香港 二日目

三月十五日(火)


 朝は八時に起床。夜は薄い壁の外から聞こえる叫び声やサイレンやクラクションの音でなかなか眠れず、少し寝足りないものの時間は有効に使わねば。それにしても隣の部屋の話し声がこんなにも聞こえるということは、さっき私が歌っていた硝子の少年(山下達郎ver.)も丸聞こえだったのか……!?


 部屋に漂うトイレ(というか硫黄)の臭気にもすっかり慣れ、部屋の中で食事ができるまでになった。顔を洗い、不要なものはトランクに詰め、身軽になって朝ごはんを食べに出発。


 香港らしいものを食べようとも思ったが、お金は大切に使わねばならぬ。香港の物価は日本とあまり変わらないので、調子に乗っているとお金がばんばん減っていくのだ。よって安心のマクドナルドへ。朝マックでマフィンとハッシュドポテト、コーヒーを頼んで日本と変わらない味に舌鼓を打つ(ほどおいしいわけではない)。日本円にして五百円ほど、お財布には優しいが胃には優しくない。


 やはり香港といえばお粥である。朝にお粥なんて、健康的にもほどがある感じがするではないか。是非とも食べてみたいものだ。


 マクドナルドを出て、もう一度、尖沙咀(チムサーチョイ)まで向かう。今度はスターフェリーに乗り、対岸の香港島へ向かうのだ。ちなみに、尖閣、南沙、咀嚼と打って不要な文字を消す作業はなかなか面倒である。


 地下鉄で行こうかとも思ったが、せっかくなのでバスを使う。ここの二階建てバスは運転が荒く(これはバスに限ったことではない)、歩行者などおらぬとでも言いたげに突っ込んでいく。そして歩行者も信号など見えぬとばかりに赤信号に突っ込んでいく。よってクラクションの音が常にどこかから聞こえてくる。なんともエネルギッシュな街である。


 バスに乗り込み、オクトパスをタッチ。実はマクドナルドでもセブンイレブンでもオクトパスが使えた。nimocaのように多目的なカードである。素敵なデザインだし、日本でも使えたらいいのに。


 二階の一番前の席を確保。素晴らしい眺め。街路樹や信号や歩行者をギリギリですり抜けていく様子はさながらジェットコースターである。隣の写真部員はさっきからシャッターを切り続けているが、私は文芸部員なので感動は文として残すのである(と言いつつカメラアプリを起動)。


 尖沙咀碼頭でバスを降り、スターフェリー乗り場へ。トイレを探して進入禁止の場所にずんずん入り、警備員に止められてしまった。そんなことどこにも書いてない!と憤ったが、よく見ると足元に小さく書いてあった。見えるかこんなもん。


 トイレはゲートをくぐった先にあった。

「フェリーに乗らん奴にはトイレなど貸さんというわけか」

「でもフェリー運賃のたったニドル(およそ三十円)払えばウンコできるんだから安いもんだ」

「ウンコウンコ」

 どうやら海外に行くと精神年齢及び知能指数の低下が起こるようである。周囲に日本語を解する人がいなかったことを祈る。そして、フェリーの運賃のなんという安さよ!


※現在1HK$はおよそ17円


 フェリーに乗り込むと、大変よい乗り心地ならぬ揺れ心地であった。楽しい。「波は揺り上げ揺りすゑ漂へば、扇も的に定まらず閃いたり」という一節を思い出し、遠い異国の地から壇ノ浦の那須与一に想いを馳せた。


 フェリーを降り、中環(セントラル)駅まで歩く。ここはゴミもあまり落ちていないし、清潔感のある街並み。高層ビルが立ち並び、さながらウォール街である。


 さあ、トラムに乗ろう。トラムとは端的に言えば二階建て路面電車である。オクトパスをタッチする場所が見当たらないので乗るのを迷っていると、扉が閉まって挟まれかけた。ちなみにトラムの料金はどこまで乗っても一律であるため後払いであり、タッチは降りるときだけでよい。なんとか乗り込んだ瞬間に今度は急発進、慣性の法則に従って私の体は壁に激突した。旅の恥はかき捨てと言うが、日本に帰る頃にはかき捨てられた私の恥が香港の至る所に転がっているに違いない。


