イタリア 四日目

3月20日(火)

フィレンツェ


 昨日買ったパンで朝ごはんを済ませる。

 チョコの入ったクロワッサン。六個入りで三百円しないぐらい、とても安かったのだ。いや、安くはない。日本と同じぐらいだったのだ。


 ホテルの階段を降りていると、サラミの香りが漂ってくる。きっとピリ辛なんだろうな、と味まで伝わってくるような匂いだ。外の飲食店から漂ってくるのだろう。

 このホテルのある通りにはピッツェリアやトラットリアが多く、少し歩けば見つかるので非常に便利である。しかし値段的に毎食というわけにはいかない。なんとなく麻痺してきたが、一回の食事で常に千円以上使っていたらお金が減るのも当たり前である。


 昨日の雨が嘘のようにからりと晴れたフィレンツェの空は、日本では見たことのないような透明感溢れる水色をしている。友人からは

「輝度設定ミスってない?」

「空の裏側にバックライトありそう」

と散々な言われようである。

 写真を趣味にしているせいか発言がメカメカしい。


 ところどころに残る水溜りが昨日の雨の名残を感じさせてくれる。願わくばこのまま晴れていてほしいものだ。


 ぶらぶらと街を歩いていると、メディチ家の礼拝堂に辿り着いた。

 せっかくなので入ってみると、金銀宝石で細かい細工が施された彫刻が大量に飾ってある。なんというものだろう。金属製の……うまく言い表す言葉が見つからない。置物?

 彫刻の中には灰色の物体が置いてあり、よく見ると骨だった。偉い人……キリスト教の偉い人……聖人! 聖人の骨、聖遺物か! たぶんそうだ!

 聖遺物はヘルシングに出てきた。読んどいてよかった。


注:聖遺物(せいいぶつ、羅: Reliquiae)は、キリスト教の教派、カトリック教会において、イエス・キリストや聖母マリアの遺品、キリストの受難にかかわるもの、また諸聖人の遺骸や遺品をいう。これらの品物は大切に保管され、日々の祭儀で用いられてきた。聖遺物のうち聖人の遺骸については、正教会での不朽体に相当する。古代から中世において、盛んに崇敬の対象となった。(Wikipediaより)


 そこから、昨日検索して目星をつけておいた革製品の店へ。

 けっこう長い距離、石畳を歩く。でこぼこしていることもあって、だんだんと足が痛くなってきた。iPhoneの万歩計を確認してみると、なんとこの時点で一万六千歩を記録している。健康的〜〜!


 そういえば春休みは非常に堕落した生活を送っていたので、いつだったか、炬燵から出ずに一日過ごしたことがあった。その日の全歩数は九歩であった。あれを見たときは腹抱えて笑った。


 やはりスマホが使えるというのは限りないアドバンテージだと実感した。もう旅先で地図をぐるぐる回しながら迷う生活ともおさらばである。Google mapが目的地へ連れていってくれるのだから。地図があっても迷いまくる私だが、現在地と目的地を表示してくれるGoogle mapのおかげで迷わずに辿り着けた。道は間違ったけど。


 開店時間まではメモしていなかった。十時半開店だが、まだ十時過ぎなので店が開いていない。

 仕方なく、先にヴェッキオ橋に行くことにした。大きな橋の上に大量の宝石店が立ち並ぶという、フィレンツェの観光名所の一つである。行ってはみたが、宝石や装身具を眺めても「はー綺麗」以外の感想が出てこない。そもそも女性用だし。値段とか見るまでもなく手が届かないし。


 ヴェッキオ橋から元来た道を帰り、革製品の店「フランチェスコ・リオネッティ」の前に立つ。時刻は十一時を回ったところ。

 おお、扉に日本語OKと書いてある。

 ガラス扉から中を覗いてみると、まだお客さんはいないようだ。入ってもいいのだろうか。いいはず。入ろう。

 中に入ると、カウンターの奥から女性がひょっこり顔を覗かせた。日本人っぽかったので「こんにちは〜」と声をかけてみると、「あらあら!」と笑顔を見せてくれる。

「よくこんな裏路地の店に入ろうと思ったね!」

「フィレンツェ 革製品 で調べたらこのお店が出てきたんですよ、日本人の店員さんがいるって」

「わあ、そうなの? あとで検索してみるね」

と向こうも日本人の客が嬉しかったのか、気さくにいろいろ話しかけてくれた。


 革製品の店というより革の店であり、本業はホテルの調度品などに使われる革の生産であるとのこと。この店は社長(現在三代目)の趣味でやっているようなものだそうだ。自社で生産した革を自社で加工し、それを問屋を介さずに売っているのでかなり安いのだという。だいたいこんなことを説明されて、それから「いろいろ手に取って選んでみてね〜」と財布スペースを指し示してくれた。


 たくさん並べてある財布の中からいくつかの候補を絞り、最終的に選んだのは六十五ユーロの青い財布。手数料分の値引きにより、六十一ユーロで売ってくれた。予算百ユーロ以内と定めていたので、かなり素敵な買い物である。日本円にして八千円といったところだろうか?

