第89話「武蔵野フォッシリウム編その3 ベヒモスとドライアド」
今私とモリーは、秋の色に包まれた動物園にいた。
モリーは足早に先を行き、私はそれについていく。そもそもモリーのほうから誘ってきたのである。成瀬抜きで。
モリーの軽やかな足取りは、しかし関東の化石に関係するエリアに辿り着いた。
「大きい恐竜見るの久しぶりかも。ほのちゃんは?」
「あー私もだなあ」
かなり広い砂地の運動場で細い首を高々ともたげているのは、ふさふさした羽毛に覆われた巨大な鳥のような恐竜。ガリミムスだ。
ダチョウの翼に手、尻に長い尾を付けたような格好で、背の高さは人間をあっさりとしのぐ。乗馬と同じようにスポーツで乗られているというが、相当難しいんだろうなと思う。
白亜紀後期のモンゴル。遠い海の向こうの大昔。
まあ、アキシマクジラをCGで再現しようという成瀬の計画とは全然関係ない。
モリーがのびのびと楽しめているのもそのおかげなんだろう。
ガリミムスのクチバシの先はにっこり笑ったみたいな形になっている。足がすらっと長くて走れば速そうだが、今はのんびりと羽づくろいをしたり辺りを眺めたりしている。
「なんでモンゴルの恐竜が関東の化石のところにいるんだろう」
「ほらこれ!」
私の疑問を聞きつけてモリーが学校でもアキシマエンシスでも聞けない明るい声を出す。
「白亜紀の関東」とタイトルの付いた案内板の下に、蝶ネクタイの形をした黒い大きな化石……のレプリカが取り付けられている。
「群馬で見付かったサンチュウリュウだって」
「あの恐竜に近い種類なのかな」
「えーっとね、最初はそう思われてたけど、あっちの小さいののほうが時代が近いから分類も近い可能性が高いんだって」
大きなガリミムスの運動場の端に一部区分けされたところがあって、頭を上げても私の背に届くかどうかの小さいやつがいた。
よく見るとハルピミムスという別の名前が掲示されている。
「子供だけ分けてあるのかと思った」
「あっちのほうが体の割に羽が大きくて派手だよね。ああいうのは羽を求愛に使うから、あれで大人なんだと思う」
見たものと知識を織り交ぜた素早い判断。しかもそれを話す声が弾んでいる。
モリーの楽しそうなところが見られてよかった。そう思って笑うとモリーは照れ笑いを返した。
園路沿いに進むと、シフゾウというシカらしくない名前の大きなシカや、木の下でくつろぐオオカミの群れが現れた。昭島や八王子で仲間の化石が見付かっているものだという。
モリーの視線は周りの高い木々にも注がれていた。
針葉樹なのにオレンジに紅葉している。メタセコイアだ。
先に行くほどますますメタセコイアが増え、それはさっきのガリミムスのところと同じ広さの運動場を囲む。
真っ白い大きな八の字がまず目に飛び込んできた。ゾウの牙だ。
その持ち主は今のゾウと比べればむしろ背が低いのに、牙はすごく長く、途中まで真っ直ぐ伸びている。耳は小さく、脚が短い感じがする。サイやカバの脚を少し伸ばしたくらいの体格だ。
アケボノゾウ。アキシマクジラが海を泳いでいた頃、昭島の陸を歩いていたゾウだ。
これは成瀬の計画と関係あるかもしれない……が、気分良く風に吹かれながらアケボノゾウを眺めているモリーが、そのことを言い出す様子はない。
「森みたいで過ごしやすそうだね」
「ほんとだ」
メタセコイアは運動場の奥側半分にも何本も植えられていて、幹を囲む柵や高い岩が運動場に立ち並んで空間を区切る。
アケボノゾウはその通り道を、長い牙を突っかからせることもなく、小柄なおかげかゾウにしては軽やかに通り抜ける。最初見えていなかった一頭が姿を現し、運動場に二頭いるのが分かった。
二頭はときたま柵や岩を鼻で探っているようだった。
「餌が隠してあるのかな」
モリーの言ったとおり、よく見ると柵に切れ目があって、アケボノゾウがそこに鼻を突っ込み何かつまみ出した。
「リンゴ?イモかな?」
「メタセコイアは食べなさそうだね。メタセコイアと一緒の地層で見付かるから食べそうな気がするのにね」
そう言ってモリーはもう一頭のほうに駆け寄った。そのアケボノゾウは、牙で地面を撫でつけてはメタセコイアの細かい落ち葉ごと砂を体にかけている。
「あれは落ち葉じゃなくて砂を集めてるんだよね。やっぱり自分からは食べないかな」
動物園に夢中になっているモリーは、普段の縮こまった姿と違って明るく無邪気に見える。
でも、やっぱり成瀬のことを忘れようとしているんじゃないかと思う。
改めてアキシマエンシスの化石を詳しく見たとき、成瀬はアケボノゾウの牙をさっと見て済ませていた。すでに再生されている上に陸の動物なので、あんまり関心がないんだろう。
ただ、陸の描写も時代を表現するのに役立つはずだ。今はいない動植物の姿や、今と違う海岸を描くことができる。
しかしモリーは成瀬を呼ばなかった。
成瀬には、というか元々同級生には私にしか、こんな風にのびのびと生き物の話をすることができないのだ。
全然学校に来ない成瀬でも……、いや、もしかしたら背中を丸めて大人しくしてでも学校に来ているモリーにとっては、そんな成瀬こそ危険に見えるのか。
アケボノゾウは二頭とも日当たりの良いところでただ佇み始めた。
そこから目を離すと、紅葉したメタセコイアの赤銅色が高く青い空に映える。
「こうやって見上げるとさ」
「ん?」
「もうこれでアケボノゾウの時代にいるみたいだよね」
モリーは、これ以上何もしなくていいと思っているのだろうか。
モリーがそう思うのも、成瀬のCG制作がもし進まなかったらというのと同じくらいもったいないと思ってしまう。
私がそう思うのも、モリーがこんな感じになったのも、メタセコイアのせいだ。
小四の夏休み明け。
モリーは……当時はまだ大して話したこともなくて森沢と呼んでいたが、ものすごく出来の良い自由研究を提出し、学年で一番高い評価を得た。
メタセコイアがどんな植物かということ、かつて昭島や八王子に生い茂っていたこと、その後のまた人間に見付かるまでの歴史、身近なところで見られるメタセコイアのことが、詳しく、しかしするすると頭に入るようにまとめられていた。
問題は次に高い評価を得た吉沢のも植物がらみで、力作ではあったことだ。
吉沢はタンポポの花を解体し、一つひとつの部品を綺麗に並べて台紙に貼り付けてみせた。相当根気のいる作業だ。
しかしすごいのはそこまでで、まとめの文章は図鑑の引き写し、自分で観察して分かったこととして書かれていたのはただの感想にすぎなかった。
