中国 三日目

九月二十五日(日)


 しっかり五時に起き、パンをもしゃもしゃ食べた。昨日買った飲むヨーグルトは、なんとざくろ味。果敢に攻めるチョイスだが、おいしかったのでなんだか拍子抜けである。


 準備を終えてチェックアウト、どうにもラブホテルを改装した感が拭えないホテルではあったが居心地はよかった。そもそも普通のホテルは風呂がガラス張りではない。……ちなみに、ラブホテルに行ったことは一度もない。残念ながら。


 地下鉄空港線に乗り換え、空港へ。

 保安検査で何事か言われ、聞き取れないので首を捻っていたら「もういいから行け」というようなことを舌打ちと共に言われた。たぶん「危険物持ってないか」というようなことだと思うが、なんとも正直かつ適当である。

 日本ならば「ご搭乗ありがとうございます」などと言う場面で、ここでは「仕事増やしやがって」というような舌打ちが飛んでくる。カルチャーショックでくらくらする。


 バッグが検査で止まってしまい、なんだなんだと思って見ていたら折り畳み傘が引っかかったようである。受託手荷物のほうに入れておくべきだった。


 飛行機に乗り込むと、早起きして眠かったのですぐ眠ってしまった。目を覚ますと、まだ飛行機が動いていない。トラブルでも見つかったかな……と思いつつまた寝て、加速度を感じて起きたら、やっと動き出したところだった。

 始発からさっそく四十分遅れる、これぞ中国。遅延は別にエンジントラブルなどではなく、滑走路が混雑しているのが最大の原因のようだ。

 さすがは十三億人を抱える国である。一人しか住んでいない私の部屋のおよそ十三億倍の人口がいるのだ。多いはずである。


 飛行機が飛び立ってからはまた眠った。三回に及ぶ睡眠で体力を回復し、おめめぱっちりになったところで機内食が運ばれてくる。今回はお粥とパンとヨーグルトである。

 お粥は味がない。強いて言えば米の味である。あまりにも味気なかったので、昨日の残りの牛スジを入れてみた。

 食べてみると、あの辛みがお粥で薄まってほどよくなるかと思いきや、辛さは健在であった。

 なんというか、他の味と違って辛さは痛覚だと聞いたことがあるが、それは本当のようだ。痛い。しかし、一応味がついておいしくはなった。

 パンは普通の機内食で、ヨーグルトはよく見ると生産地に蒙古と書かれていた。はるばるモンゴルからやってきたのだ。


 飛行機を降りて荷物を受け取った後、西安市内行きのバスチケットを買い求めた。受付の人が英語を話してくれて、共通語って素晴らしい……! といたく感動した。意思の疎通ができるとはこんなに素敵なことだったのか。

 チケットの代わりに領収書を渡され、そこらへんに座って待ってろと言われたので、一抹の不安を抱えながら待っていると、二十分後に受付の人から呼ばれてバスまで案内された。バス。バス?

 目の前に到着した「バス」はどう見ても自家用車。七人乗りの白い車に詰め込まれ、戸惑いを乗せて車は滑らかに動き出した。

 私は今、一番後ろの三人掛け席の左端で、横の中国人カップルの邪魔をしないよう最大限縮こまってこの旅行紀を書いている。

 ちなみに友人は助手席である。どちらがいいのかは私にもわからない。

 タバコ臭くて頭が痛い。西安市内まで空港からおよそ七十キロ、あとどのくらいこの車内で耐えればいいのだろうか。うっぷ。


 車は赤信号をバンバン無視し、強引に割り込んではクラクションを鳴らされ、ぐいぐい進んでいった。

 中国の街では基本的にクラクションが鳴り続けている。おそらく自動車学校で「クラクションは必要なとき以外鳴らさない」という項目を教わっていないと見た。あとは「赤信号は止まる」とか「歩道を走らない」なども。これ、本当に教わっていないのか……?


 バス(?)を降ろされたのは、西安の象徴「鐘楼」の近く。ホテルもその近くにあるようなので、まずは荷物を置きにホテルへ。

 ホテルを探し回るも、案の定見つからない。路地に入ると、まさに中国といった様子の裏路地が広がっていた。いい感じに薄汚れたマンションが立ち並び、周囲の店から香ばしい肉を焼く香りが漂ってくる。

 歩いていると後ろからクラクションを鳴らされ、びっくりして飛び退くと電動バイクがふいーんと横を走り抜けていった。

 そう、中国は電動バイクが普及しているのだ。日本でよく見かけるような原付、小型、中型のバイクが中国ではガソリンではなく電気で走る。

 だからエンジン音がない。ふいーんという音がしたときには、もう横を走り去っている。音がしないから警戒もできず、すごく危険である。四六時中周囲を見回しながら歩かないと、どこから電動バイクが出てくるかわからない。

 あとはセグウェイやスクーターもかなり普及しているようで、すいすいと進んでいく様子は非常に羨ましい。

 交差点付近はいつも混雑していて、車がクラクションを鳴らしながらゆっくり進むそばを歩行者やセグウェイ、自転車、電動バイク、電動自転車などが走り抜けていく。信号などあってないようなものである。あれで誰も事故を起こさないのが不思議でならない。ここの人たちに運転技術を教わりたいものだ。


 やっと見つけたホテルは大通りに面していて、かなり素敵なところだった。

 そして、最も感動したことがある。なんと中国に来て初めて、日本語で話してくれる人に出会ったのだ!

