#02 初めてのデート
ぐるり、ぐるり。延々と廻る風景をバックにして、わたしの瞳は透くんだけにフォーカスする。
「コーヒーカップって、こんな感じなんだ。初めて乗ったよ」
「そうなんだ。くるくる回って、不思議な気持ちになるよね。わたし、これ大好き」
「うん。さすが、神戸さんが一番に乗りたいって言うだけのことはあるよ」
遊園地に入るなり真っ先に向かったのは、わたしが一番お気に入りのアトラクション、コーヒーカップだった。ゆっくり円を描く舞台の上で、カップ自体も回転する。すると辺りの光景が、おろしたての水彩の絵の具をのばしたように溶け出して、あいまいに混じり合っていく。そんな幻想的な世界の中で、真正面にいる透くんだけは何者にも混ざらずに、はっきりとそこに存在していることを感じられる。
真ん中に置かれたハンドルにひじを付いて、透くんの手を取って。
「透くん、透くん。わたし、今すごく幸せだよ」
「神戸さんが僕といっしょにいて幸せだって思ってくれるなら、僕はもっと幸せだよ。こんな風に、ふたりで笑いあえたらいいなって思ってたからね」
お砂糖のように甘い言葉を、飽きることなく交わし合う。たぶん、他の人が見たら、ベタベタだなあって思うに違いない。わたしだって、ほんのちょっとだけ、気恥ずかしいところもあったりする。ほほが火照ってるのは、強い日差しのせいだけじゃない。
だけど――それもこれも、みんなふくめて、今はただ、幸せだった。
コーヒーカップを楽しんだあとは、すぐ近くにあったメリーゴーランドに向かって。
「いつもは馬に乗るけど、今日は透くんといっしょだから、馬車だよ」
「神戸さんが馬に跨ったら、さしずめ戦うお姫様ってところかな」
「それだと、どっちかと言うと、乗ってる馬の方が強そうに見えちゃうよ」
さっきとは、また違う形でぐるぐる回る景色を眺めながら、わたしと透くんは他愛ない話を続ける。
楽しい、楽しい。ぐるぐる回りつづける世界の中で、わたしは楽しさの渦の中にいる。こんな幸せな時間が、終わることなくいつまでも続けばいいのにと、心の内に願う。
「こんな風に、ずっと回っていられたらいいよね」
わたしは、このメリーゴーランドのような、終わりの無い円環を望んでいた。
冷たい飲み物を飲んで一息入れてから、今日は思い切って、ジェットコースターにも乗ってみた。
「あー……気が抜けちゃった。最初にガタゴト音を立てながらレールを上がっていくところ、やっぱり緊張するよね」
「上がって上がって、わーっと落ちてく。醍醐味といえば醍醐味だけど、どこまで落ちてくんだろうって、不安になるかな」
「こうやって地面に立って歩けるのが、すごくありがたく感じるよ……」
ミッドナイトファンタジーパークのジェットコースターは、普通の遊園地にあるシートに座るタイプのものじゃなくて、ぶら下がって足をぶらぶらさせる形になる。だから、足を踏ん張ることができない。しっかりした地面が無くて、スピードが上がった時には、まるで空を飛んでいるような……実際に飛んだこと無いから、あくまで想像だけど、でも、本当に空を飛んでいるような気持ちになれる。
たっぷりスリルを味わった後は、また、ほんのりした甘さがほしくなって。
「透くん。また……手、つないでくれる?」
「もちろん。断る理由なんて無いよ」
「せっかくだから、ちょっと辺りを散歩しない? ここ、歩いてるだけでも楽しいからさ」
わたしにも、お断りする理由なんて無くて。
透くんが、そっと、わたしの手を取る。
「神戸さんの手はあったかいね、血が通ってる証拠だよ」
わたしの手を取って、透くんがやさしい声でそう呟く。わたしのそれより少し大きな透くんの手に包まれて、あったかいと言われた手が、もっともっと、熱を帯びていく。