 関税や小売店の上乗せがないぶん、日本で買う八千円ぐらいの財布より品質がいいはずである。日本で買ったら二万ぐらいになるんじゃないだろうか。手触りもいいし、革のいい匂いがする。大切に使おう。


 いろいろ雑談していたが、「君たち理系でしょ」と見抜かれてしまった。はいそうです。機械工学やってます。「見た感じ理系っぽいなって」

 ですよね〜〜。


 名刺入れや革のバッグなんかも売っていて、どれもこれも素敵だった。

「また就活するときに買いにきます」

 そう言い残して店を出た。来れるだろうか。来たいなあ。


 街は曇っている。

 朝の晴れ間はどこへやら、風も冷たくて強くて、顔が凍えそうだ。一旦ホテルに戻ってマフラーを装備した。春だというのに基本的に寒い。緯度は日本と同じくらいのはずなのに。気候の違いだろうか。地中海性気候? 西岸海洋性気候? 温暖湿潤気候? 地理で学んだ知識などとっくに頭から抜け去っている。哀しいことだ。


 喉が渇いたのでホテルの自販機で水を購入し、開けたらプシュッという音がした。しまった、炭酸水だった。ぱっと見ただけではまったく区別がつかない。

 スーパーでいろいろ見比べてみた結果、どうやらnaturaleと書いてあればただの水らしい。今度から買う前にラベルをよく観察しなければならない。そもそもペットボトルの水の種類が多すぎるんだ。いろはす一強の日本を見習ってほしい。

 仕方なく思い切り振って炭酸を抜いてから飲んだ。まずい。当たり前だ。


 もう少しホテルでだらだらする。

 横になって目を閉じると寝てしまいそうだ。これまでの旅行で、旅行を最大限に楽しむためにはこまめに休憩を挟んで体力を回復する必要があると知った。もう若くはないのだ(まだ二十一だけど)。

 しばらく休んでから「よし行くか〜〜」とホテルを飛び出した。


 再び街に繰り出して、大聖堂の横にある博物館へ。昨日買ったチケットが「共通チケット」と呼ばれるものであり、あれで大聖堂、鐘楼、博物館、いろいろなところに入れるのだ。地球の歩き方にそう書いてあった。

 せっかくなので入ってみよう。


 予想に反して立派な博物館である。共通チケットで入れるおまけみたいなとこだろうと勝手に思っていたが、大量の彫刻、装飾された布、彫刻の木製レプリカ、その他その他が所狭しと展示してあった。

 彫刻をひとつひとつ見て回るのは楽しかったのだが、こういう歴史的な展示を楽しむためには、やはりある程度の予習が必要だと感じた。イタリアの歴史やそれぞれの年代ごとの出来事などを深く知っていれば、もっと楽しめたであろうことは間違いない。

 勉強は受験のためにするものではない。人生を楽しむためにするものなのだ。今いいこと言った。


 ちなみにスペインでは日本でいう一階が零階で、日本の二階が一階、日本の三階が二階……というふうに数えられる。スペイン語の講義で習った。

 どうやらイタリアも同じらしく、案内板を見て三階建てか〜〜などと思っていたら実は四階建てだった。文化というのは意外なところで異なるものだ。


 博物館を一周したあと、外に出てダビデ像のレプリカがあるという広場に向かう。敢えて地図は見ない。なんとなくこっちだろう、いやあっちかもしれない、とうろちょろしているだけで楽しいからだ。

 小さな広場に出た。

 おじさんが座って煙草をふかしていたり、鳩に餌をやっていたり。丸々と太った鳩や雀が餌を期待して寄ってきたり、でこぼこした地面の小さな水溜りから水を飲んだり。眺めるだけで幸せな気分になる広場だ。


 案の定迷ったので、諦めてGoogle map様に従う。

 歩いていくと人の多い通りに出た。ブランド品の服飾店がたくさん並んでいる。

 広場はもうすぐだ。

 と思ったら、目の前に突然ラテン系の女性が現れた。満面の笑みである。

「ニーハオ!」

 ちゃうわ。

「ノー」とだけ言って通り過ぎようとしたが、なんとその女性、すすっと体を移動させて進路を塞いできた。「先に進みたくば私を倒してからにしろ」的なものを感じる。意地でも先には行かせない構えだ。