私の目にさえ優劣は明らかだったのだが吉沢は評価に納得せず、吉沢が森沢に激しく突っかかって場が荒れ、裁定は学級会にまで持ち込まれた。
他の連中も何人か意見を出したのだが、まあ、大体吉沢とつるんでる奴が……、ちゃんとした図鑑に載っている内容のほうが自分で考えたことより正しいだとか、感想を書くのは正しいなんていう、吉沢をかばえればなんでもよさそうなことばかり言っていた。
いちいち反論してもきりがないが、他の奴も納得いかない顔はしつつ、流れに逆らうでもないのだった。
仕方ない。教師がこのまままとめにかからないようほんの少しの間だけ考えて、あとは言いながら考えればいいやと、手を上げた。
「えーっと、今んとこ意見言ってんのって吉沢と仲良い人じゃん。だからー、森沢のことはみんなそんなによく知らないわけでさ、そのせいで森沢の書いたものを信用できてないってことない?私は森沢のやつすごくいいと思ったんだけど」
じゃあそれならと、吉沢とそんなに仲良くない奴からも手が上がり始め、森沢さんのは本当にすごかった、吉沢さんのは後半普通だった、と、学級会の流れが一変した。
そして結局、森沢の評価は正当であるという結論に至ったのである。
後日、森沢の母は森沢を連れ、私の家にわざわざお礼を言いにやって来た。
丁寧で上品な森沢の母にうちの母がやたら恐縮していた。私にも直接頭を下げてくるので、私も手を横に振り、
「いやーほら、森沢、下の名前くるみちゃんですっけ、くるみちゃんのがすごく一生懸命作ってたのが分かりましたから、当然ですよ」
と答えたのだが、今度は森沢のほうが首を横に振った。
そして、手に持っていたノートを差し出してきた。
表紙には「メタセコイア 2019.3-8」とだけあり、色々挟まっているのか倍の厚さに膨らんでいた。
適当に途中を開くと、そこには謎の計算式が並んでいた。
「は?」
式の文字は明らかに子供の字で書かれている。顔を上げると森沢がじっとこちらを見ていた。
前のページに戻ると、「メタセコイア化石林の樹高の推定」という表題があった。
黒くなって崩れた切り株の写真が何枚も貼ってあった。文章を読むに八王子の河原にあるメタセコイアの化石だという。まるで今切られて焼かれた切り株のように見える。
その切り株の大きさを、切り株に触って壊さないようにそっと測って、そこからその木が生きていたときの高さを推定したというのだが。
その推定はさっきの高等数学なのである。
「えーっと……、これどうやってんのか説明してもらっても」
すると森沢が何かごにょごにょと発した。それを聞き終わってからようやく「ここだと長くなっちゃうから」と言ったのだと分かった。
「じゃあ私の部屋で」
散らかっているからと渋る母に森沢の母が、せっかく興味を持ってくれたみたいですからと言ってくれた。
それで説明してもらってみると、メタセコイアの木の高さは木の根元の直径の何倍なのかが分かれば根元だけの化石から高さが分かるという仕組みだった。
それ自体は納得できる。
高さが根元の直径の何倍なのかは昭和記念公園に植えられているメタセコイアを全部測って確認したというのも、直径に関しては分かった。
こいつ昭和記念公園の何十本もあるメタセコイアを全部測ったのかという、その異様な行動力を別にすればだが。
しかしどうやって何十メートルもある木の高さを測ったかは、三角形の比率だとか関数だとか、森沢の懸命の説明もむなしく、どうしてもよく分からなかった。
要は、高校でやる数学を使えば木を遠くから見るだけで高さが分かるのだという。
これでよく分かった。自由研究として提出されたあれは森沢にとって一生懸命でも何でもない。
本当に一生懸命取り組んだもののうち、小学校のレベルに合わせて小出しにしたほんの一部だったのだ。
あんな範囲で吉沢とどっちが優れているかとか、本当に意味がなかった。
こいつが駆けずり回って貪欲に答えを求めたおかげで、写真に写ったなんでもなさそうな八王子の河原の風景が、今日本に自生していない何十メートルもの高さを誇る木の大森林に変わってしまう。
その威力で全てが吹き飛んでしまった。
だからまあ、吉沢をかばおうとした連中がその後私の上履きに画鋲を入れようとしようが、私が教室に入るタイミングでドアに黒板消しを挟もうが、それも本当に取るに足りなかった。
そいつらが画鋲をもいで回っているのがバレバレだったので先回りして上履きに磁石を入れておいたら翌朝には磁石もなくなっていたし、挟まっている黒板消しを勢いよく取って前転し、ピストルのように構えて「FBI!」と叫んでみせたら、教室が笑いと驚きで沸いた。
ただ、ある朝私の机に花瓶が置いてあったときだけは、ちょっと助けが必要だった。
さすがにやりすぎだろ、とささやく声が聞こえていた。
しかし私は花瓶に刺さっていた花を見て、これなら運が良かったな、と思い、
「モリー!この花なんだっけ!?」
と、その場の勢いで付けたあだ名を初めて呼んだ。
「えっ!?ま、マリーゴールド」
「花言葉は?」
「……嫉妬」
校庭の花壇を見てモリーが「花言葉に従いすぎてたらこんなの植えられないよね」と言っていたのだ。
「嫉妬!そっかあーーーーあたしはこれをくれた奴から何をそんなうらやましがられてんのかなあーー顔かなあ頭かなあ心当たりがありすぎてなああーーーー!!」
とにかく大袈裟に腕を伸ばしポーズを取って声を張り上げてやったら、教室が徐々に笑いに包まれる中、ひとり真っ赤な顔をして震えている奴がいた。
「花をくれるのはいいんだけどさー、これ校庭の花壇にあったやつじゃんね。勝手に摘むのはさすがに良くないよなあー。なあ?」
花を持ってちらりと視線をやると、吉沢の顔が一気に青ざめた。
花言葉の話を覚えていたのでその花を気にしていたら、今朝それが一株切られていて、なぜか今ここにあるじゃないかというわけだ。
そうして私とモリーはあだ名で呼び合う仲になったが、それ以来モリーが知識をひけらかす相手は同年代では私に限られたのだった。
未だにそうするのはモリーにとっていいことなんだろうか。ぼんやり考えながらアケボノゾウを眺めていたが、さっきから気になることがひとつあった。
「なんかさ」
「うん」
「めちゃくちゃナウマンゾウみたいな人いる」
他の来園者の女性である。
私がつい口に出してしまったので、本人が写真を撮るのを中断してこちらに向かってきた。
