魔王なんて居なかった

 勇者アルベインの旅の途中の出来事は、歴史書に残すまでも無い実にあっけない物だった。

 魔族は、噂通り人と全く同じ姿形をしていたが、伝え聞く残酷さは殆ど感じさせなかった。時折徒党を組んで勇者一行を襲って来たが、本格的にアルベイン達を仕留めようと云う意図を感じさせなかった。武器を振り回し、魔法を放って来るものの、アルベイン達が反撃に出て一、二人が返り討ちに遭うと、一斉に身を翻し撤退するのだ。

 まるで、一行の実力を試しているかのようだった。

 魔族との戦いよりも、旅を続ける事そのものが困難な道程だった。大きな街と街の間は離れ、魔族に襲われる事を恐れて、街を繋ぐ宿場町もわずかにしか点在しない。金には困らなかったが、食料を得る事とその日の宿に困って、野宿生活には否が応にも慣れた。

 幾つもの山を越え、川を渡り、砂漠を横断して、かつて滅ぼされた街を後目に、東へと進む。

 そして東の果ての魔王城に辿り着いた時には、帝都を経ってから半年が経過していた。

 魔王城は暗黒の城だった。白い皇城とは対照的に、黒の御影石を惜しげ無く使って建設され、奥へと続く廊下も黒一色。明かり取りの窓は存在するが、東の果ては昼間でも真夜中のように暗いので、全く意味を成さない。壁に等間隔に掲げられた燭台に燃える蝋燭の炎が、かろうじて行く先を照らしていた。

 抜き身の剣を握る手が、極度の緊張で汗に濡れる。魔王が居るだろう最奥の間へ辿り着いた時、しかしアルベイン達を出迎えたのは、空っぽの玉座だった。

 魔王はどこだ。仮にも王の名を持つ者が尻尾を巻いて逃げ出したのか。それともどこかに潜んで、こちらを一網打尽にする機会を窺っているのか。油断無く周囲を見回したその時、アルベインは自分達が敵に囲まれている事に気付いた。

 気配を消していた魔族達は、勇者と同じ年頃の少年少女から、壮年の男、年老いた老人、そして歩き始めたばかりだろう幼子まで、老若男女を問わない。しかしその誰もが殺気を感じさせなかった。彼らは静粛に歩み出て来たかと思うと、まるでそれが至極当然のごとく跪いて、深々と頭を垂れたのである。

「ご帰還をお待ちしておりました」

 一際近くで膝をついた皺くちゃの老人が言葉を発したのを合図に、魔族が見事に声を揃えた。

「お帰りなさいませ、ロイド様」

 顔を上げた彼らの視線は一点に集中している。それを追って、アルベインは驚きに目を見開いた。注目を一身に浴びて気まずそうに頬をかいていたのは、ハカラでアル少年を拾った男、オズィンだったのだ。

 しばし考えて、そして思い出す。家庭教師が教えてくれた歴史の中に、歴代の勇者の名前が挙がった事を。その中に列せられた先代勇者の名が、ロイド・ウォルターと云った事を。だが彼は魔王と相討ちになって死んだはずではなかっただろうか。それに勇者ロイドが活躍したのは十年前。その時彼はまだ二十歳を超えたばかりの青年だった。オズィンはどう若く見繕っても四十の齢を割らない。一体どういう事か。混乱が頭の中で渦を巻く。

 オズィンはしばし、気まずそうに仲間達と魔族達を見渡していた。が、やがて諦めたように深い息をつくと、がりがり頭をかいて、焦茶色の瞳を細めた。

「ばれちまったか」

 その態度が、悪戯を見つかった子供のようにあまりにも悪びれない様であるので、これは魔族が仕込んだ大掛かりな芝居なのではないかという錯覚さえ、胸に浮かんで来る。しかし。

「貴様」

 騎士長ガラハッドが、明らかな敵意を含んだ声と表情でオズィンを睨み、剣の柄に手をかけた事から、アルベインの意識も現実に立ち返る。

「どういう事だ」

「どうもこうも」

 詰問にも悪びれもせずにオズィンは、否、元勇者ロイド・ウォルターは両手を広げて肩をすくめてみせる。

「それが帝国の隠して来た真実さ」

 ガラハッドは険しい顔つきでロイドを見据えている。魔術師と神官は呆然と立ち尽くしている。そして、どうしたら正しい反応を出来るか見極められずに口を半開きにするアルベインに向け、ロイドはいつかのように愉快そうに笑いかけて、手招きをした。

「ついて来い。この世界の真の姿を見せてやる」


 ロイドに連れられて、一行は魔王城の更に奥深くへと潜って行った。階段でではない。金属製の扉の前でロイドが何がしかの操作をすると、軽快な音を立てて扉が開き、箱型の乗り物に乗る羽目になった。

 一同が乗り込み、ロイドがまた何か四角い釦を押すと、扉が閉まり、奇妙な感覚が訪れる。浮いているのか、沈んでゆくのか。初めて味わう異様な感覚に戸惑っている内に、箱はまたも軽快な音を立てて停止し、扉を開いた。

