イタリア 五日目

3月21日(水)

フィレンツェ→ヴェネツィア


 朝の四時に目を覚ました。寒い。

 見れば私の掛け布団がないではないか。なるほど、友人がゴロゴロ寝返りをうちなから掛け布団を巻き取っていたのだ。私の領土が失われている。

 ダブルベッドってこれだから!


 そして朝の八時。

 再度起きて、昨日買ったクロワッサンを食べる。

 お金の減りが想像よりも早いので、朝と昼はスーパーなどで安いパンを買って済ませ、夜だけしっかり食べることにした。考えなしにやれカフェテリアだやれリストランテだと食べまくっていたらお金がいくらあっても足りない。旅行先の食費というのはどれほど節約すればいいか、旅費との兼ね合いが難しいのである。節約しすぎると文字通り味気ない旅行になるし……。


 チェックアウトしたかったのにカウンターのおばちゃんがいつまで経っても出勤してこないので、鍵だけ置いてホテルを出た。他の客も置いて出ていたので、これでいいのだろう。


 フィレンツェのサンタ・マリア・ノヴェッラ駅から新幹線に乗る。

 ローマからフィレンツェへの移動は「TRENITALIA」という会社の新幹線を使ったが、今回は「Itaro.」という会社を使っている。なんと一等車である。二人で五千円とは思えない。

 車窓からの景色はよく、騒音も振動も少なく、サービスで飲み物とピーナッツまで付いてきた。トイレに便座が見当たらなかったことを除けばかなり上質なサービスである。イタリアでの長距離移動にお勧めしておく。なんで便座がないの? これが本当のベンザブロックってか。そんなアホな。


 新幹線はいつしか海の上を走り始め、遠くに煉瓦色の街並みが見えてきた。

 あれが石畳と運河と裏路地の街、ヴェネツィアだ。

 到着。サンタ・ルチア駅で下車して「サンタ〜〜〜ルツィイアァァ〜〜〜〜〜〜」と歌いながら駅を出る。目の前にはさっそく巨大な運河が現れ、たくさんの人が水上バスのチケット売り場に並んでいた。


 そう、ヴェネツィアでの主な移動手段は水上バスと水上タクシー(地元民はどうやら自分の船を持っている様子)である。車とバイクの乗り入れが禁止されており、皆歩くか船に乗るかして目的地へ向かう。のどかで素敵な街だが、急病人とかどうするんだろう……なんて思わなくもなかったり。


 水上バスの待合室は運河の上にぷかぷか浮いている(もちろん岸にしっかり接続されているので特に流されたりはしない)。船の到着を待っていると、足元をかわいい子犬が通り過ぎていった。

 イタリアに来てからなんとなく思っていたのだが、ペットを連れて旅行する人々が一定数存在している。明らかにリッチな層である。犬の毛並みもきれいに手入れされていて、すごく見覚えのある犬ばかりで、たぶん高価な犬種なんだろうと思う。犬はいいね。猫もいいけど。

 ああいうふうに大型動物をペットにしたいのは山々だが、ペットロスの悲しみを乗り越えられるかどうか不明なので飼わない気がする。インコとかハムスターが死んだときもボロボロ泣いたし。


 日本から来たご婦人に出会った。なんと一年のうち一ヶ月はイタリアに滞在しているとのこと。こんなところにもブルジョワがいたぞ。


 やっと乗り込んだ水上バスはたくさんの人で賑わっている。スリに気をつけつつ、美しい街並みを存分に眺めた。ポケットに入れて常に手で押さえていれば大丈夫だろう。

 駅に近づくと水上バスは速度を落とし、その隙に係員さんが太いロープをさっと投げ、鮮やかにビットに引っ掛けてくるくると巻きつける。結んでいるわけではなく、摩擦で解けないようにしているのだ。そしてギギッという音とともに船体は揺れながら止まり、さっと柵が開く。一連の流れを見ているだけで惚れ惚れする。現地〜〜〜っ! って感じである(語彙力のなさ)。

 人が乗り降りするたびに船体は揺れて傾く。これ、一年に何回ぐらい転覆しているのだろうか。


 とりあえずホテルの近くの駅で降りると、大きめの通りに出た。

 土産物屋だけでなくスーパーに服屋、リストランテ、ホテル、その他いろいろな店が立ち並んでいる。

 マクドナルドを見つけた。あの赤と黄色が緑色になっていてわかりにくいが、紛れもなくマクドナルドである。どんなに物価が高くてもマクドナルドの値段と味は変わらない。普段は食べないものの、旅行先ではありがたい存在である。同じ考えの旅行者たちでとても混雑していたものの、ここで昼ごはんをとることに決定した。


