韓国

韓国 一日目


9月14日(木)


 朝の4時20分。外は暗い。太陽が顔を見せるのはもう少し先である。


「おい起きろ」

 愛知県名古屋市、繁華街の一角にあるネットカフェ。個人スペースの扉がガラリと開けられ、お馴染みの人物が顔を出した。

 そう、かつて香港、沖縄、北京、西安へ共に旅行した友人である。

「んあ」

 やや寝ぼけながら起き上がり、荷物をまとめる。ネットカフェというのは非常に便利である。まず安い。そして安い。十時間パックだと二千円を切る。素晴らしい。

 たとえトイレが水浸しでおまけにスリッパには穴が開いていたせいでトイレの水が靴下にたっぷり染み込んでいたとしても、我々のように貧乏な旅行者にとっては非常にありがたい宿なのだ。

 ただしベッドはない。風呂もない。


 荷物をまとめて会計を済ませ、店の外へ。

 眠そうな目をこすりつつ、私と友人、そしてあと二人が一堂に会した。

「行くか……」

 四人は夜明け前の宵闇の中を駅へと歩き出す。

 そう、今回の旅行紀は特別編……私と友人だけでなく、我々の共通の友人二人を交えた四人での旅行である。


 そもそも私と友人は大学で同じクラスなのだが、今回同行するのも同じクラスの友人たちである。友人が三人いるわけで、本名を書くわけにもいかないので非常に書き分けに困る。

 ここで簡単に紹介しつつ適当な呼び方を決めてしまおうと思う。ただし、文章中に出てくることはほぼないであろう。


 まず、お馴染みの友人。写真部(部長になったらしい)に属し、航空機と鉄道をこよなく愛する男である。貧乏旅行テクニックに長けており、これまで旅行紀を書いてこれたのも半分は彼のおかげだと言ってよい。

 そんな彼は先日デイパック一つだけを背負って旅立ち、東南アジアを十日間ほどうろちょろしてきたらしい。逞しいやつである。

 尊敬を込めて、彼を「カメラマン」と呼ぶ。


 そして今回同行する友人のうち一人目。

 海外の路地裏で出会ったら直ちに全財産を差し出して命乞いをするレベルで顔が厳つい。入学してから数ヶ月、私は彼のことをインドネシアから来た留学生だと思っていた。

 初めて言葉を交わしたときの「日本語うまっ!」という衝撃は忘れられない。その後純粋な日本人であることが判明したとき、私は彼に正直に謝った。彼は笑って許してくれた。器の大きい男である。

 感謝を込めて、彼を「インドネシア」と呼ぶ。


 二人目。

 自転車部に属しており、先日は北海道を走り回って散々に日焼けして帰ってきた。

 自分が言いたいことは何に対しても誰に対してもはっきり言う。そして自分が正しいと思ったことは曲げない。相手が折れるまでやめない。まっすぐな男だが、一歩間違えばモンスタークレーマーである。

 畏怖を込めて、彼を「サイコパス」と呼ぶ。


 そんなわけで旅行がスタートした。

 行き先は韓国の首都ソウル。その近さ、手軽さから大学生に人気の旅行先である。

 ちょっと今回、旅行先の北隣にある国が最近ピリピリしているので、万が一将軍様のミサイル的なものが飛んできてアレなことになったら困るが……その場合、なんとかこの旅行紀データだけでも私の遺族の元へ送ってほしいものである。

 いや待て、やっぱり送らないでほしい。葬式で読み上げられたりしたら恥ずかしくて死んでしまう。二回死ぬ。


 名鉄名古屋駅で始発を待つ。

 今回、なぜ名古屋などという辺境都市(日本の三大都市は東京、大阪、福岡である。一般常識だな)からの出発なのか……それは単純で、前日まで名古屋で用事があったからである。

 名古屋には三日間滞在した。味噌カツ、きしめん、味噌煮込みうどんなど名古屋グルメを堪能した。そして腹を壊した。ここの料理は揃いも揃って味が濃い。


 そして今回、韓国に行く主な目的も「飯」である。

 食べるために行くのだ。腹が壊れていようとも、とりあえず食べる。食べるぞ。


 電車に揺られて空港へ。車窓から見える空が白んでいき、ついに太陽が姿を現した。


 うつらうつらしているうちに中部国際空港に到着してしまった。

 受託手荷物の手続きの際、空港内で犬が鳴き叫んでいた。航空機にはペット用の貨物スペースがあるというが、そんなところに押し込められるのは怖いだろうなあ、と犬に同情する。

