#04 三度目の正直

「……いやぁあっ!」

 次に意識を取り戻したのは、わたしの部屋のベッドの上で、だった。全身にびっしょり汗をかいて、心臓がどくんどくんと早鐘を打っている。恐る恐る自分の身体を見たり触ったりして、ケガをしていないか、おかしなことになっていないかを確かめる。一分くらいせわしなく動いて、ようやく気持ちが落ち着いた。

 戸惑いながら、それでも頭を働かせる。車に撥ねられて、気がついたら自分の家のベッドにいて、特にケガをしたりはしていない。さっきまで見ていたのは、普通に考えれば夢だと思う。だけど、わたしには夢とは思えなかった。夢だと分からないくらいの現実感があったことももちろんあったし、何より――。

(わたし……同じことを、繰り返してる……?)

 さっきのわたしも、車に撥ねられるという「夢」を見ていたから。とてもはっきり覚えている。見た夢と同じ流れで事故に遭うんじゃないかって、透くんといっしょにいる間中ずっと気が気じゃなかった。そうしたら思ったとおり、突っ込んできた車に吹き飛ばされた。わたしは覚えているだけで、二回まったく同じことを繰り返してる。もしかすると、わたしの知らない間にもっと繰り返してたのかもしれない。

 目覚ましに使っているデジタル時計を見てみる。日付は九月二十日、まぎれもなく透くんとのデートの日だ。あれから時間が少しも経ってない。このまま今日も、透くんとデートをすることになるのは間違いない。

(でも……このままじゃ、今までと変わらない)

 何もせずに普通に過ごしたら、きっとまた同じ結末が待っているだろう。平たく言うと――わたしと透くんが、事故に巻き込まれてしまう。それからまたこのベッドで目覚めて、遊園地へ遊びに行って、事故に遭って。きっと、永遠にこのサイクルを繰り返すことになるんだ。

 どうしてこんなことになっちゃったんだろう。わたしはずきずきと痛む胸を押さえる。何かの理由で、わたしは、もしかすると透くんも、いわゆる「ループ」に入っちゃったんだ。その原因は間違いなく、あの時の事故。車に轢かれた時に何かが起きて、この九月二十日という一日を何回も繰り返すようになっちゃったんだ。

「どうしよう……わたし、どうすれば……」

 きっとまた同じことになる。ずっと抜け出せずに、今日を繰り返すことになるんだ。わたしの心は、ふくれ上がった不安で音を立てて押し潰されそうになった。心が絶望でいっぱいになって、そのまま底なしの沼へ沈み込んでしまいそうになったわたしの脳裏に、ふっと透くんの姿が浮かんだ。

 そうだ、透くん。透くんだ。

(わたし、透くんを助けなきゃ)

(透くんを助けて、元の世界へ帰るんだ)

 透くんを助けたい。いっしょにこのループを繰り返している透くんを助けて、元の世界へ帰ってみせる。そう思うと、折れそうになっていた心がシャンとして、俄然勇気が湧いてきた。いつまでも落ち込んでなんか居られない、透くんを助けて、わたしも元の世界へ帰るんだ。

 今日のデートまで、まだ時間はたっぷりある。わたしはキッチンへ行って冷たい水を一杯飲んでから、テーブルに着いて考え事を始めた。目的は一つ、この繰り返しを終わらせることだけ。

(きっと、事故に遭うことがループの始点と終点になってるんだ)

 もしそうだったら、わたしと透くんが事故に巻き込まれなきゃ大丈夫なはず。無事に「今日」を乗りきれば、またいつもの「明日」がやってくるはず。わたし達が事故に遭わないようにする方法はいくらでもあるけど、わたしは今すぐできて、そして絶対に事故を回避できる方法をすぐに思いつけた。

 最初から、デートに行かなきゃいい。わたしが考えたのは、デートそのものをなかったことにすることだった。

 そうと決まれば話は早い。充電していたスマフォを手に取って、透くんに電話を掛けてみる。そのまま十秒くらい待ってみたけど、透くんが電話に出る気配は無かった。きっとまだ朝早いから、寝ていて気付かなかったに違いない。わたしはそう思って電話を切ると、今度はメールの画面を出した。

「『本当にごめんなさい。風邪を引いてしまって、朝起きたら熱が酷くて起きられそうにないです。今日のデートは、また今度にさせてください。約束を守れなくて、本当にごめんなさい』……どうしよう、こんな感じでいいかな……」