キャスケット帽、明らかに成人しているがあえて、という感じのふわりとしたツインテール、そして左肩から長く垂らしたマフラーに、コートも全て茶色。
それらが全てナウマンゾウの頭のでっぱりと耳、鼻、毛皮を連想させるのだ。
鞄にまでナウマンゾウのマスコットが付いている。
ナウマンゾウみたいな人は笑顔でこちらに挨拶してきた。
「こんにちはー」
「あ、こんにちは。なんかすんません」
「こんにちは。お邪魔してしまって」
「いえいえー。ナウマンゾウだって分かってくれて私も嬉しくって」
言われてみればナウマンゾウに寄せたファッションだとは普通は気付かないかもしれない。
「私は仙台から来たんですけど、ふたりはこの辺の人?」
「あーまあ近くですね。仙台ってめっちゃ遠いじゃないすか」
「仙台はナウマンゾウの大きい施設がありますよね」
「そうなんです。ナウマンゾウならすごくいいんですけどアケボノゾウは東京まで来ないと見れなくって」
確かに割とゾウらしいナウマンゾウと比べてアケボノゾウはちょっと変わったゾウだが、そのために仙台からやって来ることといい、このファッションといい、
「お姉さん相当ゾウが好きなんですね」
「ゾウ関係でもうひとつお目当てがあって」
アケボノゾウの前の道をさらに進むと、メタセコイアがたくさん植えられた森がある。
「すごく綺麗」
紅葉したメタセコイアの中を歩くと、辺り一面オレンジの柔らかい光に包まれる。
少し進むと他の木も混じって色に変化が付き、木々の向こうに池が見える。池が近いから木の種類が増えたらしい。
そして池の岸よりも手前に、彼女のお目当てのものが現れた。
三頭のゾウのコンクリート像。先頭から小中大と並んでいて、どれも牙が鼻より長い。
一番小さいのはモリーより頭一つ背が高い程度で、胴が長い。明らかにアケボノゾウだ。それに普通のゾウの大きさのものが続き、最後のものはゾウの中でも特大だった。牙もそれだけ長い。
ナウマンゾウの人は急に横走りになり、アングルを定めて撮影しながら声を上げた。
「進化順に並んでる!すごい!」
先頭はアケボノゾウなので、
「アケボノゾウの祖先ってあんなでっかいんですか?」
「そう!ミエゾウっていって、アジアと繋がってた南側を通って日本に来たんですよ」
「こっちにその地図があるみたい」
モリーが解説板を見付け、三人ともその前に集まった。
「あ、九州も本州も全部大陸と繋がってたんすね」
「それで、大陸にいるような大きなゾウが半島だった日本に来たんです」
ナウマンゾウの人はそう言って地図に書かれた矢印を南アジアから日本へなぞる。
「でも狭い日本だとそれじゃ暮らしづらくて、小さいのが生き残ってアケボノゾウになったんです」
「へえー」
「島にやってきた生き物の大きさが変わる現象ですね」
モリーにはすぐに分かる内容だったようだ。
「そうそう、海外の他の島だとこんな小さいゾウがいたこともあって」
ナウマンゾウの人は手を腰の高さにしてみせた。
「二番目のは小さくなる途中みたいだけど……」
再び目を解説板に。
「ハチオウジゾウっていうのか」
「ハチオウジゾウ?」
「あ、分かります。八王子の河原で見付かったっていう」
八王子の河原。モリーがメタセコイアの化石の大きさを測ったところだろうか。
「それってこの近く?」
「はい。メタセコイアの化石が河原に並んでるんです」
やっぱりそうだ。
解説板には東京のみの地図もある。
「三種類とも東京で見付かってるんだ」
「東京だけでミエゾウからアケボノゾウになったわけじゃなさそうですね」
モリーは学校と関係ない大人となら楽しく化石の話ができる。この人は特に化石の生き物に興味があるみたいだし。
「仙台にもそういう場所があったと思います。ミエゾウの化石も仙台から見付かってて。この子達の時代は本当にこういう森だったんですね」
ナウマンゾウの人は再び解説板から視線を上げ、メタセコイアの間に立つコンクリート像を見上げた。
その視線は生きている本物のゾウを見るように優しい。
「あ、そうだ。ミエゾウとハチオウジゾウって化石から再生されてないですよね」
「ミエゾウはそうですね。ハチオウジゾウもかな」
「八王子で歯が見付かっただけなので」
モリーが補足した。
生きているのがすぐそこにいるアケボノゾウは一目でアケボノゾウと分かる出来だ。そのいっぽうで、ミエゾウとハチオウジゾウはなんとなく実物を見ていなさそうな造りに見えた。
「これ見ても分かっちゃいますよね」
「うーん、まあ、こんな感じなので」
近寄ってみればミエゾウとハチオウジゾウの表面はコンクリートを塗り付けた跡が生々しい。
どうしても成瀬のアキシマクジラと比べてしまう。ミエゾウもアキシマクジラと同じで大きすぎて再生して飼うことができないのだろうが、それならもっと丁寧に作ったほうがいいような気がする。
「でもやっぱり、来た甲斐がありました」
ナウマンゾウの人の顔は曇らない。
「実は仙台の科学館にもミエゾウの実物大の模型があって、すごく詳しい展示なんですけど、こうやってメタセコイアの森の中で見るのも格別だと思います」
それを聞いてモリーが何か小さく声を漏らした。振り返ると目を丸くしてミエゾウを見上げている。
「こんなにすごく高い木ばっかりの森の中だと、生きていた頃のことが想像できて」
「そっか……」
モリーがつぶやいた。ナウマンゾウの人には聞こえなかったようだ。
「ほら、背中に落ち葉かぶってる」
砂をかぶったアケボノゾウと同じことだった。確かに植物と関わり合って生きている姿が見られる。
「多分メタセコイアを食べたわけじゃないんですよね。三種類ともメタセコイアと一緒に見付かってるみたいですけど」
「あー、さっきのアケボノゾウも全然メタセコイアに手を付けてなかったですよね。モリーはどう思う?」
そこで私は振り返った。もちろん私にも心当たりがある。
大丈夫だぞ植物博士。この人はお前と同じことに興味があるだけだ。今はお前の知識で教室の雰囲気が左右されたりしない。
「えっと」
モリーはハチオウジゾウの前を通り過ぎて池に近付き、メタセコイアではない木を選び出して幹に手を触れた。少し大きな葉が明るく黄葉している。
「こういう、メタセコイア以外の広葉樹とか」
次いでモリーはその木から手を離し池を指差す。
「水草の化石も色々見付かってるので、そっちを主に食べてたんだと思います」