 行き先も見ずに乗ったトラムを適当な場所で降りると、東京アメ横のような通りに出た。アメ横が観光特化の雑然とした街並みであるのに対し、ここは生活臭漂う本物の雑然とした街並みであり、肉屋魚屋乾物屋その他の匂いと活気と匂いと喧騒と匂いに満ち満ちている。工事現場からはシンナーの匂い、道路は排ガスの匂い、魚屋の生臭い匂い、なるほどこれらの臭気が混じり合って、だからこのような悪臭に覆われているのか、それにしても臭すぎではないかと鼻をつまんだがそれもそのはず、私が立っていたのはゴミ箱の側であった。道理で臭いはずである。


 肉屋の店先には切り分けられた血だらけの肉が並び、羽をむしられた鶏が恨めしそうな顔で白目を剥いてぶら下がっている。そんな目で見ないでくれ。私は何もしていない。


 友人は肉まんらしきものを買い食いし、うまいうまいと喜んでいた。英語が通じなかったようだが、ジェスチャーだけでもなんとか買えるものだなあ、と感心した。


 公園に足を踏み入れると、健康器具でおばちゃんたちが運動と世間話に花を咲かせており、おばちゃんというのは万国共通であるなあと感慨深く思われた。


 それにしても、樹上でぎょんぎょんと鳴く鳥は一体何だろうか。鳩のように見えるが色も模様も鳴き声も違うのである。雀は日本と変わらず愛らしく、しかも人間に慣れていてかなり近づいてくる。雀よ、あまり人間に気を許してはいけないよ、舌をちょん切られてしまうよ、と話しかけたがどこ吹く風、雀の耳に念仏であった。


 再びトラムに乗り、北角(ノースポイント)まで行く。おっと、たった今、乗っているトラムがおじちゃんを撥ねたようだ。おじちゃんは無事だろうか。トラムは何事もなく発車したからきっと無事なのだろう。


 香港では、こうやって注意力のない人間から淘汰されていき、最終的にはこの乱暴な交通の中をすいすいと進んでゆける人種しか生き残っていないのではないか、という説を立ててみた。今度の学会で発表してみようかな。そもそも学会って何の学会だ。


 トラム同士がすれ違うときの距離はわずか数十センチ、どうしてそんなにギリギリを攻めるのか。それに、歩行者も歩行者である。トラムの通り道を堂々と歩き、トラムの運転手はひっきりなしにクラクションを鳴らしている。やはり思いやりの精神は大事である。


 途中の停留所、木星街(ジュピターストリート)の名前の格好良さに感動しているうちに北角に着いた。


 北角、両側に露店が並ぶ通りを冷やかしながら歩く。途中の店で肉まんらしきものを買おうとしたが、英語表示がないので読めない。仕方なく、スマホのメモ帳に

「蜜汁叉焼包 2個」

と打ち込んでおばちゃんに手渡し、なんとか買うことができた。文明の利器様様である。


 とろりと甘いタレで煮込まれた豚肉はホロホロの食感で、ふわふわの生地はほのかに甘く、この二つの相乗効果たるや、つまりは絶品であった。二つでわずか十一ドル、このコストパフォーマンス、これぞ買い食いの素晴らしさ。


 さっき買い食ったばかりであるが、昼ごはんは麺が食べたい。それもあっさりしていて、できれば海老の出汁がふわっと香るような。友人も同じ気分なので、散々麺屋を探し歩いたが、なかなか見つからない。仕方なくトラムに乗り込み、北角を後にした。


 トラムの窓から街を眺めていると、女子高生の大群を見つけた。制服に関しては、やはり日本のほうがかわいいというか、デザインが洗練されていると感じる。日本人でよかったと感じるのはこんなときである(もっと他に何かないのか……)。制服に合わせるのは、個人的には膝下まである白靴下(薄め)が好きである。黒も紺も好きだが……おっと、旅行紀の趣旨から外れていくのでこの辺にしておこう。


 トラムを降り、街を彷徨い歩く。世界最長のエスカレーターと言われる「ミッドレベルエスカレーター」に乗りたいと私が駄々をこねたにも関わらず、私はエスカレーターの所在地どころか自分の現在地さえわかっていないので、友人に頼りきりであった。重ね重ね申し訳ない。


 やっと見つけたエスカレーター、喜び勇んで乗り込むと、面白いことに足元と手すりの移動速度が違うのである。手すりのほうが微妙に速く、掴んでいるうちに少しずつ体が引っ張られる。段差はなく、滑らかな上り坂のエスカレーターであった。上に鳩の巣があり、たまに爆弾を投下していた。当たってなるものか。


