第四章:招かれざる来訪者
|これは妙だな。
まだ四半分ほど残った洗濯籠を抱えて家に入ろうとしたところで、車の走る音が急に止まった。
「こんにちは《ボンジョルノ》」
品は良いがどこか冷たい声が背後で響く。
「こんにちは《ボンジョルノ》」
私は極力さりげない笑顔を作って振り向いた。
振り返った先には、仕立ての良いスーツを着た初老の銀髪の男が三十代半ばに見える赤毛の男を伴って立っていた。
二人の背後には空になった黒塗りの高級車が止まっている。
「これはまた」
銀髪の男は一瞬、驚きよりもむしろ恐怖で大きく見開かれた水色の瞳を冷たく光らせた。
「二人といないような綺麗なお嬢さんだな」
若い赤毛の男と顔を見合わせて含み笑いする。
「ルカーニア……!」
いつの間にか私の後ろに来ていたパパが呟いた。
「お久し振りです」
銀髪の男は慇懃だが冷ややかな嘲りを含んだ声で告げた。
「探しましたよ、
「何しに来た」
パパは私の前に出ると、振り向いて早口で告げる。
「中に入ってなさい」
「新しく造ったお嬢さんまでご一緒とは」
ルカーニアと呼ばれた初老の男は大仰に両腕を開いた。
そうすると、スーツの右腕がガシャッと金属的な音を立てる。
仕立ての良い服の袖口から覗いた右手は義手だ。
「全く貴方には敬服しますよ、博士」
氷じみた水色の目も、冷ややかに低い声も、「右腕が義手になった生身の人間」というより「右腕だけ未完成にされた上品な老紳士型アンドロイド」に見えた。
「初めまして《ピアチェーレ》」
若い、といっても三十半ばでディーノよりも幾分年上の赤毛の男が甲高い声でおどけた風に挨拶した。
「ヴィットーリ
こちらは、硬く真っ直ぐな赤毛はコイルじみて、生白い顔に散ったそばかすは焦げ跡めいて映る。
「お嬢さんも、ニュースの写真で見たよりも、もっとお美しい」
飛行機事故の行方不明者としてニュースに写真が出たのは、ギタの方だ。
「七年間もこんな所に隠れていたなんてもったいない」
ゆっくり小首を傾げ、裂け目のような薄い唇を歪めて笑った。
身なりも顔立ちも悪くないのに、表情や動作が入ると急に卑しくなる。
そんな人間もいると、この男を眺めていると良く分かる。
「お母様も美しかった」
義手の男は打ち沈んだ声で呟く。
そうなると、翳った水色の目も、仕立ての良い服を着たものの明らかに隣の赤毛の男と比べて肉の落ちた肩も、所在投げな義手の右手も、急に生身の人に戻った風に見えた。
「奥様は新しく作り直さなかったんですね」
ルカーニアは寂しい笑顔をパパに向けた。
パパは変わらず冷ややかな灰色の瞳で見据えている。
「『オルシーニ』とマレーアの姓を使って隠れているのに」
音もなく吹いた風が、土の甘い匂いを立ち上らせた。
「君に何の関係がある」
パパは冷たい鋭さが減った代わりに苦味の増した声で銀髪の男に告げた。
「いつもそうですね」
ルカーニアの寂しい微笑が冷め、ガチャリと右の義手が音を立てる。
「私のことなど、歯牙にもかけない態度」
上司が冷ややかな恨みを含んだ声で語ると、隣の赤毛の男も自ずと醒めた眼差しになった。
「昔、天才と持て囃されていた時でも、貴方には敵が多かった」
銀髪のルカーニアは憐れむ風に笑って首を横に振る。
多分、この男は昔は金髪碧眼の美男子だったのだろう。
「君もその一人だっただろう」
パパは苦さに疲れを滲ませた声で答えた。
陰鬱な灰色の瞳はルカーニアの金属作りの義手に注がれている。
「私はいつも貴方に最大限の敬意を払ってきましたよ」
ルカーニアは機械のように淀みなく正確な口調で告げる。
「この手を下さったのも貴方ですしね」
右の義手がガチャリと握り締められる。
鍵を固く締めるのに似た音だ。
「ジャンニ」
苦い声のパパはルカーニアと瞳を合わせた。
ジャンニとはジョヴァンニの愛称だ。
ジョヴァンニ・ルカーニア。
私はハッとする。
いつかパパに内緒で見た飛行機事故当時の新聞に載っていた、事故の調査団トップの名だ。
「お互いにもう過去に引き摺られるのはやめよう」
肩を落として語るパパの声は、提案よりも敗北の申し出に相応しかった。
「ははは」
機械作りの右手を握り締めたまま、銀髪の老紳士は笑う。
「貴方からそんな言葉を聞くとは」
氷じみた水色の目はパパの背後にいる私にも向けられている。
ルカーニアはふと元の慇懃な微笑に戻った。
「今日のところはこれで失礼します」
その言葉に傍らの赤毛の男が驚いた風に目を丸くする。
「戻るぞ」
上司に命じられれば、赤毛の部下は従うしかない。
二、三歩遠ざかったところで、不意に銀髪の頭が振り向いた。
「また逃げようと思っても無駄ですよ」
まるでバグを起こしたように穏やかな笑顔と声で言い放つ。
「では、ご機嫌よう」
二人の姿が木立の奥に消え、冷ややかな空気に甘い土の匂いが立ち上る、いつもの隠れ家の佇まいに戻った。
木々の向こうからサーッと切り裂く風な響きが今度は遠ざかって聞こえてくる。
日差しが穏やかに強さを増し、姿の見えない鳥がどこか近くの木陰から呼び合うように鳴く。
「お昼にしよう」
顔は陰になっているが、一度に十歳も老けて完全に「お爺さん」になった風なパパが呼び掛けた。
「分かった」
まだ洗濯物が四半分残っているけれど、取り敢えず、今日は外に出ない方がいいらしい。
私を半ば押し込むようにして自分も家に入ると、パパはガチャリと固く鍵を掛けて息を吐いた。
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