1242(とうに死人)のヤコ(後)

 しかし。

 数日後、ヤコの働く食堂を再度訪れた時、娘は相変わらず垢抜けない麻の服を着て、化粧もせずに地味な姿で黙々と給仕に勤めていた。少年の姿を見とめた彼女は、気まずそうに目を逸らす。そんな彼女と少年を見つめて、店主が厭らしい笑顔を浮かべるのが気にかかった。

「ごゆっくり」

 鴨肉のローストを提供し、他人行儀に挨拶をして、ヤコはアルベインの元を離れる。厨房へ戻った時、入口で店主が彼女の襟首を掴んで裏口から出て行くのが気にかかって、少年は席を立ち、彼らの後を追っていた。

「良い鴨だろ、お前が捕まえなくてどうするんだよ」

 物陰に身を隠して耳をそばだてると、粘っこい声が聴こえて来る。『鴨』が決して少年が注文した肉の事を指しているのではないと云うのは、すぐに判った。

「お前みたいな屑は、こんな事でしか役に立たねえんだよ。俺の女房が病に倒れたとでも言え。あの小僧、腐っても勇者様だ。お前の頼みなら幾らでも金を積んでくれるだろうよ」

 首から上が一瞬で沸騰したように熱くなる。きっと先日ヤコに渡した金貨も、彼女が使う事が出来ないまま店主の懐に入ったのだ。だから彼女はいつもと同じ服を着るしか無かったのだ。

 後先を考える間も無く、少年は物陰から飛び出していた。こちらに気付き、驚愕して目を瞠る主人の顔面に、数日前と同じように拳一撃。今度は歯が折れて飛んだ。のけ反る相手には目もくれず、少年はヤコの手を引いてその場から逃げるように走り出していた。

「アル様、アル様。待って。あたしに構わないで」

 娘の懇願も無視して走り続け、食堂から大分離れた所でアルベインはようやく足を止めた。怒りの形相で振り返り、壁際に娘を囲い込む。この年代の少年にしては小柄な身体は、ヤコと同じ目線の高さで、決定的な迫力には欠けたが、娘を怯えさせるには充分だったようだ。

「お前、何で我慢してるんだよ!」

「我慢なんて」

「してる!」

 目を潤ませながら否定の言葉を吐く娘を、否定する。

「忌み番なんて持って、『とうに死人』とか馬鹿にされて。いいように使われて。少しは怒れよ!」

 黒の瞳が大きく見開かれ、岸水寄せて、溢れ出す。

「だって」

 いやいやをするように首を横に振りながら、娘は言葉を絞り出した。

「あたしは忌み人だから。生きているだけで幸せなんだから、それ以上を望んじゃいけないんです」

「望めよ」

 彼女の頬に触れ、流れ落ちるものを指ですくい、強い口調とは裏腹に優しく拭い取る。

「人並に幸せになりたいって。普通の女みたいに生きたいって。お前だって願って良いはずだ」

 彼女の瞳がまたも濡れて、新たな涙が伝い落ちる。少年はごく自然にそれを唇で拭い、そのまま、少し突き出た彼女の小さな唇に重ねた。

 まるでそれが、予め決まっていたかのように。


 それから少年と娘は古着屋へ行った。少年の持ち金なら新品の服を買う事も充分出来たが、あの店に戻ったら店主に引っぺがされて売り払われる危険性がある。それに、「汚れても構わない物が良いです」とはヤコの弁だった。

 勇者の卵が連れて来た客と云う事で、店員が張り切って女物の服を見繕う。女性の服装に関してアルベインはど素人なので、全て店員の選択とヤコの意志に任せた末、淡い花柄の上衣とベージュのスカートに、ほんの少しだけ踵の高いサンダルを履くという結果になった。

「似合いますか?」

 照れ臭そうに頬を染めて確認を求めて来るその姿が愛おしくて、しかし素直にその感情を言葉にするのが悔しくて、少年は腕組みしてそっぽを向きながら、「悪くはない」と応えた。

 まるで付き合い始めの初心な恋人達のように手を組みながら古着屋を出る。すると、表通りが俄かに騒がしい事に気付いた。

「貴様ら! ここが神聖なる帝都と知っての狼藉か!?」

 声のする方へ二人して顔を向けると、帝国騎士二人が、着の身着のまま傷ついた裸足をさらす一家四人を、建物の壁際へ追い詰めていた。

「お許しを、どうかお慈悲を!」

 父親と思しき若い男が、騎士の足元に取りすがる。妻らしき女性は、まだ歩き出したばかりだろう幼子と乳飲み子を抱えて震えていた。

「ハカラが滅びてより、身一つでここまで逃げ延びて来たのです。どうか帝都で受け入れてくださいませ!」

「ならぬ」

 騎士の答えは絶対零度の凍気をもって一家を突き放した。

「番号を持つ許可無き者を帝都に受け入れる訳にはいかぬ。一人例外を許せば、際限が無くなる。帝国の根幹が揺らぐ!」

「お願いたします、どうか、どうか!」

 若者の懇願は届かなかった。鞘走りの音を立てて騎士が腰の剣を抜き放つ。そして、絶望に顔を強張らせる父親に向けて、容赦無く振り下ろし、断末魔の悲鳴と血飛沫が、大通りにあがった。

