第57話「ロワゾ・ブリュー -美里とプルーデンス-」

 強烈な日差しが森林公園に降り注ぐ。木の葉は眩しく輝き、木陰はかえって濃い闇となる。

 木陰の奥まで進むと、気の抜けた手作りの看板が動物園への道を指し示す。

 動物園といっても、アーチ状の鉄骨と金網のドームが森から頭を出していて、その周りにいくつかごく小さな獣舎があるだけだ。

 しかも、そのドームは大きさだけでなく役割もあまりに重大なので、動物園全体が直接このドームの役割で呼ばれている。

 リョコウバト再生祈念館と。

 ドームに近づくと、中まで木が生い茂っているのが分かる。

 ホーホー、ウーウー、ウォーウォーと、よく見かけるドバトやキジバトとは一線を画す強い唸り声も聞こえるだろう。

 中の通路を掃除していると、その鳴き声が周り中から聞こえてくる。

 お客さんが金網と鉄枠でできた二重の扉を押し開け、鎖ののれんをくぐって入ってきた。二十代なかばのカップルだ。

「え、フクロウ?」

「これハト?」

 鳴き声にたじろぐお客さんも多い。

 しかし私はこの鳴き声を聞いていればどの枝にハトがいるか把握できる。

「あちらにリョコウバトがいますよ」

 私は手すりの向こうに腕を伸ばし、濃い影の中の枝を指さした。

 ちょうどいいと言うべきか、リョコウバトがつがいで揃って止まっている。エドとジュリアだ。

「あっ、かわいい!」

「ハトにしてはかっこいい」

 全体的にはスマートで、尾羽がすらりと長い。しかし立派に膨らんだ鳩胸のアスリート体型で、ドバトより少しだけ大きい。

 オスのエドは鮮やかな色をしている。頭から背中にかけて青みがかった灰色、胸はオレンジ色。しかしメスのジュリアの落ち着いた褐色も美しい。

 ハトらしく断続的に頭を動かすたび、首の羽毛が光沢を放つ。ルビーのような澄んだ深紅の目玉や、繊細なクチバシとあいまって、高級な細工物のようだ。

 そんな彼ら二十四羽が、日中一度に姿を現すことはあまりない。

 このつがいのように木の葉の陰に隠れ、ウーウーと鳴き声だけを通路に届かせていることが多い。

「やっぱりただのハトじゃないみたいよ、ほら」

 女性のほうが看板を指して男性のほうに言った。

 そこには大きな文字でこう書いてある。

 「リョコウバト 見慣れたハトとは 違います」

 その横には特徴の図解と少し詳しい説明。こうしてまず重要なことだけ川柳でリズミカルに読んでもらう看板がいくつか立っているのだ。

 つがいの下にいる一羽、エレノアのように、落ち葉を踏みしめて探し物をしているのもよく見かける。

 ただ、一羽見付かれば大抵そのあたりに何羽もまとまっている。

 順路の先のほうから、数羽の群れが飛んできて地表に降りた。

「わっ、何、いっぱい来た!」

「ドングリ食ってる」

 エレノアが食事しているのを見付けて、仲間がやって来たのだ。

 ドングリを丸呑みするリョコウバト達の様子にカップルは軽く驚いて笑っていたが、私は一羽ずつを見定め、いずれも異常はないことを体のすみずみや動きの一つずつまでよく確認した。