赤くなった神戸さんも素敵だね。おどけた調子でうそぶく透くんに、みんな透くんのせいだよと笑って、左手で腕をパタパタとはたいた。
園内を歩いていると、他とはすこし様子の違う、意図的に作ったような不気味さを感じさせる建物を目にする。
「ゴーストハウス……お化け屋敷、だね。せっかくだから、入ってみる?」
「ううん……わたし、怖いのは苦手だけど……でも、透くんとふたりなら大丈夫。行こっか」
小さい頃から怖いものが苦手で、暗いところへはできるだけ行かないようにしたり、ホラー映画やスプラッタ映画はなるべく観ないようにしたりしていた。今入ろうとしてるゴーストハウスも、本気で怖がらせてきそうな雰囲気がして、ひとりでいたらきっと入らなかったと思う。だけど、隣には透くんがいる。いっしょに歩いてれば、怖いのだってへっちゃらだって、そう思えた。
わたしと透くん、ふたりでいっしょにおっかなびっくり入ったゴーストハウスからようやく出てきたときは、三十分くらい経っていた。
「と、透くん……もう外だよね? 向こうから、お化け、わーって出てきたりしないよね……?」
「あははっ。そんな半べそにならなくたって、大丈夫だよ、神戸さん」
「だって、怖かったんだもん……窓に張り付いてこっちに来そうだったし、足つかまれそうだったし……それに、中が迷路になってるだなんて、聞いてないよぅ」
「お化け屋敷に迷路を組み合わせてたのはよかったね。出られないかも、って怖さがあるし」
「もう、そんな冷静に分析とかしないでっ。出られなかったらどうしようって、すごく不安だったんだもん」
「出られないなんてことはないよ。出ることを諦めなければ、必ず出口は見つかるからね」
ゴーストハウスは、わたしにしてみればそれはもうとんでもない場所だった。ただ怖いだけじゃなくて、中が結構複雑な迷路になっていて、簡単には出られないようにされていた。迷路をさまよう間あちこちで怖がらされて、驚かされて、透くんの言う通り、わたしは半泣きになっていた。最後の方はかたかた震えながら、透くんの腕にしっかりしがみ付いたままゴールまでたどり着いた。
怖がってくっつくわたしの頭を、透くんは子供をあやすような手つきで、そっとやさしく撫でてくれた。透くんはわたしよりも一回り大きくて、背丈だけで言えば、きっと、少し歳の離れた兄と妹みたいに見えたと思う。
それからも時間を忘れてたくさん遊んで、ふと気が付くと、青を湛えていた空が、橙に染まりはじめていて。
「もう夕方かぁ……なんだか早いね」
「なんだかあっという間だったね。楽しい時間ほど早く過ぎるなんて、よく言ったものだよ」
そうだね、なんて返事をしつつ、わたしの視線はまっすぐに、ある一点へと注がれていて。
「ねえ、透くん。最後に……」
「――観覧車。そうだよね?」
観覧車に乗りたいな。わたしがそう言い終わる前に、透くんが先に、観覧車という言葉を口にした。
「えっ? どうして……」
「神戸さんが見ている先を追えば、答えは自ずと見えてくるよ」
「……うん。そうだよ、透くん。ホントにその通り。最後にね、ふたりでいっしょに、観覧車……乗りたいな」
わたしがそうおねだりすると、透くんはいつものようにやわらかな笑顔を浮かべて、僕も最後に乗りたかったんだ、と言ってくれた。また手をつないで、遠くに見える観覧車の乗り場に向かって、一歩ずつ歩いてゆく。
買ったチケットをスタッフの人に手渡して、ごうんごうんと音を立てつつ回ってきた一台の観覧車に、透くんに先導される形で乗り込む。行ってらっしゃいませ、笑顔で手を振るスタッフさんに見送られながら、観覧車は少しずつ、上昇をはじめる。わたしと透くんは、ひとつの座席に隣り合って座った。
