59
槻木にアップルパイ(三千八百円)を奢ってもらい食べ終わった後、店を出ると夕方になっていた。だが、俺はそのまま事務所を訪れていた。いつも通り何も考えずに遊びに来たっていうのもあるし、バイト代も受け取っていなかったっていうのもあったが、黒木に訊きたい事があるっていうのが一番の理由だった。
黒木は今回の事件の資料を整理するのに手間取っているらしく、バイト代を渡すのは落ち着いてからにしてくれ、と言われてしまった。何だか不満だ。因みにバイト代は、ここ最近の分が溜まっていたので二十万。どうにも食費が掛かるから助かる。
資料整理は時間が掛かっていて、黒木はキャビネットから色々出し入れしたり、自室を行き来しながら段ボールを運んでいたりしていた。
夜まで掛かりそうな様子だったので、今日は帰って一旦出直そうと考えたが、捺夜が「晩御飯食べてけば?」と言ったので、お言葉に甘える事にした。
夕飯にすき焼きの支度をしているのを手伝っていると、鉄鍋に具を敷き詰めながら捺夜が訊いてきた。
「そう言えばさ、誡君は何で四肢狩りをしたんだろうね」
「何でって、この前説明しただろう?」
「いや、そうじゃなくてさ、十二年間も今まで何事もせずに矛盾を抱いていたんだから、理由も無しに〝四肢狩人〟事件を起こさなかったんじゃないかなって」
「切っ掛けがあったという事か……それは、流石に判らないな」
「あはは、やっぱり? それじゃあ」
と、捺夜は、ちらりと後ろで忙しなく動く黒木を見た。
「晨夜さんに訊いてみようか」
「誡は二月から犯行を始めた。だから、二月に何かあったと考えるのが普通だ」
出来上がったすき焼きを三人で食べている時に訊くと、黒木はそれだけ答えた。
そんなヒントだけを与えられても、俺には解らない。二月っていうと、もう四か月前だ。そんな時に起こった事なんて覚えていない。だが、捺夜はそのヒントですぐに思い当たったらしく、
「……冗談ですよね、晨夜さん?」
と困惑気味に言った。
「さぁな。だが誡の近所の女子中学生が事故で死んだ事は確かだ」
「何でそんな事が判るんですか?」
俺には何の事だかさっぱりなのだが。二人は話を続ける。
「堂崎美和子の母親に話を聞いた時に、堂崎の死について調べる事を、長谷が手伝ってくれたと言っていた」
――堂崎? 三毛猫の時の『再現者』だったあいつが誡と関係があった?
やっと気付いた俺は、捺夜と一緒に混乱しながら閉口していると、黒木は言った。
「例えば、自分の目の前で友達の女の子が轢き逃げに遭って、死んでしまいそうな時に助けるとしたら、誡はやはり腕を狩る事しか考えられなかったんだろう。だが何の準備も無い状態で腕を切れる訳もない。だから腕を切る道具を取りに帰った。そして深夜、誡と一緒に猫に餌をやりに行こうとした堂崎美和子は、戻ってきた時には手遅れで、救急車で運ばれていて孤独なまま死なせてしまった。その罪悪感から逃げたかった、事件を終わらせたかった――なんて、事も考えられる」
「だったら、その償いの行動として誰かを助けたくて、〝四肢狩人〟が生まれた――なんて事も考えられますね」
「推測の域は出ないがな」
言いながら黒木は箸を口に運ぶ。推測とは言うが、こいつが推測でものを言う事は無い。踏み込みべき場所ではないと判断したんだろうか――何にしろ、誡を壊す事に加担した俺には何も言う資格は無い。
「……そう言えば、お前。何であの時誡のベクターが効いてなかったんだ? 多分、あの時の煙草に何かあるんだろうが」
「あれはマリファナだ」
しれっと黒木は言った。
「って、麻薬じゃないですかそれ!? 晨夜さん何を平然と言っているんです?!」