 まずはホテルにチェックイン。予約したホテル「フォスカリ パレス」は運河沿い、水上タクシーの乗り場の隣に位置していた。立地がよい。

 そして入り口の扉の重さ。まるでホテルの格を物語っているようだ。なんだこの扉。ハンターハンターでゾルディック家に入るときこんなのがあった気がする。試しの門。


 押し開けて中に入れば格調高いとしか表現しようのないロビー、受付では丁寧かつきれいな英語でにこやかに部屋と鍵と朝食について説明され、三階の部屋に上がろうとしたら階段にまで絨毯が引いてあり、なんというか場違いである。薄汚れた若いアジア人がいていい場所ではない気がする。もっとこう、退職して時間とお金が余っている老夫婦的なのが来るところだと思う。


 部屋に入ればテラスがあって、外はヴェネツィアの美しい風景が広がっている。高い天井、柔らかなベッド、だだっ広い浴室にはバスタブ付き。そしてバスタブの中を見れば穴が空いている……これ……ジャグジーだ! ここは銭湯か何かか? フィレンツェで泊まったホテルはバスタブがないどころか水流が弱すぎて、シャワーを浴びるというより山奥の小さな滝で滝行してるみたいだったというのに。なんだこの格差は。これが格差社会……!


 いたたまれなくなったのでホテルを出てマクドナルドに向かい、なんとか席を確保してダブルチーズバーガーとポテトのセットを注文した。

 運ばれてきたジャンクフードはピザとパスタしか食べていなかった胃を直撃し、あまりのおいしさに一瞬マクドナルドであることを忘れそうになった。誰だって同じものばかり食べていたら飽きる。たまにならジャンクフードだっておいしいのだ。


 マクドナルドを出て再び散策を開始したが、ここで私の胃腸がいつも通りに作動不良を起こし始めた。

 私の胃腸が壊れる条件としては、まず食べすぎること、それから「アルコール」「カフェイン」「油脂」のどれかを複合して摂取すること。これを満たすとかなりの確率で腹がぶっ壊れる。

 昨日の夜に顔より大きいピザ(油脂)を食べているし、ワイン(アルコール)も飲んだし、さっきマクドナルド(油脂)に行ったし、心当たりがありすぎて、正直なところ旅行中は何が原因かわからずに腹を壊すことも珍しくない。食べたものすべてが結託して腹を壊しにかかってくると言ったほうが適切かもしれない。


 便意は高まる一方である。いよいよ切迫し始め、このままだとヴェネツィアの地に消えない汚点、いや汚物を残すことになる……とトイレを血眼で探すも、どこにもない。

 震える指で「ヴェネツィア トイレ」と検索してみれば「街中にはほとんどないし、あっても路地の奥で見つけにくかったりする。見つけたら行っておくこと。我慢は禁物」という無慈悲な文言が並んでいる。

 友人は「もう少しで運河に出るぞ」とのんびり呟いているが、私は「もう少しでウンが出るぞ」状態である。誰がうまいこと言えといった。


 なんとか水上バスの駅を見つけ、とりあえず乗り、両掌を組んで神に祈りを捧げていると、「あと二駅だから我慢しろ」と友人から託宣を戴いた。あと二駅。揺れる水上バスで、振動が腹に伝わらないように細かな体重移動を繰り返す。機械振動学の講義で習った振動制御がまさかこんなところで役に立つとは。


 思えば香港では部屋にトイレの臭気が立ち込めていて、中国では空港のトイレで死ぬ思いをし、韓国では鍵付きのトイレに閉じ込められそうになった。

 そう、旅行先ではトイレに関する災難に襲われるというのが通例のようになっていたのだ。イタリアではどうなるか戦々恐々としていたのだが、まさか「トイレがどこにもない」とは。なんてこった。


 ついにホテルの最寄駅に停まった。遅すぎず、速すぎず、体の揺れを最小限にとどめるようにホテルへの道を摺り足でひた走った、いや、ひた歩いた。

 いつも方向音痴でホテルの場所とか真っ先にわからなくなる私だが、今回は動物的危機管理のような何かしらによって最短距離でホテルに到達。カウンターの人がこちらを振り向くや否や「スリー、ゼロ、フォー、プリーズ!」と部屋番号を叫び、ただならぬ雰囲気を察したのか特にパスポートを見せたりとかそういうこともなく部屋の鍵を渡された。