 風邪を引いて寝込んで外に出られそうにないので、デートはまた今度にしてください。なるべく自然に見えるように、体調不良で出かけられないという文章を作る。もちろんわたしは風邪なんかこじらせてないし、熱だってちっとも無い。まるっきり、何もかもウソだ。こんなウソで、透くんとの大事なデートを反故にするのは辛かったけど、でも、これで今日のデートは、確実にキャンセルになる。

 後でめいっぱいお詫びをして、おいしいものをおごったりして、それから、もう一回、今日のデートをやり直そう。透くんだったら、きっと許してくれる。わたしは気持ちを切り替えて、スマフォを机の上に置いた。

 でも――その時だった。

(……あれ……?)

 ふわっ、と身体が宙に浮いた感覚がしたかと思うと、目の前がみるみるうちにさあっとぼやけていく。声を出せなくて、身体も動かせなくて、ただ目に見えるものが曖昧になっていくだけ。

 やがて、すべてが形を失って、いろんな色が混じり合って、それもまたぼやけていって、気がつくと、目の前にはただ、温度を感じさせない灰色だけが広がっていって。

 ――そして。

 

「わたし……ベッドにいる?」

 再び意識を取り戻したときには、わたしはベッドで横になっていた。身体を動かしてみても、特に変わったところは無い。ただ、さっきまで机の前に立っていたはずなのに、どうしてベッドに戻っていたのかは分からなかった。

 疲れてたのかな。そんな風に考えていて、何気なく時計を目にしたわたしは、自分の目を疑うことになった。

「えっ……!? 九月二十日の……六時半!?」

 時計が示していたのは、九月二十日の六時半。わたしがメールを送った時には七時を回っていたはずなのに、また六時半になっている。日付がおかしいのかも知れない、慌てて立ち上がって机の上に置いてあったスマフォを手に取ると、震える指先でロックを解除する。

 カレンダーを見ると――間違いなく、九月二十日を指していた。何度確かめてみても、今日の日付は九月二十日だという表示は少しも変わらない。

(まさか……また、巻き戻っちゃったの……?)

 メールボックスを確かめてみる。あの時確かに送ったはずのメールが、送信済みフォルダにも、下書きフォルダにも見当たらない。わたしがメールが送ったことも含めて、全部巻き戻ってしまった。今の状況を考えると、それが一番正しい答えとしか思えなかった。

 事故を回避したつもりだったのに、また、ループしちゃったんだ。

 背筋がさあっと冷たくなる。せっかくループを終わらせる方法を思いついたのに、それじゃダメだってことに気付かされる。このままずっと、永遠に今日を繰り返す? そんなことを考えて、わたしの心は不安でいっぱいになる。

 だけど。

(諦めちゃダメ、絶対に抜け出す方法はあるよ……!)

(きっと、透くんだって助けられる、助けなきゃ!)

 こんなところで諦めちゃいけない。透くんの顔を思い出して、わたしはもう一度気持ちを奮い立たせた。何度でも繰り返されるなら、成功するまで何回もチャレンジすればいいんだ。気持ちを新たに、わたしは考えをまとめ直す。

 さっきループが繰り返されちゃったのは、きっとわたしがデートに行かなかったからだ。たぶん、デートに行かないと「ルール違反」みたいになって、最初へ戻っちゃう。確証は無いけど、そんな気がする。じゃあ、約束通り待ち合わせをして、それから事故に遭わない方法を考えればいいんだ。

 事故に巻き込まれないための、一番間違いの無い方法。

(遊園地じゃなくて、別の場所に行けば……!)

 行き先を別の場所にして、その後の出来事を全部変えちゃえばいい。自動車のある場所を避けるようにして、今日一日を無事に過ごせれば大丈夫。これなら、デートにはちゃんと出掛けてる。

 今度こそきっと大丈夫。何回も言い聞かせて、気持ちをシャキッとさせる。前と同じようにきちんと準備をして、しっかりおめかしもして、わたしはしっかりとした足取りで家を出る。

