#03 二回目の悪い夢

「……いやぁあっ!」

 喉の奥から絞り出すような。そんな例えがしっくり来るような叫び声を上げて、わたしは上半身を跳ね上げた。がばぁっ、という布団のめくられる音が響く。続いて聞こえる、はあーっ、はあーっ、という、荒い呼吸の音。それがわたし自身のものだと自覚するのに、十秒くらいの長い時間が必要だった。

 冷たい汗をびっしょりかいていた。首筋や脇の下がひやりとしていて、着ているパジャマが肌に張り付いている感触がする。心臓は激しく鼓動を高鳴らせて、今にも口から勢いよく飛び出してきてしまいそうなほどだった。息をすることさえも苦しくて、少しも生きている心地がしない。

 それでもどうにか落ち着きを取り戻して、改めて、身の回りの様子を確かめてみる。目に映るのは、見慣れた部屋の内装。右を見ても、左を見ても、天井を見ても、奥を見ても。どこを見てみても、自分の家の自分の部屋、そのものだった。

 手のひらでぐっと布団を握りながら、わたしはかすれた声で呟く。

「ゆ……夢……?」

 夢。わたし、夢を見てたんだ。

 透くんといっしょにミッドナイトファンタジーパークへ遊びにいって、コーヒーカップとかジェットコースターとか、たくさんのアトラクションを楽しんで、最後に観覧車にも乗った。満足するまで遊んで、さあ帰ろうって、バス停まで行こうってなった時に、隣から車が突っ込んできて、それで――。

「夢、だよね……? わたし、生きてるよね……?」

 びっくりするくらい、現実感のある夢だった。透くんと交わした言葉のひとつひとつも、いっしょに見て歩いた風景も、瞬間瞬間に感じた気持ちも。何もかもが、とても鮮明に思い出せた。まるでみんな本当に起きたことのように、とてつもなくはっきりと。自分で自分の身体を抱きしめて、ちゃんと生きていることを何度も確かめる。

 起きたての時は、ただただ怖かったという気持ちに捕らわれるばかりだったけれど、あの時起きたことは確かに夢だったんだと自覚できて、少しずつ安堵の気持ちが広がっていった。とても恐ろしい、もう二度と見たくないような夢だったけれど、あくまで夢でしかなくて、本当に起きたことじゃないんだ。すぅ……と深呼吸をして、十分に心を落ち着ける。

 夢でよかった。心からそう思いながら、わたしは時計を見る。今日の日付は九月二十日。時刻を見ると、起きようって思ってた時刻より三十分も前。時間にはたっぷり余裕がある。汗かいちゃったし、軽くシャワーを浴びてから準備しよう。

 今日は――大事な、透くんとの初デートの日だから。

 バス停で透くんと待ち合わせて、定刻通りにやってきたバスに乗り込む。

「来た来た、あのバスだね。神戸さん、乗ろうか」

「うんっ」

 空席の目立つバスの、ふたりがけの座席。そこに、わたしと透くんが座る。ふたり手をつないだまま、車窓から覗く風景を目で追いかける。

 そう言えば――今朝見た夢も、こんな風に手をつないで、いっしょの座席に座っていた。

(朝に食べたものも、ホットケーキとブルーベリーヨーグルトで、同じだった気がする……)

 何気なく支度をして、無意識のうちに食べた朝ご飯。献立は少し大きめのホットケーキに、プレーンヨーグルトにブルーベリージャムを混ぜたもの。それは、夢の中で食べた朝ご飯と、まったく同じ組み合わせだった。

 起きたばかりで寝ぼけてたから、なんとなく夢と同じ選択をしちゃっただけのことだよ。それにホットケーキとヨーグルトなんて、家に自分しかいない時はしょっちゅう食べてる組み合わせだもん――いろいろと理由をつけて、夢で食べた朝ご飯と、現実に食べた朝ご飯の献立が同じだったことを気にしないようにする。

 そうしている時点で、気になって仕方ないんだってことは、わたしが一番よく分かっていて。

(まさか)

(予知夢とかじゃない、よね……)

 あの夢は、これから起きることを、暗示しているんじゃないか。

 そんな、小さな不安を抱えていて。

 一番初めに乗ったのはは、コーヒーカップ。

「コーヒーカップって、こんな感じなんだ。初めて乗ったよ」

「くるくる回って、不思議な気持ちになるよね。わたし、これ大好き」

「うん。さすが、神戸さんが一番に乗りたいって言うだけのことはあるよ」

 透くんが、コーヒーカップに乗るのは初めてだと言う。夢の中でいっしょにいた透くんも、今までコーヒーカップには乗ったことないって言ってたっけ。それで、初めて乗ったけど楽しい、そうとも口にしていた。