「本当は向かい合って座るのを想定してるみたいだけど、ここ、ちょっと幅があるからね」
「うん。となり同士で座れば、透くんと同じ風景を見られるしね」
観覧車が、空へ少しずつ近づいてゆく。だんだん小さくなってゆくミッドナイトファンタジーパークの全景を眼下に収めて、わたしは思わず息を飲む。遊園地全体が夕陽に照らされて、まるで、赤く燃え上がっているかのよう。そして――こんな素敵な光景を、大好きな透くんといっしょに、ふたりで見ていられる。
まるで、すばらしい夢を見ているかのような、幸せな気持ち。
「綺麗な景色だね。本当に、すごく綺麗だ」
「最後にこれを見られて、僕は心からよかったと思うよ」
遊園地デートの締めくくりに、観覧車に乗って夕暮れ時の空を見る。お相手は、大好きな透くん。こんな風にできたらいいなって、ずっと憧れていた、恋人同士のおつきあい。その舞台に、他の誰でもない自分が立っているんだ。心からそう実感して、幸せな気持ちがあふれてきて、不意に、目頭が熱くなった。
「透くん……わたし、すごく幸せ」
「こんな風に、素敵な場所で、素敵な風景を見ながら、素敵な人といっしょにいられる。すっごく嬉しいよ」
感極まって嬉し涙をぽろぽろこぼすわたしに、透くんはすっと人差し指を差し伸べて、涙をぬぐってくれる。やさしく手をにぎったまま、そっと目元へ指を当てて、あふれる涙をすくい取る。
「泣かないで、神戸さん。神戸さんが泣いてると、僕は君の手を離せない」
「涙はとっておいてよ。これからの、たくさんの素敵なことのために」
うん、ありがとう、透くん。わたしはお礼を言って、手のひらでたまった涙を拭いた。涙で少しにじんだ視界に、一面橙色に染まった、ミッドナイトファンタジーパークの全景が広がる。
透くんにつないでもらった手を握り返して――わたしは、わたしが間違いなく、透くんといっしょにいるんだってことを、もう一度強く噛みしめた。
強く、強く、とても、強く。
夢は現実の続き。現実は夢の終わり。
楽しい時間は瞬く間に過ぎて、わたしと透くんは帰路についていた。来たときと同じように路線バスに乗って、最寄りのバス停まで帰ることになる。ショップで買ったたくさんのおみやげを手に提げて、ミッドナイトファンタジーパークで過ごした素敵な時間の余韻を味わいながら、透くんとわたしは歩いていく。
遊園地を出てすぐに、長い横断歩道に出くわす。バスは反対側の車線に停まるから、ここを渡って向こう側へ行かなきゃいけない。赤信号が青になるまで、その場でしばし待つ。
(透くん……)
顔を上げて透くんを見やる。わたしが視線を投げかけたのに気づいて、透くんはふんわり、やわらかく笑って見せる。その顔を見ているととても安心できて、いつまでもずっと、離れたくないって気持ちになる。
わたしの胸が、このままずっと、透くんとふたりでいたいという思いで、いっぱいになっていく。
前を見ると、歩行者用の信号が青に変わっていた。あたたかな気持ちに満たされながら、ふたりで手をつないで、横断歩道を渡りはじめる……。
まさに、その時だった。
(……えっ?)
ピピーッ、という、耳をつんざくようなけたたましいクラクションの音が聞こえて。
はっ、と反射的に視線を左へ向けると、透くんの向こう側から、大きな車が迫ってきているのが見えて。
クラクションの音が聞こえて、大きな車が迫ってきているのが見えて。
それから、それから。
(……あっ)
すると、だんだん視界が灰色に塗りつぶされていって、何も聞こえなくなって、何も見えなくなって、そのまま――。
――そして。
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