 しかし、犬や猫で埋め尽くされた貨物室……考えてみれば楽園である。むしろそこに乗りたい。


 さあ出国。

 朝ごはんとして、売店で一口サイズのサンドイッチ詰め合わせを購入した。具はキュウリ、ハム、卵、カツ的な何か。いかに使用する具の量を減らすかに苦心したあとがありありと窺えた。

 まず、ハケで塗りつけたかのように薄く延ばされた卵。

 どれだけ薄く切りとれるかギネス記録に挑戦してみましたとでも言いたげなハム。

 キュウリがもっともひどく、正方形のパンの右上にキュウリの欠片がちょこんと挟まっていて、それ以外の部分には何もない。無である。素材の味を活かしきっている。

 そして、よく見るとキュウリにうっすらと何かが付着していた。ツナであった。こんな微量なら入れないほうがマシなのではないだろうか。混入レベルだ。もはや近似したらゼロだ。

 しかも、これが一つずつなのだ。一つのパンに一つの具。全部まとめて挟めばまだそれなりのものになっただろうに。

「柔らかいパンで、心を込めて作りました」じゃない。

 具材を込めろ、具材を。


 飛行機は飛び立つ。

 機内放送の日本語があまりにも流暢なので驚く。さすがは隣国である。滑舌の悪い私よりも余程上手に喋っているではないか。……などと考えているうちに、気づけば着陸。

 朝が早すぎたせいか、せっかくの機内での時間のほとんどを眠って過ごしてしまったのだった。

 そして着陸が今まで乗った飛行機の中で一番荒い。一回バウンドしたんじゃないかというレベルの衝撃。


 さて仁川国際空港に到着し、建物の中に入ったあたりで違和感を覚えた。正確には、違和感を覚えないことに違和感を覚えたのだ。

 福岡市内の要所には、四ヶ国語表記の看板が多数見受けられる。日本語、英語、中国語、そして韓国語である。観光客への配慮だろう。

 そして、ここ仁川国際空港も同様に四ヶ国語表記であるため、あちらこちらの看板に日本語が書いてあるのだ。

 日本でもハングルを目にする機会は多い。そのため、ハングルで埋め尽くされた国に来ても、そこまで外国に来たという感じがしないのである。さらに周囲はアジア系ばかり……実際、日本人と韓国人を見た目で正確に区別することは難しい。

 特にバリバリ化粧している若い女性などは、日本や韓国以前にもはや人間であるかどうかさえ怪しい髪の色をしていたりする。実際私は、あの中の一割はエイリアンであると睨んでいる。


 まとめると、似たような外見の人と見慣れた文字で埋め尽くされた国なのだ。

 海外に来たという実感がこんなに薄いのは初めての経験である。

 日本国内の、方言の強い地方に旅行に来たような気分だ。


 入国審査では係員が言葉を発しなかった。代わりに、なんとモニターから「指を置いてください」等の音声が流れてきた。音声の指示通りにしつつドキドキして言葉を待っていたが、特に何も聞かれず、そのままパスポートを返されてすんなり入国。

 緊張して「sightseeing」「two days」とぶつぶつ呟きまくっていた私の心労を返せ。


「インドネシア」の彼が入国審査でなかなか出てこなかったため、てっきり国籍詐称か何かで拘留されたのかと思った。違ったらしい。

「白い粉運んでると思われたんじゃね?」

「いややっぱり国籍詐称だろ」

「両方だったりして」

 なんともひどい言い草である。


 仁川国際空港からソウルへ向かう。約50分の電車旅だ。

 電車の中にはテレビモニターがあり、何とは無しに眺めていたら「独島は日本の領土ではない」と映像が流れ始めた。日本から来た旅行者が大勢利用するであろう鉄道で、大々的にそれを流すのはどうなんだろうか。観光に来る日本人を減らしかねない、とは考えないのだろうか。どうにも不思議だ。