 崩れ落ちていく若者を、騎士は酷く冷めた目で見下ろしていたが、不意に妻の方へ向き直ると、恐怖で身をすくませたその心臓を貫く。泣き出す子供達の首も、事務的に撥ねた。そのあまりにも容易く行われたえげつない行為に、アルベインもヤコも、昂揚した幸福感などどこかへ吹き飛んで、唖然と立ち尽くすしか出来なかった。


「よう」

 ヤコと別れ、鬱屈した気持ちで皇城へ戻ったアルベインを出迎えたのは、オズィンだった。少年の部屋に先に居座り、呑気に酒をあおっている。少年を勇者として見出した割には、育成を他の連中に任せて何処をふらついているか判らないこの男は、しばらく会わない間に、鷹揚な態度とは裏腹に随分と老け込んだ気がした。目尻の皺も大分増したように思う。

「悪い知らせと更に悪い知らせがあるが、どっちから聞く?」

 いずれにしろ悪い選択肢しか無いのか。辟易しながら、「悪い方」と答えると、男は不意に神妙な顔付きになり、椅子の背もたれにのしかかっていた身を起こして、膝の上で手を組んで、告げた。

「ハカラが消えた。魔族の仕業だ。炎で何もかも焼かれた」

 懐かしい名前に衝撃を受け、そして今更思い出す。今日往来で斬られた男は、『ハカラが滅びてより』と言ったではないか。人生の嫌な思い出の大半を担う街ではあったが、それが滅ぼされた、しかもいずれ自分が戦う相手に、となると、複雑な気持ちが胸の内で渦を巻く。

「更に悪い方は」

 もうこれ以上何が出て来ても驚かない。そんな思いを抱いて訊ねると、「おめでとう」とオズィンが両手を広げた。

「帝都に近い街が滅ぼされた事で、陛下が決断された。お前さんをほんとうの勇者として送り出す日が来たぞ」

 アルベインは目を瞬き、それから、真実驚きで見開くのだった。


 勇者の卵を卒業し、正式な勇者として旅立つ事が決まったアルベインには、皇帝より真剣が授けられた。神殿で清められた鉄を鍛えた刃には邪法除けの魔法がかけられ、鍔には雄々しい鷹が翼を広げる皇家の紋章が刻まれている。

「この剣に恥じない戦いをするが良い、勇者アルベイン・レイテル」

 相変わらず紗の向こうに居る皇帝ではなく、騎士長ガラハッドの手から剣を受け取ったアルベインは、両手で押しいただき、慎重に腰に佩いた。

 魔王征伐の旅には、オズィンとガラハッド、爺さん一押しの弟子である宮廷魔術師、そして神殿からはハーヴェルク神官長が将来を見込んだ若き神官が同行する事になった。

 旅立ちは三日後。その前に、ヤコに会って挨拶をしておこうと、少年は街に降りた。途中寄り道をして食堂へ行くと、しかし彼女は居なかった。散々に殴られて血塗れの店主が、店の客達に必死に介抱されているだけだった。

 店主はアルベインの姿を視界に見とめると、明らかに怯えた表情を浮かべた。

「ヤコはどうした」

 客を押し退け、店主の胸倉を掴み上げる。

「俺じゃねえ! 俺じゃねえよ!」

「質問に答えろ!」

 締め上げる力を強くすると、「カーラク一味だ!」店主はもがくように手を振りながら喚いた。

「奴ら、前々から入り浸ってヤコに言い寄ってた! 最近ヤコが綺麗になったもんだから!」

 あんたの為にだよ、と続けられた言葉が胸を鋭く突き刺す。彼女に幸せになって欲しくて、女である事の喜びを知って欲しくて、面倒を見た。それが裏目に出たと云うのか。

「そいつらはどこだ」

 店主を問い詰めカーラク一味とやらの根城を聞き出すと、アルベインはもう相手には目もくれずに放り出して、店を飛び出し、大通りを駆け抜けた。

 どんな目に遭わされているか。否、どうなってても良い。生きてさえいてくれれば構わない。

 その一念に支配され、少年は裏町の古ぼけた建物の階段を駆け上り、荒々しく扉を開けた。途端、数人の視線が一斉にこちらを向く。どいつもこいつも同年代の少年ばかりだった。

「ああん、何だ、お前は?」

「こちとらお楽しみ中なんだよ、邪魔するな」

「それとも、お前も混ざりたいのかあ?」

 どいつもこいつも下卑た笑みを浮かべている。彼らの陰になっている所に、むき出しの白い脚が垣間見えた。それが誰のものか理解した瞬間、アルベインの中で何かが切れた。

 鯉口を切る金属音。その直後に、少年の一人の首が飛んだ。突然訪れた惨劇を把握しきれず立ち尽くす別の少年が心臓を貫かれて事切れる。皇帝から与えられた剣は、アルベインの怒りを乗せて、人間をまるでバターのように滑らかに斬り裂き、次々と肉塊へ変えてゆく。