 それは、ホテルの受付のお姉さんである。パスポートを渡すと、パソコンをカタカタしたあと「くがちゅにじゅごにち、から、にじゅななにち、まで」と確認してくれた。かわいい。

 そして、部屋のカードキーを渡され、「えー、あさごはん、ない。ごめん。もし……もし食べたい、ごじゅげん、ひとりね」と申し訳なさそうに微笑みながら言われた。かわいい。

「あさごはん、ない。ごめん」の時点で思わず笑いそうになったが、それ以前に、中国に来てから初めて笑顔で接客された気がする。それにしても「ごめん」って。かわいい。

 適当な英語に直すと「No breakfast, sorry」になり、これを再び日本語に直すと「朝ごはん、ない。ごめん」になる。間違ってはない。間違ってはないが、どうしてこんなに面白いのだろうか。「ない。ごめん」だって。かわいい。


 街角はきんもくせいと潰れた銀杏の香り、地下道はペンキとガスと腐ったバナナの匂い。中国の匂いは特徴的だ。

 二十四時間営業のチェーン店らしきところに入り、ビャンビャンメンという麺を頼む。このビャンという漢字、五十六画という意味のわからないほど複雑な漢字なのである。当然、変換できない。興味があったら調べてみてほしい。

 もはやこのビャンの字が気になるからビャンビャンメンを頼んだと言っても過言ではない。さて、一体何が来るのだろうか。

 運ばれてきたのは、これは一体どう形容すべきか、団子汁のようなものであった。

 麺と言いつつ、入っているのは生地を粗く刻んだもの。麺のように細く切ってはいない。やせうまをさらに太く乱切りにしたような、餃子の皮を半分に切って繋げたような、そんな麺の上に、肉や青梗菜やモヤシ、その他様々な具材が載っている。具材の上にも唐辛子らしきものが振りかけてあり、見た目は例によって激辛である。

 おそるおそる一口すすると……なんということだ! うまい!

 見た目ほど辛くはないが、食べているうちにじんわり汗が滲む。ほどよい辛さのスープが絡んだ太麺はもっちもちで、肉はしっかり煮込まれていて口の中でほろりとほどける。汗だくになり、顔を真っ赤にして、それでも箸を止めることができなかった。

 しかもこれで十四元、なんと三百円以下という驚きのコストパフォーマンス!

 さすがビャンビャンメン。夢中で食べ終えた。

 そういえば少し残すのがマナーだった気がする。今回は完全なるマナー違反だが、おいしかったのでよしとしよう。


 デザートに、街角のケンタッキーでテイクアウトのソフトクリームを注文した。西安のホテル周辺は繁華街のようで、日曜日ということもあって大勢の人々が行き交っている。その雑踏を眺めながら階段に座り込み、現地人に混じってソフトクリームを舐めていると、自分が西安の一部になったような気がした。


 西安の街は日本でいう京都、つまり昔の首都である。街の中心部は明の時代に築かれた高い城壁で囲まれており、五十四元払えば登ることができる。

 おのれ足元を見おって! 貧乏旅行者にとって五十四元は大金である。そろそろ財布の中身が不安になってきた。


 城壁からは街をぐるっと眺めることができ、西安という街の昔と今が混在している様がよく伝わってくる。

 城壁の中は昔ながらの街並みで、まさに中国といった感じの瓦屋根が延々と続いている。所々に見える寺院のような建物には荘厳な飾り付けが施されており、大変美しい。

 一方、城壁の外を見れば、東京に負けずとも劣らない高層ビルの数々。発展の様がありありと窺える。

 古い石の城壁の上から眺める高層ビルは、西安ひいては中国そのものを表しているかのようだった。

 城壁の一周は、ゆうに十二キロはある。歩いて一周することは(できなくはないが)やりたくない。ちょうどよくレンタサイクルがあったので借りようとしたが、デポジット(預かり金)が必要だった。

 ちなみに、中国に来てから対人関係はほとんど友人に任せていたのだが、ついに友人が「お前もやれ」と宣言したことで、なんと今回は私がやる羽目になったのである。

 交渉は滞りなく進み、どうやらデポジットが必要なようだと友人に伝えたところ、まったく信じてくれなかった。

「デポジット二百元だって」

「あん? そんなわけないだろ、もういい、そこどけ」

 全力で信用されていなかった。あんまりだ。

 受付の人がそれを見かねて、電卓に200と打ち込んで見せてくれた。

「ほら見ろ」

 私は勝ち誇ったが、「あー二百元持ってねえ」と流されてしまった。どうも友人の私に対する扱いが雑だ。もう少し丁寧に扱ってくれ。壊れ物注意。

 それは置いといて、二百元。貧乏旅行者である我々は二百元もの大金(三千円)を持っていなかったので、自転車を泣く泣く断念。一周するのは諦めて、適当に疲れるまで歩いてから降りることにした。


 城壁の上を歩いていると、カメラを提げた男性から「ニホンジンデスカ」と言われた。話を聞くと、どうやら中国人旅行客で、写真を撮ってほしいようだ。

 一眼レフは不得手なので、撮るのは写真部である我が友人に任せた。どうやらばっちり撮れたようで、その人も「カンペキデス」と喜んでいた。

 そのあとしばらく英語で話したが、向こうが英語ペラペラなのに対して我々の英語の拙さといったらもう!