 私は国民性という考え方はあまり当てにならないと思っている。

 なぜなら勤勉だとか言われているはずの日本人でありながら、私はウサギとカメの悪いところだけミックスしたかのように怠惰だからである。

 だから韓国人は皆どうだこうだ、なんてことを言う気はさらさらない。韓国人という一括りで考えること自体が馬鹿げている。

 それに、政治やそのあたりの分野はまだまだ不勉強で、意見を述べられるほどのレベルにはない。一つだけ言えるのは、もっと仲良くできたらいいのになあ……ということだけである。


 さて、ソウル駅に着いたがなんという高さだろう。いや、低さだろう。

 びっくりするほど地下深くから、エスカレーターで地上へと登っていく。エスカレーターが長い。空港鉄道、こんな地下を走っていたのか。


 最初に向かうのは明洞ミョンドンだ。

 どんな場所かは、いまいち把握していない。ではどうして向かっているのかというと、韓国から来た留学生の友人にオススメ韓国フードを聞いたところ「明洞で水餃子を食え」と言われたからだ。


 そんなに離れていなかったので、ソウル駅から明洞まで歩くことにした。それが失敗だった。

 スーツケースを転がして長い距離を歩くのはきつい。おまけに暑い。韓国は日本より寒いと言われて、薄着しか持ってきていなかったのを心配していたが、杞憂にもほどがあった。


 そして腹が減ってきた。

 我慢できなくなって、明洞に着く前にどこかで昼ご飯をとることで全会一致。途中で見つけた店に入り、冷麺を注文する。混ぜ冷麺と水冷麺があり、店員さんの「スコシ、カライ」を信用して「少しならいいか」と四人とも混ぜ冷麺を注文した。

 そして運ばれてきたのはタコ糸のように細い麺の上に大根の漬物、キュウリ、ハム、ゆで卵、そして薄切りの梨が乗っかったなんとも不思議なもの。赤く濃いタレがかかっている。

 店員さんが鋏を取り出し、その場で麺をかき回してはジョッキンジョッキンと切り刻み始めた。豪快に、皿に鋏を直接突っ込んで切りまくるのだ。

 やがて切り終わり、店員さんがにこやかに微笑む。

「ドウゾ〜」

 見た目は盛大に辛そうだが、味は……?

 一口食べてみて、顔を見合わせた。これ、案外いけるぞ。そこまで辛くない。

 そして、その顔が引き歪むのにそう時間はかからなかった。


 食べている間はいい。

 どうしてだかわからないが、麺が口に入っている間は辛く感じないのだ。糸こんにゃくのように細く固い麺とタレが絡み合い、むしろ旨味が溢れ出してくる。

 しかし、一度飲み込んでしまえば強烈な辛味が襲いかかってくる。その辛さといったら、激痛を超えた激痛とでも言おうか、舌を幾千の熱した針でぷつぷつと刺されまくっているような、とにかく尋常ではない痛みなのだ。

 涙が出る。空気に触れると舌が激痛に苛まれて喋ることができない。

 水を飲む。しかし無駄だった。水程度でこの辛さが和らぐことはない。食べ続けるしか方法はない。

 ああ無情なり!

 これを食べ終えてしまったとき、私にはもう、この辛さをしのぐ手段が残されていないのだ!

 麺を口に入れ続ける。それは死への行軍。行き先に地獄へと通じる穴があるとしても、歩き続けるしかないのだ。進むも地獄、止まるも地獄。『ラ・マルセイエーズ』が頭の中で鳴り響く。


 やがて、そのときは訪れた。

 麺が尽きた。皿は空っぽだ。

 私は涙を流し、口を押さえ、犬のように浅く早い呼吸を繰り返した。視界は滲み、唇と舌の痛みが全身を駆け巡っては脳内でぐわんぐわんと反響した。私は耐えた。無限にも思える時間を耐え続けた。