 ただそのうちの一羽、デニスのことが少し気にかかった。

 正確には、彼のつがいのプルーデンスのことだ。

 すると館内放送のチャイムが鳴り始めた。

「獣医の久井から職員の皆さんに特別にお知らせしたいことがあります。この後十六時に事務室に集まってください」

 きっと、まさにそのプルーデンスの話だろう。


 ドームを出たところに小さな展示館があり、事務室はその受付の裏にある。

 入ってすぐホワイトボードに投影された写真が目に入り、久井先生が説明するまでもなく私は目を見開いた。

 裏から強い光を当てられて透けた卵。

 その中にははっきりと血管が写っている。

「有精卵だったんですね!」

「えっ、そうなの!?」

 後ろから小太りの男性、設備管理員の岡さんが素っ頓狂な声を上げる。

「さすが太田さん。ですが皆さん集まってから落ち着いて話したかったですね」

 飼育員と同じ作業服を来た初老の男性、久井先生はそう言って苦笑する。

「やった!やった!」

「早く見せてよ!」

 岡さんと一緒に作業していた若い女性、デザイナーの草部さんも、入り口で騒ぎ出した。普段は落ち着いた男性である園芸師の佐々さんまで嬉しそうにしている。

「ほら」

「すみません」

 改めて、きちんと皆席に着いて久井先生の説明を聞いた。

 といっても、写真の隣に映っている今現在のプルーデンスの様子がどうしても気になってしまう。

 プルーデンスは生木の板を張った鳩舎の中で、皿の上に粗く枝を積んだ巣にじっと伏せている。

 あのもっふりと膨らんだ体の下に有精卵があるんだ。待ち望んだ新たな命が。

「発生の経過はおそらく良好ですが、経験のないつがいですから何があるか分かりません。今後も皆さんとお客さんの協力が必要です。私からは以上」

 久井先生はそう言って報告を締めくくる。

「経験あるつがい自体いないもんな」

「経験あるスタッフも松戸さんだけでしょ」

 岡さんと草部さんがくすくすと笑う。学芸員の松戸さんだけは渡米してリョコウバトの繁殖技術を学んでいるのだ。

「こうしてお話している私もハトの経験は浅いですからな。協会やハトレースの皆さんのおかげです」

 久井先生も自信なさげにしている。

 本場アメリカのリョコウバト協会と、伝書鳩レースの専門家の後ろ盾があったのだ。

「ではここからは実務の話を」

 松戸さんが立ち上がってホワイトボードの前に立った。

「設備課の皆さんは引き続き、お客さんへの注意喚起のための掲示をお願いします」

「川柳増やします?」

 草部さんの提案。

「いいですね、すぐ目につくところにお願いします」

 返事を聞くなり草部さんはメモ帳を取り出し上の空になった。川柳を考えているのだ。

「デコイどうします?」

 岡さんが尋ねた。

「ああ、デコイもですが特に設備は動かさないことにしましょう。デニスとプルーデンスもそのほうが安心すると思いますし、他のつがいも抱卵を始めるかもしれませんから」

「音声も?」

「流したままにしておきましょう」

 鳩舎の育児室や、巣作りに良さそうな木の枝には、リョコウバトそっくりに作られた木彫りのデコイが並べられ、スピーカーからリョコウバトの鳴き声も流れている。

 大群を作る習性のあるリョコウバトが安心して子育てできるようにだ。

「巣立つまで鳩舎の周りでは剪定も行わないようにお願いします」

「ういっす」

 佐々さんの返事。

「あっ、森本さんにも知らせないと」

 岡さんが外部の人の名前を出した。

「森本……、ああ、デコイを作ってくれた工房の」

「役に立ったって知ったら絶対喜ぶよ。ねえ平瀬さん」

 岡さんはすでにパソコンに向かって作業している、広報の平瀬さんに呼びかけた。

「分かってますよ。っていうかさっきからずっとメールで色んなところに知らせてる真っ最中ですよ。まったく午後四時になってからなんて……」

 平瀬さんはぶつぶつと文句を言いながら素早くタイピングしている。

 飼育員としては餌になるものを育てている農家や昆虫養殖業者、それにドングリを拾ってくれる児童のいる近隣の保育園や小学校へも連絡をお願いしたかったが、今言ったら絶対怒られるだろう。

