韓国 二日目
9月15日(金)
昨日の夜12時前には寝たというのに、8時のアラームで目を覚ましたあと二度寝してしまった。やはり前日の睡眠不足が響いているのだろう。
「カメラマン」の彼も眠そうである。昨日は「9時出発な!」とか言っていたが、9時に叩き起こすと「やっぱり10時……」と言いつつベッドに倒れこんだ。
結局、ホテルを10時過ぎにチェックアウト。シンソルトン駅まで歩き、そこから再びミョンドン駅へ。
昨日も歩いた街並みを、お粥を探して歩く。「カメラマン」の彼が朝ごはんにお粥を食べたいと言い張っているのだ。気持ちはわかる。
香港でお粥を食べたときから、その不思議な美味しさに虜になってしまったのだ。東南アジア圏のお粥はなぜかうまい。
きょろきょろしながら歩いていると、なんだかお粥っぽい白いメニューが載っている看板を見つけた。幸いにも、同じ店に水餃子もあるようだ。
「これお粥じゃない?」
「それっぽい」
「開いてる?」
「開いてるな、入るか」
クラスの韓国人留学生君オススメ、明洞の水餃子。席も空いているようだし、値段も手頃。これは入るしかない。
店に入ると、席に案内された。
メニューを見れば、お粥だと思っていたものは豆乳スープだった。全然違うやんけ。
「ごめん……」
お粥を食べるために入った店にお粥がない。めっちゃ謝った。
仕方なく水餃子を四人前、それから焼売のようなものを一つ頼んで全員で分けることにした。
運ばれてきたのは焼売から。
一口では食べきれないくらいの大きめサイズ。酢醤油に付けて口に入れ、噛みちぎると中からじゅわっと香ばしい汁が溢れてきた。形は焼売だが、餃子に近いのかもしれない。中の肉ダネには大量のニラが入っており、香ばしいやら旨いやらでもうたまらない。一皿十個、四人で分けるにはどうすればいいか。当然、何の迷いもなくもう一皿頼んだ。
そのとき、本命の水餃子が登場。
大きな深い器の中になみなみと注がれた汁、その上に水餃子が四つ載っている。スープだろうか。金属製の箸でかき混ぜてみれば、中にはうどんのような麺。
なるほど、ワンタン麺みたいなものか。
一口すすれば、香辛料だろうか、まろやかな中に何かの刺激を感じられる。滋味深いとでも言えば良いのか、なんとも独特な味のスープだ。そして下の麺はもちもちを通り越してぷるぷるのレベルであり、煮込みすぎたようなそうでないような、餅を麺の形にしたような不思議な食感。
具はいくつかの野菜のみ。シンプルでよい。
そして面白いことに、キムチが付いてきた。
昨日の冷麺でも、焼肉でも、キムチが付いてきた。何を頼んでもキムチが出てくる。キムチ、いくらなんでも出てきすぎじゃない?