「透くん、お待たせっ」

「おはよう、神戸さん。僕も今来たばっかりだよ」

 以前と同じように、透くんは先に来ていて、バス停で待っていてくれた。

「よかったぁ。待たせちゃってたらどうしようって、来る途中ずっと心配だったから……」

「この時間に待ち合わせしようって言ったのは僕だから、待ったとしても、それは僕の望んだことだよ」

 そして前のループとまったく同じ会話を交わして、わたしと透くんはバスが来るのを待つ。

 まったく同じ会話。わたしはこの時になって始めて、話している内容が以前のループと一字一句違っていないことに気が付いた。意識して透くんに合わせようとか、前と同じように喋らなきゃとか、そんな風には少しも考えてなかった。普通に透くんと話して、気が付くと完全に同じ言葉を口にしている。今になって、わたしはやっと気が付いた。

 やっぱり、繰り返してるんだ。同じことを、何度も何度も。

(終わらせなきゃ。こんな繰り返し、すぐに終わらせなきゃ)

 朝起きて、バス停で待ち合わせて、遊園地で遊んで、最後は事故に遭う。こんなことを何度も重ねて、そこから出られずにいる。このままじゃまた同じことになる、だから、どこかで止めなきゃいけない。

 わたしが次に口にする言葉は、普段のループにはない言葉。これをきっかけにして、輪廻を終わらせてみせる。

「あのね、透くん」

 意を決して口を開く。

「わたしね、今日は遊園地行こうって言ってたけど」

「ちょっと気が変わって、海に行きたいって思ったの」

「秋口の海も綺麗で気持ちよくて、夏とまた違ういいところがあると思うんだ」

「どうかな、透くん」

 遊園地じゃなくて、海へ行ってみたい。遊園地じゃない別の場所へ行けば、その後のことが全部変わって、事故にだって遭わなくなるはず。遊園地へは行けなくなるけど、海だって素敵な場所には変わりない。透くんとなら、どこへ行っても楽しいに違いない。

 海へ行きたいと言ってから、わたしは透くんの反応を待つ。きっと「いいよ」と言ってくれる、わたしはそう期待して、透くんの目を見つめ続ける。

(――あっ)

 以前も覚えた違和感。ふわっと身体が浮き上がって、立っているのか座っているのかさえも分からなくなる。あっという間に現実感が失われて、目に見えるものすべてが溶けてゆく。

 まさか、そんな。わたしは言葉を口にしようとして、既にこの世界からすべての音が消え失せていることを知る。そして、言葉を発する意味も喪失していることも、また。

 やがてすべてがくすんだ灰色に染まり、わたしもまた同じように、灰色に塗りつぶされて。

 ――そして。

 

「……ん、うぅん……」

 もう一度意識を取り戻したとき、思った通りわたしは布団で横になっていた。ゆっくり上体を起こして、それから、大きくため息をつく。半分諦めながら、近くに置いてある時計を手に取って、日付と時刻を確かめてみる。

 九月二十日、午前六時三十分。それだけで、何が起きたのかが分かってしまう。

「また……振り出しに戻っちゃった……」

 遊園地の代わりに海へ行こうというわたしの考えは、ループのリセットという結果になった。たぶん、前のメールと同じように、この世界でのルールのようなものに引っ掛かっちゃったに違いない。それでまた、わたし達は九月二十日を繰り返すことになったんだ。

 落胆して気落ちしそうになるところを、透くんの姿を思い出して踏みとどまる。ループしてるってことは、いくらでもチャンスはあるし、やり直しだってできる。失敗したら一巻の終わりじゃないから、思いつくことをとにかく手当たり次第に試していけるってことでもあるんだ。わたしは考え方を切り替えて、再びループを脱出するための手段を考えてみる。

(もしかして、遊園地へ行くってことを変えちゃいけないのかも)

 今までは、デートそのものをキャンセルしたり、遊園地じゃなくて別の場所へ行こうとしてうまく行かなかった。だから、透くんとのデートはする必要があって、場所も遊園地にしなきゃいけない。そうしてから、なんとかして事故に遭うまでの運命を変えていく必要があるのかも知れない。

 だけど……どうすればいいだろう。いつものループと違う形で遊園地を出ればいいと思うけど、うまい理由が思いつかない。楽しい時間を過ごしてるってことになってるのに、急に帰りたいなんて言うのは、きっと不自然に見えると思う。