 やがて、痛みは去った。

 後には僅かな残滓がピリピリと刺激を伝えてくるのみ。

 私は一緒に運ばれてきた牛骨のスープを飲み、甘酒のような不思議な飲み物を味わった。うまかった。ようやく味わうことができた。


 こうして我々は、韓国料理の洗礼を受けた。


 店を出るとき、「アリガトウゴザイマシタ〜」と言われたので「カムサハムニダ〜」と返した。

 韓国語のフレーズは三つぐらいしか知らないが、なんとかやっていけそうだ。


 冷麺を腹に抱えて明洞を歩く。大都会。日本でいうと渋谷と原宿の竹下通りを混ぜたような感じの場所だ。

「カメラマン」と「インドネシア」が大きなソフトクリームを買って食べている。二千ウォン(二百円)で買えるのはなかなかに安い。街中、店先にソフトクリームを絞り出す例の機械が据え付けてあって、買ったらそのばでぐるぐると作ってくれるのだ。

 私は無理だった。まだ腹の中に冷麺が居座っていたからだ。


 そういえば韓国のウォンを説明していなかったが、十ウォンがおよそ一円である。物価は同じくらい。ただし、衣料と食品は日本より安い。


 一通り見て回り、スーツケースを引きずるのがつらくなってきたので、明洞を去ることにした。

 ミョンドン駅からシンソルトン駅へ。ホテルは駅から近いらしいが、なにぶん路地裏の小さなホテルなもので、非常に見つけにくかった。

 迷ったりなんたりしつつ、ようやくホテルに到着。部屋に入って、その綺麗さに驚く。一泊二千円以下とは思えないほど素晴らしい。地下鉄の駅の近くにあり、部屋はWi-Fiと冷蔵庫付きで、それなりに清潔で広い(枕やクッションには誰のものともしれない髪の毛が付着していたが、まあ気にしない)。

 香港で同じような値段のホテルに泊まったときは、狭い上に下水の芳香が部屋に満ちていた。シャワールームも狭く、普通のトイレの個室程度の広さで、便器の真上にシャワーヘッドがあってシャワー浴び辛きこと山の如しだった。

 なんという格の違いだろう。運が良い。


 ホテルに荷物を置き、身軽になってから世界遺産「宗廟」に来た。

 片言……というにはあまりにも流暢なガイドさんの説明付きで、まるでツアーのような形で中を巡る。これがなんと入場料千ウォン。つまり百円。いくらなんでも安すぎる。

 中国に行ったときなんか、兵馬俑で何十元(何千円)も支払ったというのに。

 利益を出すというより、文化を保存するというのが主目的であるような気がした。素晴らしい姿勢だと思う。


 宗廟に安置されている朝鮮王朝の話から始まり、チマチョゴリを着たガイドさんの説明はとてもわかりやすかった。質問にも対応してくれて、至れり尽くせり。50分ほどかけて内部を一周し、外に出る。


 街を歩いていると、靴下の店が多いことに気づく。

 露店のような感じで店先に大量に積んだりぶら下げたりしてある。靴下からタイツまで何でも揃っている上に、安い。

「韓国人って靴下フェチが多いんだろうか」

「日本語わかる人が周囲にいなくてよかったな、お前」


 ホテルの近くまで戻り、夕飯にする。

 見つけた焼肉店は日本語のメニューがあり、そこそこ客も入っていたので大丈夫だろう、と入店。

 やはり韓国に行ったなら焼肉を食べなければ。今度は辛くないといいが……(完全に冷麺がトラウマになっている。というか腹の中でまだ冷麺が踊っている)


 席に座ると、店員のおばさんが執拗にカルビやコッセル(コッセル、花肉と書いてあったが一体何の肉のどこの部位だろうか)を薦めてくる。こちらは日本円にして一人前五千五百円である。いくらなんでも高い。