韓国人にとって身近な食材であることは理解していたつもりだったが、どうやら理解が甘かったようだ。彼らは想像以上にキムチを食べる。おそらく身体はキムチで成り立っている。
――――体はキムチで出来ている。
血潮はマッコリ、心はトッポギ。
幾たびの……
いや、ここまでにしておこう。いろいろな方面に申し訳ない。
金属製の箸は熱伝導率が高い。
スープに突っ込んでいた箸が唇に触れると火傷しそうになる。
それはそれとして、彫られた文様のかっこよさといいその重量感といい、金属の箸、けっこう使いやすくて好きだ。お土産に買って帰ったりできないだろうか。いや、買って帰っても絶対に使わない気がするけども。
夢中で食べているうちに席はどんどん埋まり、それどころか店の外に行列ができ始めた。知らずに入ったが、どうやら有名店だったようだ。看板を見れば、我々が入ったのは開店直後。もう少し遅かったら行列ができていたであろう。二重に運が良かった。
食べ終わり、くちくなった腹を抱えて店を出た。
懐が寒くなってきた。
もうすぐ帰国である。なんとか足りそうな気がしなくもないが、一応換金しておくことにした。いいものを食べようとするとお金がかかるのだ。
路地裏で両替商を見つけた。かなり不安だったが、まあそこまで治安の悪い国ではないし、繁華街だし、昼前だし、大丈夫だろう。
実際、何の問題もなく両替ができた。
行きたい店がある。
少し値が張る(といっても千円ほどだが)ので、万が一帰りの鉄道運賃が足りなくなってはいけないと思い、さっきはわざわざ換金したのだ。
その名はソルビン。女子大生御用達、巨大かき氷の有名店である。
日本にもあるが、ここ韓国が発祥の地らしい。私も別に行ったことがあるというわけではない。妹が行ってきたというのを聞いただけである。
「今回、我々の旅行には足りないものがあると思わないか」
「足りないものしかない気がする」
「それは置いといて」
「うーん」
誰もわからない。冴えない理系大学生ってこれだから。
「インスタ映えだ、インスタ映え」
「はっ……!」
そう。食べ物と共に映った写真を加工しまくってからInstagramにアップするのは我々大学生の義務である。
それなのに我々は自撮りもしない、互いに写真を撮るわけでもない、撮るのは風景や食事ばかり……。
これでは大学生を名乗ることができない。
「インスタに載せられるような写真を撮らねばならない」
「なるほど、それがソルビンだと」
「そうだ。食えもしない巨大なかき氷を注文し、キャーキャー騒ぎ立てながら写真を撮り、キラキラのフィルターをかけ、アプリで加工して文字を入れ、#韓国行ってきた #ソルビン #まじ大きいんだけど #いつめん好きすぎる #最高の仲間と最高の夏 #Korea #안녕하세요 などのしゃらくさいハッシュタグと共にInstagramに投稿するという極めて無意味な示威行為をだな」
「お前インスタに恨みでもあんの?」
そういうわけでソルビンに入る。
さすがに午前中、店内はスカスカである。それはそうだろう、朝からあんなもの食うやつの気が知れない。
四人でそれぞれそれぞれマンゴー、三種のベリー、抹茶、抹茶&チョコを注文し、四角い機械を渡されてじっと待つ。機械は日本のフードコートでもよく見かける、料理が出来上がるとピーピー鳴るアレである。
やがてアレがピーピー鳴り、受け取りに行くと四つの皿がどどんと待ち構えていた。
やけに重いと思ったら、陶器だ。黒い焼き物の皿に白くふんわりとした氷がこんもりと盛られ、一分の隙もなくソースや果物に覆われている。
想像していたよりも食べきるのが困難そうだ。
私は恐れおののき、とりあえずめっちゃ写真を撮った。
「じゃあ……」
「いただきます」
スプーンを動かし、一口食べてみた。
氷は口の中でふわりと解け、かすかなヨーグルトの風味を残して一瞬で消える。ただの氷ではないようだ。
それにしても、どういう仕組みだろう。どうやって削ったらこのような雪片的食感になるのだろうか。今までに食べたどんなかき氷とも違っていて、とても興味深い。
私が注文したのは三種のベリーなので、大量のブルーベリーとクランベリーが乗っかっている。それからイチゴのソースが大量にかかっている。
