使っていいのかどうかちょっと悩んだ。今は「乞食」が放送禁止用語だと聞いたが、それなら「物乞い」もアウトではないのか? そうだとしたらこういうとき、どういった名称を用いればいいのだろう。

 なんでもかんでも禁止すればいいってものでもないだろう、と思う。「乞食」だけではない。「外人」「めくら」「達磨」「唖」などなど、今は禁止されている用語も、ひと昔の本にはよく出てきている。それらの言葉を禁止したことで、差別は減ったのだろうか?

 これらの単語は、別に差別的な文脈で使わなければ問題ないだろうと思うのだ。差別用語であれ何であれ、言われた側が不快に思う可能性が少しでもあるなら禁止……なんてやってたら、どんな言葉も使えなくなってしまう。

 特に小説などでは、人の悪意を描くときにそれらの言葉が強い力をもつこともあるだろう。自分の書いたものに責任をもつのが、文章を書く上での心構えだ。人を傷つけてしまうリスクを理解し、背負った上で、創作として何かを表現するために、敢えてそれらの言葉を使う。

 それさえも禁止してしまうのは、なんだか寂しい気もする。

 まあ、実際にひどい感じで使われてるのを見たら考えも変わるのかもしれない……それはもう、そのときになってみないとわからないことだ。


 そんなことを考えている間に列は進み、やっとサン・ピエトロ大聖堂の中に入れる。空港のような大掛かりな機械でしっかり荷物検査と身体検査をされた。さすがはキリスト教の総本山、警備も厳重である。


 中に入るとまず天井の高さに圧倒され、壁に施された彫刻に圧倒され、床の模様に圧倒され、立ち並ぶ像の巨大さと精巧さに圧倒された。

「ほへー」

 間抜けな声が出る。なんというか、「お金がかかっているなあ……」という感じである。どこもかしこも精緻な彫刻だらけ、床は石のモザイクタイルで壁には格言らしきものが彫り込まれ、どなたかの肖像画が置いてある。いろいろありすぎて視線が固定できない。


 お土産を買おうかと思って売店に入ったが、とにかく十字架だらけ。キリスト像、キリストの絵、その他、その他、その他。なんというかあんまり欲しいものがない、というかそういう気持ちで買うべきものではなさそうだ。

 もっとこう、信心深い人が買っていくんだろう。私が神を信じるのは基本的に試験の前だけなので、何ならここに踏み込むことさえ畏れ多いレベルである。すみませんでした。


 さて、サン・ピエトロ大聖堂に別れを告げてホテルに帰ることにした。まだ夕方だが、お土産も買いたいので少し早めに。

 一週間歩き続けた足は限界に近く、歩きながら二人で「だから1、2、3で歩き出せ〜♪」と歌った。なんだか元気が出た。少女終末旅行、しみじみといい作品だったなあ。まだ観てない人は観るといいですよ。

 この旅行紀のタイトルを青年週末旅行に変えてしまおうかと思ったが、響きがアレなのでやめた。


 道の端から聞き覚えのある音が耳に飛び込んできた。

「ン゛ミ゛ィーーーー」

 黒人が道端で売っていたやつだ。水の入ったゴムボール。床に叩きつけたらぺちゃっと潰れて「ン゛ミ゛ィーーーー」という変な音を出すゴムボールだ。買うしかない。

 しかしここではない。昨日、ホテルの近くの土産物屋に売っているのを見つけたのだ。他のお土産とまとめてそっちで買うことにする。


 無事お土産屋さんを発見し、例のゴムボールとマグネットを四つ買った。

 ゴムボールは無地ではなく、豚さんの顔がデザインされている。「チープ」という言葉がこれほど似合うのは久しぶりに見た。

 そしてマグネット四つのうち三つは友人用、ひとつは自分用である。友人用の中にはあのダビデ像のダビデ像も含まれている。もちろん自分用にする気は一切ない。


 そして晩ごはん、ローマ最後の晩餐である。

 昨日の失敗は繰り返さない。きちんと店を選び、地元民で混雑しているところに入った。

 メニューを見て、最後だからと多めに注文。野菜のピザを二人でシェアすることにして、友人はラビオリ、私はポークチョップをそれぞれ頼んだ。ワインを付けるかどうか迷ったが、帰りにスーパーで酒を買ってホテルで飲むことにした。ずっと飲みたかったお酒があるのだ。


 料理が運ばれてきた。立ち上る湯気さえもおいしそうに見える。

 一口食べて、我々は最後の最後に大当たりを引いたことを悟った。

 ピザの上に乗った野菜は熱と油でトロトロになっており、ふっくらとした生地と相性抜群。トマト以外の野菜を口にいれたのはいつぶりだろうか。あ、朝食のさやいんげんがあったか。あったけど。