「ひっ、ひいっ!」

 最後に残った素っ裸の少年が、恐慌に顔を歪ませ、腰を抜かしたまま後退る。恐らくこいつがカーラクだろう。

「何したってんだよ、俺達が何したってんだよ! 忌み番をどうしたって良いだろうが!」

 アルベインは言葉で答えなかった。答えは、振り下ろされた鋼の鈍い輝き。

 そうして、その場に動いている者は、アルベインと、もう一人以外、居なくなった。

「あ」

 名を呼ぼうとしたのだろう。顔を向ければ、ヤコが腫れ上がった顔を痛みに顰めた後に、頼り無く笑った。古着屋でアルベインが買ってやった服は見るも無残に引き裂かれ、ところどころ赤くなった白い肌が覗いている。ここで彼女の身に何が起きたか。察する事は簡単だった。

 剣を鞘に収めると、上着を脱いで彼女に着せ掛ける。殴られ、蹴られ、それ以上の狼藉を働かれて満足に動けない彼女を背負うと、アルベインは願った。

『敵に勝つ為でも、名声の為でも、金を得たいが為でも、惚れた女の為でも。とにかく、使いてえって願う気持ちが大事だわ』

 爺さんに言われた言葉が脳裏を巡る。

 惚れた女の為だ。

 燃やし尽くせ、彼女に忌まわしき思い出を刻み込んだこの場所を。

 かざした手から炎が生まれる。赤い輝きは、少年達の屍や無造作に積まれた荷物に移って、燃やす。

 決して他の建物に延焼する事は無い魔法の炎に背を向けて、アルベインはその場を立ち去る。碧の瞳には、ぎらぎらとした怒りが灯っていた。


 食堂にも皇城にも戻りたくはなかった。ヤコの住んでいる場所を知っていれば送り届けられたのだが、疲れ果てた彼女はアルベインの背でうたた寝を始めてしまったので、訊き出す事は不可能になってしまった。仕方無く、表通りに出ると近場の宿を見出してそこに飛び込み、金を積んで部屋を確保し、女物の服の用意も頼んだ。

「噂の勇者様になら、とびきり良いお部屋を用意しますよ」

 宿の主人は背中の娘を見て「とびきり良いお部屋」をやたら強調したが、彼の揶揄に付き合っている余裕は、今のアルベインには無かった。

 予告通り、通されたのは、調度品の何もかもが皇城に負けないくらいの高級感溢れる部屋だった。身が沈む程柔らかい羽根布団が敷かれた、天蓋付きのダブルベッドにヤコを横たえ、自分はソファに収まる。

 やがて扉が叩かれ、女将が頼んでおいた服と共に軽食を運んで来てくれた。

「どうぞごゆっくり、お楽しみくださいね」

 残して行った言葉は余計だったが。

 今更ながら両手を見つめる。初めて人を殺した幼い日よりも多くの人間を斬ったのに、全く恐怖に震えていなかった。こうして慣れてゆくのだろうか。勇者として、命を奪う事に慣れて、人の心も失ってゆくのだろうか。そのまま手で顔を覆って深く息をついた時、微かに呻く声があって、アルベインは手を退けて身を起こした。

 ヤコが起き上がって呆然とこちらを見つめている。何かを言いたげに小さな唇が震えて、しかし言葉を紡ぎ出せず、彼女は静かにしゃくり上げる。近寄って抱き締めると、想像以上に華奢な肩が震えた。

「ヤコ」

 彼女の名前を呼ぶのは初めてだったかも知れない。そんな考えを頭の片隅に置きながら、アルベインは告げた。

「結婚しよう」

 彼女には拒否する理由が沢山有っただろう。しかしその理由を並べ立てる暇すら与えず、少年は彼女の左手を取り、薬指に白金のリングを滑り込ませた。食堂に向かう途中に寄り道した装飾品店で買った品だ。自分の左薬指にも同じ意匠の物をはめて、彼女の眼前にかざしてみせる。

「俺は必ず魔王を倒して帰って来るから。そうしたら、帝都を出て一緒に暮らそう。勇者も忌み番も関係無い辺境が良いな」

 そう、小さな居を構えて。夫は畑を耕し汗を流して。妻は洗濯物を干し、美味しい食事を作って。子供達の歓声が幾つかあると、尚の事良い。

「アル様」「違う」

 柔らかく叱咤すると、ヤコはしばらくの間考え込み、そして思い至ったらしい。

「アル」

 少年の名前を、大事に、大事に、ささめく。

「幸せに、なろう」

 娘の黒の瞳をまっすぐに見すえて、静かに、しかし強く言い聞かせると、彼女は涙を零し、それでもしっかりと頷く。

 見つめ合う恋人達は、やがてどちらからともなく目を閉じ、唇を重ねた。

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