私とナウマンゾウの人も寄って見てみると、菱形の葉が水面に放射状に並んでいる。名札の名前も葉の形どおりだ。
「ヒシってこれかあ」
「こっちの木は?」
木の幹にくくりつけられている説明のほうが詳しい。小さな標本ケースまで二つ付いている。
「オニグルミか。ゾウならクルミの実も踏んで食べたかも」
「当時は別の種類だったんですね」
モリーが指差す文章には、「日本にメタセコイアが生い茂っていた頃には、オニグルミの祖先のオオバタグルミが栄えていました」とある。
そして標本ケースには、今の普通のクルミの殻と、ものすごくしわくちゃなオオバタグルミの殻。
アキシマエンシスで見た化石と同じだが、こうして生の殻があるのに、
「ここだとオオバタグルミ植えられないのかな」
と、なんとなくつぶやいただけだったのだが、
「こういう場合花粉が飛び散って今のクルミと混ざっちゃうから、ここではオオバタグルミを植えるのが難しいんだと思う」
モリーから詳しい答えが返ってきた。
「マジか」
「メタセコイアだと日本には近い種類が野生で生えてないから、化石から再生したのを外に植えても平気っていうことがあって」
今でもモリーからはメタセコイアの知識がいくらでも出てくる上に、他の木に素早く応用までできるのだ。
「じゃあ、本物は難しいけど少しでも当時に近くなるように工夫してるんだね」
ナウマンゾウの人が辺りを見回しながら柔らかな声で言う。
モリーはそれを聞いて、オニグルミの幹を優しく撫でた。
アケボノゾウの前に戻り、話せて楽しかったと手を振りながらナウマンゾウの人と別れた。
「お姉さん、ブログやってるって言ってたね」
モリーがぽつりと言う。
「自分で見たもののことを自分で書いて紹介してるってことだよな」
そういうものを引っ込めてきたモリーはどう思っているだろうか。
というか、そうだ。モリーがどう思うか考えるなら。
「もし成瀬と一緒に何かするの嫌だったらさ。この前連れ回して悪かったな」
モリーは振り向いて首を横に振った。
「そうじゃなくて」
「ん?」
「ほのちゃんが悪いんじゃなくて、成瀬さんと話すとそれで成瀬さんの作るものが決まっちゃうみたいだから、責任が重い気がしちゃって」
そうじゃなくないなとも思ったが、そんな押し問答はいらなくて。
「あー……、あいつモリーの責任とか全然考えてなくね?」
「え」
「話を聞くだけ聞いて、結局好き勝手に作りそうな気がする」
モリーはぽかんと口を開けていたが、徐々に苦笑いになり、
「そうかも……」
と漏らした。
「モリーが手伝えばあいつのアキシマクジラが絶対もっといいものになるはずだって思ってたんだけど、モリーがどうしたいか全然聞かないまんまやっちゃってたよな」
「私は……」
モリーはメタセコイアの森に振り向く。
「自分で何か作るのは、まだ怖い。でも、成瀬さんは別に無茶をしようとしてるんじゃなくて、ここを作った人と同じなのかなって思ったら」
そして私のほうに振り返った。
「いいものを作ってほしい。できたものを見てみたい。こうやって間に挟まってくれてるほのちゃんに、また迷惑かけるかもしれないけど」
「む」
こいつ、私に迷惑かけたと思ってたのか……。
私は空を仰ぎメタセコイアのてっぺんを見上げた。そんなの全然小さいことだ。
モリーに視線を下ろしながらその肩を叩いた。モリーのほうがでかいので叩きづらい。
「お前みたいなすごい奴がなんもしないで引っ込んでるほうがよっぽど心配だよ」
*****
それからまた一週間ほど後。
担任が成瀬に渡すはずだったプリント類にもうひとつ書類を加え、モリーを連れて成瀬のマンションを訪ねた。
オートロックの前のインターホンを押すと「ああ」と答えたのは成瀬本人だった。まあどんな親かも分からないから楽かなと、このときは思った。
エレベーターで上がってから、部屋のドアを開けてくれたのもまた成瀬だ。
すっきりした居間を通じて通された成瀬の部屋はさらに物が少なく、どこに服を仕舞っているのかさっぱり分からなかった。
かなり大きなパソコンの載った机と素っ気ないベッド以外は、なんだか青っぽい本や小物でぎっしり占められた棚しか置いていなかったのだ。
「あ、全部クジラか海関係か。さすがだな」
「二段目のものは資料とはいえおもちゃだから手に取ってもかまわないが」
「いや……クジラのおもちゃで遊びたいわけじゃないぞ……」
「でもすごいコレクションだね」
実際、並んでいるのはどれもリアル指向のものばかりで、視線を低くするとクジラの博物館さながらの光景だ。
それでかえって、その上の段にある紙粘土や段ボール、木彫りなどの手製のクジラが気になるのだった。つたないものからだいぶ良くできているものまで色々。
「上のやつはもしかして成瀬が?」
「ああ。立体物を自作するのも良いがCGは動かせるところが素晴らしい」
成瀬はただずっとクジラを作り続けているのだ。
「でも、手に取れるのもいいな」
「ふむ」
成瀬はパソコンを少し操作し、ノートとペンを取り出した。
「今回は陸上の描写をするのに有効な情報をくれるということだったな」
動物園で見たアケボノゾウやメタセコイアのこと、それに他の動植物のことも話すと、成瀬はきちんとメモを取っていった。
ナウマンゾウの人のことも話すことになったが、成瀬はすでにその人のことを知っていて、名前を聴きそびれていたブログをあっさり見せてくれた。
この前のこともすでに記事になっている。
「案内してくれた人がいたって、これ私とモリーのことかな」
「えーっ、教わってばっかりだったよ。恥ずかしい」
「いやお前めちゃくちゃメタセコイア詳しかったじゃん」
「世間とは案外狭いものだな」
そんな話をしていると、隣の部屋から男性の笑い声が聞こえてきた。
「あれ、成瀬のお父さんか?」
「在宅で働いている。今は会議中だから出られないと言っていたが」
そう言ったそばからドアをノックする音がした。
成瀬がドアを開くと成瀬の父本人がにこやかに立っていた。上下スウェットだし髪がぼさぼさだが温厚そうだ。
「会議だったのでは」
「いやあ、ただの雑談だったから。それよりマーの友達が来てくれたのが嬉しくてさ」
そう言って成瀬の父はこっちに笑顔を向け手の平を見せて会釈する。
「マーに良くしてくれて、ありがとうございます」
「あーいえいえ。こちらこそお邪魔してます」
麻由だからマーか。成瀬と違って普通の喋りかただなあなどと思う。