甘くておいしい……おいしいが、量が多い。けっこう甘いのに、掘り進めていくとなんだかとろりとした層に突き当たった。ご丁寧に、内部にはソースと練乳の層が挟み込まれているのだ。余計に甘くなった。
甘い。寒い。冷房が効いた店内、半袖の我々は震えながら氷を口に運ぶ。だんだんと味が消えていく。手はパターン化された動きに従って氷を掬い、口に運ぶ。
凍えた舌はついに味さえも感じなくなり、私の目はただ目の前の器に釘付けになり、私の耳は氷の砕けて混ざる音のみを拾った。私の全神経は器に盛られた氷にのみ注がれていた。
いつしか私は雪と氷の野に立っていた。寒風吹き荒ぶ真っ白な荒野。白い雪片が飛来してはちくちくと肌を刺し、体温を奪ってゆく。寒さで手足の感覚が鈍る。思考が止まる。
進まなければ。
凍てつくような寒さの中、凍りついたブルーベリーとクランベリーが荒野のあちらこちらに転がっていた。私はスプーン型の杖に縋りながら歩いた。目の前にはヨーグルトアイスクリームの氷山が聳えていた。そこから流れ出す練乳の川は、私の傍を通ってはるか後ろへと続いていた。
私はふらふらと歩き続けた。
ただ進まなければ、ゴールへと向かわなければという強迫観念だけが私の身体を支配していた。私の意思はとっくの昔に雪氷に呑まれて消えていた。
手足の感覚がなくなり、私の足がもつれた。転んだ私をふわりとした雪の野が受け止めた。このままずっと、こうしていたい。手を止めて楽になりたい。
そのとき、私の耳に誰かの話し声が飛び込んできた。
寒さに震えながら立ち上がる。着飾った女性たちが「なにそれー」「えーすごーい」と喋りつつ、私を追い越して平然と歩いていった。我々と同じ日本人観光客だ。平気で食べている。私より小さな身体で平然と氷の塊を飲み込んでいく。しかも、その間にお喋りまで挟んで。
一体どうなっているんだ。
がっくりと膝をつき、私はうなだれた。無理だったのだ。私如き矮小な胃袋を持った人間が足を踏み入れていい場所ではなかったのだ。深く暗い後悔が私を襲った。
無限に続く雪と氷の野は来る者を拒まず、しかし去ることを許さなかった。
そのとき、声が響いた。
「おお、あとちょっとじゃん」
「いけるいける」
懐かしい、友人たちの声。
曇天から一筋の光が差し込んだ。光はみるみるうちに広がって、雪を吹き飛ばして一本の線を形作った。それは私の進むべき方角だった。温かな天からの光に照らされて、目の前に道が続いていた。
まだ歩ける。
私は震える膝を押さえつつ立ち上がった。
いつしか雪は止み、目の前に聳えていたはずの氷山は、今やとても小さく見えた。
私は一歩踏み出した。そしてもう一歩。また一歩。
私は歩いた。広大無辺の沃野に私の足跡を刻みつけるように歩いた。私がここに生きていたという証を刻み付けるように歩いた。
終わりは唐突に訪れた。
雪と氷の大地が私の足を受け止め、突如砕け散る。黒い穴がぽっかりと口を開け、私は漆黒が待ち受ける奈落の底へと落ちていった。
真っ白な氷の中から黒い何かが現れ、私は突如現実に引き戻された。
それは器の底だった。
「食べ切ったか」
「すごいな」
友人たちの賞賛の声。
私の前には、ただ空っぽの器があった。
こうして、私の戦いは終わった。
ついにソルビンの巨大かき氷に打ち勝ったのだ。
今後ソルビンを見かけても、店に入ることはないだろうと思う。おいしかったが、もういい。もう十分だ。
食べ終わって談笑していると、やはりというかなんというか、腹に刺し込むような痛みを覚えた。それはそうだろう。
トイレに行くと、なんと鍵がかかっている。
鍵穴ではなく数字のロックだ。内側からロックされているわけでもないので、そもそも鍵を開けないとトイレに入れない仕組みなのだろう。
「アイエエエ!? ナンデ!?」
こっちはトイレに行きたいのだ。
困っていろいろといじくり倒していると、後ろから「あの」と声が聞こえた。
「それ、私わかりますよ」
近くに座っていた日本人観光客の女性だ。
「こう、こう、こう、こう、でこれを押すと」
ピーッという音とともにドアは解鍵された。4桁の数字。どうして知っていたのだろう。もしかして……トイレの神様?