 いよいよ腹が減ったのでエスカレーターを降り、念願の麺を食べに行く。飯屋に入り、牛腩麺を頼んだ。牛肉の乗った麺である。牛肉は固く、麺はもちもちを通り越してぷつぷつとした不思議な食感で、何というか地味な味であり、地元の人々が普段から食べているのはこれなんだな、という感想である。おいしくないわけではないが、昨日の晩に比べるとやはり劣る。が、不味くはないのでまあよしとしよう。


 お金を払って店を出て、露店で見つけた歯車式の置き時計に興味を惹かれて眺めていると、露店のおじさんが寄ってきた。おじさんが言うには、三百ドルから値下げしてやろう、二百八十ドルでいいよ、とのこと。もっと下げろとの交渉の末、二百五十で買った。そのときは私もほくほくしていたが、今思い返せばおじさんの顔もほくほくしていたので、おそらくこれでもまだ高めの値段だったのだろう。ひょっとして、いや、ひょっとしなくても、頑張れば二百以下で買えたのではないか?英語で行う初めての値引き交渉は、どうやらしてやられたようだ。でも楽しかった。うん、とてもいい経験になった。

(追記:この時計は帰国後三日で壊れた。クソッタレ。)


 さらに歩き、香港駅でオクトパスに現金をチャージ。そこからバス停に移動し、ピークトラム乗り場までバスで行って、ビクトリアピークに登る。ピークトラムとは、ビクトリアピークの頂上と麓を往復するトラムである。


 その前に売店で一息……凍頂烏龍茶なるものを三十ドルで買った。とんちん(たんちん、いや、たんとんだったかもしれない)うーろんと言ったが伝わらず、ちゃいにーずてぃーと言ったらやっと伝わったようで、店員さんがメニューを指差して英語でどっち?と尋ねてくれた。


 それにしても、香港で私の英語が通じた試しがない。私は英語を喋っているつもりでも実はスワヒリ語を喋っているのかもしれないぞ。そうだといいな……いや、よくないな。


 渡されたお茶は、匂いは普通の烏龍茶だった。猫舌なのでよく冷まし、飲んでみたが何のことはない、やはりただの烏龍茶である。しかし、冷たい風が吹き荒ぶ中での熱いお茶はこの上なく美味であった。タマムシシティで手に入れた「おちゃ」で警備員さんが道を通してくれるのもさもありなん、である。


 香港は熱帯であると聞いていたが、けっこう寒い。耐えられないほどではないが、手先などは大変冷たくなる。風が強いのが大きな原因かもしれぬ。特にビル風が強烈であった。


 荒っぽい運転のバスであっという間に乗り場に着き(あの運転で、どうしてどこにもぶつけたり擦ったりしないのだろうか。さてはプロだな)、ピークトラムのチケットを買う。生憎の曇り空にも関わらず、大勢の人が並んでいた。周りを見渡せば、何たる多国籍集団! さすがは香港と言うべきか、世界中から人が集まっているようだ。私も将来は香港のようにグローバルな人材にならなければ。


 さあ、ピークトラムに乗ってさっさとビクトリアピークに登りたいところだが、人数が多いので、立ちっぱなしでかなり待ち時間がある。半日歩き回ったあとにこれはなかなか堪える……。


 やっと乗れたピークトラムはかなりの急傾斜をごっとごっとと登っていき、背中までしかない背もたれのせいで首が痛くなるほどであった。しかし眺めの良さはこの上なく、登る途中でさえ立ち並ぶ高層ビル群を見下ろすことができたほどである。馬鹿と煙は高いところが好きと言うが、私は高いところが大好きだ。しかし馬鹿ではないはずなので、たぶん私は煙なのだろう。もくもく。


 登りきった先には種々のお土産が売られており、私と友人はしばらくお土産を探したあと展望台へ向かった。標高と強風のせいで余計に寒い。しかも霧が出ており、視界は対岸がやっと見えるほど。とはいえ眺望の良さは素晴らしく、感動の吐息を漏らしつつしばらく震えながら眺めていた。その後Mac caféに入ってのんびりと足を休めた。若いとはいえ、歩き通しでそろそろきつくなってきたのである。そこで買ったお土産をニヤニヤしながら眺めた。

「うわっ、お前時計なんか眺めてニヤニヤすんなよ気持ち悪い」と言う友人は顔を緩めて飛行機の模型をしげしげと眺めている。お前が言うな、お前が。


 再びお土産を探し、売店で茶器や簪、ボールペンを購入した。私はどこで使うのかイマイチわからないようなものが大好きなのだ。机の肥やしになるのは目に見えているのだが……まあ、妹にでも押し付ければよかろう。


