中国 二日目
九月二十四日(土)
起きてから、昨日コンビニで買ったパンとジュースの朝食をとる。ぶどうパンかと思いきや、レーズン以外にもいろいろなドライフルーツが入っている。ややこしい味がしてうまい。量も多い。これで七元とは!
(現在、一元はおよそ十五円)
オレンジジュースは当然ながらおいしかった。
北京で食べ物に困ったときはコンビニに行けばよい、ということを学んだ。いろいろなものが日本より安く売っている。品質も悪くはない。
準備をしてホテルから地下鉄まで歩く。万里の長城へ行くため人民鉄道なるものに乗り換えようとしたが、チケットが買えない。よくわからないが、昼過ぎまで待たないと買えないようなのである。仕方なく、先に天安門広場に行くことにした。
駅周辺を歩いていると、客引きが次々に話しかけてきた。何かに困って助けを求めてきた観光客というわけでもなさそうなので客引きだと判断したが、たぶん間違っていないだろう。目を合わせずにノーノーと言いつつ歩いた。
そもそも何を売っているのかさえ聞き取れないのでどうしようもないが、次に来るときは「いらない」ぐらい中国語で言えるようになっておきたい。
中国語は発音が難しく、例えば友人から教わっているときに「ウと言うときの口の形でイと発音しろ」と言われても「ウィ〜〜⤴︎⤴︎」としか言えず、「違う」と言われても何が違うのかわからない。
日本語の難しさは世界でも有数だと言われているが、発音に関してなら簡単なほうではなかろうか。それとも母国語だから簡単に思えるだけなのか。
天安門広場に入るときも荷物検査があった。テントひとつの荷物検査場に対してあまりにも人が多すぎるので行列ができており、これほどの行列を見たのは正月に太宰府天満宮で年越ししたとき以来である。
行列といっても整然と並んでいるわけではなく、各自ができるだけ前の人を押しのけて先に行こうとする雑然とした行列である。のんびりしていたらガンガン割り込まれた。ここでは、割り込まれるほうが悪い。
なんというか厳重は厳重だが、何かが引っかかってもほとんどの場合係員が面倒くさそうに通してしまうので、あまり意味をなしていないように見受けられた。形式だけ、という感触である。
やっと入った天安門広場からは、天安門に毛沢東の顔写真が掲げられているのが見えた。その横には「中華人民共和国万歳」「世界人民大団結万歳」と書かれている。真っ赤な旗が翻るのを見て、なるほどそういえば赤は共産主義の色か……と納得した。
そして見渡す限りの人、人 、人!
中国全土から観光客が来ているようだ。ときどき見かける派手な服装は、日本が誇る「大阪のおばちゃん」の比ではない。全身紫毛皮スーツ、雪の女王らしき水色ケープ、その他、その他、その他。
あまりに人が多すぎて、ふらふらしてきた。中国という国が持つ圧倒的な勢いを支えているのは、このひとりひとりの国民たちなのだ。どうりでパワフルなわけである。貧弱でか細い理系大学生は、その場にいるだけで生気を吸われて一気に疲れてしまった。
天安門広場から少し歩いて、実際に天安門の近くまでやってきた。どうやら上に登れるらしい。チケットを買い、荷物を預け、検査を受ける。
身体検査で金属探知機が反応してしまった!
財布とスマートフォンと懐中時計をポケットに入れっぱなしにしていたのだ。しかし係員はポケットの上から触っただけで判断し、私を通してしまった。まったく、これがスマホ型爆弾だったらどうする気だ! ちゃんと仕事しろ! としばらく憤ってから入り口に向かった。
階段を上がって天安門広場を見下ろす位置に来た。名前しか聞いたことがなかったこの門から街を見渡せば、そんなに遠くないビルまで霞みがかかっている。おのれ光化学スモッグ!
とはいえそれを差し引いても、いやあ、なんという絶景だ! ハハハハ! 見ろ! 人がゴミのようだ!