そこで成瀬のスマホが短く鳴り、成瀬がさっと確認した。
「母からも忙しくて手が離せないが是非ありがとうと言っておいてほしいとのことだ」
「あ、お母さんも」
「別の在宅の仕事をしている」
うーん、引きこもり三人の温かな家庭。
「そうだ、お父さんいるならちょうどいいや。元々渡すプリントはこんだけなんだけど、これ見るかなって思って」
一週間分の紙束の上に、綺麗なカラー印刷のパンフレットを重ねて出した。
「高幡学園だと?」
「進路希望の紙もあるからさ、まあそこなら書くだけ書くのもいんじゃね」
「生徒の自由な活動を積極的に応援する、っていう校風みたいだから、成瀬さんもやりやすいんじゃないかって」
成瀬はただのプリントを脇に置いてパンフレットを開いた。
中には生徒が勝手に作った縄文土器やらアニメ顔のロボットやら、他にもやたらと色々な作品の写真がたくさん載っている。本当に謳っている校風のとおりのことをやっているようなのだ。
成瀬が作ろうとしているアキシマクジラのCG映像もこの輪の中に入れるはずだ。
ということは、ここに入学すれば成瀬がCGを作るために学校を休む必要が必ずしもなくなる。あわよくば私達のような仲間も探せるかもしれない。
「横から考えただけだからなんか違うって思うかもしんないけど、とりあえず勧めるだけ」
「うむ」
成瀬はパンフレットを片手になぜかパソコンを少し操作して何か見た。
「やはりここか」
「え?」
「父に先に勧められて私もそれで良いと思った学校だ」
振り返ると成瀬の父がますます嬉しそうに頭をかいていた。
「やっぱりそこしかないって思います?」
「そすね」
「本人はまだそこまで乗り気じゃなさそうなんですけど、もしふたりが一緒に行ってくれたら安心ですねえ」
「んっ?」
私とモリーまで高幡学園に行く話になっていないか?
モリーのほうを見る。本人も明らかにまんざらでもなさそうな顔をしている。
正直こいつもその校風に合ってる気がする。あのノートに刻まれた高等数学、昭和記念公園のメタセコイアを全部測る行動力。
「私も、行けたらいいかなって」
「なるほど」
本人にも自覚があった。
そういうことなら私も行ったほうが楽しいだろう。
「そっすね。その方向で行きたいと思います」
「やった!」
成瀬の父は歯を見せて笑ったが、すぐ成瀬に指をさされた。
「父さん。スマートウォッチが光っている」
「おっと、呼ばれちゃった。お邪魔しました、ごゆっくり」
そう言ってドアをそっと閉めていった。
「さてアキシマクジラが当時の昭島にいたのは春か秋だと思うんだが」
「いきなりだなおい」
「進路の話は?」
「全員目標を仮置きしておくということでまとまったのではないのか」
いや、そうなんだが、軽すぎるというか。ああ、そういえばこういう優先順位の奴だった。
「じゃあ聞くか。なんで春か秋?」
「前提として残念ながら海中の風景だけで直感的に季節を表現するのは難しいがもし陸を映すなら季節は大きく影響するので季節を決めたい。アキシマクジラの生態がコククジラに近いなら沿岸性が強く陸の様子を見るために海面から飛び跳ねたはずだ」
パソコンの画面には日本を含むアジア東沿岸の、いびつな地図が映った。アキシマクジラがいた当時の地図だ。
成瀬はシベリア東岸から東南アジアまで、またその逆にと指でなぞる。
「アキシマクジラの渡りに関して何も証拠はないがこれも一旦今のコククジラと同じく南北に長く渡りをしていたと考える。すると夏にはシベリア冬には東南アジアにいて昭島を通るのはその中間の春か秋ということになる」
「なるほど」
唐突だったしやたら早口なだけで、説明は整然としている。
「なんか、アキシマクジラが何してたのか分かるみたいで、いいな」
「ただ春と秋どちらと言う材料はないように思われるんだ」
「じゃあ秋がいいよ!」
モリーが突然力を込めて言った。
自分から成瀬に直接意見を。
「メタセコイアの紅葉か」
成瀬もその意を素早く汲む。
「あの紅葉、綺麗だったな」
「うん。それに、メタセコイアは針葉樹なのに紅葉するのが珍しいから、紅葉してるところを作ったらメタセコイアの特徴をきちんと表したことになるよ。魚の群れと同じで細かいところは省略するんだよね?」
おお、成瀬に劣らない早口の長文。
成瀬はモリーの発言の内容をメモした。モリーの考えが成瀬の手札の中に加わっていく。
「全てそのとおりだ。では季節を秋と決めてアキシマクジラが海面から飛び跳ねメタセコイア林の紅葉が見渡せるというシーンを作ろう」
「うん!」
自分の意見が反映されることに対して、すでにモリーは乗り気だ。成瀬が魚の群れをどう作るか水族館で言っていたこともちゃんと覚えていた。
本当によかった。
しかし、こうやってアキシマクジラの行動が見えてきたみたいになると。
「アキシマクジラが魚と泳いでるシーンと飛び跳ねるシーンは作るんだよな」
「他に砂泥底から泥をさらった拍子にブラウンスイシカゲガイとホタテが驚いて逃げるというシーンも考えている」
「バラバラの動画かなんかとして?」
私がそう問うと、成瀬は少しの間顎に手を当てて考え、それからまた口を開いた。
「出来たシーンから公開していけば自然とそうなる」
私は手振りで成瀬にことわってディスプレイの地図を指差した。
「これ関東だけの地図にできるか?」
成瀬がマウスのローラーを動かすだけで画像は切り替わった。
「この、関東に東から切り込んで昭島まで続いてる海に入って来るんだよな」
「夏に北の海にいたので北からということになる」
「うん。そうやって昭島に近付いて……、っていうところを追いかけるドキュメンタリーみたいな長編にできないかな」
私が説明している途中から成瀬もすでにうなずいていた。
「出来たシーン同士が最終的につながる形なら難しくはないだろうし面白いな」
「だよな。全体像みたいなのが分かんなかったから聞いとこうと思って」
「それって、高幡学園のどこかで上映するの?」
モリーの一言。
「入れたら。入れたらの上に、学校の中で作るんだったらだけど」
モリーは不安げな目をしていたが、ただ怖がっている声ではなかった。
この学校でなら見せてもいいと思っているんだな。自分達で作ったものを。
私はディスプレイから離れ、モリーの肩をぽんと叩き、成瀬から高幡学園のパンフレットを借りて開いた。
「こんだけ何でもやらせてもらえる学校なら何かしらのスクリーンが……あ、やっぱり」