「コンニチハ!」

 そうだけども。日本人だけども。中国人じゃないなら日本人やろ〜〜みたいな安直な二択やめろや。

 満面の笑みを崩さずに目を動かし、全力で目を合わせたくない私の視線を追いかけては全力で目を合わせようとしてくる。完全にフィードバック追従制御されているようだ。

「イエス」とだけ答えて再び通り過ぎようとするも、なんとまたもやブロッキングウェイ。ディーフェンス。ディーフェンス。バスケか。

「スシ、ハンタイ!」

 なんやと? これだけは聞き捨てならなかった。

 スシは最高の日本食にしてニンジャの主要エネルギー源である。古事記にもそう書いてある。

「マヤク、ハンタイ!」

 それはわかる。

「ショメイ!」

 何に?

 謎の言葉に混乱しつつ、ここでようやく女性を突破。後ろから引き止められるかと思ったがさすがにそんなことはなく、早足でその場を去ったがもう追いかけてはこなかった。

 何だったんだ、あれは。

 よくわからないが署名してほしかったらしい。誰がするか。


 ようやく到着した広場には馬車が数台停まっていた。さすが観光地、ちょくちょく馬車を見かける。乗ろうと思ったらまたユーロ札が飛ぶのだろう。

 そして馬がでっかいのなんの。私の身長よりも高く、脚など想像よりもはるかに太い。おそらく競馬などで見る馬は速く走るために品種改良されたスピード全振りの馬であり、こちらの馬は重い荷物を曳くためにパワー全振りされた馬なのだろう。

 手綱や鞍とは別に、目の横に覆いが付いている。たしか、敏感な馬を怖がらせないためだと聞いたことがある。観光客がすれ違いざまに撫でていったりしているが、ストレスを感じたりしていないだろうか。私は触らず、写真を撮るだけにとどめておいた。


 あまり労働環境はよくない気がするのだが、人権いや馬権がきちんと保障されていることを願う。でもなあ……「馬車馬のように働く」って言葉がある時点でお察しって感じがするな。

 口をもにゅもにゅ動かして、時折唾を吐いていた。やってらんねーよって感じだった。そりゃあやってらんねーよな。


 食料品を買って一度ホテルに戻った。軽食をとりつつ休憩。ベッドに横たわって足を揉む。

 十一時半に就寝して朝の四時半に起きたので睡眠が足りていなかったのもあるし、ずっと歩き続けているのもあるし、いろいろとすり減っている。イタリアに来てからというもの、毎日欠かさず一万歩以上歩いているのだ。健康的にもほどがある。退職後の老夫婦か。


 ずっと曇りのままで夕日など見えそうになかったので、本来は「もう一度ジョットの鐘楼に登って夕日を拝むか〜〜」みたいな予定だったのだが、諦めて晩ご飯を探しにいった。

 フィレンツェの街に夕日が沈むところ、もう想像するだけで神々しい。残念だが、次に来たときの楽しみにとっておこう。来るかな。次イタリアに来るならナポリとか南のほうに行きたい気もする。


 見つけたピッツェリアに入ってマルゲリータとグラスワインを注文した。

 運ばれてきたのは顔よりも大きい一枚のピザである。なんでこう……だからピザ系は数人でシェアする量だって……。

 歴史は繰り返す。どうも、歴史から学ばない男です。

 直径三十センチ以上ありそうだ。とはいえイタリアのピザはけっこう薄く、意外とするする食べられる。問題は味のほうであり、胡椒ぐらい置いといてくれればいいものを、なぜか粉チーズしかない。チーズとトマトしか乗っていないピザに粉チーズかけてどうしろというのか。八等分して六切れ目あたりから苦しくなり始めた。

 最後の一切れをワインで流し込み、ようやく完食した。

 腹に余裕があったらメニュー表で見つけたトリッパを注文しようと思っていたが、余裕どころの話ではなかった。これで精一杯である。というか、なんとなく許容量を超えた気がする。明日ぐらいに腹を壊すんじゃないだろうか。


 そしてホテルに帰ってきたが、このホテルの佇まい、やっぱりなかなか素敵である。重厚な扉、古めかしい鍵穴、ホグワーツみたいでけっこう性癖にグサグサ刺さってくる造形。それに安いし。住みたいかと言われたらうーんって感じだけど、また泊まりたい。


 時計を見るとまだ九時半だが、さっさと寝てしまおうと思う。散々歩いたり昇ったりしたせいか、足に乳酸が溜まりまくっている。

 今日でフィレンツェは終わり。

 明日はついに水の都ヴェネツィアである。楽しみで眠れないかと思ったがもちろんそんなことはなく、あっさりと眠りに落ちた。今度は夜中に目を覚ますこともなかった。

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