 ここで安心してしまった。間に合ったな、という安心が、ほんのわずかな緩みが、時に惨事を引き起こすのである。今までで最大の波が襲いかかってきて、私は硬直した。

 漏らしてはない。0と1との差はあまりにも大きい。まだである。まだ。


「先に行って開けておいてやるよ」と友人が階段を昇っていくのを尻目に、駄目だ尻とか言ってはいけない、それ関連のワードを想像してはいけない、友人の後を追って一段一段、永遠にも思える引き伸ばされた時間の中で階段を昇り、手すりを最大限に利用し、踊り場では遠心力を用いてコンニチワしそうになっているアレを「戻れ!」と一喝し、なんやかんやで部屋まで辿り着いた。


……


 間に合ってよかったです。

 普段から突発的に腹痛を起こすため、私の肛門括約筋は非常時への対応に優れているようだ。これからも気と筋肉を引き締めて頑張っていただきたい。


 さて、ホテルの部屋で腹痛の薬を多めに飲み、少し休憩してから夕日を撮影するための絶景スポットを探しに出た。

 ヴェネツィアの夕日はどこもかしこも絶景であると聞き及ぶ。私はスマホのカメラで適当にポチーッと撮影するだけで満足なのだが、首から一眼レフを提げている友人が当然その程度で満足するはずもなく、地図を見ながら良さげなスポットを血眼で探している。


 とりあえず運河にかかる大きな橋があったので、そこに向かうことにした。ホテルからわずか三駅である。駅は橋を過ぎたあたりに位置し、降りるとそこは飲食店の立ち並ぶ通りであった。

 ヴェネツィアの物価は高い。

 ローマ、フィレンツェでもあまりの高さに驚いたものだが、そこよりも高い。清々しいほどに観光地価格である。

「コニチハ! 腹ペコ?」

 客引きのお兄さんが話しかけてきた。どこからその語彙を手にいれたのか。さて、どうやって断ろうか。

 咄嗟に出てきた言葉は、自分でさえ唖然とするものであった。

「ノーノー、ノー腹ペコ」

 なんだこれは。これが何年間も英語教育を受けてきた末路か。あまりの情けなさに涙が滲んだ。スピーキングというのは普段から練習しなければ、どんなに読んだり書いたりしても身につかないのだと、今回改めて実感した。高三のときアメリカに行ったが、そのときも同じことを実感した。一切成長してない。


 さて、夕日撮影スポットがどうにも見つからない。今日の午後ずっと歩き回っていたので、もう足が痛い。そうしている間にも夕日はどんどん沈んでいく。

 正直に言えば、夕日に照らされた街並みはどこも絶好の撮影スポットである。どこを撮っても絵になるのでどこを撮ればいいかわからない。しかし友人には確固たる基準があるようである。写真を趣味にしている人間は、なんというか、強い。


 よくわからないまま、とりあえず来た水上バスに乗ってみることにした。東京の地下鉄とまではいかないが、ヴェネツィアの水上バス路線図はかなり複雑に絡み合っていて、自分が今どこにいてどこに向かっているのかまったくわからない。

 というかめっちゃ寒い。

 日が沈むにつれて気温は下がり、強まる風はコートを突き破って体温を奪っていく。

 さらに、遮るもののない海上で吹きっ晒しの甲板。風は容赦なく吹き荒れ、船の舳先に取り付けられていた行先案内板が風にもぎ取られて海の中へと消えていった。


 水上バスには船内の客席もあり、景色を楽しみたいから甲板にいればいいし、座りたければ中に入ればいい。あまりに寒いため船内に入りたいのだが、後ろを振り返れば絶景である。

 空は地平線に近づくにつれて暗い水色から紫、淡いオレンジ、とグラデーションを描き、オパールという鉱石の色合いにそっくり。その上にイスラム風の寺院のシルエットが浮かび上がっている様は、ため息が出るほど美しかった。そして歯の根が合わないほど寒かった。


 そして適当なところで降り、駅の周りをうろちょろしてみたが、あまりに寒すぎるのでもう諦めてホテルに引き返すことにした。ヒートテックにコート、マフラーまで完全防備なのにこの寒さである。海沿いは風が強い。

 乗ってきた路線の水上バスを逆方向に辿れば帰ることができるはずなので、路線図と時刻表(イタリア語)から見覚えのある駅名を必死で探した。もし変なのに乗ってしまったら島の反対側とかに連れていかれてしまう。この時間にそんなことをすれば帰りの水上バスがなくなってしまうし、そうなれば間違いなく凍死する。