 結局カルビを一人前、少し安めの肉やユッケやその他を一人前ずつ、そしてマッコリを二瓶頼んだ。四人で割って一人頭三千円〜四千円というところだろう。

 一人前の量がわからないので少し心配だが、まあ足りなければ追加すればよいのだ。


 さて、いざ注文してみれば、運ばれてきたのは肉、野菜、肉、ユッケ、煮込んだ蟹丸ごと一匹、キムチ、野菜サラダ、ナムル、その他名前もわからない豊富な付け合わせたち。

 テーブルに料理が来るわ来るわ、一瞬にしてテーブルの上のスペースが皿でいっぱいになり、それどころか少しはみ出す始末。


 なんだか顔ぐらいある一枚肉が、テーブルの中央にででんと居座っている。

「これ焼く?」

「とりあえず焼くか」

 中央の金網に載せる。香ばしいにおいが漂ってくるが、果たしてこれをどうやって四人で分ければいいのか。

「あっ、ハサミ!」

 そうだった。ここではハサミを使うのだ。

 なんとかしてハサミで肉を切ろうと躍起になる男四人組。しかし切れない。キッチンバサミで金網の上の一枚肉を切り分けるのが、こんなにも難しいことだとは。


 そこに乱入してきたのは、店員のおばちゃんである。

 貸しな、とでも言いたげにハサミを手に取ると、素晴らしいハサミ捌きで肉を切り分けていく! 数分後、そこには一口サイズの肉がごろごろと転がっていた。

「ありがとうございます」「カムサハムニダー」

 口々にお礼を言う。

 しかし、てっきりその場を去ると思っていたおばちゃんは動かない。それどころか、ハサミを放して箸に持ち替えた!

 金網に野菜も放り込み、一口大の肉を四人に取り分けていく。

 ほい、ほい、と焼きあがった肉を渡され、皿で受け取る。なんと、切るだけでなく焼くところまでしてくれるのだろうか。それとも、あまりにも下手くそな観光客を見ていられなくなったのか。

 どちらにせよ、ありがたく肉をいただくことにする。

 一人前五千五百円の肉である。味噌ダレもあるがまずは岩塩にしよう。


 口に放り込むと、肉汁がびっくりするほどの量溢れ出してきた。

 じゅわっ、なんていうレベルではない。どばっ、である。この小さな肉の、いったいどこにこれほどの量を収納していたのか。

 噛むたびに旨味の塊から旨味が染み出す。肉だ。紛うことなき肉だ。原始時代、仲間とともに狩ってそのまま火で炙った獣も、きっとこのような味がしたのだろう。


 おばちゃんは「あとはできるよね」というようなジェスチャーとともに去った。

 我々は思う存分肉を焼き、ユッケを食べ、サラダを食べ、キムチを食べた。どれもこれも絶品だった。日本と味付けの違いはあれど、どれもこれも馴染みの深い味である。やはりアジアの食事は口に合う。


 遅ればせながらマッコリで乾杯した。

 本場では、マッコリはグラスではなく茶碗で飲むのだ。微かな炭酸とともに独特の風味が鼻を刺した。そのままでもおいしい。おいしいが、これはカルピスで割るともっとおいしそうだ。

 四人で一瓶だけ空け、残りはホテルに持って帰って酒盛りに使うことにした。


 どれもこれもうまかった。

 しかし物足りない。何かが足りないような気がする。

 そう、実際足りなかった。我々は重要な事実に気づいてしまった。白米がなかったのだ。

 肉をレタスで巻いて味噌ダレをつけるともう絶品であった。しかし白米がなかったのだ。

 生タマネギのスライスと小口切りにした葱が生肉の臭みを一切合切打ち消していた。ユッケはうまかった。しかし白米がなかったのだ。


 我々は食べ終わり、店を出た。

「白米、欲しかったな」

「ああ……」

 異国の地を歩く我々は、やはり芯から日本人であった。


 ホテルへの帰途、セブンイレブンに寄った。

 韓国はセブンイレブンが大量にある。街中を眺めていても、日本にいる気しかしないのはそれも原因の一端であろう。

 酒盛り用にビールや炭酸水、大量のお菓子と韓国海苔を買った。韓国海苔が安いのでたくさん買った。これはそのまま食べてもうまいのだ。


 ホテルに戻り、シャワーを浴び、酒盛りを始めた。

 わいわいと騒ぎつつ酒を飲んでいたのだが、急激に眠気が襲い掛かってきた。耐えられなくなった私は部屋に戻り、ベッドに横たわった。

 やはり疲れていたのだ。

 明日の夕方には空港だ。韓国への滞在は短い。ゆっくり体を休め、短い時間でも全力で楽しめるよう、明日に備えるのだ。

 私は体の欲求に従い、眠ることにした。


 少し硬めのベッドはとても寝心地がよかった。

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