ホールで映像作品の上映会を行っている写真は確かにあった。
すると成瀬がぐいっと私の手を引き、パンフレットを覗き込んだので、そっちにパンフレットを渡してやった。
「プラネタリウムがある。素晴らしい」
「ん?」
「ほんと?」
成瀬が指し示したのは確かに、大きな……といっても本物の科学館ほどではなさそうだが、丸天井の下に丸い機械が設置されている、プラネタリウムの写真だった。
「わあ、すごい」
「これなら通常のスクリーンよりはるかに迫力のある映像にできる。立体感こそないがVRのように視界を覆う映像を一度に多くの人数に見せられる」
「え、プラネタリウムって星以外も映せんの?」
「よく学習用のアニメとか流してるところがあるよ。多分いけるよ」
モリーもプラネタリウムを気に入っている。
「天文部か何かの持ち物なんじゃないか?」
「つまり学内にプラネタリウムの管理者がいるはずでそこに話を通せば映像を上映できる可能性があるな」
「は!?」
「どうした」
「いや急にそういう手続きにまで頭が回ってるから」
まさかこのプラネタリウムに対してそこまで食いつくとは思わなかった。
「でも、いいよな。このドームに実物大でアキシマクジラを映して、水面から顔を出したら夜空だったりして」
おっと、それをやるには。
「百八十万年前の夜空じゃなきゃダメか。そんな前の星の配置って映せるのかな」
星の位置関係は年月とともに移り変わっていくはずだ。はっきりとは知らないが確かそうだ。
「古い構造のプラネタリウムでは星の配置自体が投影装置に刻み込まれているから無理だろうがこの投影機はそんなに古くはないな」
「うん、デジタル式なら……、何万年前までできるか分からないけど、原理上はできるんじゃないかな」
「じゃ、その管理者に聞いてみないとな」
百八十万年前の星空の下、昭島の海で眠るアキシマクジラ。そんな光景が実現できるか。
この目標はすでに三人のものになっていたし、仮置きではなくなっていた。
[メタセコイア・グリプトストロボイデス Metasequoia glyptostroboides]
学名の意味:スイショウに似た後発のセコイア(スイショウ、セコイアはともにメタセコイアに似た特徴を持つ針葉樹。スイショウの属名Glyptostrobusは「切れ込みのある球果」を意味する。セコイアの名はチェロキー文字の発明者シクウォイアにちなむ。)
時代と地域:白亜紀後期(約1億年前)以降の北半球各地(現在は中国南部に自生)
成木の樹高:約40m
分類:マツ綱 ヒノキ科 セコイア亜科
メタセコイアはいわゆる「生きた化石」として広く知られる針葉樹である。この場合「生きた化石」とは、化石が先に発見され現生している生体が後から発見されたことを指すが、もし化石で発見されているものを別種に分類しても属は白亜紀から生息している。
当初は化石でのみ発見されていたが、一見よく似ているセコイアSequoiaとの識別点が知られていなかった。
化石の形態のみで判断すると、セコイアとは枝や葉の付き方と球果の形態が異なる。
セコイアは枝に短枝が交互に付き、さらに短枝に葉が交互に付くが、メタセコイアは短枝・葉ともに対になって付く。またセコイアの短枝は冬に伸びるのが止まり春からまた伸び始めるためくびれができるが、メタセコイアの短枝にはくびれがなく、これはヌマスギ属Taxodiumのように冬になると短枝ごと落葉するためである。(ヌマスギ属は短枝に葉が交互に付く点でメタセコイアと見分けられる。)
また、セコイアの球果では鱗片が螺旋状に並ぶが、メタセコイアの球果では鱗片が十字状に並ぶ。
これらの点に基づき、三木茂博士が1941年に独立属のメタセコイアと命名した。この際は絶滅した属であると考えられていたが、1945年には中国の林務官の王氏が生体を発見した。
その数年後、種子を受け取ったハーバード大学のチェイニー教授により苗が育てられ、一部は日本にも送られた。さらにメタセコイア保存会が設立されて植木として広まり、成長が早く樹形が美しいため街路樹等に利用されている。
自生地での生態から、メタセコイアは攪乱された環境に素早く進出する「パイオニア植物」の性質を持つことが分かっている。日当たりの良いところを好み、氾濫原に生息し、非常に早く成長するため、河川の氾濫により他の植物が取り払われたところに進出し他の植物より先に育つことができる。日本から絶滅したのはこうしたメタセコイアの生態に合致した湿潤な低地が減少し分断されたためと考えられる。
三木茂博士の研究材料となった標本も含め、国内各地でメタセコイアの化石が発見されている。葉や球果以外に幹が発見されることもあり、複数の切り株状の化石が立ち並んだ「化石林」も知られている。東京都八王子市の北浅川、埼玉県狭山市の入間川、宮城県仙台市の広瀬川、滋賀県東近江市の愛知川などに見られる。
昭島市でも昭島水道橋近辺にある上総層群加住層の露頭からメタセコイアの立木化石が発見されている。この地層からは他に現生種のサンバーRusa unicolor、化石種のシカマシフゾウElaphurus shikamai、カズサジカCervus (Nipponicervus) kazusensis、ファルコネリオオカミCanis (Xenocyon) falconeriなどの陸生哺乳類も発見されている。カズサジカはニホンジカCe. nipponと同属だが、サンバーはアジア大陸東南部一帯、シカマシフゾウと近縁のシフゾウE. davidianusは中国に生息し、ファルコネリオオカミはアフリカのリカオンLycaon pictusとの類似が指摘されている。後述のアケボノゾウを含め、当時の昭島市には現在の日本に生息していない大型哺乳類の近縁種が多数生息していたことになる。
[ステゴドン・アウロラエ(アケボノゾウ) Stegodon aurorae]
学名の意味:夜明けの屋根状の歯
時代と地域:前期更新世(約180万年前から約70万年前)の日本
成体の肩高:約2m
分類:アフリカ獣類 長鼻目 ステゴドン科
アケボノゾウはステゴドン科ステゴドン属に属する日本固有の化石種の長鼻類(ゾウの仲間)である。
ステゴドン属はゾウ科に含まれる現生の長鼻類とおおむねよく似た姿をしていたが、臼歯の形態が特に大きく異なっていた。ゾウ科の臼歯は象牙質・エナメル質・セメント質の薄い層が前後に多数重なり、咬合面には稜という浅い凹凸が並んでいる。これに対してステゴドン属の臼歯は層が厚く少なくて稜の凹凸が大きく、属名どおり三角屋根が並んだようになっていた。この稜は摩耗してある程度平らになる。