 その先は、最早未知の世界だった。

 黒い画面に緑の文字が光って、秒単位どころか一瞬の内に流れるように過ぎてゆく。奥には全世界のものと思われる地図が記され、青から黄色、赤で色分けされていた。

「魔族は」

 その地図の前に立って、ロイドは悠然と両腕を広げ、謳うように語り出す。

「ここで世界の人口を把握して、ひとつの集落が5000人を超えないように管理している」

「5000人を超えたら、何が起きる」

 質問を発したのは、アルベインでも魔術師でも神官でもなく、騎士ガラハッドだった。いまだ油断無く剣の柄に手を置いたまま、ロイドを詰問する。

「『天の雷火』が宇宙から降る」

 唐突に飛躍した返答に、誰もが固まってしまった。宇宙。宇宙と言ったか、この男は。天空の更に彼方から、火が降って来ると云うのか。

「侵略者が宇宙からこの星を虎視眈々と狙って、数百年。帝国は、どうすれば奴らの虐殺からこの世界を守れるか研究に研究を重ねた」

 そしてある時代に、時の皇帝の弟が、5000を超えた人間が集うと天の雷火はそこを狙って降る事、5000人を超えない時期が続いても、一定数以上の生命反応が確認されると雷火は無差別に撃ち落とされ、この地上に住む人間は死滅する事、以上を結論として弾き出したのである。

 5000を超えてはならない。しかし人間が分散し増え過ぎてもならない。そこで皇弟が導き出した答えは、古代の機械文明を使って世界の人口を把握し、天の雷火の対象になりそうな集落が増えたら滅ぼす間引きを人間自らが行う事で、侵略を少しでも先延ばしにする事だった。

 それを皇家の人間が公然と行う訳にはいかない。皇弟は彼を慕う研究者と身の回りの世話をしてくれる者達を連れて帝国を出、東の果てに研究施設を作り上げ、世界を監視した。そして人口が増え過ぎた街へ攻め込んでは滅ぼし、いつしか、東の果ての魔王と呼ばれるようになったのである。

「それが魔王の秘密だ。腐れた世界の真実だ」

 愕然と立ち尽くすアルベイン達を前に、ロイドは淡々と言葉を重ねた。

「もっとも俺も最初、先代の魔王の旦那からその話を聞いた時には、眉唾物だと思ったがな」

 その姿が霞がかったように揺らいで変わってゆく。茶色い髪は真っ白に変わり、顔や手の皺が増えて、四十代どころか六十代にも見える老人の姿へと変貌してゆく。

「ここの機械を動かすには、人間の魔力が必要だ。魔力はその人間の生命の源だ。それを失えば、こうして常人の倍以上の速度で歳を取って行く」

 それでロイドは東の果てで魔王としての役目を果たす傍ら、時折姿を変え、オズィンの名で別人として帝都に入り込み勇者の卵を探す事で、自分の跡継ぎを求めていたのか。

「戯言だ!」

 ガラハッドが遂に激昂して剣を抜き放った。

「神聖なる帝国を侮辱し、我らを翻弄する邪悪の化身! 決して生かしてはおけぬ!」

「あーあ」

 ロイドがぼやいて、心底残念そうに瞳を細める。

「あんたのそのくそ真面目な所、嫌いじゃなかったよ、騎士長さん」

 ガラハッドの刃がロイドの首を撥ね飛ばす直前、騎士の動きが止まった。口から大量の血を吐き、やけに緩慢な動きで床に倒れ伏してゆく。その背後には、血に濡れた剣を握るアルベインの姿があった。

 ロイドが口元をつり上げて笑う。魔術師と神官は唖然と立ち尽くすばかり。そしてアルベインは剣の血を払って鞘に仕舞うと、倒れ伏す騎士長の腕から翡翠腕輪を抜き取り、自分のそれも外した。何も告げずとも0999番を差し出したロイドからそれを受け取り、三つの翡翠腕輪を神官の手に落とす。

「勇者アルベイン・レイテルは魔王と相討ちになって死んだ」

 決意はもう定まっていた。

「騎士長ガラハッド・ジェイクと戦士オズィン・クルーガーは勇者を守って名誉の戦死を遂げた。そこまで言えば、お前達が責任を問われる事は無いだろう」

 帰りたかった。あの帝都は決して愉快な場所ではなかったが、愛しい女が住んでいる。自分の帰りを待って、1242とうに死人からただのヤコになる日を心待ちにして、約束を頼りに過ごしている。

 だが、この世界の真実を、自分が勇者として育てられた意味を知った今、この役割を放棄して「帰る」と無責任に言う事は、出来ない。自分がロイドの跡を継いで世界を見守らねば、いつか無差別に雷火が地上に降り注ぎ、帝都をも、ヤコの華奢な身をも焼き尽くすだろう。