「あ、ありがとうございます」
私は深々と頭を下げた。女性はにっこりと笑い、席に戻っていった。一人だった。この巨大かき氷を一人で……よほど好きなのだろうか。きっととてつもない
トイレから出ると、その人はすでにいなくなっていた。
ちなみに出るときは内側からボタンを押すのだが、ボタンが複数あって説明が韓国語だったため、少しパニックになった。異国の地でトイレに閉じ込められる事態は避けたい。
考えてみれば、旅行のたびにトイレで何か問題が起こっている気がする。
香港ではホテルの部屋にトイレの香りが満ちていたし、中国では空港でトイレを我慢して死ぬ思いをした。そして今回のこれである。
トイレの神様、私が何かしましたか。
店を出て、空港へ向かう。
いよいよ韓国ともおさらばである。
道中、デパートの地下らしきところを通った。
靴下の店を見つけた。店先を何の気なしに眺めていると、「ポケットモンスターズ」の柄の靴下が大量に売ってある。一足百円である。安い。
「ポケットモンスター」に「ズ」はいらないと思うのだが、きっと「ポケットモンスター」によく似た別のキャラクターなのだろう。うん、きっとそうに違いない。
面白かったのでその店でスターバックスの柄の靴下を買った。
女性用である。緑色の布地で、足の甲部分に例の人魚っぽいマークがでかでかと印刷されている。貰っても嬉しくないに違いない。
当然、妹たちへのお土産にする。
貰った際の「お土産を貰ったからにはやっぱり喜んだ顔をしないといけないんだろうけどあまりに使い道がなくて素直に喜べず微妙に引きつった顔」が楽しみである。
駅から空港鉄道に乗った。なんと、もう帰国である。早い。
空港に着いたらお土産を漁る。冷麺の店で飲んだ牛骨のスープがおいしかったので、店で見つけて一袋買った。
それから韓国海苔。ここで買わなくてもドンキホーテに売っているのだが、まあこのご時世にそんなこと言ったら何だってAmazonで買えてしまうし、お土産を買う必要がなくなってしまう。
空港のカフェで『穀物パウダー入り』のドリンクを見つけた。
すごく気になる。米粉だろうか、小麦粉だろうか。
お金も残っていたので購入し、一口啜って納得。きな粉であった。普通そんな書き方する?
飛行機に乗り込んだ。
韓国を出る。短い間だったけどお世話になりました。
今回の旅行は、短い期間にしてはかなり高額になってしまった。物価が日本と変わらないというのもあるし、おいしい(高価な)ものばかり食べていたせいでもある。
おいしいものを食べることは今回の目的でもあったので、まあしょうがないだろう。次の旅行は、もっと物価の安いところで節約しまくりながらの旅にしよう。東南アジアとかどうだろう。
日本に着いて、友人たちに別れを告げる。
「カメラマン」に「インドネシア」そして「サイコパス」……今思えば、こんなあだ名をつける必要はなかった。
彼らがこの旅行紀を目にしないよう祈るばかりである。
そういうわけで、旅行紀番外編は終了となる。
いつもは二人の旅行だが、今回は四人もいたので会話が弾んだ。
(※これまでの旅行中は、私がスマホのメモ帳に旅行紀を書きまくり、友人はカメラでいろいろなものを撮りまくっていた。互いに好きなことをしているしそれをわかっているので、そこまでずっと話しているわけでもないのだ)
今回はあまり刺激的な体験をしていないので、自然と食事に重きを置いた書き方になっているが、どうだろう。楽しんでくれたのならありがたい。
食事はいい。
どんな国に行ったって、人々は食事をしている。食事はそこで生きる人々の身体を形作っている。現地の食べ物を食べているとき、やっと本当にその土地を旅行しているのだという気分になる。
我々は何かを食べなければ生きていけない。我々の日常は食事とあまりにも深く結びついている。だからこそ、旅行先での普段と異なる食事によって、我々は真に非日常を「味わえる」のだ。
それでは、また次の旅行紀で。
또 봐.
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