 また――朝に見た夢と同じだ。

 楽しさと嬉しさで満たされているはずの心に、一抹の不安がよぎる。

 次に向かったのは、メリーゴーランド。

「いつもは馬に乗るけど、今日は透くんといっしょだから、馬車だよ」

「神戸さんが馬に跨ったら、さしずめ戦うお姫様ってところかな」

「それだと、どっちかと言うと、乗ってる馬の方が強そうに見えちゃうよ」

 交わし合うのは、とろけそうなほどに甘い言葉ばかり。他の人からすれば、見てらんないってくらいの甘々さ。

 けれど――透くんの言葉の一つ一つに、わたしは強いデジャヴを感じてしまう。例外なく、一つ残らず、すべての言葉に。どこかで一度聞いたことがある、その感触が、わたしの心をつかんで離さない。

 思ったとおり、ジェットコースターにも乗って。

「あー……気が抜けちゃった。最初にガタゴト音を立てながらレールを上がっていくところ、やっぱり緊張するよね」

「上がって上がって、わーっと落ちてく。醍醐味といえば醍醐味だけど、どこまで落ちてくんだろうって、不安になるかな」

「こうやって地面に立って歩けるのが、すごくありがたく感じるよ……」

 だんだん記憶が鮮明になっていく。透くんが口にした言葉にとどまらず、目に見える景色も、耳に届く音も、一切合財が、ピタリと記憶と一致する。大きな流れに翻弄されて、身動きが取れずにされるがままになっている。胸騒ぎがして、もどかしさがどんどん増していく。

「神戸さんの手はあったかいね、血が通ってる証拠だよ」

 聞いた記憶があると分かっていても、透くんの言葉にすがりたくて、わたしは手に力を込めた。

 それでも、夢と現実のシンクロが止まらない。気がつくとわたしと透くんはゴーストハウスに入っていて、中でさんざん怖い思いをして、目に涙を浮かべながら外までたどり着いた。

「お化け屋敷に迷路を組み合わせてたのはよかったね。出られないかも、って怖さがあるし」

「もう、そんな冷静に分析とかしないでっ。出られなかったらどうしようって、すごく不安だったんだもん」

「出られないなんてことはないよ。出ることを諦めなければ、必ず出口は見つかるからね」

 透くんの言葉もわたしの言葉も、夢に見た風景とまったく同じ。あんまりにも同じすぎて、わたしは現実の世界にいるのか、それとも夢の続きを見ているのか、分からなくなりそうだった。

 そして、わたしは――高い空から、ミッドナイトファンタジーパークを見下ろしていた。

「綺麗な景色だね。本当に、すごく綺麗だ」

「最後にこれを見られて、僕は心からよかったと思うよ」

 憧れ、恋い焦がれていた、遊園地デート。そのクライマックスに乗る観覧車は、何よりも幸せなアトラクション――今のシチュエーションは間違いなくそのはずなのに、わたしの心を、大きな大きな不安がしっかり掴んで、どれだけ振り払おうとしてもびくともしない。

 もし……このまま、朝に見た夢の通りにすべてが進んだら。

 そうなったら、わたしと、透くんは。

 焦燥感に包まれたまま、観覧車は頂点を過ぎて徐々に下へ向かってゆき、やがて終わりの時を迎える。透くんに続いて、わたしもカーゴから降りて外へ出た。一瞬一瞬の光景がすべて朝見た夢とオーバーラップして、わたしはもうどうにかなってしまいそうだった。

 気がつくとわたしはおみやげを手に提げて、透くんと二人で横断歩道の前に立つというところまで来ていた。もはや言うまでもなく、わたしはこの場面にも見覚えがあって、確かな記憶として思い出されて。わたしたちに何が起きるのか、それをはっきりと自覚してしまっていて。

 信号が赤から青に変わる。先に歩き始めた透くんに付いて、わたしもまた、白黒の横断歩道へ一歩足を踏み出す。信号は確かに青、それは歩行者が横断歩道を渡ってもよいというサイン。交通ルールが守られているなら、安全に道路を横断できるはずの状況。きっとそんな風に考えて、透くんは歩いているはずだ。

 そうやって、一歩、また一歩と進んでいくわたしたちに――不意に、黒い影が迫ってきて。

(……あっ)

 わたしが夢で見た光景と、この瞬間目の前で繰り広げられている光景が、完全に重なる。

 黒い影に飲み込まれたわたしと透くんは、あまりにも呆気なく、信じられないほど簡単に、大きく、大きく、跳ね飛ばされて。

 やがて世界が形を失い、すべての色が混じり合っていく。そうしてできあがった無機質な灰色が、わたしの世界を塗りつぶしていって。

 ――そして。

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