 香港の近くから来たらしい。ということは、母語は北京語ではなく広東語のはずだ。日本語と英語と母国語、そしてもしかしたら北京語を操る彼が輝いて見えた。

 イスラム街というところがオススメらしいので、明日行ってみようと思う。

 やはり語学は大事だ。


 城壁を散策し、降りてから一旦ホテルに戻った。ベッドに体を投げ出して爆睡してしまい、結局四時間ほど寝た。

 ふたりとも目が覚めたのが夜の九時、ちょうどいいので晩ごはんを食べに行く。

 見れば城壁や鐘楼はライトアップされており、色とりどりの電飾によってもともと派手だった建物がさらに派手になっていた。「落ち着いた」や「シック」という言葉とは無縁の装飾には、日本にはない面白さがある。真っ赤なネオンサインも含めて、まるで異国の地に迷い込んだかのようだ(注:迷い込んでます)。


 麺ばっかり食べているのでそろそろ米が欲しくなってきた。夜の街を「米飯」の文字を探して歩き回る。

 西安の夜は、昼とはまったく違った表情を見せる。治安の良さの世界ランキングでは、中国は百何位かだったはず。しかしこの街は、深夜でも若い女性が平然と出歩いているあたり、かなり治安が良さそうだ。おそらく街の中心部だからだろう。

 十時を回って店が次々に閉まり始め、せっかく見つけた米飯の店が目の前で閉まったりしたので、結局昼にビャンビャンメンを食べた店に再び入った。今度こそ米を注文したが、席で料理を待っていると店員らしき人がやってきて何事かまくしたてる。

 当然のごとく聞き取れないので、友人が、持参したノートとペンで筆談に挑んだ。

 ヨーだのメイヨーだの片言の中国語を繰り返し、なんとか理解したのは「頼んだメニューはできないから麺に変更しろ」ということだった。また麺か!

 結局、言われた通りに麺を注文した。しばらく待って、運ばれてきたのは壺の中で煮えている謎の麺である。麺はビャンビャンメンよりは細いが、それでもかなり平たくて太い。肉の塊、海藻、キクラゲ、豆腐、青梗菜、うずらの卵、その他いろいろな具材が、例によって辛そうなスープに浸かっている。なんだか、カレーのような匂いがする。

 恐る恐る食べてみてびっくりした。うまい!

 具材の出汁が溶け込んだスープは、辛いだけでなく確かな旨みがある。塊肉は骨付きで、つまりはもっともおいしい部分である。麺は相変わらずもっちりとして、細く切られたシャキシャキの海藻やらコリコリとしたキクラゲやらとの食感の対比が楽しい。

 名前も読めない料理だが、これはおいしい。しかし辛い。四川が近いので、料理が基本的に辛い。汗を流しながら食べ、今度は少し残した。


 店を出てコンビニで明日の朝ごはんを探す。またぶどうパンを買った。中国に来てからの朝ごはんが三回連続でぶどうパンになってしまった。


 ホテルに戻ってシャワーを浴びようとしたが、シャワーの出し方がわからなかった。謎の取っ手があるが、押しても引いても捻っても動かない。浴槽に水を溜めるのはできるが、シャワーと蛇口の切り替えはどうすればいいのだろうか。

 仕方なく、アクロバティックな体勢でなんとか頭を洗うことに成功した。この状態で滑って頭を打って死んだりしたら、目も当てられないような有様で発見されることになる。それは避けたい。

 あとで友人に尋ねたが、取っ手を強く引けばよかったらしい。壊れたらいけないと思って遠慮がちに引いたから動かなかったのか。明日はちゃんと強く引いて、シャワーを浴びよう。


 体を拭いてベッドに寝転がっていると少し日本が恋しくなってきたので、スマートフォンに入れているジブリのアルバムを聴きながらホテルに置いてあった緑茶を淹れて飲んだ。癒された。


 さて、明日は兵馬俑を見に行く。夜はイスラム街だ。それ以外は特に何もしないので、のんびり寝てのんびり起きようと思う。

 LINEもTwitterもFacebookも繋がらないし、Googleも繋がらないのでWi-Fiはあるがインターネットがほぼ使えない。

 何とは無しにスマートフォンをいじっていたら、なんとカクヨムには繋がることがわかった。素晴らしい。いくつか小説を読み、少し夜更かししてから寝た。

 明日は実質最終日、非常に楽しみである。

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