 というか広報としては観光協会や最寄り駅の鉄道会社が先のはずだ。

「忙しくなるのは皆さんも同じですよ。私も報告がありますので」

 松戸さんは皆に向かってそう言いながらさっさと席に着いてしまう。

「お祝いムードは無事孵化したときに取っておきましょう」

 その日はそれで解散となった。

「作業作業ー」

「作業作業~」

 設備課の二人は作業場に戻っていく。

「あーホッとした」

 飼育課長の平井さんが長い息をついた。

「よかったですね」

「うん、今回ダメだったらリョコウバト全員を毎日体重測定するところだったし」

 どう考えてもきついが、そのくらい厳密な管理が行われていても本当はおかしくないのだ。


 翌朝。開館前からすでに暑い。

 ドングリが入った袋と穀類や切った青菜が入ったタッパーを持って、ドーム内数箇所を辿る。

 昨日と違う餌場にドングリを撒く。昨日や一昨日餌を置いた場所には何も置かない。

 毎日違う場所に餌を置かなくてはいけない。リョコウバトが餌を探して飛び回り、充分な運動ができるように。

 リョコウバトの習性に合わせた配慮だが、ここにいるリョコウバト以外の鳥、淡いベージュのシラコバトやニワトリほどもある大きなオウギバトなどの健康にも役立っている。

 岡さんと草部さんも作業中だ。早速新しい川柳の看板を立てている。

 「新しい 命のために お静かに」

 左側の解説には昨日見た卵の写真が使われている。

 合流して場内の点検を行ったら、最後は展示館にある食堂だ。

 店長の田宮さん曰く。

「あの水槽ダメだわ。あれ見るなり年寄りはみんな「これ食べれるんですかー、出してくださーい」だもんよ。ドームで何見て来たんだか、水族館から預かってんのに参っちゃうよ」

 そこで私達は渾身の掲示を準備していたのだ。

 完成したそれを、三人で運び込む。


 ドーム内の新しい看板が静かに注目を集めているのを見届け、さて昼。

 私と岡さん、草部さんの三人は、展示館の裏から入ってこっそりと食堂の様子を覗いた。

「お、来たか。あれ面白いわ」

 田宮さんもにやにやしている。

 今ちょうどお年寄りばかりの三人組が、水槽に向かい合っているところだ。

 ニホンウナギが住む水槽の横には、大きく草部さんの直筆の文字。

 「うな重始めません」。

 ええー?という怪訝そうな声が聞こえる。

 掲示はめくれるようになっている。

 その下から出てくるのは、ニホンウナギの漁獲量を数十年前から示すグラフ。どんどん下がって、もはや払底したといっていい状況が読み取れる。

 さらに、レッドデータブックの階級でニホンウナギがどの位置にあるかの図表。

 なんとジャイアントパンダ以上の危険度だ。その上にはゴリラ、クロサイ、スマトラトラ等。

「これじゃしょうがないわあー……」

 三人のお年寄りは苦笑いを交わしていた。

 どうやら大成功である。私達三人はお客さんに気付かれないよう小さくハイタッチした。


 吉報から丸一日経ってみれば、気を遣うことが増えただけであとは普通の日であった。

 日陰に打ち水をしていると、近くにいた小さな子供とその母親の前にリョコウバトとは別のハトが現れた。

「わっ、大きいねー」

「おとうさんのはと?」

 質問を受ける前に、すっと答えてしまう。

「アカガシラカラスバトです。小笠原ではアカポッポと呼ばれています」

 名前どおりというほどではないが頭だけ赤みがかっていて、あとは黒っぽい。

 すぐそこにアカガシラカラスバトの川柳看板がある。

 「アカポッポ 地域に守られ 四百羽」

 母親がその看板を読み、このハトもいなくなりそうだったんだ、と感心している。

「残り四十羽になってしまったところで、それ以上減らないように島の人の活動が始まったんです」

「四十羽!」

「それから十五年で順調に増えて、今では四百羽近くいるそうです」

 へえーっ、と母親は感心している。子供にはよく分からないようだ。

「リョコウバトもいっぱい増えるといいですね」

「ありがとうございます。元はあれくらいいたので、頑張ります」

 プルーデンスのいる鳩舎が木立の奥に見える。

 その手前に、リョコウバトの絶滅から数十年前のイラストが大きく掲げられているのだ。

 リョコウバトの群れが大空を文字どおり埋め尽くすイラストである。

 母親はそれを見るなり、あまりの光景に絶句してしまった。

 不意に、羽で空気を切る音がいくつも重なる。

 私は木の上を見た。

 十五羽ほどが飛び立ったところだ。

 長く鋭い羽を素早く振るい、ドームの網をなぞるように周る。

 編隊がカーブを描く動きは、訓練でも積んだかのように揃っている。

 わあ、と声を上げて、さっきの親子も見上げている。

 しかしこんなものはリョコウバトにとって群れとは呼べない。

 アカガシラカラスバトは四十羽いればそれ以上減る原因を取り除くだけで増えていった。

 リョコウバトにとって人の手なしで殖えるのに必要な数が一体何百羽になるのか。何億羽かもしれない。

 大群のイラストにはこんな川柳が添えてある。

 「絶滅種 一羽殖やすのに 一苦労」

 しかし卵ひとつで精一杯などとはとても言えない。

 次に卵を抱くのは誰だ。リタか、セディか、リジーか。私はリョコウバト達の様子を見る目に力を込めた。




[エクトピステス・ミグラトリウス(リョコウバト、パッセンジャー・ピジョン) Ectopistes migratorius]