 そしてとうとう真の目的である展望台に登った。最高の景色であった。わざわざ暗くなるまで時間を潰した甲斐があったというものだ。


 展望台からの夜景は一生忘れないだろう。手前の煌びやかなビル群と対岸の煌煌と輝くビル群に挟まれたビクトリア・ハーバー。海面が様々な色に染まり、上を見れば白い靄がかかっていて、それは下の明かりでぼんやりとライトアップされていた。この景色を言葉で言い表す術を、私は持っていない。これを見られただけでも、香港に来てよかったと思えた。


 ただし、寒かった。台風の如き強風が吹き荒れ、もはやかけている眼鏡が顔から飛んでいきそうなレベルであった。写真を撮っているうちに手はかじかみ、凍え、歯の根が合わなくなり、写真が全てブレ出した。熱帯詐欺だ。


 友人と自撮りに挑戦したが、二人とも自撮りなどついぞしたことのない根暗系男子であるため、ブレにブレて顔が判別できない。数回のチャレンジでやっと撮れたが、私の顔が格好良く写らないではないか。これはおかしい。


 最近は鏡でさえも私の素敵な顔を正しく写してくれないので困る。こんなひどい顔になった覚えはない。写真写りと鏡写りが悪すぎるに違いない。鏡写りが悪いなんて言葉は聞いたことがないが、実例として私が存在するのだから仕方ないのである。


 何枚も景色の写真を撮ったが、どれも目で見た風景には遠く及ばなかった。私の文章など、あの魅力を、感動を伝えるには、まったく力が足りないだろう。当たり前だが、そんなことを考えたりもした。


 展望台を出る前に、景色をもう一度目に焼き付けた。あとでデータとして見返す色あせた写真よりも鮮明に、頭の中で思い描けるように。


 再度ピークトラムに乗り、下っていく。下に着いたらバスで中環碼頭まで行き、スターフェリーに乗り、尖沙咀碼頭まで行く。そこからまたバスに乗り、旺角まで帰るのである。


 バスの中では露店で買った時計を眺めて過ごした。規則正しく動く歯車は、いくら眺めても全然飽きない。そして、眺めているうちに財布が消えた。どこで落としたかと真っ青になって探したら、やれやれ、バッグの底にあった。明日は一人で散策するというのに、これでは先が思いやられる。明日帰ってこれなかったときのために、今夜は遺書でも書いておこうか。


 バスに乗っていて表示を見落とし、旺角を通り過ぎてしまった。慌てて降りると警察の車が数台停まっていて、ロープが張られているところに出くわした。何やら物騒である。まさか銃撃戦などはないだろうが、日本とは違うということを念頭に置いて行動せねばなるまい、とできるだけ遠ざかった。


 逆方向のバスに乗り、今度こそ旺角で降りる。そして、念願の粥! 誕生日だということで、晩ごはんは友人の奢りである。ゴチになります。


 店に入り、「自慢の粥」なるものをいただく。ピータン、豚皮、烏賊、その他ありとあらゆる具が入っており、それら全てを溶かし込んだ乳白色の粥は実においしそうな匂いを放っていた。一口ずずっと啜ると温かさが体全体に染み渡り、思わずほっと息が出た(注:音を立てて食べるのはマナー違反である)。ピータンを食べるのは初めてだが、あまり味がしなかった。米粒が原型を留めていないことから察するに、おそらく煮込みすぎで味が飛んでいるのだろう。何時間、いや、何日、下手したら何ヶ月あるいは何年か前から煮込み続けているのかもしれぬ。これは言い過ぎである。


 大きな皿になみなみと注がれて出てきたので、なんとか食べきったものの腹がぱんぱんに膨れてしまった。その後寄ったセブンイレブンでも、普段ならお菓子の棚に直行するのに、今日はお菓子など見たくもならなかったのである。水だけ買って部屋に戻り、こうして日記を書いている。


 シャワーを浴び、着替え、布団に入った。上に書いたように、明日は一人で香港の街を彷徨い歩かねばならぬ。犬も歩けば棒に当たると言うが、私が歩けば何に当たるのだろうか。二階建てバスやハッパおじさん(一日目参照)に当たりませんように。


 昨日よりもかなり文字数が増えたのは、それだけ濃い一日であったということだろう。こんな私的なものを読んでくださる方々に感謝しつつ、今日は眠るとしよう。明日も更新するので、お楽しみに。


 では、早透!

 (広東語で「おやすみなさい」の意)

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