蠢く人影の大群。かつて毛沢東主席もこの場所から人民を見下ろし、中華人民共和国の設立を宣言した。自分は今、歴史の転換点に(物理的に)立っているのだ。なんだか感慨深いものがある。
天安門の中は博物館のようになっており、撮影禁止の札が至る所に立ててあった。そして、観光客たちはそれをバックに自撮り他撮り問わず写真を撮りまくっていた。
撮影禁止の札をバックに写真を撮るという最高級のジョークをかましてくるあたり、なかなかユーモアのセンスがある国だ。
壁に掛けられている「天安門の百年」というフリップは中国語で書かれており、ほとんど読めなかったが「日本帝国」「五・四」の文字を見つけた。果たして最後に勉強したのはいつだったか、懐かしき世界史である。
その節は侵略してしまって申し訳ないが、もう生きてもいない先祖がやったことにあれこれ言われる筋合いはない。私個人が中国侵略に加担したわけではないのだから。
誰もがこのくらい単純に考えることができれば、世界はもう少し平和になりそうな気がする。難しいものだ。
天安門の奥にある故宮は別名紫禁城。
あまりにもだだっ広いため、私たちは見て回るという選択肢を放棄した。すでに足が痛いし、これ以上歩き回りたくはない。そろそろ座って休みたい。ということで、ベンチに腰掛けて小休止。小腹も空いたので、現地人が食べているのを見かけてから気になっていた、缶詰の粥を購入。八宝粥と書いてあり、見たところ麦やピーナツや豆の粥である。
一口食べてみてうわっと声が出た。甘い! 日本でも馴染みのある味だ。
しばらく考えてようやく思い至ったが、これはぜんざいである。餅の代わりに麦を使い、豆も入れたぜんざい。
うまいうまいと食べていたが、大きめの缶ジュースほどの大きさの缶にたっぷり入っており、途中で飽きてきた。これならまだ塩味のほうが食べやすい。
なんとか食べ終えて、バイクっぽいバスに乗った。ピザの配達バイクのピザ置き部分を巨大にして人を十人以上運べるようにした、と言えば伝わるだろうか。三人掛けの座席が四つ、壁もドアもないので開放感に溢れている。
二元払って乗り込み、涼しい風を感じながら故宮を抜け出した。
バスを降りて駅まで歩く途中、中華街を通り抜けた。期待していた中国の街並みがそこにあり、あちこち見て回りながら歩いているとふと香ばしい香りが。道端で串に刺したソーセージを焼いている!
矢も盾もたまらず、駆け出して一本購入。はふはふしながら齧り付くと、熱々でパリパリ。固めの皮を噛み切ると、ぷりっとした中身が肉汁とともに口の中で弾ける。
露店とも言えない、家の前に七輪を出してそこで焼いて売っているだけのピリ辛のソーセージは、北京で買い食いした中で一番おいしかったかもしれない。
街角では一元で水を売っていた。あれでも利益は出るのだろうか。
やっと地下鉄の駅に着いた。時間的に、もう万里の長城に行くのは難しいようだ。というわけで長城は諦めて天壇公園へ。こちらも世界遺産であることには変わりない。
駅の自動販売機で珍珍と書かれた缶ジュースを買って飲むと、ライチ味の炭酸であった。味はともかく、ネーミングについてのコメントは差し控えさせていただく。
中国のお札はどれもクシャクシャになっているのが普通のようだ。そういえば、アメリカでもお札は皺くちゃだった。日本のように綺麗なお札は数えるほどしかなく、ぞんざいな扱いがこちらでは普通なんだなあ……と何度目になるかもわからないカルチャーショックを受けた。
しかし、お札が汚いせいで機械に通しても読み込めずに返ってくるのは困る。
天壇公園の祈念堂は世界遺産のひとつ。壁に施された装飾は、さすが中国四千年といったところだ。緻密な龍の絵は色とりどりの彩色がなされており、少し色あせたような風合いも含めて素晴らしかった。
売店でアイスを買い食いしてしまった。中国の製品は割と安全なようで、今のところ腹は壊してない。露店で売っているものを買うのには気をつけたほうがいいと聞いたが、ちゃんと包装してあれば、あるいは火さえ通していれば大丈夫なのではないだろうか。