 そしてポークチョップ、久々に薄くない肉である。ハムもベーコンもおいしくないわけではないが、いささか歯応えに欠けるところがあった。ところがこれはどうだ。肉だ。1cm以上の厚みを持つ、紛うことなき肉だ。レモンを絞って大きめに切り、口の中に入れるとじんわり旨い肉汁が溢れ出した。幸せだ……。

 友人のラビオリをひとつもらったが、昨日食べた冷凍食品レベルのやつとは生地のもちもち感も中に入っている具の量も比べものにならない。やっぱり昨日のはひどかったんだな……と実感した。だって生地はネッチョリしてたし、具は申し訳程度にしか入ってなかったし。

 店によってこうも違うものか。とにかくどれもこれもおいしかった。


 満ち足りた気分で店を出て、生協スーパーに寄った。

 買いたいお酒がある。「ペリーニ」というカクテルで、ワイン(シャンパン?)を桃ジュースで割ったもの。これが非常に飲みやすくておいしい、と先輩から聞いていたのだ。

 店内を探すと、700mlの瓶がリモンチェッロの横に置いてあった。配置からして、イタリアではメジャーなお酒なのだろう。

 一本買って、ホテルに持って帰った。


 ホテルに戻ると、メールが届いた。ホテルにはWi-Fiがあるのでメールを受信できるのだ(SIMカードを入れ替えているので外でもスマホは使えるのだが、合計で2GBしか通信できないためなるべく節約するようにしている)。そして私の目に飛び込んできたのは、授業料免除申請についてのお知らせだった。

 うわっ。申し込み期限過ぎてる。


 楽しい旅行の最後に思わぬ落とし穴が待ち受けていた。

 今回の旅行にかかった総額は十七万程度だが、私の貯金はこれでほぼすっからかんに消え失せている。親のほうもいろいろあってお金がない。つまり毎年二十万以上の授業料を払うのは不可能なのだ。借金でもしない限りは。

 もちろん「授業料も払えないのに旅行をするな」という批判が飛んできそうだが、授業料免除の基準は保護者の収入と私の成績で決まる。どちらも基準を満たせば免除してもらえるし、それを悪いことだとは思わない。もちろんめっちゃ感謝しているけれど。


 それはともかく、申請しないと免除してもらえない。当たり前だ。

「日本帰ってから謝れば大丈夫かな……」

「〆切厳守って書いてあるけど?」

「ンヒィ」

「遅れた書類は受け取りませんとも書いてある」

「……なんとかなる。なんとかする。今は飲んで忘れてしまおう」

 というわけでペリーニの瓶を開けた。

 あっ、おいしい。ファジーネーブルに似た味のカクテルだ。ぐいぐい飲める。ぐいぐい飲んだ。心配事は旅行から帰ってから考えればよい。後悔は死んでからすればよいのだ(byニンジャスレイヤー)


 ペリーニを飲みながらゴムボールの袋を開けた。

「いいか? 投げるぞ? 投げるからな?」

「いいぞやれやれ」

 私はテーブルに向けてゴムボールを投げ落とした。

 ぺちゃり。

 ボールはなんとも情けない音を立てて潰れた。

「あれ?」

 もう一度。

 ぺちゃり。音は出ない。

 ひしゃげて広がった豚の顔があざ笑うかのように私を見ていた。


「……それは音が出ない種類のやつなんだな」

「あそこの黒人から買っておけば……っ」


 怒りに任せてぺしゃりぺしゃりと投げて遊んだ。いつしかペリーニの瓶は空いていた。


 一日の疲れと怒りの残滓をシャワーで洗い落とし、ベッドに入った。

 明日は朝八時半のバスに乗る。バス乗り場までは歩いて十五分といったところなので、八時に朝食会場が開くと同時に駆け込んで食べ始め、十分で食べ終わり、ホテルをチェックアウトし、バス乗り場へと向かう予定だ。朝食をとらなければもっと余裕を持って出発できるが、イタリア最後の朝食なのでしっかり食べたい。料金にも入ってるし。


 というわけでイタリア最後の日が終わった。

 充実していた。遊びつくしたわけではないが、全力で遊んだ。楽しかった。


 明日はローマからパリへ移動し、パリで観光してから上海行きの飛行機に乗る。行きはよいよい帰りは怖い、と言うが行きの時点で長距離フライトはしんどかった。帰りはもっとしんどそうだ。

 旅行を楽しむためには体力がいる。

 明日のパリも楽しむために、さっさと寝ることにしよう。おやすみなさい。

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