また、ステゴドン属の牙(切歯)は途中まで真っ直ぐで、鼻の下にほぼ平行に生えていた。牙が完全に平行になっているのは化石化の過程の変形によるもので、生きていたときは左右の牙の間隔がもっと広く鼻を下に通せるようになっていたという説と、化石化の過程における頭骨の変形はそこまで大きくはなく、実際に牙の途中まで鼻を通すことはできなかったという説がある。
アケボノゾウは国内の各地から発見されているが当時地続きだったアジア大陸からは発見されていない。またステゴドン属の中でも近縁と考えられる他の種と比べかなり小柄である。
アジア大陸に生息していたツダンスキーゾウS. zdanskyiやコウガゾウS. huanghoensisは肩高が4m近かったが、日本に渡ったこれらの中から後述のミエゾウが現れ、最終的にアケボノゾウに進化したと考えられている。ほぼ半分の肩高まで小型化したのは、日本が大陸から孤立し島となったためにこの系統のゾウが利用できる餌と土地の資源が限られ、必要な餌や土地が少ない小柄なものが生き残りやすくなったためとされている。地中海や東南アジアなど世界各地の島で化石種の長鼻類の小型化が見られる。
アケボノゾウの臼歯は他のステゴドン属とは異なり、稜の数が多くエナメル質が薄いというゾウ科のゾウに似た特徴があった。ステゴドン科のゾウは餌となる植物を選び出してつまむ「ブラウザー」の性質が強かったが、アケボノゾウはもっと幅広い方法で餌となる植物を得る「ジェネラリスト」の傾向があったのかもしれない。
全身の骨格はあまり知られていないが埼玉県狭山市の標本などがある。ゾウ科のゾウや他のステゴドン属と比べて、全長の割に四肢が短かったようだ。
琵琶湖の周辺や多摩地区など国内各地で足跡化石を含めて発見されている。昭島市の発掘地では幼体の頭骨も発見されている。
[ガリミムス・ブラトゥス Gallimimus bullatus]
学名の意味:膨らんだ鶏もどき
時代と地域:白亜紀後期(約7千万年前)のモンゴル
成体の全長:約6m
分類:竜盤目 獣脚類 コエルロサウリア オルニトミモサウルス類 オルニトミムス科
オルニトミモサウルス類は歯のないクチバシや長い後肢からダチョウ恐竜と呼ばれる。ガリミムスは、オルニトミモサウルス類の中で最も派生的なグループであるオルニトミムス科の中で最大のものである(オルニトミモサウルス類全体で最大のデイノケイルスDeinocheirusは全く典型的でない体型をしていたので、「ダチョウ恐竜で最大級」といえるかもしれない)。
ゴビ砂漠で幼体から成体まで多数の化石が発見されている。
全体的な体型は典型的なオルニトミムス科のものである。後肢は長く、中足骨(足の甲)のうち中央にある第3中足骨が第2・第4中足骨に左右から強く挟み込まれくさび状になるアルクトメタターサル構造を持っていた。ウマと同等の速度で走ることができたとされている。
クチバシはやや幅広く上顎の縁が低かった。また内側には棚状の構造が見られ、これにより湖水からプランクトンを漉しとって食べることができたのではないかと言われるようになった。しかし一般的には、オルニトミモサウルス類は木の葉や果実を主食としたと考えられている。
オルニトミムス科としては腕や手が短い。大型で背が高いためか水中からも餌が得られるために、木の枝を手で引き寄せる必要性が低かったのかもしれない。オルニトミムスOrnithomimusにおける発見のとおり腕に翼状の羽毛があったと思われる。
[サンチュウリュウ]
時代と地域:白亜紀前期(約1億2500万年前)の東アジア(日本)
成体の全長:不明(6m程度?)
分類:竜盤目 獣脚類 コエルロサウリア オルニトミモサウルス類?
サンチュウリュウは群馬県の中里村(現在は神流町)にある山中地溝帯の瀬林層で1981年に発見された、11cmの長さがある獣脚類恐竜の胸胴椎の椎体である。1978年に国内で最初に恐竜の骨化石が発見された3年後の発見となる。
前後に長い糸巻き状の形、前後の関節面が深くへこんでいること、側面にも長く深いへこみがあること、下面が平らで血道弓の関節面がない(つまり尾椎ではない)ことから、ガリミムスの13番目の胴椎に類似するとされた。
しかしサンチュウリュウとガリミムスでは年代に大きなずれがあり、今日ではガルディミムスGarudimimusや後述のハルピミムスなど、サンチュウリュウにより近い年代のアジアのオルニトミモサウルス類が発見され、そちらとの比較が妥当であるとされるようになった。
また上記の特徴はオルニトミモサウルス類にのみ特有とはいえないことが分かり、必ずしもオルニトミモサウルス類とは限らないようだ。オルニトミモサウルス類であるとすればかなり大型ということになる。
[ハルピミムス・オクラドニコヴィ Harpymimus okladnikovi]
学名の意味:アレクセイ・オクラドニコフ氏の怪鳥ハルピュイアもどき
時代と地域:白亜紀前期(約1億2500万年前)のモンゴル
成体の全長:約2m
分類:竜盤目 獣脚類 コエルロサウリア オルニトミモサウルス類 ハルピミムス科
ハルピミムスはオルニトミモサウルス類には含まれるがオルニトミムス科には含まれない恐竜である。オルニトミムス科のものと体型はよく似ていたが基盤的な特徴を持っていた。
歯骨に各側10~11個の小さな歯が並んでいた。円柱状をしていてあまり尖っておらず、獲物を捕らえることではなく食物を保持することに用いられたと考えられる。
中足骨にはアルクトメタターサル構造はなかった。また中手骨の長さが揃っていないため親指が引っ込んでいた。
[パラエオロクソドン・ナウマンニ(ナウマンゾウ) Palaeoloxodon naumanni]
学名の意味:ハインリッヒ・エドムント・ナウマン氏の太古の菱形の歯
時代と地域:後期更新世(約43万年前から約1万5000年前)の日本、中国
成体の肩高:2~3m
分類:アフリカ獣類 長鼻目 ゾウ科
現生のゾウはアジアゾウElephas maximus、サバンナゾウLoxodonta africana、マルミミゾウL. cyclotisのみだが、長鼻類は新生代を通じて多様化し、数万年前までもっと多く生存していた。