 なんとか探し当て、無事に乗船できた。

 夜の運河は思っていたよりも明かりが少ない。そう、イタリアの建築物はどれも窓ががっちりしているのだ。カーテンではなく雨戸で、不審者の侵入を防ぐためだとでも言うようにしっかり固めてある。おかげで外に光が一切漏れてこない。日本のように建物からの光がないため、街灯のないところは真っ暗である。

真っ暗な運河のところどころにぽつぽつと明かりが灯っている中、船は相変わらずゆらゆら揺れながら進んでいく。これはこれで風情があってよいものだ。


 ホテルの最寄駅で降りて晩ごはんを探そうと思ったが、物価が高い上にすでに水上バスの乗り放題チケットで二十ユーロ飛んでいる。あまりお金を使いすぎるのもよくない。

 というわけで再びマクドナルドに来てしまった。

 夜だからか昼よりも空いている。そしてメニューをよくよく見れば、日本のマクドナルドには存在しないメニューがたくさんあるではないか。特にサラダ。マクドナルドでサラダ? しかも生野菜? なんということだ。魚屋で羊肉を注文するが如き暴挙である。


 グリルチキンの乗ったシーザーサラダとマックシェイクのカフェオレ味を注文した(千円近くした)ら、キャベツに水菜にその他諸々、大量の生野菜の上に平べったい鶏肉がぺたんと置かれていた。うまい。まさかマクドナルドで体にいいものを食べられる日が来るなんて。

 別にこの野菜が本当に安全かどうか、なんてのはどうでもいいことである。野菜を食べているということが重要なのだ。それだけで何か健康に気を遣っている感じがするじゃん。


 そして特筆すべきは、鶏肉の厚さが見事に一定だったことである。マクドナルドらしいというかなんというか、工場で作りました! と全面的に押し出してくる見た目。中国東方航空の機内食と同じ何かを感じたが、味は問題なく鶏肉だった。

 マックシェイクのカフェオレ味は日本にはない。さすがコーヒーの国(?)

 問題なくうまい。やはり万国共通である。


 帰る前に生協のスーパーに寄った。水などの他にもホテルで飲む用にバカルディライムの小さな瓶を買い、ホテルに戻ってからさっそく開けてみるとなんとも爽やかな味である。バカルディやカンパリはイタリア発祥だと聞くが、確かに現地のスーパーでもよく見かけた。他にもたくさんありそうだ。


 ホテルに戻り、結局ローマで買ったワインを飲んでいないことに気づく。飲みかけのままここまで持ってきたはいいものの、明日は飛行機でローマまで移動である。機内には持ち込めない。

 こうなれば、ここで使ってしまうしかない!

 そう、飲むではなく、使う。バスタブ付きの部屋、もう飲まないワイン、とくればやるべきことはひとつしかない。

 ワイン風呂である。


 飲み物を粗末にしていると怒られそうだが、そもそもワイン風呂はかのクレオパトラも好んでいたとされる由緒正しき風呂である。もちろんバスタブにワインを溜めて浸かるという贅沢な話ではなく、溜めたお湯にワインを適量注ぐだけ。

 ワインに含まれる成分が肌を引き締めたりいろいろしてくれて(このあたり曖昧)美容にいいそうだ。日本酒でも似たような効果があり、実際に本で日本酒風呂の勧めを読んだことがある。

 というわけで、実践。

 友人は謹んで遠慮しておくとのことだったので、先に風呂に入ってもらう。友人が上がったら、いよいよワイン風呂開始である。


 バスタブにお湯を注ぎ、頃合いを見計らってワインの栓を開けた。お湯の中にどべどべどべと注いでいく。うーん、なんだかとてつもなくいけないなことをしている気分である。背徳感がすごい。小さな頃、いたずらをしているときの気持ちを思い出した。

 きれいな紫色になるかと思ったが、さすがに一瓶(飲みかけ)ではお湯に色をつけるには足りなかったらしい。全体的にややどす黒くなっただけであった。

 それでも香りはじゅうぶんにワインであり、浴室の中で優雅にワイン風呂に浸かっていると、それだけで少し酔いそうになった。湯気がワインの香りである。

 風呂を上がったあと、少しのぼせていたのでベランダに出て夜風に当たった。夜の運河を眺めながらスマホで調べてみると、ワイン風呂の適量は五十〜百ミリリットルだった。やはり多すぎたようだ。私は少なくとも五百以上入れている。

 その後、浴室に入った友人が「ぎゃーワインくせえ」と騒ぎまくっていた。そりゃあね。


 ワインの香りを身にまとって就寝する。

 二人別々のベッドであるというのが、こんなにも素敵なことだとは!

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