学名の意味:渡りさすらうもの

時代と地域:20世紀初頭までの北米

成体の全長:約40cm

分類:ハト目 ハト科 ハト亜科

 リョコウバトは、北米大陸のうち主に東部の落葉樹林に生息していたが、20世紀初頭に絶滅したハトの一種である。現生のハトの中ではリョコウバト同様北米に生息しているパタジオエナス属Patagioenasに最も近縁である。

 体格は街中でも普通に見られるドバトやキジバトとほぼ同じくらいだが、尾羽が長い分全長が大きかった。オスのほうがやや大柄だった。

 おおむね典型的なハト類の姿をしていた。全体的にはドバトと比べスリムな体型だったが、ドバトより胸筋が発達し、上半身が膨らんでいた。

 風切羽が長く、翼全体が細長かった。また尾羽は中央のものが特に長くて、広げると前後に長い菱形になった。

 オスは頭部から背中、翼の雨覆いにかけて青みがかっていて、首から胸、腹は赤かった。首には金属光沢を放つ部分があった。風切羽と中央の尾羽は黒く、左右の尾羽は白かった。メスは全体的にくすんだ色合いだった。

 食性は種子食または堅果食に寄っていて、ドングリを主に食べたようだ。またヒトによる農作物を食べることもあった。

 ハトとしては繁殖力が弱く、1年に1つの卵しか産まなかった。これは後述のようにドングリが不安定な食料だからかもしれない。

 非常に大きな群れで長い距離を移動する習性があった。発達した胸筋と細長い翼もこの長距離移動に対応していて、時速100km近い速さで飛ぶことができた。学名と英名、英名を翻訳した和名は全てこの移動する習性にちなむ。

 群れの規模を物語る逸話として、鳥類学者のオーデュボンが1813年に観察した群れは3日は途切れずに通過し続け、そのうち3時間に通過した分だけでも11億5000万羽はいたという。

 この大きな群れは食性や繁殖力に関連したものだといわれている。

 ドングリは森によって年ごとに豊作と凶作が入れ替わるため、ドングリを主食にするには豊富なドングリが手に入る森を毎年探し当てなければならない。そこで大群を作れば良い餌場が見付かる可能性が高くなる。

 また、産める卵の数が少なければ死亡率を下げる必要があるが、大群を作ることが雛や若鳥を守ることにもつながる。

 こうして繁殖力の弱さを補うことで、リョコウバトは単に群れの規模が大きいだけでなく、個体数そのものも非常に多くなった。

 ヒトによる乱獲が始まる前までは最も個体数の多い鳥であった。

 西洋人によって北米大陸が開拓されるより前から、リョコウバトはネイティブアメリカンによって捕獲されていた。

 しかし西洋人によるリョコウバトの捕獲は商業的かつ大規模なものであり、樽で塩漬けにされたリョコウバトが安価に売買されていた。余剰分がブタの餌とされるほどの数が確保されていたという。このときの流通には鉄道、捕獲のための情報交換には電信と、当時の最新技術が用いられた。

 19世紀後半にはリョコウバトは減少していたが、元から移動し続ける習性により多く見付かったり見付からなかったりする鳥であったため、注意を払う者は少なかった。保護法案も施行されたが成果はなかった。

 一方ではリョコウバトの主食であるドングリを生産する森の伐採が進んでいた。こちらも乱獲と同等かもしくはそれ以上にリョコウバトが減少する原因となった。

 群れの規模が小さく、本来の生態を維持するのに足りなくなっていったため、リョコウバトは加速度的に減少していった。

 19世紀末には野生ではほとんど見られなくなり、1900年に野生個体が絶滅した。

 動物園での繁殖も試みられたが結実せず、1914年9月1日、「マーサ」と名付けられていた最後のリョコウバトがシンシナティ動物園で死亡した。

 リョコウバトの標本は北米の多くの博物館に所蔵されている。日本では山科鳥類研究所に1体所蔵されている。こうした標本からDNAを採取し再生することも提唱されている。

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