日本列島にも前述のアケボノゾウを生んだ系統のように長鼻類が数回にわたって進出していて、ナウマンゾウはその中でも特に後になってから日本全国に広まった、日本を代表する長鼻類である。約43万年前、当時アジア大陸とつながっていた九州を通じて日本に到達したと考えられている。
ナウマンゾウはゾウ科に属し、基本的には現生のゾウとよく似たゾウであった。
頭部に大きな特徴が集まっていた。頭骨は前方から見ても側方から見ても角張った形をしていて、顔面が垂直に近い角度をしていた(ただし生きていたときには顔面は鼻の土台となっていた)。額の頂部には鉢巻きかベレー帽を思わせる突起があった。
現生のアジアゾウでは体に対する脳の大きさを示す指標であるEQは2を超えるが、ナウマンゾウと同じパラエオロクソドン属のパラエオロクソドン・アンティクウスP. antiquusではサバンナゾウをやや下回る1.2であった(現在、脳の大きさは必ずしも知能を反映しないとされる)。
牙は発達していた。特にオスの牙は大きく、またメスの牙は平行で細いのに対して、オスの牙はより太く、ハの字に開き、前方に向かってねじれるように曲がっていた。
ゾウ科に属する長鼻類の臼歯は上下左右1~2個ずつだけで、非常に大きく発達している。種によって咬合面の稜に違いがあり、ナウマンゾウの歯はアジアゾウのような細かい稜があるものとサバンナゾウのような大きな菱形の稜が並んでいるものの中間であった。タケ類を好むアジアゾウと比べると柔らかいものを好んだのかもしれない。
体型は現生のゾウとほぼ変わらなかったと考えられている。肩が少し盛り上がっていた。オスはメスと比べて肩高が50cm以上上回っていたようだ。とはいえ全身が揃った状態の化石が発見されていないので、それほど正確にプロポーションが判明しているとはいえない。
沖縄県から北海道の主に南西部まで、日本全国から非常に多くの化石が発掘されている。大半は低地で発見されているが、標高1000m以上の地点から発見されたこともあり、山地で生活することもできたようだ。
発掘された地層の植物化石から、主に針葉樹と落葉広葉樹が混ざった森林(針広混合林)に生息したとされている。ナウマンゾウ生息当時はいわゆる氷河期であったが、寒冷な地域の草原に生息していたケナガマンモスMammuthus primigeniusと比べると温暖な環境を好んだようだ。熱帯に生息する現生のゾウと比べて体毛が長く放熱するための耳が小さかったと考える場合と、アジアゾウとそれほど違いはなかったと考える場合がある。北海道ではケナガマンモスも北方から進出し、気候の変化によって両者の生息地域が変動していた。
日本列島に渡ってきたヒトと接触し、捕食対象となったようだ。ヒトの手が加わったと考えられる状態のナウマンゾウの化石も発見されている。
[ステゴドン・ミエンシス(ミエゾウ) Stegodon miensis]
学名の意味:三重県で生まれた屋根状の歯
時代と地域:後期鮮新世(約400万年前から約300万年前)の日本
成体の肩高:約4m
分類:アフリカ獣類 長鼻目 ステゴドン科
前述のアケボノゾウの項目で触れたとおり、アジア大陸のツダンスキーゾウやコウガゾウとあまり大きさが変わらない大型のステゴドン属である(これらは同種かもしれない)。日本の陸生哺乳類としては最大といえる。
シンシュウゾウS. shinshuensisなどと呼ばれていた他の国内の大型のステゴドン属もこれと同種であったことが分かっている。
子孫であるとされるアケボノゾウと比べて四肢が長い体型をしていたらしい。
名前のとおり三重県津市で初めて発見されたが、他にも長崎県、福岡県、大分県、島根県、長野県、東京都あきる野市などから発見されている。宮城県仙台市から発見された臼歯はツダンスキーゾウのものかもしれない。
[ステゴドン・プロトアウロラエ(ハチオウジゾウ) Stegodon protoaurorae]
学名の意味:夜明け前の屋根状の歯
時代と地域:前期更新世(約250万年前)の日本
成体の肩高:推定約2.5m
分類:アフリカ獣類 長鼻目 ステゴドン科
八王子の北浅川(多摩川の支流)の河床で牙、複数の臼歯、骨格の一部が発見されたステゴドン属である。
臼歯の稜の数やエナメル質の厚さが、大型で典型的なステゴドン属であるミエゾウと小型で特殊化したステゴドン属であるアケボノゾウの中間を示す。また発掘された地層の年代も中間である。
このことから、ミエゾウから小型化してアケボノゾウが現れる中間の姿であり、なおかつ独立種であると考えられている。ただし、アケボノゾウとの違いはアケボノゾウの個体差の範囲に収まるのではないかとも言われている。
[ユグランス・キネレア・メガキネレアまたはユグランス・メガキネレア(オオバタグルミ) Juglans cinerea var. megacinereaまたはJuglans megacinerea]
学名の意味:大きな灰色のクルミ
時代と地域:後期鮮新世から前期更新世(約300万年前から約100万年前)の北半球各地
成木の樹高:不明
分類:被子植物綱 ブナ目 クルミ科 クルミ属
現生のバタグルミJ. cinereaの変種もしくはごく近縁な別種である。現在バタグルミは北米に自生する。
バタグルミの核果の殻の表面には曲がりくねった細かい溝が多数走っているが、オオバタグルミの殻の溝はさらに深く、溝の深さが殻を輪切りにした断面の半径の半分まで達していた。
現生のクルミ類の場合、核果が川に流される水流散布とリスやネズミに貯食として持ち運ばれる動物散布によって拡散される。しかしオオバタグルミの場合、殻の溝が深すぎてリス(殻の合わせ目を削って開ける)やネズミ(殻の横から穴を開ける)にとって殻を割りづらかったと考えられる。このことから、オオバタグルミは動物によっては散布されず、水流散布のみ行っていたものと考えられる。
国内各地から発掘される。日本で初めて発見されたのは岩手県花巻市の北上川河床で、これを発見した宮沢賢治は後に「銀河鉄道の夜」にクルミの化石を登場させた。
昭島市の加住層や八王子市からも発掘されていて、ともに水草であるヒシ属Trapaなどの水辺の植物を伴う。
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