整然と植えられた木々に価値観の違いを見た。座標平面上の格子点に一本ずつ木を植えたかのように、上下左右しっかり揃えて植えてある。日本のように点々と植えるのではなく、明らかに人工林だとわかるようにしてあり、これは文化というか風習の違いだろう。
私は日本のように雑然と植えてあるほうが好きだ。
ずっと歩いているので足が疲れてきた。しばらく歩いてまた地下鉄に乗り、ホテルの最寄駅で降りる。乗り換えにも慣れてきた。北京の地下鉄は路線が二十ほどあるが、乗り換え自体はシンプルでわかりやすい。東京のように迷路にはなっていない。東京も是非ともこれを見習ってほしいものである。
駅を出てスーパーマーケットへ。アメリカにあるような大きめのスーパーで、食品から日用品まで幅広く売っていた。梅ジュースや干しナツメ、ポテトチップス、ポテトフライ、カレー味の牛スジ、ビスケット、ホットトッグなどを買い込んだ。変なチョイスになってしまったのはこの際仕方ない。外国でスーパーに行ったら、誰だって興奮して思わず変なものまで買ってしまうだろう。
街を歩いていると犬の散歩をしている人をよく見かけるが、なんだか違和感がある。そう、リードを持っていないのだ。放し飼いとはなんとも豪放な……人を噛んだりはしないのだろうか。
北京は机とベッド以外、四本足のものなら何でも食べると言われている。さては犬も食用なのか。しかし、食用にするならもう少し肉の多そうな犬種にするはずなので、愛玩用だろう。
ふわふわした犬を見て癒されつつ、ホテルに戻った。
まだ夕方だが、もうホテルの外には出ないつもりだ。一日歩き回って、くたくたに疲れきっている。布団に吸い込まれるように倒れこみ、三時間ほど寝てしまった。
なんだか昨日と今日だけで、まだ中国に来て一日と少ししか経っていないのにどっと疲れが押し寄せてきた。それは肉体的な疲れもあるが、中国人の圧倒的パワーに気圧された、いわば精神的な疲れであった。
昨日買った青島ビールで乾杯した。冷えていないのが残念だが、苦味が少なくてとても飲みやすい。酒のアテは大量に買ってきている。わくわくしながら牛スジの袋を開け、一口齧った友人が絶叫した。
「辛い!」
どれどれ、と一口齧った私は、ふんと鼻で笑った。
「どこが辛いん……あ、あ、あう、うわっ」
遅れてやってくる強烈な辛さ。
なんというか、牛スジ自体にはしっかり味がついていておいしいのだが、牛スジが浸かっている油が曲者である。辛い。辛いが、味がない。味がないのに辛さだけが存在している。油に唐辛子でも漬け込んでいるのだろう。
ホットドッグはソースが甘かった。甘いか辛いか、両極端な味付けしかないのだろうか。決しておいしくないわけではないが、まるでアメリカのように、繊細という言葉とは無縁の味であった。
干しナツメは案の定おいしい。普段からKALDIという輸入食料品店で謎のドライフルーツを買い漁っていた経験が、こんなところで役に立つとは!
あそこで干しナツメを買って食べたことがなければ、「なんやこの干からびた木の実、買わんどこ」で終わっていたであろう。
ポテトフライは、あの北海道のジャガポックルを彷彿とさせた。大変うまい。
特筆すべきは梅ジュースである。何かの味がするなあ……と思っていろいろ考えたが、適切な表現が「動物園の飼育舎の床で発酵させた梅のジュース」「芝生の土ジュース」ぐらいしか思い浮かばなかったのだ。友人に飲ませると、ただ一言、素晴らしい回答をくれた。
「バーベキューソース」
それだ!
バーベキューソースを気合いで飲み干し、口直しに水を飲んだ。もちろん水道水ではなく、ペットボトルである。
シャワーを浴びて十一時にベッドに入った。
明日は五時起きで西安に向かう。
昨日と同じくいろいろと圧倒された一日ではあったが、かなり慣れてきた。中国、なんだか癖になる味わいの国だ。
北京が今の首都なら、西安は昔の首都。北京とはまた違った経験ができるに違いない。
楽しみである。
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