 酷く青ざめた神官が、震える手で三つの腕輪を握り締める。彼と魔術師が魔族に案内され、踵を返してその場を去る。

 魔王なんて居なかった。人間自らが作り出した業だったのだ。だがもう、何も知らない少年には戻れない。

 最後の邂逅の夜、腕の中で幸福そうに微笑んだ娘の顔を思い出すと、勝手に涙が溢れ、アルベインは声を殺して、一人、泣いた。

 過去との決別の為に、全てを押し流そうと。


 そうしてアルベインは勇者から魔王の卵になった。

 ロイドや他の研究者に教えられ、この城に存在する機械の使い方を学ぶ日々は、帝都で色んな事を吸収した以上に新鮮で、飛ぶように歳月は過ぎた。

 やがて、魔力を使い果たし老い切ったロイドが永い眠りにつくと、アルベインの肩書きから卵は取れて、新たなる魔王として立った。魔王になってから、機械操作に魔力を持って行かれる事はより身に染みて判るようになった。まだ三十にもならない身体が、まるで五十路のような老いを見せたのである。

 あまりの速度に恐怖して孤独を感じた末、ヤコに申し訳無いと思いながらも、若い魔族の女を一人、情に任せて抱いたりもした。結果、碧い瞳を持つ男の子が産まれ、後継として育てる羽目になった。息子は聡明で、言葉を喋る頃には父の仕事を張り切って手伝うようになり、魔力を持って行かれた為、八歳で既に年頃の少年のような姿になった。

 ある時不意に思い立って、帝都の人間の消息について調べてみた。そこで知ったのは、1242番が十六年前の時点で既にヤコではないと云う事実だった。子を孕んで無駄に人口を増やそうとしたと、あの業突く張りの店主に殴られ、翡翠腕輪を取り上げられて、帝都を追い出されたと云う。しかしその店主は、亡き勇者の子という大事な後継者を産もうとしている娘から勝手に番号を奪った大罪人として、腕輪を差し出したその場で斬り捨てられたらしい。それだけが胸のすく思いをさせてくれた。

 その後彼女が何処へ行ったかは判らない。魔王城の機械は、全世界の人口を正確に把握する事が出来ても、唯一人の具体的な所在を割り出す事はかなわなかったのだ。

「父上、どうかお気を落とさないで」

 青と黄色と赤に彩られた世界地図を前に悄然と肩を落とすアルベインに、息子が碧の瞳を細めて優しく声をかけてくれる。

「ヤコさんは、きっと何処かで生きています。僕がもっと大きくなったら、彼女を探す旅に出て、見つけ出してみせます。兄か姉かわからない僕のきょうだいも、必ず最後まで守り抜きます」

 ろくでもない人生を歩んで来た男の息子とはとても思えない、良い子に育ってくれた。まるでその思いやり有る性格を反映したかのように、息子が得意とするのは、人も自分も瞬時に傷を癒す事の出来る魔法だ。きっと、どんな魔族からも慕われる王になるだろう。

 アルベインは左薬指に輝く白金の指輪を撫でて、もうおぼろげになって来てしまった垢抜けない娘の笑顔を、脳裏に必死に描く。

 ああ、ヤコ。

 会いたいよ、ヤコ。

 こんなにも会いたいのに、君は居ない。

 俺ももう、昔のアルのままじゃあない。

 惚れた女の為に己の魔力を使い果たす事を決めた男の、握り締めた皺だらけの拳に、雫がひとつ零れ落ちた。


「以上が、魔族に紛れ込んだ間諜からの報告にございます」

 紗の前で跪き、丸い頭を垂れて、ハーヴェルク神官長は淡々と告げた。

「陛下のご期待通り、勇者は次代の魔王となりました」

 その口元には笑みさえ浮かんでいる。

 勇者などにせもの。優れた魔王を輩出し、帝都以外の人口の多い街を滅ぼさせる事で、帝都を守る為の部品。それがいつかの皇帝とその弟である魔王が交わした契約だった。

「次の勇者の目処は」以前より益々しわがれた声が、紗の向こうからする。「立っているのか」

「アルベインの娘を見出しました」

 帝都を追い出されたヤコは小王国の辺境村に辿り着き、そこで碧い瞳の娘を産み、愛情を注いで育てた末、数年前に病を得て亡くなった。遺された娘の名はイリアナ。村で糸を紡ぎ、今年十六になると云う。全て帝国の優秀な密偵が抜かり無く追跡して、暴き出した情報であった。

「時は充分に至ったかと」

 ハーヴェルクが、獲物を見つけた狡猾な狩人のように口元をつり上げる。紗を挟んだあちら側で、皇帝が深く頷く気配が、神官長にも伝わった。

 三十年以上前、皇帝に二十番目の皇子が産まれた。しかし多子の皇家に使える番号はもう0042番しか無く、忌み番を皇族に用いる訳にはいかぬと、末の皇子は山奥に住む子の居ない夫妻に養子に出された。

 死人番号になりそうだった、あぶれた皇子。その名はアルベインと言ったのだが、それを知る今生きている者は、碧の瞳を持つ皇帝自身と、数名の家臣しか居ない。


 そして何も知らない碧の瞳の娘は、辺境村で今日も糸車を回している。

 火の揺らめきのごとき赤い赤い糸を、誰かの運命のように大事に紡いで。

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