「パークへ行ってから……タイミングを探してみるしかないかなあ……」

 ミッドナイトファンタジーパークへ予定通り出かけて、それから脱出するためのチャンスを見つけるしかなさそうだった。

 今までと同じように準備をして、バス停で待ち合わせる。

「透くん、お待たせっ」

「おはよう、神戸さん。僕も今来たばっかりだよ」

「よかったぁ。待たせちゃってたらどうしようって、来る途中ずっと心配だったから……」

「この時間に待ち合わせしようって言ったのは僕だから、待ったとしても、それは僕の望んだことだよ」

 来たバスに乗って、ミッドナイトファンタジーパークへ。

「コーヒーカップって、こんな感じなんだ。初めて乗ったよ」

「そうなんだ。くるくる回って、不思議な気持ちになるよね。わたし、これ大好き」

「うん。さすが、神戸さんが一番に乗りたいって言うだけのことはあるよ」

 一番最初に乗るのは、コーヒーカップ。

「いつもは馬に乗るけど、今日は透くんといっしょだから、馬車だよ」

「神戸さんが馬に跨ったら、さしずめ戦うお姫様ってところかな」

「それだと、どっちかと言うと、乗ってる馬の方が強そうに見えちゃうよ」

 その次は、メリーゴーランド。

「あー……気が抜けちゃった。最初にガタゴト音を立てながらレールを上がっていくところ、やっぱり緊張するよね」

「上がって上がって、わーっと落ちてく。醍醐味といえば醍醐味だけど、どこまで落ちてくんだろうって、不安になるかな」

「こうやって地面に立って歩けるのが、すごくありがたく感じるよ……」

 ジェットコースターにも乗って。

「透くん。また……手、つないでくれる?」

「もちろん。断る理由なんて無いよ」

「せっかくだから、ちょっと辺りを散歩しない? ここ、歩いてるだけでも楽しいからさ」

 休憩するために、園内を散歩する。

「ゴーストハウス……お化け屋敷、だね。せっかくだから、入ってみる?」

「ううん……わたし、怖いのは苦手だけど……でも、透くんとふたりなら大丈夫。行こっか」

 こうしてあれよあれよと言う間に、最後から二つ目のアトラクションになるゴーストハウスへ入る時間になってしまった。一度も脱出の糸口を掴めないまま、手をこまねいてしまっている。どうしようという気持ちだけが先走って、考えがうまくまとめられない。

 ゴーストハウスへ入って、時折出てくる怪物やお化けに驚かされながら、わたしと透くんは歩いていく。驚かされるといっても、わたしはどこで何が出てくるかをすっかり覚えてしまっているから、本当の意味で驚くわけじゃない。ただ、一番最初のループでわたしが驚いたから、その動きをなぞっているだけ。

(どうにかして、ここから出なきゃ)

 あちこちを見回して、今の流れを変える方法がないか探ってみる。そんなわたしの目に、文字通り一筋の光が見えた。

 非常口。中で事故が起きたり、具合の悪い人が出た時のために付けられている、あの非常口だ。普通の出口じゃなくて、あそこから外へ出れば、今までとは違う流れになる。その後の出来事も、全部いっしょに変えられるはずだ。もちろん、事故が起きたってことも含めて。

 これしかない。すぐに考えをまとめて、気分が悪くなったふりをして非常口を使うことにした。これならきっとうまく行く、その確信を持って、わたしは歩くのを止めた。

「透くん……ごめん、わたし……なんだか、気分が悪くなってきちゃって……」

 胸を押さえて、いかにも辛そうな表情をして、喉の奥から絞り出すような声を上げる。透くんはその場に立ち止まって、わたしの様子をじっと見てくれている。

 あとは、非常口から外へ出ようと言うだけ。

「見て……向こうにね、非常口があるんだ」

「まだ、途中だけど……でも、ちょっと、辛くて……外まで、連れてってくれないかな……」

 光の漏れる扉を指差して、わたしは透くんに外へ連れてってほしいと伝える。やさしい透くんならきっとすぐに外へ出してくれるはず、そう信じて、返答を待ち続ける。

 だけど。

 ぐにゃり、と音もなく視界が歪む。あっ、と思ったときには、もう非常口の形は曖昧になっていて、すべての輪郭が曖昧になっていくのが見えた。水に溶かした絵の具のように、一つ一つの境界線が徐々に失われて、色が互いを侵食し、そして侵食されてゆく。

(――まただ)

(また、この感覚――)

 無秩序に激しく混じり合った色はやがてひとつになって、一面にとめどなく広がっていく。

 灰色、灰色、灰色。すべてが同じ色に染め上げられて、そして形を失う。

 ――そして。

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