「そこまで過敏に反応するな彼方。誡の能力は強力な暗示に近いものだったから、マリファナの副流煙を吸わせて、俺の言葉に反応する様に仕向けただけだ。ついでにマリファナを摂取した様な状況では当たり前だが正常な判断能力は無くなる。簡単に言えば、あの時は誡はラリって俺に能力を使えていなかった。それだけだ」
「で、でも、やっぱり麻薬なのには変わりないですよー!」
「俺はもう慣れているから問題無い、心配するな」
「そういう事じゃないですー!」
騒ぐ捺夜を横目に、俺は黒木が麻薬を使っていた事よりも、何だか随分と単純な方法で対策を立てていた事に呆れてしまい、思わず笑っていた。
食後、後片付けを始めようとすると、黒木は「まだやる事がある」とか何とか言って、さっさと自分の部屋に戻ってしまった。毎度の事だが、俺も捺夜も便利な家政婦じゃないっていうのに……。
「ヌエはさ」
台所で食器を洗っていると、捺夜が訊いてきた。
「今回の事で、少し変わったよね」
「俺が?」
うん――と捺夜は手を動かしながら続ける。
「霊とか殺人犯を相手にするのはいつもの事だし、命を大切にし続ける態度もいつもの事だけど――何て言えばいいのかな、よく解らないけど。四年前よりもヌエらしくなったよ」
「…………」
「あの時みたいに自分の事を殺してる女の子って訳じゃなくてさ、ちゃんと自分を見る事が出来る様になったよね」
「それは」
ただ、俺の
「俺は……黒木に言われた通り、ずっと〝弱い〟ままだよ。今回だって、勝手な事をして何も出来なかったし」
「んー、じゃあこの四年間での変化がやっと見える様になってきたって事かな?」
「俺は頑固だよ」
「あはは、知ってる。でもちょっとずつ、前に進めてる事は確かだよね。人間ってさ、変われるから。生きる為の理由なんて都合よく拾ったり捨てたりするもん――だから少なくとも生きてるんだよ、ヌエが
「……だけど、どんな真っ直ぐな思いでも矛盾してたら、歪んだ形でそれは顕れるよ。一回死んだ身だからな、歪むのは仕方無いと言えば仕方無いが……」
俺だって自分の矛盾なんかはっきりと知らないが、ちょっとした事で現状の均衡はあっさりと崩れるかも知れない。何せ、一度死んだのだから――
俺の考えを遮る様に捺夜が俺の脚を蹴ってきた。
「痛っ、何するんだよっ」
「またそうやってすぐにヌエは自分の事だけはマイナスに考えるー。だからお仕置き」
「だからって蹴るなよな」
「手が塞がってるんだもん」
「口で言えよ……」
「んー? 口でお仕置きって言われても、あたしは晨夜さんみたいに弁が立たないし」
あ、一つだけ言えるよ――捺夜は悪戯っぽく微笑う。
「存在しているもの全てに言える事だけど、人は自分の意思で動いてる。誰だって撞着しながら、それに気付かないで生きてる。自分が特例なんていうのは、思い上がりだよ」
「……それ、黒木の受け売りだろ」
「ばれたかー」
明ら様に捺夜の言葉遣いじゃないから判るに決まってる。
「けど、そうだな。変われてたらいいな」
ここに居るのだから。それが生きているという事なのだから。
俺は俺だ。今が結果で、それが普通なんだ。特別でも何でも無い、他者と自分を秤に掛けても、そこに見出されるものも結局は自分が居るという事。
そこに自分が居るのならば、自分の存在証明である
「何れにしろ、そこに
ここに居る限り、意味を失くさない限り俺は――矛盾していようが俺だ。
もう六月になって、梅雨が来る夜空を窓から見上げると、
――月はもう、俺に何も語っていない。
月は何も語らない 黒石迩守 @nikami_k
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